2018年8月31日金曜日

2018.08.31 固定電話は生活の質を下げる

● 夜,電話がかかってきた。お子様の結婚でお困りの方に連絡をさせていただいてます,という。別にそんなことで困っていないので,速攻で切ったが,何とも後味が悪い。

● 今どき,固定電話にかかってくるのは,こんなのばっかりだ。投資用にマンションを買いませんかとか(今どき,そんなバカがいるのかと思うんだけど,いるんだろうねぇ),いい出物がありますよとか,限りなく胡散臭いセールスの電話。
 メールなら,Googleがスパムをはじいてくれる(それをしない某プロバイダのメールなんてスパムだらけで使いものにならない)。訪問販売なら玄関に「訪問販売,宗教,新聞勧誘お断り」のステッカーを貼っておけば,けっこう効き目があるらしい。ちなみに,このステッカー,Amazonで売っている。
 が,電話だけはこの振り分けができない。着信拒否の方法がない。出ないことはできるけれども,ひょっとしたら身内からの緊急の電話かもしれない。

● となると,固定電話を持っているのは,彼らの仕事道具をこちらの費用で維持してやっているようなものだ。換言すると,不愉快を有料で購入しているようなものだ。
 ケータイが普及して,固定電話を引かない人が若者を中心に増えているようだが,当然の流れだと思う。

● ぼくもそうしたい。が,そうできないでいるのは,固定電話しか使えない人が身内にいるからで,このあたりはいかんともしがたい。
 いや,そうでもないか。こちらのケータイに電話してもらえばいいんだものな。それだけのことなんだけどね,そこが意外にね。

● ケータイ番号は自分が教えた人しか知らない。それでは不安だと考える人がいるかもしれないね。それ以外の人たちからの連絡をシャットアウトしてしまうことの不安。
 小学校や中学校の同級生や市役所からの連絡をどうやって受ければいい? けど,そのわりに電話帳に自分の電話番号を載せない人が増えているようでもある。そうしたんじゃ,同級生は君の電話番号を調べられなくなるんだけどな。

● ぼくは電話そのものが悪の権化だと思っている人間だ。何せ,電話はこちらの都合を考慮しない。即時の行動を求めてくる。そうではない通信手段(メール,LINEなど)になじんでしまうと,電話は前時代の遺物としか思えなくなる。実際,遺物なのだろう。
 一番いいのは,全員がFBのアカウントを持って,連絡はFBのメッセを使うという方法だ。“友だち”になっていなくてもメッセは送れる。当然,未読無視ありというルールで。
 が,便利さを凌ぐウザッタさが発生するだろうな。第一,ぼくがFBをやめてしまった人間だからな。

2018年8月29日水曜日

2018.08.29 SIMロック解除問題

● 右は今日の下野新聞。
 「SIMロックは,販売から一定期間経過後に解除することが義務づけられている」といっても,購入者がキャリアのショップに持ちこんで,解除を要求した場合に,それに応じるだけの話だ。大方のユーザーはわざわざそんなことはしないから,SIMロックの解除義務づけといったところで,そんなものは画餅にすぎない。
 同じことを中古スマホに対しても適用するといっても,やはり同様の結果になる。

● ロック解除を望む人には望むとおりに対応しているのだから,それで何の問題があるのかとキャリアは言うのかもしれないが,問題だらけだ。
 SIMロックの何たるかを知らないユーザーもいるだろう。海外に遊びに行って,自分のスマホが使えなくなることを知って,初めてその問題を認知する人も,けっこうな数いるのじゃなかろうか。

● そうしたユーザーの無理解に便乗している感がありまくりで,はなはだ以上に不愉快だ。腹黒さを感じてしまう。
 SIMロック解除のためにわざわざキャリアショップに出向くなんて,忙しい人には時間のムダ。そうしたユーザー感覚に助けられて,キャリアは事実上,SIMロックを継続しているのが現状だろう。

● キャリアが端末メーカーから端末を買い取って,自社製品として販売することには何の問題もない。それに自社の刻印を売って販売するのもかまわない。したければするがいい。iPhone以外なら,これからも可能だろう。
 当然,販売時には自社SIMを装着する。あたりまえのことだ。

● しかし,販売時点で端末のSIMロックは解除しておかなければならない。SIMロックをかけている端末を売ってはならない。
 なぜ,総務省はそこに踏み込まないのか。総務省がやるべきはそこのところだ。現状では官邸を応援したくなる。

● 逆にいうと,そこだけ徹底すれば,あとは放っておくのがいい。端末価格の割引と通信料の問題,2年しばり,そんなものは放っておいてもよい。
 というか,放っておくべきだ。かけ算九九もろくろくできない官僚が,キャリアが長年かかって書きあげた微積分の答案を採点するようなマネをしてはいけない。

● 現在はスマホを持たずに生活していくのは難しい。第一の生活必需品になってしまった。良くも悪くもだ。
 そのスマホをめぐるセンターに位置するキャリアに言いたいことは,まぁ,いろいろある。が,彼らの動きは鈍いだろう。っていうか,できれば動きたくないと思っているだろう。

● 端末メーカーがいずれもAppleのように強くなれば,キャリアが端末メーカーの風下に立ち,結果においてSIMフリーがあたりまえになるかもしれない。
 が,端末メーカー間の競争が激甚だから,そういう状況にはなかなかならないだろう。

● とすれば,現状でぼくらが取り得る対応はただひとつ。3大キャリアを捨てることしかない。MVNOに移ることだ。そうして,最初からSIMフリーになっている端末を使うことだ。
 Googleが開発したAndroidは公開されていて,ライセンス料なして使えるというオープンな仕様なのに,そのAndroidを搭載した端末の使用可能回線が,予めキャリアによって特定されていて,それ以外は使用できないというのでは,マンガにもならない笑い話ではないか。

● 世間で話題になる最新スマホはだいたいキャリアが押さえるから,MVNOだと使えないことが多い。XperiaXZ2もMVNOでは使えない。Galaxy NOTE9 もMVNOでは使えないだろう。外国で買ってくれば別だが。
 そういうことはあるにしても,キャリアの腹黒さには断固抵抗しようではないか。

2018年8月28日火曜日

2018.08.28 LINEとAmazon 気になるIT企業の双璧

● 気になるままでいるのは,自分には必要ないと思っているからだけれども,サービスの内容を知らないから,自分には不要と思っているだけなのかもしれない。
 サービスの内容を具体的に知れば,おっ,これ便利じゃん,何で今まで使わなかったんだろう,となるのかも。

● LINEに関しては,相方とだけつながっている。やりとりはチャットで行うし,電話はLINEの無料電話をもっぱら使っている。
 充分に便利だ。特にどちらかが外国にいる場合,あるいは双方が外国にいる場合に,インターネットを回線にしてるLINE電話の効用を実感する。国際電話が無料になったようなものだから。なるほど,インターネットに国境はないものなと思う。

● が,今のところ,LINEでつながっているのは相方だけだ。LINEを使ってまでやりとりするほどの友人はいない。
 ぼくは社会的には存在していないと言っていいほどに,生産活動を含む社会活動(?)をしていないから,上司や部下,取引業者なども,存在しないに等しい。

● ま,それはいいんだけども,LINEにはチャットや無料電話以外のサービスがいくつもあるわけだ。それらは完全にスルーしている。
 これらのサービスの中身を確認した方がいいのかもな,とは思ったりはする。役に立つものがあるかもしれない。

● Amazonに関しては,オンラインの書店という大昔のイメージから出ていない。市中の書店にはない本でもAmazonにないことはまずない,といったイメージ。実際,書店から消えた本をAmazonで買ったことはある。
 もちろん,今のAmazonはそんなものじゃないってことは知っている。そんなものじゃないってことは知っているんだけど,具体的にAmazonは何をしているのか説明できない。その程度にしか知っていない。

● でも,具体的にはプライム会員になるかどうかというところだ。Amazonで何も買わなくても,音楽が聴き放題になったり映画が見放題になったりするんだから,プライム会員にならなきゃ損だよ,という声をよく聞く。
 でもね,CDをリッピングしたものだけで一生かかっても聴ききれないほどある。もうひとつ,ぼくのスマホは音質があまり良くないので,スマホで聴かなきゃいけないとなると,ちょっとなぁ,と。ダウンロードもできるようなんだけどね。ダウンロードしてWALKMANに移すことは可能かね。

● 映画が見放題ってことになると,ずぅぅと見てしまうんじゃないかと思う。聴き放題,見放題っていうのは,時喰虫を何匹も飼うのと同じことじゃないか。
 そんなことをウジウジと考えていてね,イマイチ踏み切れないでいる。

2018年8月27日月曜日

2018.08.27 東京エキマチvol.20

● 久しぶりに東京駅の構内(主には地下街)をウロウロした。で,このフリーペーパーをもらってきたよ,と。
 相当に完成度の高いタウン誌というかPR誌というか。製作は(株)交通新聞社。

● これほどのフリーペーパーを作れるところは,銀座(「銀座百点」)を除けば,恵比寿(「YEBIS STYLE」)くらいのもの? 読めるフリーペーパーってそうそうないでしょ。
 隔月刊でこれだけのものが出せるって相当なものですよ。JR東日本が中核になっているんでしょうけどねぇ。

● 今回は麺特集。っていうか,麺を出す店の特集。中華,パスタ,フォー,そば,うどん。
 特に面白かったのが「昼下がりのそば屋人間模様」。立ち食いそば屋でのピープルウォッチング。こういうこと,ぼくも知らず知らずやっている。
 食べてる様子を見ながら,彼なり彼女なりの職業や性格や人生を推測する面白さってあるよね。でも,このイラストのような観察眼はないな。

● ぼくは一人で知らない飲食店に入るのは,それがそば屋であれ居酒屋であれ,かなりの程度苦手とする。行けるのはチェーンのファストフード店に限られる。
 ので,ぼくがここで紹介されている店に行く可能性は限りなくゼロに近い。だからこそ,出来のいいタウン誌にあたると得した気分になる。見て楽しめるから。

2018.08.27 京都に行く? 交通費を高いと思うか思わないか

● 東京のホテルに4泊した。上旬にも同じホテルに3泊した。わが家の夏のバカンス(?)はこれがすべて。
 海にも行かないし,テーマパークにも行かない。都内のホテルに入って,入ったらホテルから一歩も出ないでのんびり(ぐうたら)するというのが,老夫婦には一番しっくりくる過ごし方だ。

● いや,じつはもうひとつ,ケチな性分から来ているところがある。この4泊で一人あたりの費用は62,000円だった。1泊平均で15,500円。
 泊まるだけでこの金額だと,うわっ,タケー,となるんだけども,これでオールインクルーシブなのだ。夜のアルコール代も,日に1回は入るサウナの料金も含まれている。

● 京都に新幹線で行くと交通費が2人分で5万円かかる。その交通費を払うのが惜しいと,ぼくは思ってしまう。だったら,その分を浮かせて,浮いた分を東京で使ったほうがいい。
 わが家から東京までは,JRで約2千円で行ける。新幹線など使わない。鈍行列車で行くのだ。自慢じゃないけれど,東京に行くのに東北新幹線を使うという発想は,ぼくにはない。やむを得ない理由によって新幹線を使うことがまったくないわけではないけれども,それはあくまで例外。
 新幹線や飛行機に乗らなければ行けないところには行かなくていいと思っている。老齢とみにそう思うようになった(このあたり,相方はまた別の好みがあるようだ。つまり,彼女は海外にも行きたがる)。

● でも,認識を変えた方がいいのか。右は東京駅で見かけたJR東海のポスター。往復の新幹線と宿泊をセットにしたものがJR東海ツアーズから出ている。
 一番安いAシーズンなら,新・都ホテルに2泊して,東京からの新幹線込みで,28,500円なのだ。2人で約6万円。これなら許容範囲かなぁ。

● ただね,普通に勤めている人は,Aシーズンなんかに行けるはずがないんだよね。最も高いJシーズンだと47,800円になる。2人だと約10万円。
 そのJシーズンでも行けないかもしれない。勤め人が必ず行ける年末年始や黄金週間には催行されないようなのだ。ガクンと値が上がるんだろうから,これはしょうがないね。

● というわけで,やっぱり東京だな。観光も東京の方が面白いと思うし。特に,近代史に焦点が合ってる人には。
 っていうか,京都は人を選ぶよね。京都に呼ばれる人と呼ばれない人がいる。ぼくにしたって,高校の修学旅行以来,京都には何度か行ったことがあるけれど(ただし,2桁には達しない),ついに京都に呼ばれることはなかった。
 何というのか,京都に対して,こちらが勝手に劣等感を作ってしまっている。そういうのも影響しているかも。

2018.08.27 久しぶりに東京駅

● 京葉線に乗らなくなったので,東京駅に降り立つことはほぼなくなっている。ぼく的ターミナルは新橋だ。東京駅は通過するところだ。
 中央線の上りに乗ったときも,神田で山手線に乗り換えて,新橋に出てしまうことが多い。

● というわけなのだが,今日は久しぶりに東京駅で降りてみた。向かったのが東京駅地下街。すっかり新しくなって,わけがわからなくなって,およそ自分には無縁な場所だと思っている。
 けれども,今回は相方と一緒だ。彼女には小さかった頃の息子との思い出の場所が東京駅にもいくつかあるらしい。息子を説き伏せて寄らないで通過した担々麺のお店とか。
 父親には窺い知れない,母子だけの秘密の場所(?)というのがあるのだろう。そういう聖なる場所を妻が口にしたときは,すべて彼女の意向にしたがうというのが,ぼくのみならず,世の夫族の取るべき態度というものだろう。

● 「LaClea」で昼食。880円のステーキに250円のランチビール。東京で平日のランチというのを一度やってみたかったと相方が言うので。
 何でそんなものをやってみたいのかは,ぼくには理解不可能だ。昼メシなんか,吉野家でも富士蕎麦でもいいじゃないかと思ってしまう方だ。
 さらに正直に言うと,こういうところで安いランチを食べるよりも,吉野家の牛丼の方が旨いと思うことが多い。ぼくの経験則ではそういうことになっている。
 もっと言うと,一度やってみたかったと言うけれども,やっているはずだよ。恵比寿の「叙々苑」で平日の昼に食べたのはランチじゃなかったのかい?
 まぁ,しかし,そういうことは言わないでおくのが賢明だ。言っていいことなど何もないから。

● 880円のランチ。この場所でこの値段なのだから,何の文句もない。っていうか,これだけを売っていたのでは採算割れになるのじゃないかと心配になる。
 でも,今朝は朝食をたっぷり食べているのだし,相方はついさっき,焼きそばも食べたはずだ。どうしようもなく食べすぎてるぞ,俺ら。

2018.08.27 短いバカンスの終わり

● さて,4泊5日の東京バカンスも今日が最終日。上旬の3泊4日と合わせて,今年の夏は東京で7泊。ぼく的にはずいぶん豪勢なものだと思うが,1人あたり10万円程度で収まっているはずだ。
 ハワイに行ったり,沖縄に行くのに比べれば,だいぶ安くついているのではないかと思う。

● 正直,年齢によるものか,それ以外の理由によるのかは分明としないが,長距離を飛行機で移動するのは,できれば避けたいものだ。億劫感が半端ない。
 列車での長距離移動は億劫じゃない。飛行機の何が嫌かといえば,搭乗手続きの煩雑さが嫌なのだ。
 列車なら切符を買ってやってきた列車に乗ればいいのだから,行き先が札幌であろうと鹿児島であろうと,乗りさえすればあとは列車が連れていってくれるところに行くだけのことだ。車内では寝てるか,景色を見てるか,酒でも飲んでればいい。

● もっとも,そうした長距離列車は新幹線しかなくなった。その新幹線もLCC網が整備されてくると,経営的に苦しくなりそうだ。列車より運賃も安くなる。長距離移動はもっぱら飛行機になるだろう。
 となると,ぼくなんかは,ますます長距離移動からは遠ざかるかなぁ。

● 長距離を移動したその先に何があるのか。東京以上にワクワクする何かが待っているとはちょっと思いにくいんだけどね。東京のホテル以上にきめ細やかなサービスを提供してくれる宿屋があるとも考えにくいし。
 というのは,井の中の蛙なんですかねぇ。

● 栃木県に住んでてよかったと思うことの筆頭は,東京が近いことだ。新幹線ではないチープトレインでも2時間足らずで東京に行けること。
 東京に着いてしまえばこっちのもので,楽しみ方は人の数だけある。最近はホテルから出ないことが多い。だったらどこの街のホテルでも同じじゃないかと言われるかもしれないけれども,断じてさにあらず。
 リゾートを含めて,何をするんでも東京がいい。何もしなくても東京がいい。

● ホテル内の「四川」で朝食。例によって食べすぎた。サウナに行って,汗を絞った。
 庭園に出てみた。誰もいない。ほんと,ここは俺の庭だ。みんな,自由に使っていいよ。

● チェックアウト前の最後のラウンジ。よくいえば,アフタヌーンティー。
 さて,バカンスは終わった。帰るとするか。っていうか,娑婆に戻ることにしよう。

2018年8月26日日曜日

2018.08.26 ロイヤルパークのいいところ

● ロイヤルパークのラウンジで朝食。じつは,これが楽しみ。比べる必要もないのだが,朝食はシェラトン都よりもこちらの方がワクワクする。
 朝食でしかも和食となると,火を通してあるものはあまりない。漬物とかこのホテルだと蒲鉾とかになる。それが素敵に旨い。和食がそうなんだから洋食も不味いはずはないだろう。

● 目の前でオムレツを焼いて供するサービスはどこにでもある。そのオムレツも一頭地を抜く感じ。
 卵を裏ごしするのは常識だろうから,やっていないところはないと思う。のに,こうまで滑らかな生地になるのはどうしてか,素人にはわからない。
 この食の水準の高さをもっと前面に出してアピールできるといいと思った。ホテル側はすでにその努力はしていると思うのだが。

● 昨日,ロビーにもっとソファを置いて人を滞留させればいいのにと思ったんだけど,このロビーでは難しいのかもしれない。見せるためのロビーになっているからだ。下手にソファを置いては景観がおかしくなるのかも。
 このゴージャスさは,しかし,人の心に刺さらなくなっている。突き抜けたゴージャスなら普遍性を持つのかもしれないけれど。
 歴史は繰り返して,もしかしたらゴージャスが復権することがあるのかもしれないけれども,そんなのを待っているわけにはいかないよなぁ。

● ロイヤルパークのいいところは他にもあって,そのひとつはWi-Fiだ。
 シェラトン都はWi-Fiのエリアが細かくなっていて,館内を移動するとしばしば切り替わる。わりと厄介。ロイヤルパークだと一度つなげば,それでOK。

● もうひとつは,部屋にカウンター型のデスクがあること。キーボードを操作するのに必要だ。ホテルの性格というか,狙っているところが違うのかもしれないけどねぇ。ビジネスホテルじゃなくてもビジネスライクとしていないデスクはあって欲しい。
 シェラトン都だとスイートでもこれがないことがある。ソファとテーブルはあるんだけど,ちょっと低すぎる。あっ,そうか。だからラウンジにパソコンを持ち込んでいる人が多いのか。

● ロイヤルパークからまたシェラトン都に戻った。1216号室。26,000円。
 今夜で最後。4泊5日。食べて飲んで風呂に入って寝るだけのバカンス。これでわが家の夏は終了。
 映えしないけれども,今夜もラウンジで飲んだ。あとは寝るだけ。 

● その前に夜の庭園を歩いてみた。セミの鳴き声が再び活発になっている。猛暑の戻りを象徴するような。
 あぁあ,ぼくの夏は明日で終わりだというのになぁ。

2018.08.26 川崎駅構内のうどん屋

● 川崎駅の北口アトレ改札付近に行くと,気安いうどん屋があって。丸亀製麺らしいんだけど,よくある丸亀製麺とは業態が違っていて。
 笑顔を絶やさない女性(女将さん?)がいてね。女の笑顔は天下無敵だからね。店内の空気を作るのも,これだよね。たとえ店長は男であっても,実質的な支配者は必ず女になる。
 さらに,差配するお兄さんがキビキビしていて。差配される快感みたいなものって,たしかにあるなぁ。

● お客さんは正直だからね,ぼくもしばらく待たされた。薬味は自分で入れるんじゃなくて,完成形の状態で出てくる。ネギと揚げ玉を入れていいか,ひとり一人に訊く。
 390円の釜玉を食べた。ネギだけ入れてもらってね。普通の丸亀製麺より旨い気がした。盛りも普通の丸亀製麺より多いんじゃないかな。

● いい店を見つけちゃったなっていうね。ここのうどんを食べるためだけに川崎に来ることはさすがにないと思うんだけどね。
 ま,お客さんは変化にも敏感だからね。マンネリを察知するとサッと退いていくからね。
 そこだけ気をつければ,この店,相当イケるんじゃないだろうか。っていうか,イケてるっぽかった。

2018年8月25日土曜日

2018.08.25 東京散歩 人形町

● 夜,ホテルの近くを歩いてみる。もう何度も歩いている人形町。白金台とここと,どちらがいいだろうか。
 相方の意見は街の空気は白金がいいというもの。ぼくは人形町に軍配。人形町には下町的な風情があって,ここで生活している人がいるなと実感できる。街としては圧倒的に人形町が面白いと思う。

● 東京のエネルギーを感じられる。生活している人がいるとは言っても,ヨソからこの街に働きに来ている人の方がずっと多いと思う。あるいは,ぼくらのような一見の通りすがりの者。都市とはそういうものだ。
 新橋や浜松町でも同じことを感じる。そういう人たちがゴッチャになって醸すエネルギーは,やはり大したもので,地方にはないもののように思える。

● 東京で働いている人や東京で生活している人とは戦えないな,と思う。彼らのエネルギーに気圧されてしまいそうだ。戦う前から戦意喪失,みたいな。そう感じるのは,ぼくが歳を取ったからかもしれないんだけどね。
 都市の住民は元気だ。田舎には自然があり,子供は自然の中でのびのびと育てた方がいいと言う人もいるようだけれども,田舎の人間は総じてひ弱だ。自然が人間を強くするとは限らない。
 田舎といっても北海道から九州まで広い(沖縄は全体が都市だとぼくは思っている)。気候風土が大きく違うから,中には雄々しい田舎民もいるのかもしれないけれど。

● そうしたエネルギーを感じながら,酒場や食べ物屋を外から見て歩いた。だいたいのところは,お客さんが入っているんだよね。お茶を引いているところは滅多にない。
 人が多けりゃそうなるよ,というのはオーバカちゃんりん。そんな甘いものじゃないやなぁ。供するものの水準が高いからお客が入るので,これは人口の多寡には関係ない。

● というわけで,ぼくらはどちらにも住めない。無理。
 ひとつは経済的に。もうひとつは,なんというか,染みついてしまった田舎体質ゆえに。
 白金も人形町も観光客でいるから面白いと思うのであって,東京で暮らしたら疲れ果ててしまうだろう。特に,東京で働く自分というものを想像できない。一発でメンタルに失調を来たしそうだ。

2018.08.25 シェラトン都で長者気分(?)を味わい,ロイヤルパークに移動

● 「四川」で朝食。昨日と同じ。これだけで,1日に必要なカロリーを超えている。満腹を不快と感じる感覚が欲しい。ほんと,この感覚は欲しい。もういい歳なんだから。

● 庭園に出てみる。これだけの広さの庭をゴミひとつ落ちていない状態で維持するのに,さて,どれくらいかかるんだろう。人間の値段が二束三文だった昭和30年代までとは違うのだ。
 その庭園に自分しかいない。自分の庭のように思えてきた。なかなかの快感だ。ホテル側が自分のために管理してくれているのだ。
 とすれば,ぼくは億万長者以上ではないか。そう考えると豪勢だな。ホテルって安いものだ。

● 電車も自分のために走っている。俺は心が広いから,みんなに使ってもらっている。
 図書館も自分のためにある。専門家が蔵書を管理してくれている。それを開放しているだけだ。
 要するにだ,世界は全部俺のものなんだけど,せっかくだから,その他大勢に使わせてやっているのだ。
 そう考えていれば,お気楽に生きられる。マジで生活の知恵というものではないか。

● 用事があって新大久保に出た。新大久保からは山手線で池袋,池袋から丸ノ内線,大手町で半蔵門線に乗り換えて,水天宮前。
 地下鉄の乗り換えはかなり歩かされると覚悟してたんだけども,今回は両線のホームが近くて助かった。大江戸線のような新しい地下鉄が絡むと長距離移動になるんでしょうかね。

● つまり,シェラトン都からロイヤルパークに移動。理由は単純で,土曜日の今日はシェラトン都に安い宿泊プランがなかったから。
 ちなみに,ロイヤルパークの宿泊費は2万円。これで2食アルコール付き。

● というわけで,ラウンジで相方と落ち合って,飲みタイムに突入。今夜はハイボール4杯。酒はね,こちらの方がいいものがあるんですよね。
 とにかく,朝に食べすぎているので昼は抜いたんだけど,これでまたカロリー摂取の過剰度があがった。

● ホテルとしてもこれだけのサービスを提供して,この値段しか付けられないのは不本意なはずだと思う。供される料理に問題はない。
 おそらく,ホテルの基本構造がバブル期に対応したもので,団体の宴会に最適化されているんだろうなぁ。個への対応が上手く行っていない印象がある。

● たとえば。ぼくは部屋で過ごすのは苦手。できれば,ずっとロビーにいて,本でも読んでいたいと思う。のだが,このホテルのロビーにぼくの居場所はない。
 ロビーにもっとソファを増やすとかして(ほとんど遊んでいるかに思える2階も同様),ロビーに宿泊客を滞留させて,賑わいを作る工夫が必要なのじゃないかと思ったりする。
 外国からの団体客がどっと来る時間帯があって,そういうわけにもいかないんだろうか。現状ではロビーにはフロント機能しかない。もったいない。

2018.08.25 東京散歩 新大久保

● 新大久保,っていうか新宿区百人町。噂には聞いていたけど,何なんだ,これは。ここはメキシコシティなのか。
 いや,じつは一度来ている。新大久保がコリアンタウンとして脚光を浴びるようになって間もない頃。人の多さにウンザリしたのだった。

● 今の新大久保はコリアンタウンというよりアジアンタウンという感じ。バングラデシュっぽいのや,マレーシアっぽいのや,よりどりみどり。
 新大久保駅が改修中ということもあってか,駅前の人が滞留している(中央線の大久保駅から入った方がいいかも)。それもあってか,まぁカオス。おそらく,ぼくのようなヨソ者というか観光客が数から言えば多いのだと思う。

● ここに分け入っていくパワーはないかも。ちょっと意気消沈した。第一,暑いし。しかも,ここ,日陰ない。
 でもね,白杖をついた盲目の男性が人の流れに逆らうようにして,歩いていたんだよね。負けてられないね。気合いだ。

● 百人町も1丁目は昔からの住宅街の趣を残している。住宅街の中に連れ込み宿があったりするのは,百人町のいいところか。
 女子中学生のグループが元気に歩いていった。

● カオスの中にホテルもある。けっこうな数ある。でも,いわゆる安宿ではないのだろう。普通に東京料金なんじゃないだろうかなぁ。
 でも,ここに泊まってみたいと思った。夜,この街を徘徊するのは面白いかもしれない。たぶん,何も起きないだろうけど。何も起きないからいいのでね。
 ぼく的には夜の歌舞伎町は怖くて近寄れないけれども,この街はそんなこともないだろう。

● このカオスの街は,てもそのエリアはごく狭い。“百人町文化通り”を抜けると,こんなに静かになる。
 隅々まで歩くのに,そんなに時間はかからないだろう。やっぱりここに泊まって夜の顔を見てみたいかな。

2018.08.25 生活満足度が高い

● 右は今日の読売新聞。一億総中流の時代より生活満足度が高いという結果。
 マスメディアや識者の報道や発言によれば,小泉内閣の構造改革政策以後,貧富の格差が拡大して,特に貧に属する国民が増えたと言われている。貧困女子とか非正規就労とか,警鐘を鳴らす標語はたくさんある。自殺者もピーク時よりは減ったとはいえ,年間2万人を超えている。

● にもかかわらず,生活に満足していると答えている人が過去最高。これはどういうことなんだろうか。
 他者との比較や上昇志向の呪縛から解放された人が増えたってことなんだろうか。“人は人,自分は自分”と達観できていて,周りがどうしているかなど気にしない。右顧左眄しない。そういうことなんだろうか。

● 大昔の農村では,隣も買いましたよというと覿面に効果がある,と言われたものだけどね。隣もテレビを買いましたよというと,ではウチも,と。
 横並び主義。自分がどうしたいかより,周りに合わせる。今でも同調圧力が強いと言われる。日本人は統治しやすい,されやすい国民だと思うんだけども,これから変わっていくんだろうか。

● そこから脱却できたとするなら,素晴らしいことだと思うんだけど,どうなんだろうか。
 お金とか地位とか名誉とか教養とか,かつて価値があるとされてきたものの輝きが褪せていることは確かだと思えるのだが,だからといって,それが生活の満足度につながるかというと,これもねぇ。
 
● 案外,インターネットが関係しているかもしれない。家で無料で遊べるツールが行き渡ったということ。出かける必要がない。お金もかからない。それでいて,退屈しないでずっと遊んでいられる。
 インターネットというツールの普及が,ひょっとするとそういうところにも影響を与えているのかも。

● もうひとつ。日本が先進諸国の中で,物価の安い国になったことも理由のひとつかもしれない。特に外食。懐石料理だのフルコースだのと言わなければ,日本の外食費はかなり安い。
 たとえば,吉野家の牛丼。あの旨さとあのボリュームで,値段はわずか380円。そうしたファストフードとあらたまった席での料理の差はさほどにない。
 とすれば,レストランで食事をしている人を羨ましく思う理由は,実質的にもないことになる。喰いたいヤツは勝手に喰ってろ,ですむ。

● 生活に満足していること自体が,満足度を高めるかもしれない。満足しているんだから,ヨソに目が行かない。
 外国になんか行ってみたいと思わない。日本にいるのがいい。これだけ外国人が日本に来るようになったのはそういうことじゃないか。
 そういう内向きではいけないと識者は仰るわけだけれども,識者の方が浅薄なのかもしれないよね。

2018年8月24日金曜日

2018.08.24 外国人にはThinkPadが人気?

● シェラトン都ホテルでホテルリゾートを満喫中。ラウンジでお茶したりとか。
 そのラウンジにノートパソコンを持ち込んで何事かをやっている人は,日本人,外国人を問わずいる。部屋でやればいいと思うんだが,人目があるところでやった方が楽しいのだろう。

● ところで,外国人が持ち込んでいるパソコンはThinkPad比率が高いようだ。男女を問わず。欧米では,ThinkPadにエグゼクティブ御用達のイメージがあって,ノン・エグゼクティブも使っているということだろうか。
 Dellやhpは安くてチャチイと受けとめられているんだろうか。このあたり,日本とはちょっと違うのかもしれないなぁ。

● あと,YOGAと刻印されたやはり黒いパソコンを使っている人も複数発見。2in1タブレット。といっても,ノートPCスタイルで使っている。
 要するに,外国人の間ではLenovoが人気らしい。

● って,彼らをノン・エグゼクティブと決めつけてはいけないか。まぁ,当たらずとも遠からずだろう。仕事をしている感じじゃないからね。ぼくと同じような種族だと思われる。
 社会からさほどに必要とされているタイプではなさげだ。つまり,幸せにかなり近い位置にいる人たちだ(と思う)。

● 上に,パソコンなんて部屋でいじればいいじゃんと言ったんだけど,その原因は彼らの流儀にあるのではなくて,ホテル側のハードにあるのかもしれない。パソコンを扱うのにピッタリの高さの机がないのかも。
 このホテル,雰囲気が柔らかい。仕事を忘れてゆったりしてもらおうというわけなのだろう。ソファと低めのテーブルはあるんだけれども,仕事ができるデスクが必ずあるというわけではないっぽいのだ。

2018.08.24 ホテルから出ず

● ホテル内の「四川」で朝食。和食。味噌汁を家で飲むことはあまりない。つーか,普段は朝食抜きだしなぁ。
 グレープフルーツやパイナップルも家ではまず食べない。カットされたのもが普通にスーパーで売っている。相方はしばしばそれを買ってくる。それらに手を出したことはない。
 だけど,外泊先では食べてしまう。こういうのって,昔は高級品で上流階級が食べるものだった。ぼくなんかには縁のないものだった。そうした怨みのようなものがちょこっと表面に浮かんでくるんだろうか。身体にいいという刷り込みがあるからか(→だったら,普段から喰えよ)。

● さらに,カレーまで食べてしまった。お子様コーナーにあるひよこ豆のカレー。大人用のカレーもあるんだけど,ぼく的にはこちらが旨い。
 いや,お子様コーナーじゃなかった。台が低いのでお子様コーナーだと思い続けていたんだけど,これはハラールコーナーだったんでした。
 ともかく,カレーも食べてしまったよ,と。炭水化物王と呼んでくれたまえ。

● 台風20号の影響で少し雨が降った。今は曇。雲は低く,動きもけっこう速いが。
 でも,ホテルは大きなシェルターのようなもので,外の天気は関係ない。たとえ台風が直撃しても,まず心配はあるまい。快適そのもの。守られている感を味わえるだろう。
 ロビーで外国人宿泊者の生態を観察して過ごした。

● 1101号室に移動。スイート。45,000円(昨夜の部屋は33,000円)。トイレも2つ。クローゼットが充実。これなら,たぶん住めるんだよね。
 1人あたり22,500円でオールインクルーシブなんだから,安いと思ってたんだけど,ちょっと高いんじゃないかと思えてきた。“飽き”の兆しがそう思わせるのかもしれない。
 つーか,ぼくはほとんど部屋にいないから,部屋はどうでもいいのだ。が,相方は違う。もっぱら部屋で過ごす。お風呂に何度も入る。ベッドに寝転んで,パソコンで動画を見ている。

● 15時過ぎにラウンジ。腹が空いていたので,しっかり昼食モード。太るな。朝食だけで1日の必要カロリーを超過して摂取しているはずだから。
 夜もラウンジでハイボール。無理に飲まなくてもいいんだけどねぇ。2杯でやめておいた。それでもけっこう酔った感じ。少しだけ睡眠が足りていないのかも。

2018年8月23日木曜日

2018.08.23 シェラトン都でアーバンリゾート

● 今日から4泊5日で東京行き。シェラトン都に3泊,ロイヤルパークに1泊の予定。アーバンリゾートでのんびりするのだが,正直,ちょっと飽きが兆している。
 ラウンジで同じものを食べ続けるのもなぁ。サウナは街にもあるわけだし。シェラトンのロビーは快適で,ピープルウォッチングに最適なのだが(特に背筋を伸ばしている女性を見ると,自分もなんとかしなきゃって思う。その場限りなんだけど),そのピープルウォッチングも街場でできる。

● ホテルに泊まっても,食事は街に出た方が面白いだろう。特に朝食は街場の(チェーンではない)カフェや喫茶店に行くと,気分が改まるんじゃなかろうか。
 だから,ラウンジが使えるクラブレベルとかエグゼクティブフロアだとかではなく,そういうものが附属しない部屋に泊まった方がいいような気がする。その方が“ホテルの達人”っぽくないか。
 ただ,それをやるとかえって高くつくと思う,たぶん。

● それ以前に,“青春18”で1日電車に乗って,本を読んだり音楽を聴いたりして,途中で立食い蕎麦を食べて,夜遅くに家に戻るという過ごし方を数日重ねる方が,休みを取ってその休みを有効に使ったという満足感を得やすいような気がする。
 要は貧乏性ということになるんだろうけど,あいにくというか幸いにしてというか,相方は貧乏性じゃないのだ。

● 午前中は個人的な作業をして,午後から出かけた。着いた先はシェラトン都ホテル。1107号室。先着していた相方とラウンジで落ち合って,そのまま飲みタイム。
 ちなみに,ドライカレーがあった。ぼく的には初見参。不味いわけはない。

● 飲むのはハイボール2杯に抑えて,サウナに行った。富士に月見草,オヤジにサウナ。そうして,ロビーでぼんやりしている。そろそろ寝るとするか。
 自分一人なら別な過ごし方をしていると思う。とはいえ,楽しまないとね。“今,ここ”をどれだけ楽しめるか。人生の要諦はここにしかないわけだから。
 っていうか,ホテル好きだし。努力しないでも楽しめるんだけどさ。

2018年8月21日火曜日

2018.08.21 久しぶりの「みやこ家」

● 氏家の「みやこ家」。相方の提唱による。なぜ彼女が提唱したのかというと,今月で有効期間が過ぎる餃子と唐揚げの無料券を持っていたからでね。
 そんなもの捨ててしまえよ,と思うんだけどね。タダなんだから使わなくちゃ損っていう考え方,何がイヤって貧乏臭いのがイヤでさ。

● でも,使いたいんだな。ムダにしたくないんだよね。でね,餃子と唐揚げが付いてくるんじゃ,いつものつけ麺大盛りでは持てあましてしまうからね,普通のラーメンにしてみたんですよ。煮干しラーメン,630円。平打麺。
 つけ麺ではない普通のラーメンもね,旨いことは知ってたからね。

●ところが,無料になるのは餃子と唐揚げじゃなくて,餃子か唐揚げでさ。で,餃子にしたんだけど,餃子が3個なのね。半人前というかね。
 これだったら,いつものつけ麺にすべきだったなぁ。量が少々物足りなかったので,大盛りにすればよかったと云々。
 っていうか,こういうのに引きずられるなよなぁ。

2018年8月18日土曜日

2018.08.18 東京散歩 新橋~赤坂

新橋駅前 SL広場
● 新橋駅。ここから赤坂まで歩いてみようと存ずる。東京のハイソなエリアを田舎者が歩くぞ。さすがに,サンダルと半ズボン,Tシャツというイデタチではなくて,襟のついたシャツを着てきたよ。サンダルだけど。

● 新橋4丁目。わずかに移動しただけで,駅前の雑踏は消える。ツンと取り澄ました感じ。このあたりは虎ノ門の支配下に入ったような感じね。
 ところが,その虎ノ門に来てみると,ゴミゴミした庶民的なエリアになる。国道1号線を渡ると,さらにその感が強くなる。
 道路幅が狭くなって生活道路っぽくなるのが,そう思わせる理由のひとつかと思う。気安い飲み屋もある。なかなかいい感じ。

虎ノ門3丁目
● 汐見坂を上ると,また様相が一変。生活臭が消える。他所から通ってくる人々でできあがっているエリアだ。虚業で生きている人たちが息をしているところ。正面はアメリカ大使館か。
汐見坂
 ネクタイ族は全員,虚業で生きている連中だと言ってしまっては言いすぎか。では,実業とは何かってことになるしな。でも,ネクタイ族ってそれだけで何がしかの胡散臭さをまとっているような気がするんですよ。

● 道路のこちら側ではホテルオークラの建替工事(?)が行われている。別館は営業中。
ホテルオークラ別館
 オークラっていうと,高級すぎて自分には縁がないと思いがちだけども,意外にそうでもない。安い宿泊プランが出ることがある。泊まってみれば。泊まりたければね。

カラヤン広場 
● ここまで来ると,すぐそこがアークヒルズ。降って行くと,そこはサントリーホール。ホール前の空き地(?)はカラヤン広場と名付けられている。ホールの設計にカラヤンが助言したのが理由かい?
 ANAインターコンチネンタルホテルが隣接。ここに来ると,ホテルは公園だと思うことがある。公園にはトイレが併設されていることがあるけれど,ここはホテルのトイレを使えばいい。煙草を吸いたければホテルの喫煙室を使えばいい。

● 広くはないけれども,こんな都市庭園もあって,何となく立ち去り難い。暑さも遠のき,天気もいい。ここでしばらくボーッとしてしまった。
JTビル
 その名のとおり坂だらけで,セレブな気配ただよう赤坂を抜けて,虎ノ門へ。JTビル。ここまで来れば,吉野家が近くにあったと思うんだが。

● 不幸そうに働いている人が多いと思われる,霞ヶ関官庁街。だって,「面従腹背」しなきゃいけないんだからね。幸せなはずがないわね。
 若い頃は霞ヶ関にある種の
憧憬があった。ここが日本を動かしているのかって。が,考えてみれば(あるいは考えてみなくても)官僚が日本を動かすなんて,たんなる幻想だよね。官僚が道をつけるわけじゃない。彼らに関係なく,道はできる。

日比谷公園
● その霞ヶ関を抜けて日比谷公園。公園内の図書館がある。中に入ったことが一度だけある。30数年前。ので,記憶違いかもしれないんだけど。

● で,新橋に戻って,富士そばを食す。2玉盛り,390円。こうして東京を代表するハイソなエリアを歩いて,最後は390円の富士そばで終わったんでした。

2018年8月17日金曜日

2018.08.17 ふみの森もてぎ 2

● 右は今日の下野新聞コラム。
 「ふみの森もてぎ」のコンセプトは「茂木らしさの発信」とある。その発信がどこまで届くか(日本図書館協会の建築賞など誰も知るまい)。茂木町内にとどまるのだとしても,中の人に地元らしさをわかってもらう意味はある。

● たいていの企業の広告は消費者に向けているようで,じつは内部の社員に向けているのではないかと思うことが多い。君たちが作っている製品,君たちが提供しているサービスは,こんなに社会の役に立っているのだよ,こういう趣旨で行っているのだよ,と内部の人間に周知させて,モチベーションを高めるのが目的なのではないか。
 かつてあった建設会社の“昼間のパパは男ぜぇ”とか“地図に残る仕事”なんてのは,典型的にそうではあるまいか。

● ま,そうはいっても,茂木らしさは茂木町の外に届いた方がいいに違いない。しかし,これは“言うは易く行うは難し”の範疇に属する事柄だ。
 建設に要した予算額を知って驚いた。館長に関誠二氏を引っぱってきたことを含めて,町の本気度は伝わってくる。

● 「図書館はもっと自由で,多様であっていい」のだとして,それがどこでも見られるようになれば,多様があたりまえになって,ここはこうなのかで終わってしまいそうだ。
 「多様であっていい」という言い方が訴求力を持つのは,多様がない間に限られる。図書の並べ方も,茂木方式は圧倒的少数だから,異彩を放っているのだ。

● 図書館は建物ではない。建物は器に過ぎない。「ふみの森もてぎ」はたんなる図書館ではなく,ギャラリーとホールとカフェを備えたコミュニティセンターであり,総合文化施設だ。そのキャパシティーをどこまで引きだせるか,あるいはキャパシティーを超えた使い方を編みだすことができるか。
 同じ料理でも器が良ければ美味しく感じることがあるのだとしても,人は器に馴れてしまう。器が良いとの理由で美味しく感じるのは期間限定ではあるまいか。腕の見せ所は建築の新味が褪せてから。つまり,これからということになる。