● ロイヤルパークからシェラトン都ホテルに移動。先着していた相方とラウンジで落ち合う。そのまま飲みタイムに突入。日曜の夜はラウンジも空いていた。
ラウンジは空いているに越したことはない。なぜなら,相対的に静かだからだ。
● が,ホテルのラウンジやカフェというのは混んでいても静かであってもらいたい。なぜかといえば,静かな場所には希少価値があるからだ。
今どきはどこに行ってもうるさい。うるささにも種類があって,いわゆる音には我慢ができる。が,人が発する声に対する耐性は,かなり低いところに設定されている。ぼくだけではなく,多くの人がそうだろう。
● だから,せめてホテルのラウンジくらいはたとえ混んでいても静かな場所であってくれないかと思う。まったくそうじゃないのはそこで働いているスタッフが一番よく知っているはずだ。
理由は2つだ。ひとつは,そういう場所がオバサンの団体に席巻されていること。平日の昼間はオバサンしかいないといっていいのじゃないか。
そのオバサンたちがよく喋る。彼女たちに声量を抑えるという発想はない。われ先に喋る。人の話を遮ってでも喋るんだから,自ずと大音量になるのだ。
● 女性に喋るなということは女を捨てろというに等しい,とぼくは理解している。したがって,女性のお喋りには寛容でありたいと思っている。
しかし,一方であまりの下品には触れたくないとも思っている。自分も数々の下品を振りまいているはずだけれども,あのオバサンたちの本能にのみ基づいたお喋りほど下品なものはない。汚物を口から吐きだしているわけだから。煙草の副流煙などものの数にも入らない害毒を垂れ流している。
● もうひとつは,乳幼児を連れたいわゆる家族連れだ。どうして乳幼児を連れてそういう場所に出入りする必要があるのかぼくには理解不能なのだが,たいていのところに彼らがいる。
彼らの多くは子供を放置する。子供がひとりでラウンジをウロウロする。あるいは走り回る。かつまた,彼ら自身の声も大きいのが常。
● なぜそうなるのかといえば,ホテルが大衆化したからだ。金銭的なハードルをあげれば,静かな場所を確保できるのかもしれない。そうすれば彼ら彼女らの多くは入って来れなくなるだろうからだ。そういう場所は今の日本にもあるのだろう。
ただし,そうした場所は等比級数的カーブを描いて高額になるはずだ。オバサンや家族連れはいないかもしれないが,経済的にぼくらも彼らと同じ階層に属するわけだから,ぼくらも当然入れなくなる。
● というわけで,目糞が鼻糞を嗤うようなことを言ってはいけないということになる。ホテルが大衆化してくれたからこそ,ぼくらもこうして泊まれるわけなのだ。
自分で自分の首を絞めるようなもの言いは慎まないとね。って,散々言ったあとだけど。
● そんなに静かな場所がいいのだったら,部屋にいればいいじゃないかとも言われそうだ。部屋にいれば静かに過ごせる。
それはそうなんだけれども,人恋しくなってしまうんだよねぇ。人の気配がある静かな場所。ぼくの理想郷はそれなんだが。
● 相方によれば,このホテルの最もいいところは,掃除に落ち度がないことだという。
ぼくは何でもデフォルトのまま使おうとする不精者なんだけど,彼女は(彼女に限らず女性はそうかもしれない)自分の使いやすいように,あれやこれやを動かす。たとえ1泊しかしなくても。その過程で掃除をしていない箇所を発見する(ことがある)。そうして文句を言う(ホテル側には言わない。ぼくに言う)。
このホテルではそうした発見をすることがないんだそうだ。
● ホテルの庭園に出てボンヤリする。少し足下がおぼつかない。最後に強い酒を飲んだせいだ。
でも,酔ったら部屋で寝てしまえばいい。家飲みと同じだ。気楽なものだ。
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