● 右は今日の下野新聞コラム。
「ふみの森もてぎ」のコンセプトは「茂木らしさの発信」とある。その発信がどこまで届くか(日本図書館協会の建築賞など誰も知るまい)。茂木町内にとどまるのだとしても,中の人に地元らしさをわかってもらう意味はある。
● たいていの企業の広告は消費者に向けているようで,じつは内部の社員に向けているのではないかと思うことが多い。君たちが作っている製品,君たちが提供しているサービスは,こんなに社会の役に立っているのだよ,こういう趣旨で行っているのだよ,と内部の人間に周知させて,モチベーションを高めるのが目的なのではないか。
かつてあった建設会社の“昼間のパパは男ぜぇ”とか“地図に残る仕事”なんてのは,典型的にそうではあるまいか。
● ま,そうはいっても,茂木らしさは茂木町の外に届いた方がいいに違いない。しかし,これは“言うは易く行うは難し”の範疇に属する事柄だ。
建設に要した予算額を知って驚いた。館長に関誠二氏を引っぱってきたことを含めて,町の本気度は伝わってくる。
● 「図書館はもっと自由で,多様であっていい」のだとして,それがどこでも見られるようになれば,多様があたりまえになって,ここはこうなのかで終わってしまいそうだ。
「多様であっていい」という言い方が訴求力を持つのは,多様がない間に限られる。図書の並べ方も,茂木方式は圧倒的少数だから,異彩を放っているのだ。
● 図書館は建物ではない。建物は器に過ぎない。「ふみの森もてぎ」はたんなる図書館ではなく,ギャラリーとホールとカフェを備えたコミュニティセンターであり,総合文化施設だ。そのキャパシティーをどこまで引きだせるか,あるいはキャパシティーを超えた使い方を編みだすことができるか。
同じ料理でも器が良ければ美味しく感じることがあるのだとしても,人は器に馴れてしまう。器が良いとの理由で美味しく感じるのは期間限定ではあるまいか。腕の見せ所は建築の新味が褪せてから。つまり,これからということになる。
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