● Facebookをやめて丸4日経過。いわゆるFB疲れでやめたわけではないので,多少の禁断症状が出るかと思ったけども,そんなものはなかった。
FBを懐かしむこともない。スッキリちゃんりん。
● スマホ中毒にさせるのは,ゲームとSNSらしい。ぼくはゲームとは無縁なのだけども,ムダにスマホやパソコンの画面を見ている時間があった。
あったというか,その時間が長すぎた。のべつ見てしまうのだ。何とかしなければとずっと思っていた。
● その初手がFBをやめてみることだった。いわゆる放置はできない。放置が効果的なのは,それこそFB疲れか,FBに興味を失った場合に限られる。
ぼくはそうではなかった。やめると決めても,そのままにしておけば3日の後には舞い戻ってしまうことは明らかだ。
● ので,FBに退会宣言(?)を投稿し,絶対に戻れないように自ら外堀を埋めて,自分のFBアカウントを削除したのだ。
だから,やめたあとはそれなりの喪失感があるのかと思っていた。ところが,それがない。
● シンプルライフという言葉がある。最近では断捨離やミニマリズムという言葉も。その対象はモノだけではないだろう。習慣や人間関係も見直しの対象だ。
実際のところは,生きている限りは,シンプルライフは絵餅であり続ける。その絵餅を理想ともいう。理想は現実にならないから理想なのだ。シンプルライフもそういうもののひとつだ。
が,見直す作業は続けた方がいいのだろう。掃除と同じだ。どうせまた散らかるのだからと掃除をやめてしまうと,どうなるか。
● FBをやめるという掃除は,今のところ,わずかながら効果があるようだ。のべつスマホを見るという状況からはやや脱却できたように思える。
それで足りなければTwitterもやめるつもりなのだが,目下のところ,その必要は感じていない。
● というわけで,時喰虫のひとつを退治できたと思う。FBを時喰虫と認識するということは,かける時間ほどFBに意義を感じていなかったというわけか。そうでもあるが,そうではない。
要は,のべつスマホをチェックしてしまうのが時喰虫の所以なのだ。これは必ずしもFBの罪ではない。主には使い手の問題だ。ぼくは上手く使えなかったので,FBから離れることにしたというに過ぎない。
● ただし,“友だち”はぼく亡き後も,変わらずにFBを楽しんでいるだろうな。自分が死んだ後も,世界は昨日と変わらずに淡々と続いていく。
あと,見直すべき習慣は晩酌だね。これで帰宅後の夜の時間をだいぶ(ほとんど)失ってきた。晩酌を捨てるというのが,次なる課題。これはFBをやめるより難しいかもしれない。
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