● 自分のログをネットに残しておいて,時々参照するだけなら,ブログとTwitterで充分だ。FBは要らない。
Twitterにもグループチャット機能が追加されている(上限20人)。となると,FBでやっていることはそっくりTwitterでもできる。大半のFBユーザーにとってそうだろう。
Twitterには140字の壁があるわけだが(その壁がいいのだという意見,多数),140字をいくつも連ねてツイートすることができるのが基本フォームになった。壁が事実上消えたともいえる。
● それなのにFBをやめないでいるのは,コメントのやりとりや「いいね!」が付くことに快感を感じているからだ。これは間違いない。
この快感に抗することはかなり難しい。コミュニケーション欲というのは,人のかなり奥深いところにあるもののようだ。
● “おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ”であって,ぼくらパンピーはSNSでだいぶ腹がふくれないようになったことだろう。
その代わり,ネットには雑音が溢れることになった。でも,雑音を発し,雑音を受けながら生活していく権利は認められるべきだよね。
● 第一,リアルのコミュニケーションがそうなのだ。雑音に近いどうでもいいことをやりとりするから,コミュニケーションがコミュニケーションたり得ているのだ。どうでもいいことのやりとりが快を生む。
どうでもいいことではないことがらをやりとりするのは,多少なりとも緊張感を随伴する。場合によっては胃が痛くなるような思いもする。
● しかも,じつは雑談こそが高度に脳を機能させるのだという。頭がいい人とは,誰とでも雑談できる人のことをいうのだろう。
ただし,これはタイムラグが生じないリアルの雑談,ライヴとしての雑談の場合であって,FBのコメントのやりとりまでそれに含めてはいけないだろうね。
● ともかく,どうでもいいことのやりとりは楽しいものだ。FBにはどうでもいいこと以外はあげるべきではないと思っている。多少ともシリアスなものは自分の中に秘めるべきであって,そういうものまでFBに垂れ流してはいけない。
しかし,物事には限度というものがあるらしい。FBではたやすくその限度を超えてしまうきらいがあるようだ。どうでもいいこと以外はFBにあげてはいけないと思っているのに,一方でどうでもいいことの洪水に少し悲鳴をあげたくなってきた。自分に関していえば,どうでもいいことを発しすぎる。
● FBには様々な機能があって,自分はその可能性をほとんど引きだせていないのだが,引きだすには引きだす側に力量が要る。自分にはその力量がまるでない。
力量がないのは別に悪いことではない。100メートルを9秒台で走れないことは悪いことではない。それと同じだ。
が,何度目かの“FBやめようか症候群”が来ている。今の使い方で使っているのでは,単に時間のムダだと思えてきた。
● なんだかんだ言って,FBは面白くてですね。それが仇になって時喰虫なんですよ。
SNSは時間を決めて使うべしという,たったそれだけのことがなかなかできないんですね。
● 長々と述べてきたけれど,以上はそれなりにFBに配慮したものだ。少し本音をいうと,次のようなことがある。
ネットでつながるのもいいんだけど,そのつながり方は行きずり的なものでいい。その方がネット的。
となると,Twitterのゆるさが望ましい。FBは囲い込む感じがあった。リアル類似な閉塞感のようなもの。
● Twitterにはそれぞれが向いた方を向いて,勝手に何かやっている感がある。そこが大事なところだ。
その過程で,反発を含む交流が生まれることもあるのだが,交流とか絆とかつながりが第一義になってしまうと,概してつまらなくなる。人の投稿なんか読まない,自分で好きなことを書いて発信するためだけに使っている,という人がもっと増えると,かえって面白くなるのではないかと思う。
● FBはその交流が主目的のSNSだから,放っておくとつまらなくなりがちなのだ。“さぁ皆さんご一緒に”的な,〇〇会的な,求心力が顔を覗かせることがあるような気がする(考えすぎかもしれないんだけど)。求心力は多少なりとも強制の色を含むものだ。
交流は,多様性を生むよりも多様性を制限する方向に作用することが多い。拡散ではなく収斂に向かう。そんなものはサラリーマンなら毎日体験していることだろう。FBから若い人が逃げだし,中高年の巣窟になるのも納得できる。
● あと,FBにはネットリテラシーの最低限に到達できていないユーザーがわりといる。診断アプリの占いの結果を嬉々として投稿するのがその代表だけれども,中にはそういうアプリ広告に「いいね!」を付けたりシェアする大バカまでいる。中高年って,ほんとどうしようもない。そんなのが「友だち」にいると,危なくてしょうがない。
日本語を読めない人もいる。この投稿になぜこういうコメントが返ってくるのかと思うことが何度もあった。たぶん,読めていないのだ。部分に引っかかって,全体を掴めていない。
そういうのにつきあわされるのは精神衛生に良くないのだが,FBではそれを余儀なくされることがある。
● やめるのであれば退路を断つのがよい。FBが公式に表明している退会手続きでは,外枠が消えるだけで中身は見えない形で残ってしまうらしい(利用停止になるだけ)。
完全退会のやり方がネットにいくつもあがっているので,それにしたがって退会手続きを進めようと思う。
● というわけで,突然ですが,FBをやめることにしました。今までお付き合いいただきましてありがとうございました。
この期に及んで何なのですが,Twitterにも出没しておりますので,よほどお暇な折にでも(そんな折はないと思いますが)覗いてやってください。
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