初めて,並木通りを歩いたとき,パリのシャンゼリゼ通りより気持ちがときめいたんですよね。何でだろ。
● でも,何度か訪ねるうちに,ここは自分がいるところじゃないという思いがつきまとうになってきた。これは並木通りに限らず,銀座というエリア全体に対してね。
。街じたいがウィンドウ。通過するだけ。よそ者として眺めるだけで終わる。そこで何かをする(モノを買うとか,誰かの話を聞くとか,足をとめて路上のパフォーマンスを眺めるとか)ことはない。
● ブランドショップになんか用はない(ブランドショップもぼくに用はないだろうけど)。それでも人生の残り期間が長かった頃は,モンブランの店に入って万年筆を見るなんて無謀なことをしたものだ。まだ自分に期するところがあったんだろう。モンブランを使っているオレなんてのを妄想することができた。
飲食店も高いし。ぼく,銀座では三笠会館にしか入ったことがない。あ,「空也」の最中は何度か買って帰った。高くないもんね,「空也」はね。
● 銀座のクラブっていうのもなぁ,ぼくには関係ない世界だ。きれいなお姉さんにかしずかれて喜んでるのは,爺臭くていけない。
楽しいのかい? それとも,彼女たちは自分を磨いてくれる研磨剤かい? 楽しいこととか自分を磨いてくれる教材というのは,基本,タダでも手に入るものだが。
それに,ここ大事なところだけど,“いい女”というのは銀座の独占物じゃない。そこここにいる。よく見てみな,いるから。
● 結局,銀座でぼくが入っていけるところというと,伊東屋かLoFtしかないような。といって,文房具も買わないしね。
百円ショップで買った安い文具でも買ったら使い切る,ことを自分に課していて。とっかえひっかえ使うもんじゃない。要はケチだからなんだけどさ。
ので,そうそう頻繁に買うものじゃない。買わないのに店内を通行しても申しわけない。
● 要するに,高級すぎるんだよね,銀座って。で,高級の価値というのが,ぼくにはよくわからない。内容空疎だと思ってしまう。
使えりゃいいじゃん的なところがある。いわゆる文化というものを解さない人間なのだ。
● 銀座を抜けて新橋に来るとホッとする。何時間でもいられそうな気がする。ぼくには新橋が癒やしの空間だ。
ほんと,ここ(SL広場)にテントを立てて眠れたら,気持ちいいだろうに。
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