2017年6月21日水曜日

2017.06.21 学びより遊び

● ぼくらに足りないのは,学びではなくて遊びだと思う。定年後に大学に入り直して,もうひと花咲かせることもあるいは可能かもしれないけれど,学びから実るものってそんなに大きなものじゃない。
 われを忘れて遊べる方が,高級なのじゃないか。学びを遊びにできるなら,話は別だが。

● だから,定年になったら,放送大学や夜間部の大学に通って勉強しようとするのは,多くの場合,最善の策ではないと思う。勉強が好きなら,それで何の問題もないわけだけど。
 そうではなくて,自分の好きな遊びを深める方向に行くのがいいのじゃないだろうか。言葉を換えると,これをやっていると自分が喜ぶ,本当に楽しい,と思う方向に動くことだ。
 そのとき大事なことは,こういうことをしている自分を人はどう思うかということを,髪の毛一本ほども考えないこと。徹底的に自分本位であること。

● ただし,勉強は今からでもできるけれど,遊びはそういうわけにいかない。定年になった時点で勝負はついてしまっている。
 しかも。お金を使ってする遊びは,必ず飽きる。旅行だろうとグルメだろうと,飽きる。人間がもし200年も300年も生きるのであれば,ギャンブルだって途中で飽きるはずのものだと思う。

● 飽きないのは無料もしくは低廉な額でできる遊びだ。お金に依存する遊びは底が浅い。対象と自分の間にお金が介在しないものは,底が深い(もしくは,底なんてない)。だから,飽きることがない。
 囲碁や将棋といった深みのあるゲーム。畑いじりや魚釣り,山菜や茸を取るといった自然と戯れるもの。楽器の演奏や陶芸,絵を描くといった芸術につながる表現。

● その多くは一人でもできるものだから,遊ぶのに友だちは要らない。大勢あるいは数人で遊ぶというのは,それだけで幼稚だと,ぼくなんぞは思ってしまうのだが。
 行楽シーズンになると,リュックを背負って山にでも行くのだろうと思われる年寄り男女のグループに,電車の中などで遭遇することがある。いや,やかましいこと。ああはなりたくないと思うんだよねぇ。

● が,60歳になってから,その遊びをゼロから作りあげるのは,少々以上に困難であろうな,と。始めることはできても,その深さを実感できるところまで行けるか。そこはやはり若い頃に手を染めていないと難しいのではないかな,と。

2017年6月20日火曜日

2017.06.20 一緒に飲んでくれる若い女友だちを持て

● 「社会や世間との接点を減らしていきたい」のだけれども。ゼロにはできないし,すべきでもない。ぜひとも確保しておきたい接点がある。それについて書く。
 その接点は何かと申さば,「一緒に飲んでくれる若い女友だち」を持っておくべきだということ。

● 若いとはどのあたりかといえば,20~30代。ぎりぎり40代もその範疇に入れる。
 しかし,若ければ誰でもいいというわけではない。こちらを刺激してくれるだけの頭の良さを備えていることは必須条件だ。

● さて。問題はここからだ。
 そうしてこちらが選んだ若い女子に,この爺となら飲んでもいいと思ってもらえなければいけない。普通ならあり得ないことだ。こっちは彼女の職場の上司でもなければ,女優の卵に対するプロデューサーのような関係でもないのだ。あくまで,個対個だ。
 なのに,還暦を過ぎた爺と一緒に飲みたいと誰が思うか。

● そこにどうやって道をつけるか。そのために自分はどうあればいいのか。そこを考えて,ジタバタしてみる。ここが肝だ。
 周りにお手本はいない。これじゃダメだというヤツばっかりだろう。だから,これは挑戦しがいのあるテーマになる。

● もちろん,飲み代はこちら持ちになるわけだから,ある程度の現金が必要。といって,飲む場所はチェーンの居酒屋だってかまわない。お金は問題にならない。
 自分の意見を言わないで聞き専門に回れること。相手を否定しないで受け入れる寛容性。しかし,彼女の質問には鋭く本質を衝いた回答を返せること。

● マスコミ的正義を一歩も出ていないような見方しかできないのでは,まずもって論外。自分を勘定に入れ忘れている時点でダメだ。そんなヤツの話は誰も聞きたくない。きつくいえば,そういう人は自分で立って生きているとは言えないからだ。
 そのうえで,活きのよさが必要だろう。何かスポーツをやっているのでもよい。かといって,その話しかできないのではアウトだ。
 大変なエンジンを積んだスポーツカーが一般道路を法定速度を守って走っているような,為体の知れなさがあるといいんでしょうね。
 同世代の他の男性が持っていない何ものかを保有していなければならない。

● でもって,これからそういう人物になれるか。なれっこない。じゃあ,どうすればいい? ジタバタするというのはそういうことだ。
 そのためにはだよ,冠婚葬祭なんかに出ている場合じゃないだろうよ。年賀状なんかどうだっていいだろうよ。

● 同級生の女性ではダメなのかと問われれば,ぜんぜんダメだと即答する。一緒に飲めば,昔話で盛りあがって,楽しかったね,たまにはこうして飲むのもいいわね,という最悪の結果に終わることが目に見えている。典型的な後ろ向き。
 小学校や中学校の同級生の女子と飲むのは,それこそ忘れた頃に開かれる同窓会のみで充分すぎる。

● 幼児体験に共通性のまったくない若い女性がいいのだ。しかも,彼女たちはぼくらよりも今の時代の空気をたくさん呼吸している。学ぶべきことはたぶん,無限にある。
 学ぶというよりも,刺激とか驚きとか,そうしたものを浴びることができるだろう。これが大事だ。自分の世界を閉じないために。

● この部分を開いておけば,近所づきあいをはじめ,他の人間関係は一切閉じていても,何の問題もない。
 ちなみにだ,この挑戦(?)に性は絡まない。そんな元気はもうありゃしない。奥さんに気兼ねすることもあるまい。
 というわけだから,諸君,この困難な課題に立ち向かっていこうではないか。

2017年6月19日月曜日

2017.06.19 引退後をどう過ごすか

● 社会や世間との接点を減らしていきたい。ゼロにはできないけれども,世間との接点はネットを介したものだけでよろしいのではないか。
 まず,年賀状は出さないことにする。昨年は喪中欠礼となった。それを機にというわけではないけれど,今年は何も出さない。
 来ても返さない。2年もすれば誰からも来ないようになるだろう。それでよい。

● 冠婚葬祭には出ない。葬祭の方はそうもいかないけれども,冠婚はすべて欠席する。もっとも,そうそう招待状も来ないだろうけど。
 以上のふたつについては,只今現在から実行できる。

● いずれは地元の老人会から入会案内が来るだろう。会費も取られるのだろうと思う。こういうものは交際費と割り切って,入会もするし,会費も払う。
 ただし,会合には出ないし,老人会の活動(歩道に花の苗を植えたりっていうやつ)にも参加はしない。
 職場のつきあいがなくなったんだから,今度は地域のつきあいだ,という発想は採らない。職場でのつきあいも最小限だったんだから,地域でもそれでいい。

● さて,ではどうするか。家に引きこもっているのか。それは耐えられない。家にこもってテレビを見ているだけ,あるいはパソコンの画面でネットを見ているだけというのでは,活力レベルが大きく低下しそうだ。
 外に出なければならない。外に出て街場の空気に自分を晒さないといけない。これはわりと大事なことだと思う。

● そこで。完全引退した暁には東京までの通勤定期を買うのはどうか。原則,毎日,東京に出る。
 メリットはいくつもある。第一に,車中で本を読める。本なんてものは家にいたんじゃ読めるものじゃない。図書館もダメだ。図書館は本を借りるところではあっても,読書にはまったく不向きなところだ。
 もっとも集中して読めるのは移動している電車の中。東京まで普通列車で往復すれば,1日に2冊は読めるんじゃないか。

● 第二に,東京のそちこちを散歩できる。自分が知っている東京はいたって少ない。上野,お茶の水,銀座,秋葉原,お台場。その程度のものだ。
 神楽坂や根津のようなガイドブックの常連のほかに,小岩,蒲田,千住,両国など歩いてみたいところはいくらでもある。
 都市の空気を浴びながら歩くのは,ボケ防止には一番だろう。

● だが,しかし。その定期代が月66,000円になる。1年で約80万円。10年で800万円。現実的ではないですな。年金暮らしになるわけだからね。はい,諦めましょ。
 ただし,「青春18きっぷ」が出るシーズンには頻繁に出かけられそうだ。3シーズンあるから,各々15日,合わせて45日。費用は約10万円。これならできそうだ。
 よし,老後の課題のひとつはこれで解決だ。

2017年6月18日日曜日

2017.06.18 お金は欲しい。が,お金がないとお手あげというわけでもない

● 午後から,相方と宇都宮はベルモールに行った。今日はイトーヨーカドーのハッピーデー。全品5%引き。のせいなのか,かなりの混みようだった。
 全国のヨーカドーがこうなら,ヨーカドーが赤字になんかなるわけないんだがなぁ。

● ただし,目下のところ,ベルモールに来ても,ぼく一個は買いたいものがない。これって自分だけかといえば,そんなことはないだろう。特に,年配の男性はぼくと同じように思っている人が多いのではないだろうか。
 ま,食料品が売れるのはわかる。これなくして生活は成り立たない。が,それ以外は,消耗品であってもすぐに消耗してしまうものではないからね。

● 衣服だって一度買えばかなりもつ。流行だの何だのは気にならない。下着や靴下だって,ぼくはすり切れるまで使う方で,そんなに補充の必要はない。
 筆記具はリフィルを替えながら10年は使う感じ。また,日本の製品はそれくらいはもつ仕様になっているっぽい。
 要するに,欲しいモノがない。欲しいモノはひととおり持っている。

● 強いていえば,スマホのSIMくらいか。昨年11月に液晶が割れて,それ以降,スマホなしですませているのでね。スマホ本体は息子のお下がりがあるんで,あとはSIM契約だけなんだが。
 ほんとにそれくらいだなぁ。欲しいものって。

● 誰もがそうなったら,売る方は困るのかもしれないけれども,ムダを省いて要らないモノは買わないようになったら,消費量(=資源の消耗)は今の半分以下ですむのではないか。

● CCCのライフスタイル提案にも自分が乗ることはないと思う。自分はそこまでの水準に達していないからだと思うのだが。
 ノートはモレスキンではなくてダイスキン。万年筆はモンブランではなくプラチナのプレジール。車はトヨタのコンパクトカー。衣服はイタリアブランドではなくユニクロ。靴はABCマートで調達。パソコンやスマホは中古品。机代わりに折りたたみ式のテーブル。食事はご飯+一品。オーディオはソニーのウォークマンのみ。

● 要するに,生きていくのにお金はそんなにかからない。「健康で文化的な最低限度の生活」に抑えればという話ではない。
 クラシック音楽を聴くのにだってコストはほとんどかからない(ただし,ゼロにはならない)。CDは図書館で借りられる。栃木県に限っていえば,最も大手のCDショップやCDレンタルショップより,公共図書館の方が品揃えにおいて勝っている。
 パソコンでリッピングして,携帯プレーヤーやスマホに転送して聴けば,お金を使う余地などない。デジタル化によって複製がすこぶる簡単になったことの恩恵だ。こうした恩恵は遠慮なく享受すればいいのだ。

● 本も同じだ。公立の施設でも完全無料なのは図書館だけ。新刊もひと月やふた月待てば,かなりの確率で読みたい本が図書館に入っている。好みが独特だとそうも行かないだろうけれども,興味のありようが世間並みを出ていないのであれば,図書館で足りる。
 しかも,借りるんだから必ず返すことになる。読んだあとにブツが手元に残ることがない。これはかなり精神衛生にいい。

● 映画もそうだ。新しく量産される映画より,往年の名画といわれるものを観たいと考える年配者はそれなりの数いると思うのだが,それだったら観たい映画の9割は,近くの図書館にDVDがあるはずだ。
 往年の名画を観ようとすれば,それが最も手っ取り早い方法のはずだ。オペラやバレエも同様の方法で鑑賞できる。
 あるいは,図書館すら要らないかもしれない。ネットで無料で観られるものが,けっこうあるから。

● 音楽やバレエに関しては,CDやDVDでは物足りなくなって,ライブを味わいたくなるだろう。
 それだって,ベルリン・フィルだウィーン・フィルだと言わなければ,さほどのお金がかかるわけではない。

● スポーツをするにもお金はかからない。もちろん,ゴルフをしたい,スキーに行きたい,というのであれば話は違ってくるけれども,体を動かして健康志向を維持したいというのであれば,自転車1台あればいい。それで休日に100㎞も走れば,すっきりさわやかだ(たぶん)。
 ン十万もする高価な自転車など必要ない。中学生が通学に使っているママチャリより安いスポーツバイクがある。

● しかも,そうした体験を外部に発信することもタダでできるのだ。ブログやSNSで発信するのにお金は要らない。
 それに必要なパソコンだって,わりきれば1万円以下の中古で充分だ。通信料も安くなった。
 以上で何の不満があるだろうか。少なくとも,ぼくには何の不満もない。

● というわけで,お金を潤沢に持っていなくても,「健康で文化的な最低限度の生活」を超えた,それなりにハイソな生活を確保することができる。しかも,かなりの水準で。
 テレビを見るのをやめ,ショッピングセンターや書店に行くのをやめれば,それがやりやすくなるのではないか。行けばどうしても買いたくなる。何を買うかではなくて,買うという行為それ自体に快感があるから。
 そのあたりの始末の付け方がけっこう厄介かもしれない。問題は,しかし,そこだけだ。

2017.06.18 久しぶりに「宇都宮スパ屋」で昼食

● 相方と久しぶりに「宇都宮スパ屋」に行った。デザートの無料券があるとかで。行ったのは午後1時頃。

● この店の一番人気は「宇都宮で一番濃厚なミートソース」。最も安価なパスタであることも人気の理由のひとつかもしれないんだけど,このパスタが店のウリでもある。
 その「濃厚なミートソース」を(たぶん)初めて注文した。なぜ今まで食べそびれていたかといえば,セットメニューを注文していたからだね。

● セットだとパスタを選べる。そのときに何を優先するかといえば,選べる範囲で最も高いものにする。
 言っちゃ何だけど,女性の大半はそうじゃないですかね。うちの相方もそうで,ぼくとしてもそれに抗しがたいものを感じてましてね。

● 実際はさ,パスタもピザも一番安いのが一番旨いんだよね。ピザならマルゲリータに勝るものはないと思っているんですけどね。
 ともかく,やっと念願かなって,「濃厚なミートソース」を食べることができた。パスタは生麺。この生麺というのが,「みやこ家」の極太麺にひじょうに似ているような気がする。だからなんだってことではないんだけど。

● この店は付近の庶民にちょっとしたハレの場を提供している。普段のランチに少し上乗せすれば,本格的なイタリアンが食べられる。その功績や,きわめて大。
 実質を考えると,この店はサイゼリヤよりも安いと思っている。

2017年6月17日土曜日

2017.06.17 東京散歩-成城学園前 2

● 駅から徒歩0分のところにある,立食い蕎麦屋で昼食。これで530円は良心的。駅前の成城コルティには客単価2,500円程度のトンカツ屋や,1,500円程度のハンバーグ店もあるんだけど,この立食い蕎麦屋の方がずっと儲かっているだろうね。
 第一に,お客一人当たりの店舗面積が少なくてすむ。お客を押しこむことができる。第二に,配膳はセルフだし,食券制だから会計も機械がやってくれる。その分,人手は少なくてすむ。第三に,回転率がまるで違う。
 飲食商売は貧乏人を相手にするに限る。

● 成城大学にももちろん行ってみた。正門前の風景は受験雑誌の表紙に使われることもあるのじゃないか。有名な風景だ。
 キャンパスには樹木(広葉樹)が多い。もともとこのあたりはこういう平地林だったのか。だとすれば,大学なればこそこの風景を残すことができたわけだ。個人の宅地にするための開発では,根こそぎにされてしまう。
 でも,だいぶ人の手が入っているんでしょうね。計算の跡があるもんね。もともとの自然を残すだけじゃ,こうはならないような気がする。

● 新宿から電車で15分の距離で,これだけ静かで落ち着いたキャンパスで過ごせるんだから,学生は恵まれているといっていいんだろう。
 大学によっては高層ビルのところもあって,それが悪いとはまったく思わないのだが,この大学はいわゆるキャンパス然としている。こじんまりとした大学だ(ほかに付属高校と中学校がある)。

● 正門前にある成城堂書店。昭和のたたずまい。昔は学生,生徒の御用達を務めていたのだろう。今もそうかもしれないんだけど,学内に三省堂が請け負っている書籍と文具の売店があり,成城コルティにはもっと大きな三省堂書店があるわけだから,なかなか状況は厳しいだろう。地の利は抜群なんだが。
 素通りしてしまったので,実際のところはわからないんだけどさ。

● この一帯は成城学園があればこそなのだろう。緑の多いキャンパスが住民にとっては使い勝手のいい公園のようになっているのかもしれないと思った。

2017.06.17 東京散歩-成城学園前

● ひとりで東京に出た。自治医大駅で途中下車して「休日おでかけパス」を買った。いくぶん安くなるのと,首都圏のJR線が乗り放題になるので,都内の駅で自動券売機に並ばずにすむ。今日はそちこち回る予定はないんだけども,この切符を持っていた方が安心だ。
 ちなみに,ぼくの最寄駅から自治医大までの運賃は,通して買うより,宇都宮で切った方が30円ほど安くなる。セコイんだけど,そのようにしましたよ。

● 自治医大から湘南新宿ラインで新宿に。新宿っていうのは,街もそうだけど,駅じたいが魔窟。駅の中で迷子になる。
 今回はここから小田急に乗り換える。小田急線はこちらという案内標識にしたがって歩いていたら,JRの改札に出てしまった。仕方がないから改札を出ましたよ。そこから小田急の駅まで歩けってことなんですか。
 いやいや,JRの改札を出たところに小田急の自動券売機があったんですよ。ので,成城学園前駅までの切符(片道220円)を買いましたよ,と。

● それはいいんだけど,小田急の改札なんてないんですよ。JRのしかない。どうすりゃいいんですかい。
 結局,小田急の切符でJRの改札から入れるんでした。でもって,小田急のホームに出るのに,もう一度自動改札機を通ることになるんでした。
 小田急には何度か乗ってるはずなんだけど,これだけ乗換えに手間取ったのは初めてだ。田舎者丸出しだ。東京の人たちはこういう複雑な乗換えを日常的にやっているんですなぁ。それだけでも尊敬しちゃう。
 便利といえば便利なんでしょうけどねぇ。田舎者にはわかりづらいぞい。外人サンもけっこう利用してると思うんだけど,よく対応できるものだな。

● さて,成城学園前。駅付近を歩きまわってみた。平板で深みがない感じがした。住んでる人には申しわけないんだけど。しかも,こんな田舎者の印象で。
 なぜかというと,悪場所がないんですね。男の遊び場が。空気が健全なんですよ。建前しかないみたいないや,そういう場所が駅の近くにあるとは限らないから,もっと歩けばあるのかもしれないんだけどねもっとも,こうしたところに悪場所はないものですよね,普通
 もちろん,飲み屋はいくつもある。が,ディープに飲みたいと思ったら,新宿に出ちゃうんでしょうね。

 駅前には成城コルティなる4階建てのショッピングセンターがある。屋上の一部に植栽があって,庭園になっている。ここもキレイに整えられていて,家族連れや若いカップル,若くないカップルが,フリーのベンチやテーブル席に座って,弁当を食べていたり,お喋りに興じている。ピクニック気分で楽しめるところなんだろうか。
 2階には三省堂書店が入っている。宇都宮にこれがあれば大規模書店になる。が,東京だとどってことない。この辺の読書家は新宿の紀伊國屋に行くのだろうなと思った。

 すき家と松屋はあったけど,吉野家はなかった。ユニクロもシマムラも見当たらなかった(郊外に出ればあるのかもしれない)。

● 成城学園前って漠然と高級住宅街だと思っていた。成城石井っていう高級スーパーのイメージに引きずられているだけなのかもしれないんだけどね。
 実際のところは,ここにたむろしている人たちと新宿や渋谷を歩いている人たちの間に,何か違いがあるわけでもないようだ。土曜日ゆえ,ぼくのようなよそ者が街を席巻していたのかもしれないんだけど。

● お受験で子供の尻を叩いている母親に,アンタの子だよ,ここまでできれば上等じゃん,と悪態をつきたくなるのと同じ感じをこの街に抱いてしまった。
 つまり,うわべを飾ったってしょうがないんじゃない? と言いたくなったっていうか。
 それも,ここは高級住宅街だという前提があっての話で,それが間違いなのであれば,都内のどこにでもある私鉄が開発した集落地ということで納得できる。

● というわけで,あまりテンションが上がらない。ここに住んでみたいとは思わなかった(家賃が高くて住めないと思うけど)。
 ただし,活気はある。すぐそこに成城大学があるわけだから,平日には若者が増えるのだろう。

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 古紙回収の日

● 月1回の古紙回収の日。ゴミステーションに行って気づくのは,段ボールが増えて新聞紙が減っていること。出される古紙の全体量が減っていること。
 その理由はわが家を振り返ればすぐにわかる。ネット通販での買いものが増えているのと,新聞を取るのをやめたことだ。わが家のみならず,そういうご家庭が増えているのだろう。

● 3日に2日くらい,宅配便が届く。相方が洋服やらコスメやらをネットで買うんだな。アマゾンより楽天が多いかな。あと,メーカー直販。
 したがって,段ボールはやたらに増える。

● 新聞を取るのをやめると,家の中がスッキリする。折りこみチラシも含めて,ひと月分をとっておくとかなりの量になるもんね。
 いったん新聞をやめてしまうと,新聞が届くメリットよりも家内ゴミが少なくなる快適さの方が勝ることがわかる。

● スーパーでもゴミ回収をサービスの一環としてやるとことが増えた。わが家の近くだと,“とりせん”の高根沢店。古紙(主には段ボール),ペットボトル,缶はスーパーで買いものをするときにまとめて処分できる。
 こちらの都合だけをいえば,ありがたいことこの上ない。資源ゴミとして売れるんだと思うんだけど,コスト面で引き合っているんだろうか。来店者を増やすための方策なんでしょうねぇ。

● ともあれ,そういう事情があると思われるんだけど,古紙に関してはゴミ回収のお世話になる度合いは以前よりだいぶ減っている。

2017年6月6日火曜日

2017.06.06 ブログをどういう方法で読んでもらえているか

● 自分のブログはどんな道具で読まれているのか。直近1週間に限ると,次のようなものだ。
  iPhone 42%
  Windows 28%
  Android 22%
  Macintosh 3%
  その他 5%

● iPhoneとAndroidで64%になる。パソコンで読んでいる人は4割を切る。
 書く側は当然(?)パソコンで書いている。したがって,どう見えているかはパソコンでしか確認していない(スマホからはしばらく遠ざかっているので)。

● ま,だから何だということはない。スマホではどう見えるのかといっても,そこはサービス提供者側のやり方(ぼくの場合はGoogle blogger)に従うしかない。
 文字がメインなので,どうレイアウトしても,たいした差はないように思うし。

● でも,6割以上の人はスマホで見てくれているんだということは,憶えておきたい。
 パソコンに比べれば視界が限定される。一度に読める量は限られてくる。長い文章を読むのはホネだろう。
 だからといって,今のスタイルを変えられるというわけでもないんだけどさ。

2017年6月5日月曜日

2017.06.05 小さな幸せを是とするか

● 帰宅後。スーパーで買ってきたイカとマグロの刺身で焼酎を飲んで,ほんわか酔った。WALKMANのイヤホンを耳に突っ込んで散歩に出た。小1時間。
 諏訪内晶子さんのバッハ協奏曲集を聴きながら,サンダル履きでトロトロと田舎の夜道を歩きのは気持ちがいい。暑からず寒からず。何より静か。

● こういうのを積み重ねることができれば,それがすなわち幸せな人生というものだ。ゆえに。幸せになるのにお金は必須ではない。
 本当に貴重なものはお金では手に入らない。お金がなくても手に入る。そういうものかもしれないや。チャップリンの言うとおり,持つべきお金はサムマネーでいいのかも。

● と,ぼくは考えがちだ。ひ弱というか,豪快さに欠けるというか。
 中には,“戦い”に幸せを感じる人もいるだろうし,ひょっとすると逆境に置かれると恍惚とするなんて人もいるかもしれない。
 何が幸せと思うか,何を幸せと感じるか。当然,人によって違う。いや,同じ人であっても幸せの種類はいくつもあるだろう。

● 若い頃,幸せとは小さなものという言葉を何かで読んで,なるほどと思った。以来,幸せとはそういうものなのだと思って,今日に至っている。
 大きな幸せというのはない気がする。これはどんな人にも妥当しそうだ。数十億の資産を持てば必ず幸せになれるのであれば,その幸せは大きな幸せなのかもしれないが,現実は「数十億の資産家=幸せ」という図式は成立しない世界だろうから。それで幸せな人もいるし,そうではない人もいるだろう。

● ただし,貧乏は不幸につながりやすい。貧困にあえぐと,どういうわけだが口コミの輪から外れてしまいがちになる。あえて人付き合いから距離を置く人はいると思うけど,自分から外れるのと外れてしまうのとは同じではない。
 大事な情報が口コミで伝わることがある。そこからはじかれるのは不幸の始まりかもしれない。

● しかし。幸せとは持っているお金の多寡で決まるものではなさそうだ。幸せとはつまり気分であって,気分は主観的なものだ。
 同じ状況に置かれても,幸せ気分が勝る人と,不幸気分が勝る人に分かれるだろう。

● 結局,その人の気質,体質の問題に帰着するのかもしれない。生まれつき,幸せ体質成分を多く持っている人がいるんだろうな。羨ましい。
 生まれつきではなく,努力で変えられるんだろうか。

2017年6月4日日曜日

2017.06.04 鹿沼でガックリきたこと

鹿沼市民文化センター
● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラの演奏会があったので,鹿沼市民文化センターに行った。その演奏会の休憩のとき。
 ロビーでボーッとしてたら,70歳くらいの爺様がぼくに近寄って話しかけてきた。

● お孫さんが出てるんですか,と。ムムムムム,やっぱそう見えるんかなぁ。見えても不思議はないんだが。
 若作りの恰好をしてきたんだがなぁ。そう見えるんかなぁ。

● 何だかガックシだ。年齢相応に見られてガックシ来るのは,来る方が理不尽な夢を見ているんだけどさ。
 アンチエイジングの具体的な方法論を考えてみようかい。って,今さら遅いわなぁ。

● っていうか,20年近く前にも,小さかった息子を電車を見せに,近くの駅に連れて行ったら,通りがかりの爺様に,お孫さんといいですねぇ,と言われたことがある。孫じゃねぇよ,息子だよ,と思ったんだけどね。
 要は,その頃から老けて見られてたんですよ。なぜかといえば,早くに総白髪だったからね。

2017年5月30日火曜日

2017.05.30 Facebookで気になること

● Facebookはあまり積極的に使っていない。「友だち」を増やす努力もしていない。リアルでも友だちはいない方だ。それで特段の不都合も感じていない。Facebookも同じでいい。
 何百人という「友だち」を抱えて,それらのすべてが自分のタイムラインに流れてきたら,まず収拾がつかないだろう。たいていは「リスト」を作って,交際相手を絞っているはずだ。

● だったら,最初からリスト分だけの「友だち」に押さえてもいいと思うんだがなぁ。「友だち」が増えると自分の発信力がそれだけ高まると考えるのは,たぶん間違っている。間違っているというか,錯覚でしょうね。かなりの部分は遮断されていると思った方がいいですよ。
 ぼくなんか「友だち」は一桁しかいないけれども,それでも“フォローをやめる”にチェックを入れている人がいるよ。「いいね」をやたらにする人っているからね。それもつまらない(と,こちらが思う)ところに(ま,ぼくも同じことをしているのかもしれない。よその人から見ればね)。
 それでもその人が投稿した場合には,その旨が表示されるから,投稿は見るようにしている。

● こんなところからFacebookに嫌気がさしてくるのかもしれないと思う。若者のFacebook離れが止まらないのは,また別の理由があるようだけど。
 基本,「友だち」を増やすことに血道をあげるのはFacebookの使い方としては方向が違うような気がする。間違っても,政治家(地方議会の議員,首長)や放送局のアナウンサーのような,人に注目されやすいところにいる人とは「友だち」にならない方がいいのでは。
 「友だち」がたくさんいる人を「友だち」にしたいという発想はダメでしょうね。

● Facebookってリアルを補強するもので,それ以上の用途を求めるものじゃないように思う。リアルを補強する必要を感じない人がFacebookに手を出しても,メリットはないのじゃないだろうか。
 ということで,ぼくもFacebookへの投稿は大幅に減らすことにした。週1回程度でいい。やめないでいるよってのが通じる程度に。ひょっとすると,いつかは完全撤退に及ぶかもしれないけど。

● さて。Facebookは中高年の遊び道具になっているようなんだけど,ひとつだけ気になることがある。守秘義務と個人情報の問題だ。
 中高年って,これに関してはかなり脇が甘いのじゃないかと思うことがある。特にFacebookを始めてハマってしまった人,ハマり初心者の中高年。
 ぼく自身は,仕事についてはブログでもSNSでも触れないことにしている。ひょっとすると,語ってはいけないことを語ってしまうかもしれないからだ。

● おそらく,ぼくの投稿のすべてを分析すれば,ひと言も語っていないはずの職業や勤務先も特定されるだろう。住所も番地までわかるだろう。
 趣味は当然として,家族構成や何にいくら使っているかという消費の実態まで,かなりの精度で把握されるだろう。
 ま,現実問題としてそんな暇人はいないだろうから,丸裸にされないですんでいるわけだが。

● しかし,それらについて自分から語る必要はない。特に仕事がらみについては,会社なり役所のトップでもない限り,やってはいけないとまでは言わないけれど,やらない方が安全だ。
 いつ,機密にふれてしまうかわからない。機密なんてのはたいていつまらないものだ。つまらないだけならいいんだけど,これが機密だと予め決まっていない場合が多いのではないか。もれて騒ぎになれば,それがすなわち機密になる。
 自分は機密に与かれるほど偉くないという人もいるかもしれないけれども,機密なんて君の前後左右にも転がっているよ。

● 次に個人情報の問題だ。Facebookの輪の中に入っていない人を,しかも実名で,自分の投稿に登場させる人はさすがにいないようだ(著名人は除く)。
 問題はその後のコメントのやりとりだ。輪の中にいない第三者を実名で書いているものを,時々,見かけることがあるんだよ。
 コメントは個対個のコミュニケーションだと錯覚しがちになるのだろうな。そのコメントも不特定多数に見られていることを忘れているのじゃないか。
 ここはかなり危うさを感じるところだ。この部分,中高年はまったく信用できない。公開範囲を限定するなんて細かいことはしていないだろう。だから,ぼくも読めてしまうわけで。

● Facebookにあまり期待するなと言いたい。すでにある人間関係をよりスムーズにするには便利かもしれないけれども,リアルの人間関係を拡大する道具としてFacebookを使ってはいけない,というのが一応の結論。
 さらにいえば,そういう脇の甘いやつがウヨウヨいそうなところに深入りするのは,そもそもどうなんだということ。

2017年5月28日日曜日

2017.05.28 スマホの新製品を見る

● ベルモールに入っているケータイショップ「BE-ONE」を覗いてみた。ちょうど夏の新製品が出たところ。今のところはXPERIA XZsとGalaxy S8。
 大手3キャリアから同じメーカーの製品が出ている。iPhoneが典型的にそうなんだけど,こうなるとキャリアなんてどこだっていいよね。月々の料金だってどうせ似たようなものなんだから。

● ぼくが望みたいのは,購入時にSIMフリー化を望むお客には,そのように対応しろよってこと。SIMフリー化に対応しますと言いながら,自社都合の複雑なルールを作って,わけがわからないようにしている。それ,やめろよ,って。
 そんなことをやっていながら,キャリアは儲かっているらしい。忌々しいことだ。

● 初めてGalaxy NOTEを見たときには,なぜ国内メーカーからこれが出なかったのかと思った。当時,国内メーカーはいずれもふるわず,SONYもサムスンに買収されるんじゃないかなどと噂する人もいた。シャープ,NEC,SONY,パナソニックの4社は潰れるしかないと言っていた人もいる。
 実際,シャープは身売りした。NECとパナソニックはスマホ市場から撤退を余儀なくされた。

● が,今や攻守逆転。サムスンは中国メーカーに押され,NOTE 7の発火事件で信用を落とし,業績も急勾配で下降線。対して,SONYは自身の最高益を更新しようかという勢いだ。
 諸行無常というにはあまりに展開がめまぐるしい。ともあれ,今買うならXPERIAだなとぼくも思っている(買うならね)。

● ところで。昨年の11月11日以来,ぼくはスマホを使っていない。当然,いずれ復帰することになる。スマホ本体は用意してある。息子のお古だ。Galaxy NOTE3。バッテリーは新しいのを手当している。
 ぼくの使い方ならこれで充分のはずだ。OSが古くてアプリが使えないってこともないだろう。

● それともうひとつ。スマホは始終使っていたけれども,何に使う時間が最も長かったかといえば,音楽再生プレーヤーとして使う時間が,ダントツで長かった。
 その音楽再生プレーヤーは専用機(WALKMAN)を買った。だからこそ,昨年の11月11日からスマホなしでもどうにかなってきたのでもある。
 となると,スマホで使うのはカメラと,あとはSNSくらいか。

BlackBerry KEYone
● となると,最新機種から選ぶならXPERIAの一択だと思うんだけど,最新機種から選ぶ必要はないわけで。Galaxy NOTE3でいいんですわ。
 しいて気になる機種をもうひとつあげると,BlackBerry謹製のAndroidスマホ,KEYone。写真で見る限り,なかなかの質感。でも,価格がね。

● スマホって入力さえパソコン並みにできれば,間違いなくパソコンに取って代われるポテンシャルはすでにある。っていうか,パソコン以上だ。
 こういうブログの更新もぜんぶスマホでやれたら,スッキリするだろうねぇ。

2017.05.28 超久しぶり,ベルモールの「しゃぶ菜」

● 今日はイトーヨーカドーのハッピーデー。というわけで,正午前にベルモールへ。ベルモールでの滞在時間は7時間。
 特に女性は,ここでそのくらいの時間を過ごすのは何でもないんだろうね。洋服の店はいくつもあるし,お菓子屋もカフェも選べるもんね。

● 16時頃,「しゃぶ菜」に入ってみた。昼食兼夕食。どちらの時間帯でもないので,待たずに入れた。
 しゃぶしゃぶの食べ放題。が,ぼくは肉を追加することはない。ニラ,ネギ,豆腐で鍋を作り,それでハイボールを飲むのだ。990円の飲み放題を付けてね。
 ま,1杯目は生ビール。そのあと,ハイボールを3杯。最後は酎ハイにした。セコく計算すると,それで2,060円になる。
 ハイボールは単独で注文すると390円。けどね,これで390円も取ったら,たぶん苦情が出そうだ。150円くらいが相当かなぁ。飲み放題用の特製ハイボールかもしれないな。

● 夏でも冷房の効いたところで鍋。飲兵衛なら,誰でも悪くないねと言うと思う。その鍋が簡単にできるのが,こういう店のいいところだ。
 これだけ家庭で用意しなければならないとなったら大変よね,と相方が言っていた。器具を揃えるだけでも大変だ。外で食べるのが吉でしょ,当然。

● 庶民のプチ贅沢に応える店。食事時はかなり混む。健全な食欲が溢れている。隣の家族連れはしゃぶしゃぶをオカズにご飯を食べていた。そうか,そういう食べ方もあるのか。それで肉をどんどんお代わりする。
 こういう人たちが日本経済を支えているんだよね,たぶん。

● 990円の飲み放題を付けても,二人で5,500円。しゃぶしゃぶを好きなだけ食べてこの値段なら,安いですよね。安いというか,昔ならあり得ない。
 回転寿司もそうだけど,なんでこの値段でできるのかっていう。こういう店のしゃぶしゃぶはしゃぶしゃぶじゃないんだよ,ってか。

● でも,黄金週間中に泊まったシェラトン都ホテルは,ラウンジ利用付きで35,000円だった。二人分の料金だ。これは破格に安いと思う。
 「しゃぶ菜」は我慢して,その分でごくたまにシェラトン都ホテルに泊まりに行くというのが,経済的には一番お得かも。その我慢ができればの話なんだが。

2017年5月24日水曜日

2017.05.24 東京の小さな旅-明治通り

● 休暇が転がり込んできた。さて,この休みをどう使おうか。家にこもって読書。久しく乗ってない自転車で鷲子山まで往復してみるか。
 それもいいんだけど,やってみたいことがあった。それが何かと申せば,新木場から曳舟まで明治通りを歩いてみようかな,ということなんですけど。そこに何があるんですかと言われると,答えに窮する。特に名所旧跡があるわけではなさそうだ。が,名所旧跡なるものにさほどに興味があるわけでもない。

● 自分のような田舎者にとっては,東京はどこでも面白い。歩いたことがあるエリアはまだまだ少ない。特に下町といわれるエリアに疎い。疎いから何か問題でも,となれば,別にさしたる問題はない。
 けど,まぁ,行ってみようかなぁ,と。

● 東武電車の盲腸線もある。曳舟~亀戸を走る電車。それにも乗ってみたい。わざわざ乗るのでなければ乗る機会がない電車だから。

新木場駅
● というわけで行ってみた。数年ぶりに京葉線に乗って,舞浜ではなく新木場で下車。
 駅を出れば,そこは夢の島。ゴミを埋め立てているのに夢の島とはこれいかに,って言われたのは,ぼくが小学生の頃。ここからスタート。夢の島は緑の島だ。

● 夢の島大橋から砂町運河を眺める。葛西臨海公園の観覧車が見える。その先はTDR。
 行かなくなったな,TDR。息子が小さかったときは年パスホルダーだったんだが。

倉庫街
● 夢の島大橋を渡ると,新砂なる地名になるんだね。新しい砂町。このあたりも埋立地なんでしょう。
 物流センターが集まっている。要するに,倉庫街。歩いてて楽しいところではない。っていうか,平日のこの時間に歩いている人なんかほぼいない。 
 歩道脇に植栽されているツツジが満開。どこからか飛んできた,外来種の野アザミも。これは雑草という分類でよろしいか。

● 永代通りが見えてきた。倉庫街はここで終わって,永代通りの先には高層アパートがいくつも建っている。普通の街らしくなる。
 地下鉄東西線の東陽町駅はこの近く。そこから錦糸町まで四つ目通りを歩いたことがある。今日はこのまま明治通りを行くことにする。

● このあたり,南砂と申す。「だんじょうばし」とあ
だんじょうばし
るんだけど,元々の弾正橋はここじゃないよね。東京は下町にも緑が多い。

 志演尊空神社。何て読むんだろ。たぶん,明治通りはこの神社の境内を削って,拡幅されたんじゃないのかねぇ。
志演尊空神社
 さらに歩くと砂町銀座。正確には,明治通りに交わる細い路地があって,そちらに砂町銀座の商店街があるっぽい。

● 小名木川。元々の形はとどめていない。人工運河の趣だ。その小名木川を越
小名木川
えると,ドッと人通りが増す。「きらめきの街」だ。西大島だ。


● 西大島駅(都営新宿線)のすぐそばの風景。道路(新大橋通り)を挟んで羅漢寺が立つ。
 このあたりで少し休みた
くなった。が,休むという踏ん切りがつかない。このまま歩き続けることにする。大げさにいえば,遭難しやすいタイプだな,オレ。

● 亀戸の中心街に近づいてきた。五之橋。上には首都高が走っている。
西大島駅の近く
 少し歩くと亀戸の中心街。言うまでもなく,この辺一帯の中心街。ぼくの目には大都会に映る。
 ただし,ここまでの印象をいうと,地方都市を歩いているような気分だ。宇都宮の大通りを歩いているのとさほど違わないような。
五之橋
 これだと,地方の人間が東京に出る場合,浅草を唯一の例外として,下町を目指すことはなさそうだ。自分が住んでいるところと空気がさほど違わないわけだから。やはり,銀座や新宿,渋谷,池袋に惹かれることになる。

亀戸は大都会
● 亀戸を過ぎると,また人がまばらになる。空気も違ってくる。
 亀戸香取神社がある。風格のある神社だ。貴重な空間といっていいだろう。こういうものを根こそぎ取っ払うってことはしないよね,日本人は。っていうか,たぶん日本人に限らないんでし
香取神社
ょうね。神は畏敬すべきものという感覚は身体の核にまで達している。


● 福神橋を渡ると,これより墨田区。江東区を縦断したってこってすな。
これより墨田区
 スカイツリーが近くに見える。いっさい,まった
く,なにも,関心はない・・・・・・。東京タワーと同様に電波塔であることは知っているが。

● このあたりが向島か。向島っていう地名は,どことなく郷愁をかき立てる。このエリアを歩いてみようと思ったのも,向島という地名に惹かれたからでもある。
 昔のたたずまいが残っているのじゃないか,時間がとまったような風景があるのじゃないか。しかし,東京ですからね。そういうことはあり得ない。東京じゃなくたって,ないやなぁ。
向島
 旅行者というか通行人が,いわゆる下町情緒というものを求めてはいけないと思う。あるのかもしれないけれども,求めてはいけない。何とはなしにそう思う。

● 京成曳舟駅を過ぎると,国道6号と交差。ここで新木場から辿ってきた明治通りを歩く旅(?)も終了。なんだかな,膝から下がジンジンしびれているぞ。歳かな。
6号線と交差する
 が,明治通りはこれで終わりだけれども,なおしばらくこの辺を歩いてみることにする。このあたりに,吉行淳之介さんの作品に登場する「鳩の街」があるはずだ。かつてのいわゆる色街。
 玉ノ井もある。こちらは永井荷風「墨東綺譚」で有名。滝田ゆう「寺島町奇譚」の舞台でもある。はるか昔に「墨東綺譚」は岩波文庫で,「寺島町奇譚」は旺文社文庫で読んだ。

● せっかく来たんだから,かつての色街跡を見ておきたい。とりあえず,東武鉄道の東向島駅(かつては玉ノ井駅)に行ってみた。
 「粋いき通り」というから,このあたりがかつての色街かと思ったんだけど,この先,「いろは通り」がそうらしい。
 でも,何となく「粋いき通り」で気がすんでしまった。「鳩の街」もここからほど近いんだけど,それもいいかな,と。通りや建物の様子は,先達(?)がネットに上げてくれているし。
 ぼくの興味の度合いはその程度のものだったらしい。3時間歩いて,疲れ気味だし。

● 売春防止法が施行される前に自分が壮年期だったら,こういうところに出入りしたろうか。この体たらくだと,たぶん行かなかったでしょうね。
 何というのか,身も心も小市民なんだよねぇ。自分でもイヤになるほど。

東武 亀戸線の電車
● というわけで,東向島駅から東武電車に乗ってしまうことにした。東向島からひと駅で曳舟。そこで降りて亀戸線のホーム(5番線)へ。
 盲腸線とはいえ,2両編成のワンマン運転ながら,10分起きに発着している。トロトロ運伝でも電車は速い。あっという間に亀戸に着いた。

● はい。以上でミッション終了。ここからはJRで帰ることにしましょ。
 その前に駅前の「リンガーハット」で遅い昼食。皿うどん。600円(+税)。長崎で食べた皿うどんはわりと鮮やかな色彩だった記憶があるんだけど,こんなものだったんだろうか。

2017年5月23日火曜日

2017.05.23 なにゆえ Think Pad に惹かれるのか

● ぼくのパソコン遍歴。
 富士通 FM-TOWNS Ⅱ Fresh 33万円
 NEC PC-9821La(98NOTE Aile) 38万円
 NEC LaVie NX LA 19万円
 NEC VersaPro(機種の詳細は忘れた) 11万円
 IBM Think Pad X31 5万円(中古)
 IBM Think Pad(Wシリーズのどれか) 4万円(中古) すぐに人にあげてしまった。
 レノボ Think Pad X61 4万円(中古)
 レノボ Think Pad X61 2万円(中古) つまり,同じものを買った。

● これ以外にも,hpの赤いネットブック(死語だなぁ)や白いネットブックを面白半分に買ったことがあったけど,普通に使ったのは上記のとおり。
 最初のTOWNSだけがデスクトップ。その頃,ノートは高くて手が出なかった記憶がある。最も長く使ったのはVersaPro。パームレストの塗装がはがれるまで使った。

● 10年前に出たThink Pad X61がぼくのメインマシンだ。っていうか,これしか持っていない。
 正確にいうと,マウスコンピューターのタブレットPC「WN891」もあるけど,常用はしていない。泊まりの旅行に持って行く程度。

● つまり,ある時期からずっとThinkPad。しかも,型落ちした中古品を買い続けている。メーカーにとっては決していい顧客ではない。

● どうしてThinkPadなのか。
 “りょう”の「大人の翼」のチラシが格好良かった。あ,これ,欲しいかもと思った。「535」のいかにも道具という無骨な形にも惹かれた。
 でも,当時のThinkPadは高嶺の花。MacintoshとThinkPadは憧れの対象で,手の届かないものだった。

● 東芝のテクラという対抗馬もあった。テクラもいかにも働く男の道具といった感じの,弁当箱のような形で良かったねぇ。今の東芝製品とはまるで違う。
 その点,ThinkPadはまだ当時の無骨さを残している。四角い箱的な。「X1 Carbon」になるとちょっと違ってくるけれど,他のXシリーズはかつての形をとどめていると思う。

● 漆黒のボディにトラックポイントの小さな赤が洒落ていると思った。最大のポイントはここかもしれない。外見に惚れたってこと。
 Windowsで動くんだから,基本,メーカーはどれでもいいんだけど,それでも格好いいと思えるパソコンを使いたい。

● キーボードが秀逸だということも聞いていた。「600」が最高だったと言われますな。
 それから,堅牢性にも秀でていると。ThinkPadなら安心だよ,というイメージ。

● それやこれやで,値段がこなれてきたThinkPadを,中古で買って使い続けている。かつて憧れた製品を(中古とはいえ)使えている。
 使い勝手には非常に満足している。たしかに堅牢だと思うし,X61のキーストロークの深さも心地いい。ここはThinkPadの独壇場ではなくなっているのかもしれないけど。
 惚れた外見に飽きることもない。ThinkPadの黒,しみじみいいなと思う。美人と結婚しても3日で飽きると言われるけれど,パソコンは外見第一でOKのようだ。

● 最新性能が欲しいとは思っていない。動画の編集なんてやらないんだから。テキスト入力ができて,YouTubeの動画が支障なく見られれば,充分だ。
 パソコンを持ち歩くことはないので,小型軽量にこだわる理由もない。だけど,据置きで使っていてもデカいのよりチッチャい方が愛着がわく。なので,X61くらいの大きさでいい。
 ただし,DVDを見ることもたまにあって,そういうときにはある程度ディスプレイが大きい方がいいなとも思う。
 そろそろ次が欲しいとも思っていてね。型落ちしたX260あたりになるかな。やはり,中古にするでしょうね。

● ところで。最近の,というかけっこう前からなんだが,ThinkPadにはひとつだけ不満がある。
 トラックポイントとタッチパッドの両方を付けているんだよね。タッチパッドを付けてしまうと,デザイン的に破綻するというか,うるさい印象になってしまうんだよなぁ。もう少し上手くまとめることができないものかねぇ。
 トラックポイントではできない操作が,タッチパッドでならできたりするんだろうけどね。

2017年5月21日日曜日

2017.05.21 人生の質は努力に比例するか?

● 人生の質は努力に比例するか? その人の能力に比例するか? 能力をどう捉えるかという問題はあるにしても,いずれもノーだろう。
 人生には「まさか」という坂がある。だれでも二度や三度はその「まさか」に遭遇する。「まさか」の前には個人の努力など屁のつっかい棒にもならない。

● 長期的な展望を持てなどと言う人もいる。中長期的な計画が好きな人もいる。そんなものは「まさか」が起これば,すべて雲散霧消してしまうだろう。だから,それはそういうのが好きなバカに任せておけばいい。

● そもそも,過去から現在までを延長して中長期を考えても仕方がない。その延長線上に未来はないからだ。
 Windowsが普及してMS-Officeが席巻していた頃に,今のネット状況を想定できた人はいないだろう。中長期を想定することは,常人には不可能だ。

● 人生は長いようでも目先の連続。目先良ければすべて良し。それ以外のことは考えても仕方がない(つい,考えてしまうんだが)。
 ならば,その日その日を面白おかしく過ごすために,それこそ努力をすべきなのだと,ぼくは思う。

2017.05.21 社長業ってじつは楽なのでは?

● 社長業とは分刻みのスケジュールに追われ,最後は自分が決断しなければならない孤独な仕事だと言われている。本当だろうかと,ぼくは疑っている。
 そんなに大変な仕事ならば,70歳を過ぎたジジイに務まるわけがないではないか。

● 社長業は楽なのである,おそらく。特に,サラリーマン社長っていのは,あれほど楽なパートはないのではないかと思っている。
 決断するといっても,ゼロからやるわけじゃない。社長はサイコロを振ればいいだけだ。下がそこまで仕上げて上げてくることが大半だろう。
 あるいは,サイの目がどっちに転んでも大差はないという場合が多いだろう。

● ならば,だ。家まで車が迎えに来てくれて,出社すれば幹部が頭を下げに来て,白いものを黒いと言っても,誰にも何も言われない,こんな楽な仕事があるわけがない。
 乞食と社長は3日やったらやめられない,というものではないのか,本当のところは。

● だから,社長を辞めても,会長だの相談役だのになりたがるバカが後を絶たない。それって,社長だったときの甘い蜜に味をしめた結果ではないのか。

● 中間管理職からナンバー2までは,きちんとやろうとするとかなりシンドイけれども,トップになってしまえば一気に楽になる。
 じつは,誰もそれを知っているから,トップになりたがるヤツが,これまた後を絶たないのであろうよ。

2017年5月19日金曜日

2017.05.19 「みやこ家」の“まぜそば”の正しい食べ方 2

● 先月24日に試してみた,「みやこ家」の“まぜそば”の上手な食べ方。
 1 “まぜそば”の他に半ライスを注文する。
 2 まず麺を食べる。
 3 残った具をご飯に載せてかっこむ。

● 今月の1日にも同じことをやってみて,これはいいわいと再確認した。そんでもって,今日も“まぜそば”(640円)+半ライス(100円)を注文した。

● まぜそば,以前は“油そば”といった。麺を食べると,底に油が残る。そこに味の元になるものがあるらしく,だんだん味が濃くなってくる。
 加えて,いくら混ぜても具(チャーシュー,メンマ)が残ってしまう。

● その残った具をご飯に載せて喰う。これが滅法うまい。はなはだ行儀は良くないけど,男めしって感じがする。「みやこ家」では男めしと謳ったメニューが他にあるんだけど,ホントの男めしはこっちだぞと言いたくなる。740円で二度美味しい。お試しあれ。

● ちなみに,上の写真で,麺の赤いところは唐辛子。もともと油があるので,ラー油ではなく唐辛子を推奨。ちなみに,相方はこの何倍もかけて辛くして食べるのが好きらしい。おまえは唐辛子を食べに来てるのか,と言いたい。
 ただ,「みやこ家」の唐辛子はあまり辛くない。韓国の唐辛子に近い感じがする。

● さて。それとは別に,“まぜそば”で試したみたい食べ方がもうひとつある。生卵を入れてよく混ぜて喰ってみたいんですよ。
 吉野家の牛丼でこれをやると,ググッと旨くなるんだけど,ご飯じゃないからちょっと水っぽくなってしまいますかねぇ。黄身だけを使った方がいいかね。とりあえず,試してみようかい。

2017年5月17日水曜日

2017.05.14 MacBook Airを使うお年寄り

● 宇都宮線の電車の中。ぼくより年上とおぼしき(70歳くらいか)の男性が,MacBook Airを開いていた。
 電車の中でパソコンを開いている人を見かけるのは,この辺でも珍しくはないけど,この年齢の男性が車内でパソコンを開くのは珍しい。ましてMac。

● すでに会社は引退して,悠々自適かと思われる人だから,会社がWindowsだからプライベートで使うのもWindowsという足かせからは自由になっているんだと思う。
 それでも,歳をとってからOSを移行するのは大変だったろう。ってか,前からMacを使っていたのか。

● でもさ,こういう風景を見ると,Macって浸透してるんだなぁと思うわけですよ。うちでも,息子はMacだったけど,あれはたぶん,格好つけでしかなかったと思うんですよね。
 大人であろうと年寄りであろうと,格好はつけたいんだよってことですか。となれば,今でもMacは格好つけるのに適したパソコンだということだね。

● ところが,最近はMacはシェアを落としているらしいんですよね。たとえば,こんな記事がある。
 Web解析のNet Applicationsによると,2016年12月の、PC向けOS市場におけるAppleのデスクトップおよびノートブック向けOS(以前はOS X,現在はmacOS)のシェアは6.1%でした。ここ最近でシェアのピークだった9.6%からはもちろん,前年同月の7%からも下がっています。
 もっとも,これはごく最近の動きであって,遠目に見れば,順調にシェアを増やしてきたようだ。上のような超短期間の動きは,新製品の発表があると変わったりするものでしょう。

● 書店のパソコン雑誌の棚を見ても,iPhoneとMacで埋まっている。AndroidやWindowsは影が薄い。シェアは今でも圧倒的にAndroidやWindowsのはずだけれども,アップル製品で喰っている出版業界人はけっこういそうだ。
 こういう状況だと,外から入ってくる情報は,アップル製品のものが多いわけで,それがまた実際にアップル製品が拡大する循環ができているのかもしれない。

● ぼくはWindowsを使い続けるつもりだけどね。進取の気性に乏しいタチでね。それをOSを買えてしまうと,スキャナとか周辺機器も取り替えないといけなくなるんでしょ。物入りになってしまう。それもイヤだな,と。
 スマホはしばらく使ってないんだけど,これもAndroidに復帰することになるだろう。短期間,iPhoneを使ったことがあるんだけど,何だかアップルの“囲い込み”たがる気配を感じてしまってね。

2017年5月14日日曜日

2017.05.14 Instagramを覗いてみた

● けっこう文具が好きなので,いくつかのトピック(ほぼ日手帳とかダイスキンとか)についてInstagramの投稿を眺めてみた。
 ダメだ,ぼくにはTwitterやFBとの違いがわからない。Instagramってキャンプションを付けた写真を投稿するSNSなんだよね。FBだって写真がメインで,文章はその添え物になっていることが多い。Instagramと同じじゃん。

● 実際に使ってみないと,違いは体感できないものなのか。そうなんでしょうね。
 ただひとつだけ感じたのは,他とつながるためではなく,個を発信するためのツールだなってこと。Instagramのユーザーは圧倒的に女子が多いようだ。女子って,こういうふうに自慢をしているのか。

● ただ,TwitterでもFBでも自分の投稿しか見ないっていう人がけっこういそうだ。他人の投稿は読まない,っていう。
 さすがにFBでは少ないかもしれないけれども,Twitterではわりといそうな気がする。だから,ここもInstagramだけの際だった特徴というわけではなさそうだ。

● Instagramに限らず,SNSはすべてそうなのかもしれないけれど,自分のガス抜きができることが,効用の第一にくるものだね。
 自分がなぜTwitterで囀っているのか。やっぱりガス抜きをしてるんだよね。他に何かを伝えるとか,情報を共有しようとか,そういうことじゃなくて。

● つまりは,私を見てっていう自己顕示欲求を満たすためにSNSはある。それがいいとか悪いとかじゃない。それは人間の自然な欲求だから。
 リアルの人間関係でも同じでしょ。自己顕示だけでは嫌われるという程度のことはみんなわかっているから,それだけに終始することはないとしても,“私を見て”が人間関係の核にあるものだ。
 SNSはそれを拡散してくれる。だから流行る。Instagramは比較的,それに特化したSNSなのだなと思った。

2017年5月13日土曜日

2017.05.13 インターパークのスターバックス

● かつて,喫茶店といえばチェーン店しかないような街には住みたくないと言った人がいた。ぼくも賛同した。そりゃそうだと思った。
 が,今は,スタバがあればいいじゃん,と思っている。

● 昔の喫茶店はダベるところだった。特にカップルが話をしたいときに使う場所だった。スタバは違う。個に対応している。そういう時代になった。
 ダベるなら,音声言語によらずとも,LINEもFacebookもある。それでかなりのところまでは足りてしまう。

● いや,大人になると,喫茶店ではなく酒場でダベるようになる。ダベる場としての喫茶店への依存度が大きく下がる。
 それゆえ,スタバがあればいいじゃん,と思うようになったのかもしれない。ま,その酒場にもあまり行かない年齢になってしまったのではあるけれど。

● ところで,そのスタバ。二色に分かれてきたような気がする。ひとつは,以前からあるスタバ。入る前に空席はあるかなと確認しなければならないスタバっていうか,混んでて活気があるスタバ。
 もうひとつは,ゆったりと席を配しているスタバ。席間距離があるというか,空間を贅沢に使っているというか。

● インターパークのスタバは後者に属する。スタバにしてはわりと空いているのもいい(たまたま,ぼくが行く時間帯にはそうだというだけかもしれない)。
 空間を贅沢に使ってくれていると,こちらも贅沢してるなっていう気分になれる。

来週からお目見えする(試供品)
● が,そうなると,お客の店内滞在時間が長くなり,店としては困るのではないかとも思うんだけどね。テイクアウトする人も多くて,意外にそうでもないんですかねぇ。
 ともあれ,ここでのスタバ時間は嬉しいものだ。コーヒーフラペチーノを啜って,好きなだけボーッとする。あるいは,空想に浸る。

● 隣には二人組の女子中学生。コーヒーとスコーンか何かで昼食にしていた。たぶん,千円くらいかな。
 親と一緒ではなく,友だちと一緒。彼女たちにはタマのそれこそ贅沢なのかもしれない。羨ましい。

2017年5月11日木曜日

2017.05.11 平日に田舎を歩いてみると 2

● 田舎の何でもないところにも「美」はある。右の写真は地元の住宅地にあった「美」。花をはじめ,植物の力を借りているのが多い。花ってやっぱりわかりやすいからな。

● 「美」にはたぶん無限の多様性があると思うんだけど,わざわざそれを求めて遠くに行かなくても,きっと近場にもハッとさせるものがあるんだよね。
 それを感知できるかどうかは,こっちのアンテナ次第だろうけど。同じ風景を明日は「美」とは感じないかもしれない。
 だから,厳密にいえば,毎日見ているものも,そのときそのときの一期一会ということになるんでしょうね。

● という言い方は,それはその通りだとしても,少し浅いよなぁ。無限の多様性がある「美」の中に,自分にフィットするものとそうでないものがある。フィットするものを求めて,遠くに出かけることは当然ありなわけで。
 人間の感覚というのはかなりいい加減なもので,美感にも希少性が混じり込んでしまう。近場でいつでも見ることができるものには,価値を感じないっていう。つまり,「美」と思わなくなる。

● それ以前に,人は一ヶ所にとどまっていることに,苦痛を感じるようにできている。それを苦痛と感じなくなったら,これははっきり生命力が枯渇してきたってことでしょう。
 ありていにいえば,歳を取って脳の働きが弱くなってきたんだろうと思わなければいけない。

● それでも。近場に注目せよ。

2017.05.11 平日に田舎を歩いてみると

● 右の写真は宝積寺駅近くの並木。ずいぶん育ってきた。
 下の写真の花を付けているのを植樹したのは,当時の地元の保育園児らしい。もう高校生くらいにはなっているのかな。
 そんなに昔のことではないんだけど,往事茫々の感がある。

● スルスルと月日が過ぎた。楽しいことも大変なこともあった。体感では後者がずっと多かった。誰しもそうだろうけど(自分なんか楽な人生だったろう)。
 それでも,すべてがボーッと霞んで,往事茫々としている。もうすぐ死ぬのか,オレ。

● 若い頃はたえて思うことがなかった。自然のほとんどは自分が死んだ後もそのまま残っているということ。川の水はサラサラと流れ,太陽は東から昇り西に沈む。雲は茜色に染まって,見る人を感動させる。
 人工物の多くもそうだ。毎日通っている道路や橋も(修理を重ねながらだろうけど),自分がこの世から消えた後も,便利な暮らしを支え続ける。

● 若いときは世俗的な成功を夢見たこともあった。たんまりお金があって,働かなくてもいい後半生になればいいのになぁ,なんぞと。株でひと儲け企んでみるか,なんぞと。
 しかし,今は思う。人間,70歳になり80歳になってみれば,大企業の社長になろうが,官界を極めて事務次官に登りつめようが,役者を目指しながらうまくいかず,喰うや喰わずの暮らしを続けてこようが,そんなものはしょせん大したことじゃなかった,と思うのではなかろうか。

● 棺桶に片足を突っ込んだときに,やって後悔したことを悔やむことはない,やらずに終わったことを悔やむものだ,などとも言われるが,怪しいものだ。
 本当にそうだろうか。やらずにすませたことも,仕方がなかったんだよ,で済ませられる境地になっているのじゃないか。どうもそんな気がするんだが。

● 人の一生なんて短いものだ。やりたかったことを全部やってみることなんてできっこないわな。
 と考えてしまうのは,じつは歳を取ったからではなくて,若干気持ちが弱っているからなんだけどね。今日はやっとのこと,外に出てみたような次第でね。

2017.05.11 Facebook疲れ?

● 自分のことではないんですよ。若い人たちのFacebook離れが進んでいるっていうのは,だいぶ前から言われていて,ぼくがFBを使い始めたのは1年半ほど前なんだけど,その頃にはもうだいぶ進行していたと思う。
 その前にFB疲れということも言われていましたね。先日もFBが頭打ちになっているという記事に接した。

● ぼくはTwitterとFBをほぼ同時に使い始めた。で,思うのは,FBがなくなっても痛痒は感じないけれど,Twitterには残ってほしい,ということだ。
 Twitterで気軽につぶやき,まとまったものにしたいときにはブログを使えばすむ。

● Twitterには140字という制約があるといわれる。けど,FBでも140字を超える投稿はあまりない。むしろ,140字を超えると億劫がって読まない人が多いのじゃないかと思ったりもする。
 つまり,140字は制約じゃない。充分に広い。ほとんどの人はスマホでやっているんだろうから,そんなに長い文章は打てないわけでね。

● FBには向かない投稿というのもありそうだ。意見表明的なものはだいたいそうじゃないかと思う。和を乱す,無用に空気をかき乱す的な受け取られ方をすることが多いはずだ。
 つまり,FBって村社会をそのままネット化したものという側面がわりかし強いという印象がある。限られた「友だち」どうしで「いいね!」をやり取りして,それで完結している。閉じている。閉鎖的な空間。

● どうしてそうなるかといえば,理由は非常にハッキリしている。それがFBというものだからだ。
 FBの肝は“つながる”にある。“つながる”を持ちこめば,そのつながりを揺さぶるものは,排除の対象になる。とは言わないまでも,忌避の対象にはなる。
 絆は束縛の別名でもある。ぼくらにまず必要なのは,絆じゃなくて,孤に耐え得る耐性の方だろう。それを持たないやつが絆を求めると,ろくなことにならない。そうしてできた絆やつながりは,醜さの別名にもなる。

● 「友だち」って5,000人まで登録できるんだったかな。けれども,いくらネットでの交流とはいえ(あるは,ネットだからこそ),そんな数を捌けるはずはない。普段交流する人だけの「リスト」を作って,自分のタイムラインに流れてくる情報量を大幅に制限しているはずだ。
 となると,FBの「友だち」というのも,ゴミの集合体に過ぎなかったりするのではないか。ぼくの場合は違うけどね。なにせ「友だち」は9人しかいないんだから。

● FBをやるときに大事なのは,自分の投稿を広く拡散させたいと思うあまり,「友だち」をむやみに増やさないことでしょうね。FBって個対個のコミュニケーションに向くSNSなんだから。
 特に,政治家(県会議員とか首長とか)を入れないこと。これは大事だと思いますよ。

● ときどき,出会い系の女性から友だち申請があったりするしね。こういうところも,FBの煩わしさのひとつ。あからさまにそれとわかる広告もあるし。
 というわけで,Twitterの方が風通しが良くていいかなぁと思っている。

● ところで,若い人たち(特に娘たち)はFBから逃げ出してどこに行くのかというと,Instagramらしい。忌々しいことに,FBとInstagramは同じ会社が運営しているんだねぇ。
 ぼくはInstagramの世界には興味がない。というか,若者はオッサンやジジイを嫌ってFBを逃げ出したのに,それを追いかけちゃいけないや。
 大昔から世代間の棲み分けはあった。SNSでもそれがあって当然だ。世代間で協力し合わなければというのは,それ自体が年寄りに都合のいい話であって,若者にしたらとんでもないことだろう。
 若者の自由は尊重しないと,ぼくらの未来がなくなってしまう。

2017年5月7日日曜日

2017.05.07 新橋の「味の時計台」

● 新橋の「味の時計台」で味噌ラーメンを食す。相方は昨日も一人で来たらしい。甘めの味噌がとてもいい,というんだけど。

● 従業員はほぼ全員が台湾とかの中国系。かなり前からだ。
 今どきは,それがあたりまえになっているねぇ。しかも,それで別段,支障はない。日本の大衆店のサービスは維持されている。

● 「味の時計台」は昔は宇都宮にもあって(4号線沿い),小さかった息子を連れてしばしば行っていた。その頃から相方はアジトケが好きだった。母親が好きなものは子供も好むから,息子もアジトケのファンだった。

● が,撤退してしまってだいぶになる。撤退した理由はお客が減ったことだろう。隣に「石焼らーめん火山」がオープンしたことが大きかったかな。
 その「火山」も今はない。

● この業界の栄枯盛衰はめまぐるしい。理由は2つあると思う。
 ひとつは,お客に飽きられるということ。まったく変えないでいると,お客は飽きる。その速度はかなりのものだ。
 昭和50年頃までは外で食べること自体が非日常だった。ハレがましいイベントだった。特に田舎においてはそうだった。その頃は不味くてもお客は受け入れていた。家の食事はもっと粗末だったからだ。

● が,今はそうじゃない。たとえば冷凍食品ひとつ取っても,とんでもなく旨くなっている。外で食べる食事が不味かったら話にならない。旨いのは最低限。
 旨いのがあたりまえだ。あたりまえは飽きやすいものだ。

● もうひとつは,この世界は微差が大差だということ。わずかな差が勝負を分ける。旨いというあたりまえの中のわずかな差。
 その微差をかぎ分けて,お客は一斉に移動する。サーッと去って,別のところに群がる。

● とはいえ。宇都宮の「味の時計台」はなくなったけれども,「味の時計台」はそちこちにある。たしか那覇にもあった。
 「火山」も4号線沿いの店がなくなっただけで,県内に何店舗もある。

● で,新橋の「味の時計台」なんだけど。シコシコ麺で噛みごたえもいい。汁も独特だ。つまり,自分の立ち位置はしっかりと確保している。
 それは認める。認めるんだけれどもね。

2017年5月6日土曜日

2017.05.06 夜,再び銀座を歩く

● 世界の銀座。っていうか,中華の銀座になっていたと思うんだけど,最近は中国語が聞こえなくなっている。中国人が減った。
 正直に言う。これ,かなりありがたい。銀座を銀座たらしめている多くの商業施設では,売上げに響いて大変かもしれない。だけど,中国語が聞こえてこない銀座は歩きやすい。

● 夜の銀座を特徴づけるものは,ソシアルビルに入居している飲み屋(銀座ではクラブとも言われている)の看板群と中央通りのネオンだ。前者については,自分が何らかの関わりを持つことはないと思っているので,後者に惹かれる。
 新宿でも池袋でも渋谷でもない銀座のネオン。もちろん,圧倒的な華やぎがあるわけだけれども,どこかホッとさせるものがある。

● ただ,これでホッとするのは,ぼくが部外者だからだろう。この街を住み処にしている人はそんなにいないだろうけど,仕事場が銀座だという人はたくさんいる。
 そういう人たちにとっては,ひょっとしたらこのネオンは忌まわしいものかもしれない。

● この街には黄金週間など関係ない。仕事が終わって飲んできたとおぼしき男女のグループがいる。普段と変わりない。
 ここで働く人たちの多くにとっては,黄金週間はかき入れ時だろう。金融機関に勤める人たちくらいではないか。黄金週間は銀座にいないというのは。

● これって銀座に限らない。都市では人が休むときに,休んでいる人たちを相手に稼ぐというパターンが多くなる。対人サービスを業とする以上,そういうことになる。
 ぼくも近くのホテルに泊まっているわけだが,ホテルはこの時期が稼ぎどき。鉄道やバス会社,旅行代理店もそうだ。警察もそうだね。
 田舎は田舎で,この時期に田植えをすることが多いから,黄金週間を満喫できる人っていうのは,工場労働者と対人サービスを業としない会社や役所に勤めている人たちに限られる。

● その割合ってどのくらいなんだろう。帰省ラッシュやUターンラッシュが報じられるけれど,それを演出している人たちで全国民のどのくらいいるんだろうなぁ。意外に少ないんじゃないかとも思うんだけど。
 銀座を歩いていると,そんなことを考える。

● 3丁目まで歩いて新橋に戻る。SL広場で体育座りをして,たむろっている人たちを眺めていると,1時間でも2時間でも過ごせそうだ。昼間の夏さながらのジリジリするような暑さが遠のいて,ちょうどいい気温とかすかな風があったせいもある。
 若者たちが多いね,ここは。やはり黄金週間なんて関係ない風情だな。

● 心休まる雑踏だ。新橋の空気はいいなぁ。飾り気がないというか,律儀に普通に生きている人たちが,少しだけハメを外して盛りあがっているという感じがねぇ。
 結婚式の二次会の帰りなのか,これからキャバクラに出勤するのかわからない格好で歩いている4人組の女性がいる。こういうのも光景に溶けこんでいる。悪くない。
 ホテルのラウンジで飲んでいるより,この辺の飲み屋で一杯やりたいものだ。たぶん,ホテルで飲むより旨さを感じるに違いない。

● ついでに,次は竹芝桟橋の待合室。出港を待つ人たちでそれなりの賑わい。
 外人が数人,自転車の輪行袋を抱えた若者がやはり数人いたけれど,ほとんどは島に帰る人たちだろう。
 そう思って彼らの顔つきや所作を見たところで,彼らに特有の何かが見つかるわけでもないんだが。

2017.05.06 シェラトン都ホテルからインターコンチネンタル東京ベイへ

● さぁて,黄金週間も今日を入れてあと2日だ。安逸を貪る時間はスルスルと過ぎてしまう。どうあがいてみても,スルスルと過ぎるんだから,楽しまなきゃね。
 2日経ったあとのことを先取りして憂鬱になるのは,一番バカらしいことだよね。そのバカらしいことに陥りがちな人は,けっして少なくないと思うんだけどさ。ぼくもたぶんにその気があるもので。

● シェラトン都ホテルのラウンジは静かでゆったりしている。かなり居心地のいい空間になっている。だから,ここで長く過ごす人がいる。
 パソコンをラウンジに持ちこむ人が,わりといるんだね。外国人にも。で,ずっとパソコンをいじっている。何をしているのかは知らないけど。
 そういう人って,飲み物や食べ物に走らない。ペットボトルの水くらいしか持ってこない。

● ぼく,それはやらないことにしている。部屋でやればすむことだからね。
 部屋でもできることをラウンジでやって,座席を占有するっていうのには抵抗がある。ちょっと気取りすぎですか。

● 一昨日と昨日で,ホテルの近くはだいたい歩いた感あり。朝食後は,部屋で過ごした。パソコンで映画を見たり。
 せっかく東京にいるのに,自宅でもできることをやるってのも何なんだかなぁと思いつつ。

● チェックアウト前に次はいつ来れるかわからないラウンジに別れを惜しみに行った。かっこよく言えば,アフタヌーンティーを楽しんだ。
 宿泊費は3万5千円程度だった。もちろん,2人でこの料金だ。これでラウンジが使えるわけだから,かなり安いといっていいだろう。
 願わくば,このままの静謐さを維持したラウンジであってもらいたい。

● さて。では竹芝のインターコンチネンタルに移ることにする。ホテルの送迎バスで目黒駅へ。山手線で浜松町。そこからはインターコンチネンタルの送迎バスでホテルへ。
 チェックインができる時刻までけっこうあったので,「ゆりかもめ」の1日乗車券を買って,銀座に出た

● チェックインがてら,ラウンジでアフタヌーンティーのサービス。これは前回(だいぶ前になるが)はなかったもの。
 このホテルのラウンジはシェラトン都とは違って,混んでいる。別の言い方をすると人気がある。その理由はおそらく,未就学児のラウンジ使用料を無料にしていることだ。小さい子供がいる夫婦にしてみれば,トータルでかなり格安になる。したがって,そうした家族連れで溢れるようになった。
 ぼくらがこのホテルを敬遠するようになったのは,ひとえにそれが理由だ。おそらく,ぼくらだけではないだろう。

● しかし,ここをどう捉えるか。そこは,当然,ホテル側の考えがあるだろう。極端な話,小さな子供たちに利用してもらえれば,彼らが成長したあとに来てもらえると考えるかもしれない。未来のお客だ。
 そこはこちら側が口をさし挟むことではない。いいも悪いもない。

● では,3泊目をこのホテルに変えた理由は何かというと,ひとつは懐かしさ。相方に言わせると,お台場に近い立地も魅力。高層階にあるラウンジや部屋からの眺望。
 それと,ラウンジの様子が変わっているか,相変わらずか。そこを確認したい,という。

● そのラウンジ,満席で入れなかった。部屋に戻って連絡を待つことに。ほどなくして,空きましたよとの連絡があった。
 ハイボールを3杯飲んだ。どうしたって,先ほどまでいたシェラトン都と比較してしまう。供される料理の原価がだいぶ抑えられている。黄金週間中だからなのかもしれないんだけど,エビチリがイカチリに変わってた。

インターコンチネンタルの点景
● 天に唾する物言いをすれば,お客さんの大衆性が濃い。食台に料理を取りに群がる様は,まるでバーゲン会場だ。もちろん,ぼくらもそれに寄与しているわけだが。
 救いはスタッフのフレンドリーさ。それから,相方によれば,シェラトン都より勝っているところもある。
 1 パンとジャムはこちらの方が旨い
 2 オレンジジュースはこちらの方が濃い
 ぼくからもひとつ。
 3 酒の種類は,こちらの方が豊富だ

● 入浴の快適さを求めるならば,やはりこちらに軍配が上がる。浴槽が大きい。シャワーブースがある。バス用ソルトを相方は気に入っているらしい。
 銀座が好きな人は,断然こちらを選ぶだろう。立地の問題だ。

2017.05.06 GINZA SIXに行ってみた

● 4月20日に松坂屋跡地にオープンしたGINZA SIXに行ってみた。俺らが行っちゃいけないところだよな,と相方に語りつつ。
 大変な賑わい。まっすぐ歩くことなどできない。ゆっくり見て歩くのも厳しい。とりあえず,エスカレーターで6階まで上がった。ひと目で草間彌生作とわかる風船が吊下げられていた。

● 7~12階はオフィスフロアなので,ここから先はエレベーターで13階に行く。13階はレストラン街。その上が屋上。
 で,そのエレベーターが15分待ち。もちろん,待てませんわね。ディズニーランドじゃないんだから。

● 6階は蔦屋書店といくつかのレストラン。飲食店をざっと見る。さすがは銀座。ぼくらが食べれそうなのは,ギリギリ1,800円の天丼くらい。
 あ,あと「きわ味」という店のランチには千円のメニューがあった。「The NICK STOCK」はパブっぽい店。LION並みの値段だから,ここも何とかなるか。
 それ以外はぼくらには無縁なところだと思った。

● 鉄板焼きの店は表に出ていたのは5,800円の鮑コースと7,800円の伊勢エビコース。安いのかもしれないんだけどね。
 厨房にいるのは若い男の子ばかり。年季を重ねた職人といった風情の人はいない。ひょっとして鉄板焼きってのは,年季などなくても問題ないのか
もしれない。いくつかのツボというかコツがあって,そこさえ押さえておけば,客に供しても恥ずかしくないものができるのかもねぇ。

● なんだけど,どこもお客さんがびっしりと入っているんだよねぇ。
 ここにいる人たちって,たとえば教養が豊かだとか,経済的に恵まれているとか,そういう感じは受けないんだけどね。
 どこにでもある雑踏がそのまま入りこんでいるっていう印象なんだけどなぁ。

● 蔦屋書店にはアート関係の書籍しか置いていない。あとは文芸と一部の雑誌,それと文具。
 その文具も高級品のみ。450万円の万年筆があった。見間違いではなく,450万円だったと思う。
 中屋万年筆(プラチナの別系統?)の品揃えが豊富。蒔絵が施してあったり,ほとんど工芸品。

● こういうものを普段使いする人なんているんだろうか。ひょっとして,飾っておく,あるいは時々眺めて楽しむために買うのかね。
 だったら,飾っておく場所が自宅である必要はない。こうしてお店が飾っておいてくれるんだから,見たくなったら店に来ればいい。首都圏に住んでいる人なら,さしたる手間でもないだろう。
 今どき,所有にこだわる理由は何もない。土地や家屋に限らず,すべてのモノに対していえることだ。

● ファーバーカステル社の「パーフェクトペンシル」の現物も初めて見た。ただし,伯爵コレクションではなく,普及版の方。伯爵コレクションはレアものになっている?

● 洗練された陳列。どうせ買うなら蔦屋で買いたいと思わせる魅力はたしかにあった。
 しかし,ぼくには無縁な世界。1RでKO負けを喫した気分。でも,ときどきは目の保養に来るかもしれない。

中央通り
● 今日の東京は夏さながらの暑さ。何だか短時間で疲れてしまった。
 中央通りから並木通りに避難する。夜の並木通りは知らないけれど,昼間の並木通りはグッと人が少なくなるので,楽に呼吸できる気分になる。
並木通り
 でも,さっさと新橋に逃げたくなった。銀座でこういう気分になったのは,たぶん初めてだと思うんだが。