2018年1月21日日曜日

2018.01.21 死ぬ前に自宅を処分しておかないと

● ホテルに住むのは憧れだけれども,経済的に問題にならない。では,ウィークリーマンションならどうかと,少しググって調べている。結論は,年金暮らしにはけっこうきついかなといったあたり。

● なぜそんなことを調べているのかといえば,今住んでいる自宅を処分しなければと思っているからだ。
ぼくら夫婦がいなくなれば,住む人がいなくなる。空き家になってしまう。そうなると近隣に迷惑をかけることになる。
 子供がいなければ当然として,いても彼(彼女)がこの家に住む可能性は皆無だろう。たいていのご家庭ではそうではないか。

● 今の子供たちが大人になる頃は,日本以外のどこかを終の棲家にするのが珍しくない時代になっているかもしれない。
 子孫にとって土地家屋を残されるのは迷惑でしかない時代になった。土地家屋は,子々孫々に伝えていく価値を持たないものになった。

● 土地を購入し,家を建ててしまったことを,今となっては少々以上に悔いているんだけれど,今更それを言っても仕方がない。
 できれば生前に処分したい。こういう時代だからいくらにもならないだろうけど,ここをキチッとしないで死んでいくのは無責任だと思う。

● 処分したあとはアパート住まいというのが順当だけど,もっと気楽な方法はないかなと思ったわけ。

2018年1月20日土曜日

2018.01.20 256GBのmicroSDカードを購入

● Sandiskの256GBのmicroSDカードをヤフオクで購入。4,200円。WALKMANに入れて使うつもり。
現在,WALKMANに入っている128GBはChromebookに挿そう。
 いや,Chromebookに128GBは要らないな。WinのタブレットPCに挿さっている64GBを持ってくればいいかな。組み合わせに迷う。

● にしても,microSDに256GBも保存できるって,どうなってるんだよと思いますねぇ。
 少し前のハードディスクの容量ですよ。っていうか,ぼくが使っているバックアップ用のハードディスクの容量は320GBなんですよ。

● USBメモリも同じ。先日,相方から「これ,使えば」って128GBを渡されたんだけど,もてあましてしまう。
 USBに入れとくのはワーキングメモリというか,フロー状態のファイルに限っている。ぼくの場合だと1GBで充分なんですよね。

● がんがん使っていかないと,あっという間に10分の1の値段で買えるようになりますからね。ある意味,時間との勝負ですなぁ。

● パソコンといえばNECの“98”だった頃は,ハードディスクの価格が“1MB=1万円”と言われてましたよ。それで計算すれば,今のパソコンは100億円ですわね。
 それを今は子供でもあたりまえに使っている。技術の進歩ってこういうことなんですよね。

2018年1月18日木曜日

2018.01.18 バレンタインデー

● クリスマスが終わったら正月商戦。正月が終わると,ぐっと規模は小さくなるけど,バレンタインデーと恵方巻。
 地元のスーパーでも,特設コーナーがすでにできている。

● バレンタインデーって廃れないね。もう半世紀は続いているよね。チョコレートだからこそでしょうねぇ。
 この日だけは女性から告白してもいい日。そういうことだったんですよね。となれば,もう廃れててもいいはずなんだよねぇ。女性から告白することの稀少性というのか,珍しさっていうのは,もうなくなっていると思うんだけどね。
 どうやって告白させるかと面倒なことに気持ちを砕くより,自分から告白しちゃった方が早いと考える女子が増えてたりはしないんだろうか。

● ぼくのような者でも甘酸っぱい記憶がなくはない。が,残念ながらバレンタインデーには縁がない歳になった。
 だから言うわけじゃないんだけど,義理チョコっていうのだけ,やめてもらえるとありがたいかなぁ。たぶん,マーケットは義理の方が大きいと思うんだけどね。
 義理でもらったチョコって,みんなどうしてるんだろうか。家に持って帰って家族で食べる? 奥さんがカレーを作るときに使う?

● 女性の側もやめたいと思ってるんじゃないか。やめようよ。あれはバカバカしいよ。ホワイトデーもまったく余計。
 ああいうことで職場がザワザワするって,あんまり好きじゃないんだよなぁ。

● 業界にすればね,ここで売らないと。誰かが仕掛けたものなのか,ひょんなことから広まったものなのかは知らないけれど,商業史に特筆大書されるべき,傑出したビジネスモデルであることは間違いない。
 もし,特定の誰かが仕掛けたものだとするならば,その人がどんな人だったのか知りたいものだね。

2018.01.18 ネットの方がかえって変化が少ない

● FBでは何人かをフォローしてはやめるということを繰り返しているんだけど,ずっとフォローしているのは成毛眞さん。
 その成毛さんが「毎日一定時間FBにアクセスしているのだが,毎日同じような投稿ばかりで飽きてくる。自分だけでも新しいことをしないとSNSを見限ってしまいそうだ」と書いていた。「ネットの方がかえって変化が少ないのかもしれない」,とも(ただし,この投稿はすぐに削除された)。

● こういうことを考える資格があるのは,ネットユーザーの中でも一部のエリートに限られるかもしれない。ぼくがこういうことを言いだすと,おまえこそ「毎日同じような投稿ばかり」しているじゃないかと言われるだろう。
 しかし,ネットの方が変化が少ない,という指摘は,本質をついているように思えてハッとした。

● ネットのテクノロジーや仕組みはどんどん変わってきた。ホームページ→ブログ→SNS。それに伴って,参入障壁がどんどん低くなり,今やネットはほぼ完全に大衆化された。なんせ,ぼくがやっているくらいだから。
 それはイコール,「毎日同じような投稿ばかり」になる過程でもあった。自分のことを棚にあげていえば,大衆が生みだすものって,徹底的につまらない。というより,何も生みだせていない。
 だから,SNSはゴミの山になる。あるいは,不毛な論争(といって褒めすぎだ。口喧嘩と言い直そう)の堆積場になる。

● 大衆の一部が,たとえば東日本大震災のときに,多くの人がTwitterで情報を提供し,貴重な生命が救われたとか,Twitter上に鎮魂の思いが溢れているとか,自画自讃的なことを言いだし,多くの大衆がそれに追随した。
 事実は少し(というか,だいぶ)違ったと思うんだけど,それは別の人がすでに検討しているので,ここでイチイチは言わない。ぼくは,結果として,Twitterは被災地の足を引っぱったと思っている。有事の際は,SNSは流言飛語の温床になるだろう。

● ネットはこれからも変わっていくだろう。TwitterやFBがいつまであるかもわからない。自分のツイートのすべてが,ある日,忽然と消えてしまうことがあるかもしれない。自分のログはSNSというクラウドにあるから安心だと思っていると,手痛いしっぺ返しを受けることになるかも。
 ともかく,ネットはこれからもどんどん変わっていくだろう。大衆化というレベルを超えて,道路や上下水道と同じように,何人もそれなしでは生きていけないインフラになっていくだろう。
 選挙もネットで可能になるだろうし,市役所や町役場の機能のほとんどはネットに移行するかもしれない。印鑑証明も住民票もネットから引きだす。いや,引きだす必要すらなくなって,電子の状態で相手方に渡せるようになるのだろう。

● ネットはこれからも生活を変えていく。それは間違いないと思うし,そうなればネットを使うことは基本的なというより初歩的なリテラシーになる。今以上に誰もが使うものになる。ネットは紙と鉛筆になる。
 が,そうなったからといって,紙と鉛筆の使い手の水準があがるわけではない。SNSがゴミ情報と口喧嘩と流言飛語のたまり場になれば,そしてそれがいつまでも変わらないとすれば,心ある人たちがそっとそこを立ち去ることは,必然的な流れのようにも思われる。

2018年1月16日火曜日

2018.01.16 SNSは是か非か

● IT企業の企画分野で活躍している人の中には,FBへの投稿を頻繁に行っている人がいる。FBの場合,あまり頻繁だと嫌われるとも言われるのだが,そんなものは意に介さず,利用しまくっているという印象。FBを心覚えのためのメモ帳がわりにしている。
 そういう人の場合,内容も多岐にわたる。企画マンってこういうものかという実例のひとつ。

● Twitterのフォロー先も同様に多彩。オピニオンリーダーと目される言論人,報道機関,出版社,アルファブロガーは言うに及ばず,芸能人やお笑いタレント,政治家,同業者などなど。彼(彼女)とは政治的意見や人生観を異にするであろう人たちをもフォローしている。
 SNSからカンファタブルを得ようとしているのではなく,情報収集あるいは考えるキッカケを得たいということだろう。その動機が徹底して貫かれている印象。戦略的にSNSを使っているという感じに映る。
 パンピーは(もちろん,ぼくもその中のひとり),情報収集っていうと“お勉強”を想定してしまうのではないだろうか。彼らの情報収集は勉強といえば勉強のためだろうけど,いわゆる“お勉強”は考えていない(ように見える)。

● 一方,今,藤原智美さんのエッセイ集『あなたがスマホを見ているとき スマホもあなたを見ている』を読んでいるんだけど,藤原さんはSNSをやめたという。
 どちらが賢明なのかはよくわからない。道によって賢しってこともあるだろうしね。

● 自分はSNSを始めてそろそろ2年。面白くて仕方がない時期かもしれない。FBは取りあげられてもいいけれども,Twitterは手放せない感じかな。
 いや,それ以前に“スマホを使いこなしている感”に溺れているのかも。以前はスマホのカメラを使うことはあまりなかったんだけど,今は最も使うのがこの機能になっている。Twitterに載せるために写真を撮るからだ。

● 基本的にはこの趨勢に付いていくべきだと思っている。だいぶ遅れてしまったランナーだけど。昔は良かった的な復古主義の罠に落ちないようにしたいと思っている。

● が,SNSが自分の生活全体に占める割合は圧縮しなければいけないとも思っている。ダラダラとやってしまうんだよね。これまたパンピーはだいたいそうだろうと思うんだけど。ダラダラを切り捨てないとね。
 ところが,ダラダラさせるのはSNSの本質のようにも思えてね。なかなか難しいね。

2018年1月15日月曜日

2018.01.15 韓国のテイタラク

● 右は今日の読売新聞。日本で韓国不信者が増えているという記事。例の従軍慰安婦をめぐる二国合意の履行に関する問題。

● これ,当然だよね。国家間で約束したことを,国民の合意が得られないから実行しないというのでは,国家たる資格がないもん。
 国民を説得するのが政府の仕事だし,説得できなくてもリスクを背負って約束を履行するのが筋というものだ。

● 履行できないのは韓国の国内問題であって,それを理由に再交渉などあり得ない。かの国の為政者は恥ということを知らないんだろうかと思ってしまうよねぇ。
 韓国人の政治センスにも疑問符をつけたくなる。この時期にどうしてこういう大統領を選んでしまうのか。

● 日本でも目先しか見ない人が有権者の多数を占める。それは仕方のないことで,民主主義のコストのひとつに数えるべきものだ。慌てて付け加えておくけれども,自分もまた目先しか見えない人間であることを自覚している。
 が,そうだとしても,日本人は選挙のたびに安倍政権の継続を選択してきた。最良の選択を継続してきたと言える。

● 対して,韓国人は何を考えて現大統領を選んでしまったのか。No!と言えない大統領という印象があるんだが。または,八方美人。韓国はかくあるべしという国家観もなければ,身を捨てる覚悟もないように見える。国家元首になってなお,他国の元首に気に入られようというそれだけで動いているように思える。
 あらかたの人間はそうなのだが,そういう人間はリーダーになってはいけないのだ。リーダーになってはいけない人間を大統領にしてはダメだろう(といっても,日本人も鳩山由紀夫を首相にしちゃってるんだけどさ)。

● ただね,韓国からすれば,日本は自国のすぐ東側にそびえる巨大な壁だ。相当に鬱陶しいだろう。
 対日貿易赤字を考えれば,ウリナラはイルボンの植民地なのかと感じることもあるだろう。ストレスが溜まるだろうなとは思うんだけどね。
 だから,従軍慰安婦の問題で常軌を逸した振る舞いに及ぶのも,一種のガス抜きだと大目に見てやるのが,大人の態度ではあるのかもしれないんだけどさ。

● 北朝鮮に対しては圧力重視というのも当然。日本国民はまともなんだと思う。
 対話で解決できる問題は,解決する必要のない問題に限られる。努力でどうにかできるものは,どうにかする必要のないものに限られる,というのと同断。

2018年1月14日日曜日

2018.01.14 貧乏人のサガ 2

● 午前中,相方と地元のスーパー「とりせん」に行った。米がなくなったし,夜は鍋にしたいから白菜も買わなきゃ,というわけで。
 でも,昨夜も福田屋に行っているんですよ。福田屋で買っておけばよかったのに。

● 「とりせん」では日曜日の午前中(10:30まで)に日曜市を開催している。全品1割引き。
 時間をおしまないで,少しでも安く買おうとすると,福田屋で半額になっていないものは,明日,地元のスーパーで買った方が安い,って発想になる。

● 時間よりも“少しでも安い”が価値が上っていうこと。時間を惜しむことを憶えなさい,って言われそうなんだけど,そうせざるを得ない環境に置かれれば,教えられなくてもそうするはずだ。時間を惜しむ必要のない境遇だから,“少しでも安い”に惹かれるのだ。
 逆にいうと,そういう人に時間を惜しめと言ってみたところで,効果はない。

● 不思議なことに,そういう人(ぼくらのことだけど)も自分は暇だとは思っていない。忙しいと思っている。実際,わりとアタフタしていたりする。
 このあたりが,人の器量ということかもしれないね。器量というかキャパシティーが現れるところかなぁ。

● しかし,それだけで説明することはできない。
 日用品を買うことっていうのは,男の場合は必要悪でしかないことが多い(と思う)。ぼくもそうで,ないと困るから,買いに行くわけだ。それ以上の意味はない。
 だから,一番近くにあるスーパーに行く。チラシを見ることもない。10円や20円の違いは気にしない。賞味期限などチェックの対象外だ。上にあるものから取っていく。

● が,相方はそうではないらしいのだ。必要だから買う,欲しいから買う,というのももちろんあるんだけれども,それよりも,買うという行為をしたいから買っているように見えるのだ。買うという行為それ自体に快感があるようなのだ。
 そうであれば,一度で済むものであっても一度では済ませないのは納得できる。買うという行為は何度でも体験したいわけだから,その機会を摘んでしまうようなことはしないのだ。

● さらに。安く買えると勝利感を覚えるようなのだ。自分は人よりも安く買ったぞ,ということに勝利感が伴うっぽい。
 その差はしかし,微々たるものだ。そのために費やした時間,車のガソリン代まで考えると,とうてい容認されない類のものだ。
 けれども,それは彼女の中では問題にならない。なぜなら,それは娯楽だからだ。