2018年4月21日土曜日

2018.04.21 週刊誌を読んでみた

● 久しぶりに週刊現代と週刊ポストの今週号を読んでみた。で,感じたこと。
 この両雑誌の読者層は相当に高齢化しているのか。ジジイ御用達の雑誌になってしまったのか。

● なぜそう思ったかというと,高齢者向けの記事が多いのだ。60代や70代になってもHの現役でいるためには,とかね。
 昔は20代の男性にも読者がいたと思うのだが,既存の読者が歳を取るにつれて,読者層が高齢化してきたのだろうか。つまり,読者の新規参入がないようなのだ。

● となると,ジジイが死に絶えれば両雑誌の命運も尽きる。週刊新潮や週刊文春もおそらく同じだろう。
 しかもだ。ジジイになってなおこんなものを読んでいるんだから,読者層の知的水準にも疑問を呈したくなる(→おまえが言うな)。
 紙の男性週刊誌はもう半ば終わっているという印象を受けた。今更の感想かもしれないけれど。

● 総合月刊誌と呼ばれるものはとっくに終わっている。各出版社の顔だったものだから,今でも残っているものもあるんだけれども,かろうじて残っているだけで,世間や社会に爪痕を残すだけの力は失っている(いや,そんな力を持ったことなんて過去にもあったろうか)。図書館が購入をやめたら,即,引退に追い込まれるのではないか。
 週刊誌もそれに続いてしまうんだろう。これ,そっくりネットに移してもダメだと思う。たぶん,読まれない。ネットに移って無料で読めるようになっても,たぶん読まないと思う。そう考える根拠は,自分が読まなくなったことだ。

● 楽天やdocomoが,月額400円とか500円で雑誌読み放題というサービスを提供しているけれども,これだっていつまで存続できるか怪しいものだ。
 じつは,このサービスに食指が動いたことがあった。でも,雑誌を読むだけで1日が終わってしまいそうだと思ってやめたのだ。
 実際はどうだったろう。読むことはなかったかなと思う。

2018.04.21 シェラトン都ホテル

1254号室
● 白金台のシェラトン都ホテルに投宿。何度も泊まっているので,目黒駅からホテルまでの光景はすっかり馴染みになった。気分としては,ここがわが家の別荘になった感がある。
 白金台という場所も,以前は何もないところだと思っていたんだけど,別荘地だと思えばなかなか以上に快適なエリアだ。場所への愛着もできつつある。

これでハイボールを
● この別荘のいいところは,事前に電力会社や町役場に電話して,電気や水道を通しておいてもらう手続きが要らないことだ。
着いた当日と翌日に大掃除をしなければ住める状態にならない,なんてこともない。
 フラッと行っても,準備万端整っている。帰るときもそのまんまでいい。何の手間もかからない。

きれいどころ
● さらに,掃除や食事の準備も自分たちでする必要がない。上げ膳据え膳,掃除付き。何度も行けば,こちらの癖も憶えてもらえる。
 本格的なサウナやプールまであるのだ。その管理も自分たちでやる必要はない。専門家が全部やってくれるのだ。プール付きの別荘を持ってるなんて,かなりの富裕層でも稀なのではないか。太陽王と呼ばれたブルボン王朝のルイ14世ですら,ここまで至れり尽くせりのサービスを受けていたかどうか。

● まだあるぞ。この別荘なら,自分の好きな場所にいくつでも持つことができるのだ。那須にも持てるし,ハワイにも持てる。沖縄や北海道にも。
 不動産取得税がかからないのだ。用済みになったとしても,売却する必要がない。そのまま放っておくだけでいい。

「四川」の朝食
● では,どこに別荘を持つかといえば,ぼくの場合は,まず東京ということになる。東京は栃木の奥座敷なのだ。この座敷にはないものがない。ひじょうに便利に使える座敷なのだ。
 大事なことは,座敷にあるものをリビングに移そうなどと考えないことだ(つまり,東京にあるものは栃木にもあるべきだなどど考えてはいけないということね)。リビングはシンプルに保っておくべきだ。
 せっかく座敷があるんだから,座敷に置けるものは置きっぱなしにしておくのがいい。必要に応じてその座敷を使えばいいだけだ。

夜の日本庭園
● その東京の別荘も手放さなければならないかもしれない。というのは,今回もスイートの3食付きで1泊5万円という宿泊プランで泊まっているんだけれども,催行主の相方によれば,もうこんな料金のプランは出ないだろうということなのだ。
 これより以降は10数万円になっているらしい。さすがにぼくらには手が出ない料金だ(が,以前の常識に照らしてみれば,その10数万円が妥当な料金のように思える。サウナやプールまで使えて5万円というのは,安すぎるのだ)。少なくとも,東京五輪が終わるまでは,破格のプランは登場しないだろうと思われる。

焼きそばを侮る者は地獄に堕ちよ
● つらつら考えるに,関係者が騒いでいるほどには五輪の経済刺激効果は大きくないと思うんだけれども,それでも五輪の小判鮫たちが入れ代わり立ち代わり,大挙して東京にやってくるだろう。人のお金で泊まる連中だから,しみったれた使い方はしないだろう。
 ホテルとしてはここでしっかり稼がねば。いや,稼いでほしい。

● 黄金週間中にもこのホテルに2泊の予定。なんだけど,さすがにスイートというわけにはいかない。
 その後はもっと安いホテルを探すことになるだろう。

きれいどころ 2
● そうまでしてホテルに泊まらなければいけないのかといえば,全然いけなくないんだけど,相方にはそれが最高の癒やしになるらしいのだ。人生に癒やしは必要だからね。
 特に女性の場合は,大人になると人にほめられることが極端に減るはずだから。まして中年と呼ばれる域に達した女性は,よほどの容姿か才能をまとっているのでない限り,そもそも人の目に留まらない存在になりがちだ。
 女はほめられ続けていないと女を全うできないところがあるように思われる。それが失われれば,それに代わる癒やしの場が必要になる。それをも取りあげるのは酷に失する。

2018.04.21 新宿散策

● 右の写真は新宿のサザンテラス。こんなものができたおかげで,新宿駅で迷うようになったのだ。動線が大きく変わったからな。まぁ,いい。

● このエリアに小田急ホテルセンチュリー サザンタワーがあることは知っていた。そのホテルを初めて見た。といっても,36階のビルの高層階がホテルになっているわけで,そこまで行ったわけじゃない。
 ここがそうなのかと思っただけだ。用もないのに高層階にあるホテルフロントまで行く度胸は,ぼくにはないのだ。

● JR東日本の本社ビルがここにあるのも初めて知った。こんなところ(高層ビル)で働いたら十中八九ウツ病になるな。つまり,田舎者だからなんだが。
 ぼくからすると,建物はせいぜい9階までで(つまり,一桁),それを超えると,建物の威圧感が勝りすぎて,そこで働く人にはストレスになる。ホテルならもっと高くてもいい,少なくとも宿泊客にとっては。
 が,毎日通う職場となると,高層建築物というのは異物なのだ。タワーマンションなんてのもどうなのかと思うのだよ。

● ところが,それを良しとするというより,それを望む人の方が多数派らしいのだ。ぼくからするとじつに不可思議なんだが。
 つまり,そうしたところが,ぼくは根っからの田舎者ってことなのだろうと思うんだけどね。

● マイクを持った外国人女性に何語かわからない言葉で話しかけられた。ぼくが知的なナイスミドルに見えたのだろう。無理もない???
 その何語かわからない言葉で懸命に対応したことは言うまでもない(→ウソ)。女性から期待された役柄にはともかく対応するのが,ジェントルマンの責務であろう。

● っていうか,これ,マイクの女性とビデオカメラの男性が一組になってるんだけど,いわゆるキャッチの類であろうな。外国人にやらせるバージョン。色々と新手を考えるものだ。
 無視して通り過ぎるのが上策かと存ずる。ぼくもそうした。っていうか,ほとんどの人はそうしている。
 新宿って,東京の中でも田舎者が多いところで,たまに応じている人がいるのだが,田舎からの上京者であろうと思う。いや,ぼくも危ういところではあったんだけどね。

● けっこう新宿駅周りをうろついたので,地理のおおよそは頭に入ったと思う。では,今後は新宿で迷子になることはなくなるかといえば,そういうわけには参らない。
 なぜかといえば,現在地を失認するからだ。現在地がわからなくなったのでは,頭の中の地図も役に立たない。

2018年4月20日金曜日

2018.04.20 SNS雑感

● TwitterもFBも使い方は人それぞれだ。それでいいわけだ。決まった使い方などない。自由に使えばいいわけだ。
 たとえば,自転車を趣味としている人は自転車のことしか書かないとか,音楽をやっている人は音楽のことしか書かないというのが,けっこうあるようだ。ブランディングというと大げさだろうけれども,最もアピールしたいことに特化した使い方。

● 一方で,何でもありという人もいる。ぼくもその派に属する。日記のようなもので,その日の出来事ややったこと,食べたもの,思ったことを時系列であげている。
 TwitterもFBも写真が使えるのだから,日記として使う場合でも,より詳細な記録を残せるだろう。

● そうした使い方をすると,まとまりがないというか,とりとめがないというか,散漫というか,ツイート(投稿)の水準が揃っていないというか,そういうものになる。特に,FBではこんなもの書くなよと言われることもあるかもしれない。
 が,そうしたバラツキはあっても,全体として自分の水準や性格が現れたものになっているだろう。

● SNSはリアルの交際と同様に(ひょっとするとそれ以上に)飾りや気取りはそれとバレる。飾る人だ,気取る人だ,とバレてしまう。リア充自慢も自慢だとわかってしまう。
 知らぬは本人ばかりなり。お里は知れるものなのだ。ここは隠しようがない。SNSでは自分の素が晒される。そういう意味でSNSは怖いものだ。
 その怖さに無頓着だと損をする。場合によっては取り返しのつかない結果を招くことがあるかもしれない。バレバレなのにバレていないと思って演じているなぁ,と思えてしまうのに,時々出くわす。

● ぼく一個は,サラリーマンの場合は,仕事のことは書かない方がいいと思っている。職場の誰かを告発することが目的でもない限り,仕事や職場のことはSNSにはあげないと決めておいた方がいい。
 書いてはいけないことを書いてしまうかもしれないからだ。何が書いてはいけないことなのかは,事前に決まっているわけではない。書いて問題になった後に,書いてはいけないことだったのだとわかるのだ。というか,書いてはいけないことだったことにされるのだ。会社とか世間というのは,そうしたものだろう。

● が,その怖さよりも,自分を晒すこと,自分を語ることの快感の方が勝るのだろう。少なくとも,ぼくはそうだ。その誘惑にはなかなか抗しがたい。
 ここまでSNSが普通になると,個人情報の保護というのは,もはや過去のものになったと考えるしかない。自分から積極的にばらまいているんだから,それはもはや保護するに値しない。個人情報の保護,思えばはかない寿命であったな。

2018年4月19日木曜日

2018.04.19 ガリガリ君シーズン到来

● 真冬にも食べてはいたんだけど,本格的なガリガリ君シーズンの到来。ガリガリ君の特徴は永遠の未完成。ディズニーランドと同じだ。いつもどこかをいじっていて,“これで終わり”がない。
 ガリガリ君も次々に新製品が出る。これがガリガリ君の全容だというのは,いつになっても現れない。

● 面白いのは,これはないだろうというのも出ることで,たとえばナポリタン味。これはダメだろうとたいていの人は思ったはず。実際,ダメだった。だからすぐに撤退した。
 が,そういうものでも出してみるっていうのが赤城乳業のいいところというか,凄いところというか。こういう会社って文具業界のキングジムと氷菓業界の赤城乳業が双璧ですかねぇ。

● ぼくはガリガリ君の史上最高傑作は“スイカ”だと思っているんだけど,相方はこの“九州みかん”だという。これで相方もガリガリ君を食べるようになった。めでたし,めでたし???
 でも,これ,同じメーカーの“ガツンとみかん”と競合するかも。っていうか,“ガツンとみかん”の方が旨いんだよね。だから,ガリガリ君の史上最高傑作は“スイカ”であるべきなのだ???

● ガリガリ君はスーパーで大人買いする。定番のソーダ味やコーラ味,グレープフルーツ味はたいていあるんだけど,それ以外は店によってあったりなかったりする。
 ので,どこに何があるかを把握しておく必要がある。わが家の近くだと,“九州みかん”は「とりせん」にある。

2018.04.19 「みやこ家」の濃厚つけ麺

● 氏家「みやこ家」の石焼き濃厚つけ麺を食す。「みやこ家」の定番。大盛りでごわす。昔のモノサシではあり得なかった濃厚すぎる濃厚が,今では普通になった。
 こういうのは振り子のようなもので,いずれまた濃厚は廃れるのだろうと思っていたが,今のところ,その気配はない。

● 相方も大盛りを注文。当然,食べきれなくて残す。何度も同じ失敗(?)を繰り返している。学習しないヤツだなと思うんだが。
 相方に言わせると,並盛りだと気持ち少ないんだそうだ。中盛りがあるといいと言っている。たしかに,以前に比べると盛りが少なくなったかも。

● 最近(といっても,けっこう前だが)唐揚げセットというのができた。鶏の唐揚げとご飯とお新香。単品で注文すると500円。一度は食べてみようと思う。500円で一食まかなえれば安いもんなぁ。
 麺と一緒に注文すれば350円なんだけど,そこまでガツンと喰えるのは若い衆に限られるだろう。

● 「みやこ家」はガッツリ系だから,外食店には珍しく,男性客が主体になっている。仕事帰りの男性が一人で来る。ので,どうしても雰囲気は地味になりがちだ。
 女性にアピールしようと,メニューにも工夫を加えている。その努力はわかるんだけども,注文している人を見たことがない。ガッツリ系が「みやこ家」のイメージとして定着しちゃっているからですかねぇ。

● 数年前は,夏場の季節限定で汁なし担々麺というのがあった。めちゃくちゃ辛い。唐辛子ではなく山椒がどっさり入っていた。口の中がヒリヒリした。文字どおりにヒリヒリ。
 当時は中学生だった息子が調子こいて注文して,完食するとどうだという顔をした。
 その汁なし担々麺の衣鉢を継ぐメニューもある。が,注文することがあるかどうか。「みやこ家」はつけ麺の店なのだ。

2018年4月16日月曜日

2018.04.16 歳をとっても若い人

● 右は今日の下野新聞。70歳を過ぎてから蕎麦打ちを始め,83歳で4段を獲得(蕎麦打ちにも段位もどきがあることを初めて知った)。
 分野を問わず,超高齢者が活躍している記事を見ると,サッと反応してしまう歳になったのだなぁ,とちょっと悲しい。

● この方のすごいところは,20歳も年下の男性から教えを乞うことができたことだ。70歳を過ぎてから始めているんだから,そうならざるを得ないわけだけれども,できない人,多いんじゃないかな。
 男性の場合,相手が女性であれば,年下であっても嬉々として教えてもらうことはできる。男は単純にできているからな。が,年下の男性からとなると,仕事であればまた別だけれども,けっこう抵抗を覚える人が多いんじゃないかと思う。

● この方,見た目も若い。83歳には見えない。見た目が若いってことが,つまり,若いってことなんだよね。考え方の柔軟度とか,運動能力とか,体力とか,活動性とか,そういうものを総合したものが見た目なんだと思う。
 外見と中身を分ける考え方は,少なくとも高齢者には適用できない。外見がすべてだ。

● っていうか,高齢者に限らず適用できないね。内面の最も表層が外見なのだ,とはよく言われることだけれども,そのとおりだと思う。
 外見がオバタリアンと化した女性は,100%の確率で正真正銘のオバタリアンだからね。オッサンもまた同じ。少なくとも,ぼくはまだ例外を知らない。

● それ以前に,外見を通さないでダイレクトにその人の中身を認識することはできないわけでね。外見を通して中身を推測する,外見に現れたところの中身をみる,そういうことしかできないはずだ。
 中身と外見を分けて考えてしまうのは,少々以上に幼稚であるのだろう。

● もちろん,ここでいう外見というのは,容姿とかファッションセンスとは別のものだ。いや,センスは含まれるかもしれないけど,美人だとかイケメンだとかというのとは別ものだ。
 10代や20代前半の若い男性は,笑っちゃうほどそうしたルックスに弱いものだが,しかし,そこ止まりだろう。30歳を過ぎてもそうしたものに惹かれるのは,根が幼稚だからだ。そういう男を相手にする女性はまずいないとしたものだろう。

● しかし,ではどうすれば見た目を若く維持できるのかとなると,年下を師とできる柔軟さを持ち,努めて外に出て,身体を動かして足腰を鍛え・・・・・・となるわけだから,見た目が大事と言ったところで,それだけでは何の情報も付け加えたことにならないんだけどね。
 っていうかね,この記事で紹介されている滝沢さんは,83歳にしてはあまりにみずみずしい。そのみずみずしさを保っていられる要因は,もって生まれたもの(DNA)なのかもしれないなと思う。