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2025年10月29日水曜日

2025.10.29 本も Amazon で買うようになった?

● 本を買わない人間になってるんだけども,買うときはリアル書店でと思っていて,本を買うのに Amazon を利用することはほぼなかった。
 が,このところ,続けざまに Amazon でポチっている。新刊だと予約段階でポチる。買いたいものがピンポイントで決まっていれば,Amazon に傾くようになりつつる。

● 立ち読みってのはしない質なのだが,背表紙を眺めるだけでも,書店に行く価値はあるもんねぇ。
 世の中の世相を最も簡単に知る方法は書店を覗くことだ。特に新刊売場と各コーナーで平積みになってるのを見ていくこと。

● 書店の効用はそれだけではなく,同好の士に囲まれている安心感の中で,広場の孤独に浸れることだ。
 街の喧騒を逃れるための避難場所にもなる。日本の街はとにかく騒音を発する。駅の中も本来業務に関係のない構内放送がひっきりなしに流れているし,最近はエスカレーターのガイド音声が呪いたくなるほどうるさい。書店に行けばそうした騒音から隔離してもらえる。

● 書店がなくなっては困るから,極力リアル書店で,とは思ってるんだけどね。
 ただね,本を読まなくなってきたというのが決定的かな。書店への依存度は総体的に下がる。

● かつては,書店の存在がその街の文化度のバロメーター的なところがあって,自治体は大学誘致と並んで,大型書店を引っ張って来ようとしていた。
 少子化がここまで来れば,今さら大学誘致はない。大学もつぶれる時代になっている。

● 大型書店いらっしゃい,もなくなったように思う。それがあることが街のステイタスである時代は終わっている感がある。
 これはひとえにインターネットの影響だ。情報は書店ではなくネットにあるようになった。

● ついでに申さば,“大型” の魅力が減じているようにも感じる。現時点で大型が幅を利かせているのはショッピングモールくらいではないだろうか。
 ホテルも Small & Luxury が好まれるようになっているように見える。少なくとも,自分の好みはそちらに移行しつつある。

2021年11月1日月曜日

2021.11.01 代わり映えしないけど,東京散歩

● 川崎から東海道線で新橋。新橋からメトロ銀座線で三越前。今日はここを起点にして銀座線を行ったり来たりしようと思う。

● まずは,地下のタロー書房を覗くことから。老後の遊びとして外国語を勉強するのはありでしょ。英語とかフランス語とか中国語のようなメジャーな言語じゃなくて,超マイナーなやつ。書店に教本があるようなのはマイナー度が足りない。けど,ここから選ぶならビルマ語だな。
 NHKの語学講座はもちろん,外語大学にコースがあるような言語は外した方がよさそうだが,そうなると他にどんな言語があるのかわからない。どうやって勉強すればいいのかもわからないな。

● 地上に出る。古河市兵衛の胸像がある。このあたり,何度か歩いていると思うのだけども気づかなかった。
 行商から身を興し云々。明治の時代にはジャパニーズドリームがあったんですかねぇ。青雲の志という言葉が似合う時代だったのかなぁ。
 古河グループという言葉もあるのだが,ググってみたら富士通がその1つなのだった。今でもグループとしての実態はあるんだろうか。

● 久しぶりに福徳神社。小さい神社だけれども,これあるために空間の質が上がっているのは間違いない。小さいながら地価を計算すればビックリするような額になるだろうところに,これだけの言うなら空き地を作りだしているのだから,大したものなのだ。
 日本の場合はこういうところに神社があって,“憩い” を作る。ヨーロッパではとにかく広場を作る。教会を神社と対比しては間違うことになる。

● 日本橋でも最もハイソなこのエリアから神田が近い。江戸時代には日本橋は下町だったらしいのだが,人形町や浜町はともかく,このあたりはとっくに企業町になっている。っていうか,三井町だな。
日本橋のハイソなエリア
 そこから神田まで歩いて数分というのが不思議な気がする。銀座と新橋の例があるじゃないかと言われれば,まったくもってそのとおりなのだし,わずかの移動でガラッと空気が変わるのが,東京を含む都市の魅力なのだと思うのだが,そうであっても不思議な気がする。

● ので,中央通り(国道17号)を神田まで歩いてみた。逆に辿れば日本橋から銀座を経て第一京浜になるわけだから,中央通りは文字どおりに中央通りなのだが,国道17号が中央通りなのは神田までで,ここから中央通りは17号と別れて上野広小路に至る。国道17号は本郷通り,白山通りとなって,霧の彼方に消えていく。
 用があって神田に来たわけではないから,ここからまた銀座線に乗って銀座に戻ることにする。

● 銀座で何をしたかというと,G-SIXに行った。銀座にはわりと来る。伊東屋があるし,銀座LoFtがあるし,無印の旗艦店がある。多少とも文具好きなら,銀座はやはり特別な場所だ。
 しかし,G-SIXに入ることは,ぼくはあまりない。特別すぎるからだ。特別すぎて気後れがする。よほどテンションが高いときでないと入っていく気力が湧いて来ない。
 そのテンションは,たとえば着ている洋服,履いている靴,持っている鞄などによって影響される。今日はどうにかマトモな格好をしていたので,勇を舞して入ってみたのだ。

● 行くところは蔦屋書店しかない。ここはそのまま美術館だと思いたくなる。そういう形態でモノを商っている。
 まず,文具がそうだ。万年筆が多いのだが,プラチナのキュリダスもあるものの,蒔絵や漆を施した,あるいは浮彫をあしらった工芸品とおぶしかないようなものが多く展示されている。
 実用を満たせばいいという人はお呼びじゃないところだ。ここはおまえのような者が来るところではないと,商品が語っているのだ。臆してしまう。テンションを高めないと行けないところだというのは,そういうことだ。店が人を選ぶのだ。

● 常にいくつかの展覧会を行っている。今は,「京都のものづくり-KYOTO another story」が開催されている。「京都のこれからを担う,次世代の職人やアーティストが生み出す品々」を展示している。もちろん,売り物でもある。
 漆塗りの自転車やサーフボードがある。待ちな,これは乗らないで飾っておくためのものか,と言いたくなるところだが,実際に乗りだすことができるのだろう。
 
● 上野裕⼆郎 新作個展「Surge/渦動」というのも開催されている。「私は主として生物をモチーフに,それらが持つ内在的な気や外界との揺らぎ,あるいは生成と消滅を繰り返しながら続いていく時間と物質の流れといったものに迫ることを自身の表現の主題としている」人なのだが,これもやはり人を選ぶだろう。
 「ステンドグラスアーティスト・ひらのまり作品展示」も開催中。“クリームソーダ~不純喫茶ドープ” や “ゼリーポンチ~喫茶ソワレ” といった作品が展示されているのだが,それらがどんなものなのか。蔦屋書店のサイトを見ていただきたい。

銀座の一番
● この場所でこれだけの広さを占めるのだから,テナント料を支払って黒字を残すためには,文庫本を1冊しか買わない人を相手にしているわけにはいかない。文庫本1冊のお客様も大事にしたいから,しっかり稼がなければならないのです,と言うのだろうけど。
 たまに目の保養をさせてもらいたいものだが,かなり敷居が高いな。

● 銀座線を日本橋まで乗る。日本橋の丸善でボールペンを2本買った。
 次は,二度目の三越前。ただし,すぐに半蔵門線に乗換えて水天宮前。やはりね,隅田川を見たくなるんですよ。30分ほどボーッと川面を眺めた。
 絶対,パリのセーヌ川よりいいっしょ。って,セーヌ川ははるかな昔に一度見ただけで,ほとんど記憶にはないんだけど。

● もうひとつ,東京シティエアターミナルを覗いてみたが,これは別途,記録しておく。
 半蔵門線をひと駅乗って,清澄白河。深川になる。ここも何だかんだでけっこうな回数,来ていると思う。
 隅田川を挟んで日本橋人形町,浜町とこちら側の深川。空気感はあまり変わらないと思う。下町的風情と言ってしまえばそれまでなんだけども,シャキっとした感じというか,眼を伏せない感じというか。

● ここから門前仲町までフラフラと歩いて,ユックリと,しかしガッツリと飲食いして,宿に帰って寝る。ということをやってみたいものだが,やりはしないと自分でわかっているのが,情けない。
 高橋から小名木川を眺めて,少し歩いただけで帰ってきたけれど,この街はそういう対応の仕方をしてはいけない。腰を据えてかかるべし。

● どうしてこんなにマメに下車したのかというと,メトロ24時間券のモトを取ろうという発想から。身も蓋もないんだけど,それがある。動機が不純というか貧困というか。
 が,そういう動機であっても,ともかく動くわけで,動いていれば瓢箪から駒が出ることもあるのではないか。動かないよりはいいだろう。

● 押上では東京ソラマチには寄らず,まっすぐ東武の南栗橋行きに乗りました。駅のホームにリンゴの自販機があって,売り方は色々あるものだなぁと感心した。売れているんだろうかな。
 東武宇都宮駅に着いた。平日のオリオン通りを歩くことはまずないので,月曜19時のオ
リオン通りはどんなものかと思いきや,日曜の方が活気がある。月曜から飲む人はそんなに多くないのかね。

2021年10月9日土曜日

2021.10.09 東武線で川崎,銀座を巡る

新栃木駅
● 普段は昼夜逆転。今日は死ぬ思いで7時起床。最寄駅(JR宇都宮線)から8:10発の上野行きに乗った。そのまま乗っていれば,上野で乗換えて,10時半には川崎に着いているのかもしれないが,宇都宮で下車。
 東武駅まで宇都宮の旧市街を歩いて,東武線の南栗橋行きに乗った。今日は川崎まで行く。9月19日以来の県外移動だ。

● 東武電車の中吊り。門脇麦のポスター,外して持って帰りたい。

● 曳舟で乗換えた浅草行きに,小さな男の子を連れたママさんが多いんだが。浅草で何かやってるだろうか。
 東武伊勢崎線は北千住を過ぎてから,隅田川を渡りそうで渡らない。荒川(放水路)と隅田川の間の中洲を走って,浅草に着く直前にようやっと隅田川を渡る。その渡橋のときの風景が東武線の白眉ですかねぇ。

● 東京の地下鉄ほど面白い乗物はないと思うようになった。以前の田舎者にはありがちなJR中心主義は過去のものにできた。やれやれ。
 特に面白いのが銀座線。次に丸ノ内線。その次が半蔵門線。何で銀座線なのかと訊かれても困る。答えられない。何となく,だ。
 最初にできた地下鉄なので地下の浅いところを走っているから,あまり下に潜って行かなくてもホームに到達できるのが理由の1つかもしれない。都営大江戸線のように深く潜っていく必要があるところでは,かすかに気分が沈んでくるのを感じる。
 ただ,そういうことになると半蔵門線もだいぶ深く潜るのだが,半蔵門線はまったくOKなんだよねぇ。

● 乃木坂46のメトロ24時間券の使い初め。まずは齋藤飛鳥から。
 新橋で銀座線を降りて,JR東海道線に乗換え。やってきた電車は品川行きだったが,構わずに乗って,
品川駅12番線ホーム

品川でまた乗換え。常磐線から来るのは品川止まりが多いような気がする。

● ミューザでオーケストラ・ゾルキーの演奏を聴いた。そのために来たのだが,ここでは感想は述べない。
 富士そば川崎東口店。自分的には定番になった「ラーメン+大盛券」。富士そばって,蕎麦屋じゃなくて,ラーメン店だというになっている。

● 帰りは新橋から銀座を歩く。並木通りは緊急事態宣言が解除されても人出はさほど増えていない
並木通り
ように見えたので,アレアレと思ったが,中央通りに出てみると,おぉぉ,増えてるじゃないですか。生き返れるか,銀座。
 いやいや,銀座は死んでいない。生き返るんじゃなくて,盛り返すと言うのが正確だ。でもって,盛り返すに決まっている。
 ぼくは銀座でも通行人に過ぎないのだけども,銀座を自在
中央通り
に泳げる人がいるはずだ。しかも,大勢。そういう人たちがコロナ以前のように銀座を泳ぎ始めるに違いないのだ。

● 伊東屋を覗いて,銀座駅から銀座線に乗って,三越前で降りた。メトロの駅で一番好きなのが三越前。なぜかというに,改札を出るとタロー書房があるからだ。
 タロー書房には由緒正しい貴婦人のイメージがある。昭和の書店の趣を湛えつつ,凛としてそこにあるという風情。
 新潮文庫の『宮沢賢治万華鏡』があったら買おうと思っているのだが,宇都宮の書店にはない。タロー書房にもなかった。

● 半蔵門線をひと駅乗って,水天宮前。ちょっと歩くと隅田川。隅田川の風に吹かれてみたくなった。ロイヤルパークホテルを定宿にしていたときには,必ずここに来て,癒やしというか救いというか,隅田川の風景に助けてもらったという思いがある。
 久しく泊まっていないロイヤルパークも見てみたかった。JR中心主義を脱することができたのも,このホテルが半蔵門
線の駅に直結しているからだ。否応なくメトロを使うことになり,メトロの路線図が頭に入るようになった。
 東武線に注目するようになったのも,人形町に馴染むようになったのも,このホテルからだ。

● 気持ちがいいものだ。川の流れを見るとこれほどの快を感じるのはなぜなのか。このまま泊まってしまえればいいのだが,そういうわけにも行かない。帰るとしよう。

2021年6月23日水曜日

2021.06.23 丸善絵画特選展

● 丸善丸の内本店の4階にはギャラリーがあって,たいてい絵画の即売会を開催中だ。原画なのかレプリカなのか,ぼくにわかるわけもない。

● この日は『吉原炎上』の斎藤真一さんの絵が数点,展示されていた。
 名取裕子主演の映画は1987年公開。ドキドキしながら見たものだが,今でも憶えているのは,二宮さよ子が自身の股間を叩いて「女はここなんだよ,ここ」と叫ぶシーンだけだ。あれは強烈だったから。
 今回,展示されていたのは『吉原炎上』とは無関係の作品。

● 緊急事態宣言は解除されたものの,依然としてコロナ禍は続いている。東京都心,特に大手町のような企業の本社が集中しているようなところは,かなりの影響を受けているだろう。
 リモートワークが浸透したから,大手町に出勤してくるサラリーマンが減った。そのサラリーマンをあてこんで商売していたファストフードやカフェなんかも,お客が減って撤退しているところが多い(と思う)。

● 丸善のような,いわばエリートサラリーマンに支えられていたところも,影響甚大のはずだ。ビジネス書の売上もだいぶ落ちているのではないか。素人目にも来店者数の減少が目に見える。
 絵画特選展のような催しもまた同じ。それどころではないということなのだろう,購入する見込みのある人は,ぼくも含めてだが,1人もいなかった。というより,ギャラリーに入ってくる人がいない。

2020年5月25日月曜日

2020.05.25 コロナ給付金を先行して使う

● 若い頃は年に100万円は本題に充てていた。年収の4分の1を超えていたかもしれない。もう半世紀近い昔なので,サラリーマンであるぼくの年収など,そんなものだった。
 どうです,すごいでしょ,と言いたいのではない。今から振り返ればアホなことをしていたなとも思えるのでね。

● しかし,もう本は図書館で借りて読むものになっている。本代なんて年に5万円も使っていないだろう。
 なぜそうなったか。直接の原因は東日本大震災だ。本に限らず,モノを抱えていていいことなど何もないと教えてくれる出来事だったから。
 が,それ以前に遡ることもできなくはない。結婚したことだ。相方が本が増えるのを嫌った。それを忖度したってのもある。結婚したのに自分の年収の数分の1を本代に充ててしまうのは,少し異常だと自分でも思ったからね。

● ま,そういうわけで,本代は劇的に減った。もっとも,それよりさらに減ったのもあって,それは酒代だ。本代に年間100万円を使っていた頃,酒代にはもっと使っていた。早い話が,職場を出て翌日出勤するまでの時間をどうしていたかといえば,飲んでるか読んでるかだった。
 もちろん,かなりデフォルメして語っていますよ。正確にいえば,そうじゃない時間の過ごし方も大量にありましたよ。極論するとそういうことだ,ということですよ。

● ここで急転直下。コロナ給付金のことだ。何に使うか。貯金するってのはあり得ない。それでは給付の趣旨を殺してしまう。貯金するくらいなら,受給を辞退するか,どこぞに寄付すればいい。
 もらって全額を使う,のが正解だ。可能ならば短時日のうちに使い切る。何に使ってもいいし,どこで使ってもいい。
 ぼくは殊勝にも地元で使おうと思っているが,それにどれほどの意味があるのかは,われながらよくわからない。Amazonや楽天で使うのはダメなのかと問われれば,ダメな理由は1つも浮かんで来ない。

● その10万円は全部本代に充ててしまおう。久しぶりにゴソッとまとめて本を買ってみよう。
 そう思った理由のひとつは,街の書店もコロナでかなりの打撃を受けていることだ。ここに来て緊急事態宣言が解除され,お客がだいぶ戻ってきているけれど,それまでは悲惨といっていい状態だった。
 もちろん,もっと大きい打撃を被ったところが枚挙にいとまがないほどあるに違いない。まだ営業を再開していない飲食店だってあるのだし,旅館やホテルもできるサービスをさせてもらえない状況が続いている。

● それらの中には,コロナ以前にしばしばお世話になっていたところがある。そういうところにもないお金をかき集めて,訪ねていこうと思っているけれども,コロナ給付金はしばしば立ち読みをさせてもらっていた,地元の書店で使うことにしよう。

● で,そのコロナ給付金だけれども,29日に振り込まれることになっている。そしたら速攻で引き出して,その10万円を握りしめて・・・・・・ってわけなんだけど,29日を待たないで先行して使っちゃうことにした。
 29日まで待っている理由がない。自分のお金で払っておいて,その分を給付金から補填する。

● で,まず宇都宮駅ビルの2階に入っている八重洲ブックセンター宇都宮店で次の4冊を買った。
 ①幡野広志『ぼくたちが選べなかったことを,選びなおすために。』(ポプラ社)
 ②幡野広志『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)
 ③田中泰延『読みたいことを,書けばいい。』(ダイヤモンド社)
 ④堀江貴文『スマホ人生戦略』(学研プラス)

● 次は,駅東のうさぎや書店。
 ⑤⑥中村元編『原典訳 原始仏典 上』『下』(ちくま学芸文庫)
 ⑦パスカル(前田陽一・由木康 訳)『パンセ』(中公文庫)
 ⑧⑨宮崎市定『中国史 上』『下』
 ⑩⑪⑫井筒俊彦訳『コーラン 上』『中』『下』
 ⑬『文語訳 新約聖書』
 ⑭⑮『文語訳 旧約聖書Ⅰ 律法』『文語訳 旧約聖書Ⅲ 諸書』(以上,岩波文庫)

● さらに・・・・・・と行くつもりもあったんだけど,今日のところはここまで。以上で20,702円。あと,79,298円。この続きは,29日にコロナ給付金を受け取ってからになるかも。
 言うも愚かだけれども,書店の助けになればと思ってやっているわけではない。自分が読んでみようと思っていたのを買っただけだ(⑤以降は読むかどうか怪しいものだが)。自分のためだ。
 それを国がプレゼントしてくれたようなものだ。安倍晋三くん,どうもありがとう。とっても嬉しいよ。

2020年3月22日日曜日

2020.03.22 大手町の丸善で高校社会科の教科書を探す

● 大手町の丸善を覗く。高校の社会科の教科書があったら買おうと思って。学習参考書の類いは3階にある。日本史と世界史は山川の『詳説』があったんだけど,それ以外はなし。
 山川の日本史,世界史の教科書だけは,一般的に需要があるんでしょうね。ぼくのように高校の教科書を読んでみようとするオッサンより,山川以外の教科書を使っている高校生が,参考書代わりに買っていくんだろうな。

● ぼくとしては山川にこだわる理由はない。山川でもいいが,山川じゃなくてもいい。
 地理,政治経済,倫理も含めて,Amazonでまとめて買おうかと思ったんだけど,Amazonだと高額になる。どういうわけだ。
 大久保には教科書専門の販売店があるらしい。これって,都道府県ごとにあるようなのだが,どうもわかりづらくていけない。

● ともあれ。「現代社会」はいいとして,高校社会科の5科目の教科書を読めば,この分野については日本人の中で上位5%の知識人になれるだろう。もちろん,高校の社会科教師全員を含めたうえでの上位5%だ。
 そんなものだよね。ぼくらが知っていることなんて,その程度のもの。上位5%に食い込むなんてそんなに難しいものではないわな。

● 高校教科書は別にしても,こういう大型書店を覗いてみることも,たまにはした方がいいと思う。夥しい書籍を見て,教科書から哲学,サブカル,音楽の楽譜に至るまで,この世の森羅万象はすでに書かれている,自分が付け加えることなど何もない,という気分に浸ることができるからだ。
 圧倒的なボリュームを目の当たりにすることが必要で,これは図書館よりも新刊書店の方がいい。当然,大型書店でなければならない。

2019年3月7日木曜日

2019.03.07 本好き,あるある

● 宇都宮駅東のうさぎや書店に立ち寄った。ほぼ日文庫の『小ネタの恩返し』4巻を購入するため。「ほぼ日」に連載された読者投稿をまとめたもの。
 同じ趣向の『恋歌,くちずさみながら。』が面白かったので,同じ読者投稿を編集したこちらも読んでみることにした。2016年の発行。もっと前かと思っていた。
 「ほぼ日」のサイトでも読んでいると思う,たぶん。が,パソコンやスマホの画面で読むのと,紙の本で読むのとは,まったく別の体験だと,最近,痛感するようになった。

● 「ほぼ日」の書籍が置いてあるコーナーは,上野駅構内にあるANGERSの書籍コーナーとほぼ同じテイスト。暮らし関連のもの,料理や衣に関するものが置かれている。暮しの手帖社の出版物や,伊藤まさこさんのものなど。

● その中に手作り豆本があった。本好きあるある的な短文をまとめたもの。“本好きはたいてい散歩好き”とか“買った時点でとりあえず満足”とか“本で金欠”とか。
 ぼくはすでに本好きという範疇に入るほど,本を買わなくなって久しい。が,その感覚は憶えている。けっこう共感できるのだ。

● 買って帰ろうかと思った。のだが,その豆本は「みほん」がひとつあるだけなのだ。それをばらして栞にしたものが,1枚200円で売られている。これでは手が出なかった。

● ところで,この売場のテイストについて,だ。以前は,こういうデザインされたコーナーがあるとオヤッと思ったものだが,最近はやや食傷気味。
 この書店ではこういうコーナーもあるというだけで,売場の大半では通常の並べ方をしている。が,中にはデザインされたコーナーが売場の100パーセントという書店もあるらしい。
 そういう書店に行ってみたいとはあまり思わないし,そういう書店で本を買うこともたぶんないと思う。

● あまり大きな書店ではできないけれども,宇都宮にあるような規模の書店なら,時々は売場の全部を歩いてみる。女性誌の売場も含めてだ。
 発見があるときもあるし,ないときもあるが,オッと思ったものを購入する。Amazonは買いたい本がピンポイントで決まっているときには便利極まりないと思うが(といって,Amazonで本を買ったことは一度しかないのだが),たいていは現物に触発される。

● 触発されるときに,妙にデザインされたコーナーだと,こんなものに触発されてたまるかと思ってしまうんだな。妙に人の手が入っているのはイヤだと思ってしまう。機械的に並んでいるのがいい。
 機械的といったって,本の並べ方が完全に機械的になるはずがないので,バラツキは出る。で,バラツキなんてその程度で充分だ。わざわざ醸されたテイストには,ぼくは拒否反応を示してしまう。

2018年11月22日木曜日

2018.11.22 東京散歩 大手町2

● 宇都宮発14:06の小田原行きに乗った。駅前の金券ショップで切符を買った。今日は“休日おでかけパス”が使えないのだ。なぜって,今日は休日じゃないからね。
 東京まで乗る。大手町に行こうと思う。

● ところで,都内で,降りるときにそこはかとない憂鬱を感じる駅がある。
 第1に新宿。第2に池袋。第3に渋谷。そして,第4が東京だ。降りたあとに愉しいことが待っている場合でもそこはかとない憂鬱を味わう。
 3番目までははっきりしている。だいたい駅構内で迷うくらいだから。東京駅で迷うことはなかった。が,改装後は迷うようになった。田舎者の悲しさと笑ってもらっていいんだけれども,東京人でも迷う人がいるのではないか。
 すごいと思うのは外国人だ。多くは観光客なんだろうけど,何だかスイスイと泳いでいる印象を受ける。ひょっとすると,迷路を愉しむ感覚なのかもしれないけど。

● その東京駅地下街。この時間帯に飲んでる人がかなりいる。しかも,ネクタイ族。若いオネーチャンも。出張でこれから帰るのか。
 こういうのを見てると,日本もまだ捨てたものじゃないと思う。だんだん管理がきつくなって,今じゃ煙草を喫いに喫煙所に行くのを見られただけで,勤務中に何をしているんだと指導が入るんじゃないかと思うほどだ。公務員なら地元住民が人事課に通報するかもしれない。
 そうした鬱陶しい閉塞感の中で働いていて,生産性は欧米に比べると低いらしいのだから,救いがない。

● けれども,この時間帯から飲んでいるとは,そこに風穴を開けているようで痛快だ。いいぞいいぞ,と思う。
 それくらいは大目に見ろよ。いいじゃんか。用事が終わって,これから帰るだけなんだから。店側も潤うだろうしな。

● 東京駅の丸の内口を出ると,江戸城に至る広い道を含めて,周辺の環境は100%人工的なもの。緑も人工的に作られたものだ。都市の極み。
 にしては,そこにいる人たちはカッペを引きずっている人が多いと感じる。お上りさんばかりだという意味ではない。
 人間は自然そのものだ。3代続いた江戸っ子でも,ここまでの人工的な環境に置かれると,自らが抱え持つ“自然”が目立つことになるのだろう。その“自然”がつまり,カッペの正体ではないか。

● 何十年ぶりかで,千代田のお城が見えるところに来た。先月も大手町に来ているんだけど,そのときはあまり時間がなく,帰りは雨になったので,ほとんど歩けなかった。今日はたっぷり時間があった。
 大手門も見ることができた。記憶にない昔に見たことがあるのかもしれないけれど,記憶にないんだから,初めて見たということにしておきたい。
 ここが東京の中心。台風でいえば目にあたるところ。東京の品格(ぼくはあると思っているのだが)の源は,やはりここだ。

● 築城したのは太田道灌でも,今ある形にしたのは徳川サマ。で,今は皇居になっている。天皇が京都の御所に戻ることはあり得ないだろうから,このように整備された状態で今後もあり続けるのだろう。
 東京を代表する観光地でもある。皇居を抱えていることは,東京の大いなる強みのひとつだろう。

● 大手町をフラフラと歩いてみた。平日の夕方,まだ多くの人は仕事中だろうけど,それでも帰途についている人も多い。明日から3連休だもんな,今日は早く帰りたいよね。ぼくは今日も休んでるんだけど。
 ここが日本のビジネスのセンターなのだが,自分の居場所はここにはないと思う。っていうか,ここは自分が働く場所ではない。務まらない自信がある。

● 三井住友銀行と三菱UFJが隣り合っている。張り合うだけではなく,共同の勉強会をしたり,情報交換をしたりすればいいのにと思う。っていうか,やっているでしょうね。幹部(と若い幹部候補)はやっていると思う。
 霞ヶ関と永田町はここから少し離れている。隣接してればもっといいのじゃないか。いやいや,大手町の企業からすれば,それは少し以上に迷惑か。

● 丸善に入ってみた。場所がら1階はビジネス関連の書籍売場になっている。店に入った瞬間にビジネス書の山がドッと目に飛びこんでくる。日本全体で売れるビジネス書の10%はここで売られるんじゃないかと思うほどだ。
 いわゆる自己啓発本,法律,経済,労働,会計,経営に関する専門書や教科書。時事評論の類い。各種国家試験のテキストブックなど。

● 仕事帰りのサラリーマンやOLが顧客なのだと思うが,よそから来ている人も多いのかもしれない。書店や文具店ではお客さんを見ているのも面白い。ピープル・ウォッチングにいい場所だと思う。
 本屋に来てるんだから本を読む人に違いないのだ。本を買ったり,ノートやペンを自分で買って使う人は,少数派。面白い人は少数派の中にいる。で,そういう少数派も東京に集中しているのかと思ってみる。

● いかにも疲れているという風情の中堅サラリーマンがいた。大変なのだなぁと思うが,大丈夫か。休んだ方がよくないか。ま,別の理由で疲れているのかもしれないのだが。
 ハッとするほどきれいな美女もいる。得した気分になる。才色兼備のはずだ。世の中には才も色も持たない女性が圧倒的に多いのだ。どちらかを持っているのは少数。どちらも持っているのは,少数×少数で,超少数。
 それを見れたわけだからね。もっとも,そういう女性はぼくなんぞには鼻も引っかけないだろうけどなぁ。

● 若い頃は東京の書店にしばしば行ったものだった。だから,大型書店に行っても臆することはなかった。あたりまえだ,臆するようなところではない。
 ところが,最近,それが怪しくなっている。丸善で少し臆している自分を発見することになった。圧倒的な物量(といっても,同じ本が大量に置いてあるからそう感じるのだが)に気圧されているのかもしれないが,それよりも自分が本をあまり買わない人間になったからだろう。
 場数を今に活かすには,かつて踏んだことがあるというだけでは足りない。現在も踏み続けている必要がある。それがあって初めて,場数を踏んだという過去形も成立するのだ。

● 大手町=高級,という思いこみがこちらにあったんだけれども,100%高級でできあがっている街などあるわけがない。人間が棲息している以上,それだけでは街は成立しない。
 気安い飲み屋もけっこうある。そりゃそうだ。この街にいるのはサラリーマンなのだ。彼らが自腹で飲める店が必要だ。丸の内永楽ビルや大手町ビルの地階にそうした気安い飲み屋が入っているっぽかった。

● さてと。帰るとするか。東京駅に舞い戻る。平日夜の東京駅は,ぼくの知ってる東京駅とは別の顔を見せた。雑踏が濃いのは同じだが,新橋っぽい雰囲気になるんですな。飲み会を終えたサラリーマンの集団が幅を利かせてたりね。
 この時間に飲み会が終わったというと,今日は定時であがったんでしょうね。明日からの3連休を控えて開放感に包まれているっぽい。そういう目で見るからそう見えるだけ?

● このサラリーマンの飲み会というやつ,当然,会社からの補助はないはずだ。自腹でやっているだろう。これがどれほど会社に裨益しているか。人事管理が楽になっているだろう。残業時間にカウントしてもいいのではないかと思うほどだ。
 逆にいうと,自腹でこれをやっているから“社畜”などという言葉が出てくるのかもしれない。仕事を終えたあとも,社員どうしでつるむという。

● この風潮は昔ほどではなくなっている。その主たる理由は,既婚の女子社員が増えたことだ。彼女たちが昔のような飲み会に全部参加していたら,大半の家庭は立ち行かなくなる。男女雇用機会均等を国是とした以上,この傾向は必然だ。
 昔は本当に社員(男性)にとって会社はすべてだった。その男性社員にしても,昔に比べれば会社を相対化できるようになっているのではないか。
 ゆえに,定年後,会社での人間関係を失い,何をしていいのかわからず・・・・・・という定年問題は自ずと薄まるのではないかと思う。

● なので,彼らを見ていると,そんなことをしていないで,早く家に帰ってひとりの時間を作ればいいのに,と思ったりもするのだ。人生100年時代で最も必要とされるスキルは,ひとりの時間に慣れているということではないだろうか。
 昔の男性社員よりは,そのあたりもだいぶ巧みに捌けるようになってはいるんだろうけど。

● ま,でも,この東京駅の雰囲気は悪くない。立ち去りがたい気分にさせる。
 KIOSKで缶のハイボールを調達して電車に乗った。帰りの車中では,久しぶりの動くパブ。849円の悦楽でござった。これだけ飲めばけっこう酔う。
 宇都宮からは最終の黒磯行き。やはり明日からの3連休が効いているのか,この時間帯の宇都宮にもけっこうな人がいた。仕事を終えたばかりという感じではなく,リラックスムードを漂わせている人が多い印象。

2017年9月14日木曜日

2017.09.14 新書3割引

● 八重洲ブックセンターの店頭にこういうコーナーが。新書の一部を3割安く販売。

● 書籍は再販価格維持。しかも,よく売れるものもそうではないものも,あまり価格差がない。同じ新書で同じページ数なら,値段もだいたい同じ。
 そうじゃないと困る理由があってそうなっているのだろう。

● しかし,本にも生鮮食品的なところがあるんですねぇ。出版されて期間が経つと,新刊書店でも安く販売する。合理的ですよね,それが。
 返品されて裁断されて最後は灰になるよりも,買ってもらって誰かに読まれるのが本にとっては本望のはずだから。

● 本の本体は紙に印刷されている活字にある。ところが,一度読めば活字が消えるというふうにはなっていない。紙だから長くもつ。たいていの本は製本もしっかりしている。
 CDを買えば何度でも好きなだけ聴くことができる。本も一度買えば好きなだけ読み返すことができる。
 が,一度読めばもうたくさんって本も多いわけで,したがって転売のルートが自ずとできる。読まれた本はブックオフに持ちこまれる。

● 問題は転売するときの価格だ。住宅も自動車もわずかでも使われると,経済価値はガクンと下がるという。
 本も同じ。一度読んだ本の価値って,こんなに下がってしまうものかと唖然とする。新品同様の状態であっても,買い叩かれるからね(ということをしばしば聞くので,ぼくはブックオフに持っていったことはない)。
 ブックオフでも売れないでズルズル時間が経つと,100円で販売される。読むにはそれで充分なわけだが。

● それとは別に本の鮮度っていうのもあるんですね。鮮度があるということそれ自体は,ぼくのような者にも理解できるんだけど,劣化(経済価値の下落)の速度がこちらの理解をはるかに超えて進行する。
 次から次へとおびただしい数の本が刊行されるんだから,刊行後の劣化もそれに似合ったものになるのだろう。

● 半年前に出版された書籍のうち,今も書店の棚に残っているのはどれくらいあるだろう。印税で喰っていくというのはかなり難しい時代になっているんだろうね。
 昔,山口瞳さんが「文庫が10冊になるまで我慢しなさい。そうすれば喰っていけるようになるから」と書いているのを読んだ記憶があるんだけど,今ではとても通用しないでしょうね。
 文庫といえば岩波,角川,新潮しかなかった時代と今とではぜんぜん違うし,3年間の風雪に耐えたものが文庫になるという状況でもなくなっているし。

● 新書3割引のコーナーを見て,以上のようなことを思った。

2016年12月15日木曜日

2016.12.11 八重洲ブックセンター本店で『梁塵秘抄』を探す

● 角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズは,その名のとおりぼくのようなビギナーにも読むことができる。今のところ,『おくのほそ道』と『方丈記』しか読んでいないんだけど,『梁塵秘抄』も読んでみたいと思った。
 ところが,地元の本屋にはないんでした。で,東京に行ったついでに,八重洲ブックセンター本店で探すことにした。

● かつて,ぼくは本を買う人だった。年間100万円は本代に充てていた。当時は,インターネットもアマゾンもない。パソコンもなかった。
 ので,地元の本屋に置いてなければ,取り寄せてもらうか,東京の大型本屋まで探しに行くしかなかった。地元には大型本屋なんてないからさ。

● その頃,売場面積が最も広かった書店が,東京駅の八重洲南口にある八重洲ブックセンターだった。地の利も良かった。
 まっすぐ八重洲ブックセンターに向かって本を探した。たいていは,見つけることができた。

● しかし,次第に本を買わなくなった。理由はいくつかある。そのひとつは東日本大震災。わが家もけっこうな被害を受けた。屋根の瓦は全部落ちたし,タンスといい食器棚といい,家中の什器は全滅した。
 書庫に積んであった本もすべてこぼれ落ち,元に戻す気力すら奪われた(だから,今もこぼれ落ちたままになっている。棚に戻すのではなく,処分したのはかなりあるが)。
 本なんか溜めとくもんじゃないと思うようになった。本に限らず,モノなど持っていていいことは何もないという気分が強くなった。
 ちなみに申すと,家も持つんじゃなかったと後悔した。借りておくのが正解だった。不動産も持っちゃいけない。

● 本は図書館で借りればいい。図書館を自分の書庫として使えばいい。自分の書庫を一般開放しているのだと思えばいい。
 そこには司書もいて,きちんと書庫の整理をしてくれている。地震があろうが何があろうが,まずは安心だ。

● 図書館にない本は買うしかない。といって,それが地元の本屋になかった場合,わざわざ東京まで行く気はなくなって久しい。
 アマゾンがあるから東京まで探しに行くことはなくなったというわけではない。アマゾンはぼくも利用するけども,本を買ったことは一度もない。スマホのバッテリーとかノートカバーといったブツは買うけれど,本はリアルの書店以外のところで買う気にはならない。
 地元の書店にないものは,読まないですますようになったのだ。堕落ですか。

● そうはいっても,たまたま何かの用事で東京に行ったときには,探していた本があれば,八重洲ブックセンターに行ってみるという程度のことはする。
 今では,池袋のジュンク堂をはじめ,八重洲ブックセンター本店を上回る大型書店があるようなんだけど,この部分に関しては,ぼくの時間は30年前に止まったままになっている。大型書店の代表は八重洲ブックセンター本店ということになっている。

● 今回はたまたま,角川ソフィア文庫の『梁塵秘抄』を探していたということ。で,さすがにここにはあったんでした。すぐに見つかった。
 なんだけど,この『梁塵秘抄』は抄本なんですね。全文が載っているわけではない。全文版があるのかどうか知らないけれど,同じ編者の,もっと収録数が多そうなのがちくま学芸文庫から出ていたので,結局そちらを買うことにした。
 ともかく,用は足りた。

2015年2月3日火曜日

2015.02.03 喜久屋書店

● 宇都宮で最も大規模な書店がここ。西武→長崎屋→MEGAドンキと変遷を重ねてきた店舗の5階と6階を占めている。
 場所は宇都宮の一等地になるんだけど,旧市街の地盤沈下ははっきりとあるわけで,このあたりのお店で苦戦していないところはないといってもいいくらいのものではないかと思う。

● ぼくもこの本屋に行くのは年に数回くらいのもの。宇都宮にはしばしば行くんだけど,JR駅周辺でとまってしまうんですね。市街に踏みこむことがない。
 本屋にしても,駅ビルに入っている八重洲ブックセンターや,ララスクエアにある落合書店は必ず覗くんだけども,喜久屋とかお隣のパルコに入っている紀伊國屋にまで行くことは,あんまりないんですよね。

● 昔は東京まで本を探しに行くことがあった。八重洲ブックセンター本店とか三省堂とか。お茶の水は,自分的には東京の中では近しい場所だった。
 けれども,今はそんなことはしなくなった。アマゾンがあるからっていうより,そこまでして読みたい本がなくなったからですね。あるのを読めばいいじゃないか的な。

● しかし,この喜久屋書店,品揃えは圧倒的。東京に出た際,いくつかの本屋を覗いても見つからなかった本を,ここで見つけたこともある。
 そういう意味じゃ,本を探しに東京に出る必要はいよいよなくなった。

● こうした大型店,たまには覗いた方がいいですよね。読む本を軌道修正した方がいいかもと思わせてくれることがあるからね。実際に軌道を修正するかしないかはべつにして。