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2020年5月26日火曜日

2020.05.26 宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」で

● 今月の12日。ずいぶんご無沙汰していた宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」に入ってみた。春菊天そば。460円。
 ここは営業を閉めることはしなかったと思う。しばらく前に始めた“ちょい飲みサービス”はやめているけれど。つまり,ハイボールだのビールだのは出しませんよ,と。

● カウンターで客を捌いているのは,中国人かとおぼしきオバちゃん。女の人は軽々と国や言語を超えるねぇ。
 これで思いだすのは,奥さんと2人でソウルに行ったときのことだ。20年近く前になると思うのだが,景福宮をぶらぶらと歩いていたら,外国人の若い女性の2人組がいた。
 したらば。奥さんがその2人と楽しそうに話しているではないか。ぼくの知る限り,彼女の英語は完全な和式発音で,単語を並べる程度にしか話せない。まして,スペイン語などできるわけもない。
 のだが,楽しそうに話している。女性どうしはこれができるのだ。男には逆立ちしてもできない芸当だろう。あとで,2人組はアルゼンチンから来た姉妹だということを教えてもらった。

● そんなことがあったので,中国人のオバちゃんにも声援を贈りたくなった。声援されるまでもなく,仕事はやってのけているわけだけどね。
 この店が満席になったら密集に該当するかもしれないのだが,その状態にはほど遠い。あと少しの辛抱だと思うんだが。

● 次は18日。この日の客捌き人は日本人女性がやっていた。ローテーションがあるんでしょう。中国人のオバちゃんが辞めちゃったというわけではないと思う。
 かき揚げそばで昼食にした。立ち食いそばの王道ですな。440円。

● その次は21日。遅めの昼食。ちくわ天そば。450円。ぼくが行ったときには,女衆はいなかった。若い男2人で切り盛り。

● で,今日。午後3時過ぎに遅い昼食を食べに。ミニカツ丼セットを頼んでしまいましたよ。660円。カツ丼のカツは昔のカツっていいますか,肉を棒で叩いて薄くした肉で,コロモの方が肉より厚いというカツ丼であります。
 だから不味いということじゃない。カツ丼はその方がいいのかもしれない。

● 30代とおぼしき女性が1人でやってきて,ぼくと同じメニューを注文した。朝からずっと働きづめで食べる時間がなかったのかと思われた。
 追い詰められてキリキリしている感はなし。ひっつめ髪で外見などかまっていられないという雰囲気もなし。しかし,優雅な奥様であるはずはない。
 シングルマザーで,そろそろ子供が家に返ってくる時間なんだろうか。子供は女の子のような気がするが・・・・・・と想像をたくましくさせる人でしたね。

● この言い方がデリカシーを欠いていたら申しわけないんだけれども,日本という国というか共同体というか,その屋台骨を支えているのはこの人だと思った。そう思わせる迫力のようなものがある。浅薄な「幸せな人生」などというものを撥ねつける,力が満ちている感じといいますかね。
 とびきり“いい女”を見たければ,こういうところに来てみるのがいいと思う。あるいは,キヨスクで働いている人を見に行くとか。高級ホテルのティーラウンジには(たぶん)いない(もしいるとすれば,それはP活中の女性だろう)。それよりもこちら側にいるのがいい。

2019年10月8日火曜日

2019.10.08 林葉直子さん

● ネットで林葉直子さんに関するエッセイを読んだ。書き手は大崎善生さん。

● 父親が彼女の稼ぎを全部使ってしまっていたことは,この記事で初めて知った。
 余命1年を宣告されてからすでに5年生きている。肝臓の数値も良くなっているらしい。禁酒と薬物療法による。
 ケラケラと笑うのは,今も変わらない。

● 休場騒動から彼女が“没落”するのはかなり早かったような記憶があるのだが,休場のときは大崎さんが間に入って,ちゃんと事前に休場届を出したようだ。
 決定的なのは中原誠永世名人との不倫をマスコミに告白したこと。それをすれば将棋界に居場所がなくなることはわかっていたはずだから,すでに将棋などどうでもいいと思っていたんだろうか。
 そのあとは,ヘアヌードの写真を出して,酒浸りになって。

● いろんなものを背負っちゃったようにも思えるし,10代であまりにも有名になってしまったために(アイドル的な売れ方をしてしまった),商業主義の大人たちにいいように使い捨てられたようにも見える。
 どう生きても一局の人生ではあるのだが,振幅の大きすぎる人生はしんどいだろう。実際にやってみればそうでもないんだろうか。

● ぼくなんかは典型的な安定志向だったから,彼女のような破滅型の人生はやれと言われても絶対にできない。ぼくに限るまい。彼女のような人生は送りたくても送れないのが普通の人としたものだろう。
 誰であっても他人の人生に口を出す資格などないわけだが,才能と美貌があっても人生は難しい。

● あの休場のときにもう少しゆったりとできていれば。なぜあそこまで性急に思いつめる必要があったのか。ということは,少し思ってみたりする。
 彼女の唯一の後悔は,もっと将棋を一所懸命やっていれば,ということらしい。

2019年9月26日木曜日

2019.09.26 1人じゃ寂しいからパートナーが欲しい,って?

● 死別か離別か知らないが,1人で暮らしている女性がいる。子供も大きくなって巣立っていった。寂しいのでパートナーが欲しいという。
 男は孤独になる時間がないと男を維持するのが難しくなるが,女はずっと孤独だと女を維持することは難しい,と言われる。たしかになと思う。女からお喋りを取りあげるのは,女じゃなくなれと言うに等しい。ほとんど拷問に近いのではないかと思う。

● そのことと1人では寂しいからパートナーが欲しいというのは,つながりそうだが別の話ではないかと思う。
 これに対する自分の意見を本人に告げる必要はないが,たぶんそれではダメだと思う。寂しいという観念的というか一般状況がまずあって,それを埋めるための道具としてのパートナー。そもそもダメでしょ。動機が不純すぎる。その寂しさは引き受けるしかないものでしょ。

● 寂しさを他人に埋めてもらおうというのはダメ。人は自分の道具ではない。人に対する操作主義は排さないと。寂しさは自分の行為によって埋めるものだ。
 まずあるべきなのは,この人となら一緒にいたいと思う,具体的な“この人”だ。それが出発点のはず。20歳でも60歳でも,そこは同じだろう。

● 恋愛するにも能力が必要だ。恋愛能力。その能力は若い人が多量に保持している。経験が少ない分,簡単に異性に幻想を持てるということもあるだろう。年を取れば,どうせ男はこんなもの,しょせん女はそういうもの,という的確な見切りができるようになる。性欲も若い頃に比べればないに等しい。
 そういう状況で恋愛するのは困難だとは思うけども,しかし,それなくしてパートナーとの共同生活はない。

● だから,まずやるべきなのは,出会いを増やすこと。そのためには,とにかく外に出ないと。人が集まっているところにひょっこり行ってみること。打席に立つ回数を増やすこと。
 で,“この人”と出会えるか出会えないか。それはわからない。わからないけれども,人事を尽くすとはそういうことだと思う。

● 寂しさを埋めるためのパートナー探しも同じ方法でやるしかないわけだから,方法論は共通だ。じつは結果もさほど変わらないかもしれない。それでも,出発点が“寂しい”なのか“この人”なのかは,人品骨柄にまで影響しそうな気がする。
 理想をいえば,打席に立つのは自分で寂しさを埋めることができた後にするのがいいんじゃなかろうか。寂しくはないけれども,好きな人と一緒に暮らしたいという,マイナスではなくゼロ地点に立ててから,打席でバットを振るのがいいのかもなぁ。

2019年8月14日水曜日

2019.08.14 女性にモテるのは絶対的な勝利

● ぼくが20代の前半だったとき。若い女子社員にやたらモテる40歳の男性社員がいた。それに対して嫉妬することは不思議になかった。モテる理由が何となく了解できたためだ。
 その何となく了解できたところをここに記す,のではない。何となくの了解に留まるので,文字に翻訳することができない。

● ここで言いたいのは別のことだ。その40歳氏に対して,色々いう別の40歳が何人かいたのだ。しかしながら,女性にモテるというのは,言うなら男にとっては絶対だ。議論や見当が入りこむ余地はない。
 なぜなら,女性にとって男性の選択は自身の生存に係わる問題だからだ(そうでもなくなったのは,人類の歴史からすればつい最近のことだ)。自分の生存を安寧ならしめる,あるいは快適であらしめると本能的に思える男性になびくものだと思うからだ。

● なびかせる男がモテる男だ。生存レベルの話なのだから,いいも悪いも,そんな議論は歯牙にもかからないのだ。
 モテる男はそれだけで勝者だ。カネを持つ,権力を持つ,名声を得る。そんなものをはるかに凌ぐ絶対的な勝者だろう。
 女にとって男がすべてだとはとても思えないが,男にとっては女はほとんどすべて。哀れなほどに単純なのだ。

● では,モテるの核は何かといえば,それは相手に快を与えることだ。すこぶる単純化して下世話に言うと,相手を笑わせることだ(自分が笑われることも含む)。それができるかできないか。

2019年6月10日月曜日

2019.06.10 Twitterで発見した面白い女子

● Twitterで面白い人を発見した。女性。年齢は30代の前半。バツイチであるらしい。営業か企画の仕事をしているっぽくて,全国を飛び回っている。
 が,そのバリバリさをアピールしているのではなくて,自分のダメなところをぶっちゃけている。バツイチであること。酒飲みであること。メイクを落とさずに寝てしまう(こともある)こと。

● 自分の裸を見せている感じ。ともかく面白い。
 Twitterを始めてまだ2年にもならないのに,フォロアーは1万を超えている。これならそうだろうなと思わせる。フォロアーを増やすためにはどうすればいいのか,具体的な実例をもって教えてくれている。

● 自分のTweetには取り繕いがある。無難なことしか書かない。どこそこのラーメンを食べたとか,どこそこのコンサートを聴いたとか,どこそこのホテルに泊まったとか,外見的なあたりさわりのないことしか書いていない。
 ネットに出してはいけないことは当然ある。他人のプライバシーや悪口を書くのは論外だし,自分以外の人間を登場させるのは原則NGだろう。
 仕事や職場に触れるのもダメだと思う。守秘義務というやつがある。守秘義務の範囲は予め決まっているわけではないと思っておくべきだ。ネットにあげて問題になれば,それがすなわち守秘義務なのだ。

● 大の大人がネットで愚痴をこぼすのも避けたいところだ。が,愚痴を巧妙に隠して,内面を客観的にできれば面白おかしく晒すことはできるかもしれない。
 鎧をまとわない,上澄みだけ出そうとしない,いい子でいない,ダメなところをどんどん出す。少数派になって叩かれることを怖れない。
 要は裸になる覚悟をするということだが,どうも裸になるのは男より女の方が巧いらしい。

● いじりやすいキャラと思われているのだろう。彼女のTweetから察するに,“おじさん”がリプを付けてくるらしい。彼女にすればかなり迷惑のようで(そりゃそうだ),自分の人生に集中しなよという言葉が何度も出てくる。
 これまた,じいちゃんの自分には教訓になる。人のTweetにリプを付けるのは慎重に。ぼくはほとんどリプは付けないのだが,それはそれでTwitterをTwitterとして使っていないなと思うこともあるのだが,リプを付けるのは“賛意を表する” “ほめる・感嘆する”に限定すべきなのだろうな。

● それ以外のリプを付けたくなるときはジッと耐えて沈黙を守るべきなのだろう。特に女性に対してはそうだ。女性的男性に対してもそうだ。そして,男性の大半は女性的男性なのだ。
 Twitterというのは,リプを付けたくなる構造になっていると思う。同じ内容でもInstagramならば見るだけにとどめるところを,Twitterだとついついひと言いいたくなる,チャチを入れたくなる。ま,Instagramはぼくは使ったことはないんだけどさ。

● というわけで,Twitterに向かうときの姿勢は次のようでありたい。期間限定で試してみるか。
1 裸を晒す 汚いところを隠さない 優等生にならない 文化人面をしない
2 他人のTweetにケチをつけない

● ところが。このことをやはり30代の女友だちに紹介して,面白いから読んでみなよと言ったところ,さっそく読んでくれた。結果,“キラキラ女子”だねと一蹴するのだ。
 写真だけの表示にして見てみなよ。いくら毒吐いてもぶっちゃけててもキラキラ女子。しかも,高給取り。そんな人がおいそれと本音は言わないよ。人の目に慣れてるからきれいに作れるんだよ。羨ましいよ。

● 東京の一流私大を卒業して,千代田区か中央区か港区にある大手の企画会社か広告会社に就職して,売り込みのために全国を飛び回っているというイメージではある。かなりの高給取りでもあるだろう。仕事でもプライベイトでも色々あるけれども,基本,今の生活は捨てないという軸はブレていないっぽい。
 そのうえで,大衆店やラーメンのような下世話な食べものの話材をうまく使って,自分の対外的なイメージをTwitter上に作りあげているという感はある。
 ので,演出はあると思っていたんだけども,ここまで直裁には考えなかった。

● 彼女のTweetでもうひとつ目につくのは,恋愛話だ。恋愛が関心事の大きな割合を占めているようだ。熱を込めて語っている。バツイチでも男に懲りていないらしいなと思ってた。
 ある年齢までの女性はそうであるように神様が作っているのだろうと思うほかはない。種の保存を主に担うのは女性だから,それと関係があるのだろう。ということを思ってた。
 んだけど,これも演出? 女の恋愛話を聞くのが嫌いな男はいない。おそらく,女同士でも盛りあがれる話題だろう。そこまで踏んで創作しているとは思いたくないんだけど,これも男の甘ちゃんかい?

● ま,面白いことには変わりがないので,フォローを続けようと思ってるけど。

2018年11月5日月曜日

2018.11.05 女の耳は地獄耳 2

● 彼女がなぜAさんの人事情報を知っているのだ? って,Aさんが話したからに決まっている。彼女に直接話したのか,別の女性に話したのかはわからないけれども,とにかく女性に話した。
 いったん話してしまえば,そこから先は,光よりも速い速度で,女性の口コミネットワークによって拡散される。ともかく,Aさん本人が話したことが,彼女がそれを知っている理由だ。

● 何を言いたいのかというと,男は女に対して無防備になりがちだってこと。女に話せばサッと拡がることを知らない男はいないのだけど,それでも女にはポロッと喋ってしまう。同性にはまず話さないようなことをね。
 すべての女は巫女なのだと言ってみたい。懺悔を受け入れる巫女だ。

● 女は情報を引き寄せるのだ。だから自然に情報(しかも,一次情報)が集まる。そして女は,その情報の海を巧みに,自分に都合良く操って泳ぐのだ。ネットなんか登場する前から,女はそうしてきたのだ。
 情報処理能力が鍛えられている。男が太刀打ちできると思ってはいけない。だから女を敵に回してはいけないのだ。手ひどい目に遇う。

● 巫女を職業にしている女もいる。たとえば,スナックのママだ。彼女が握っている顧客情報はとんでもない質量になるだろう。顧客間の関係も頭に入るだろうから,彼女の前で顧客(男)は丸裸になっているようなものだ。
 さすがに,スナックのママは口が固いかもしれない。普通の女と同じようにしていたのでは,顧客が離れてしまう。
 だから,男は安心して泣きをこぼすのだけれども,それを業としていると,男に対する見切りが自ずとできるだろうな。男なんてしょせんこんなもの,っていう。そこは職業の功徳かもしれない。

● 欧米ではその役割を教会が担ってきたようだけど,日本では市井の女が引き受けてきた。昔と違って,会社でも半分は女という状況になったから,いつでもどこでも男は懺悔ができる。
 だから,日本ではカウンセラーが一般職になることはない。欧米のように増えるはずがない。
 日本の女は優しかったのだろう。ずっと愚痴や泣きを受け容れてきたんだから。

● 作用があれば反作用もあるのが道理だから,その分,自分も愚痴や泣きを吐きだしているはずなんだけど,それは女同士でやっているんだろうか。そのあたりはちょっと謎だ。
 もっとも,男に吐きだされても,男はそれを受けとめることはできない。断言する。そんなことができる男はいない。

2018.11.05 女の耳は地獄耳

● 職場でアルバイトの女性と話をしていると,彼女から人事情報(?)を聞くことがしばしばある。Aさんは前にこういう病気をしたことがあって,子供は2人いてまだ高校生なんだよ,奥さんも同じ病気をしたらしいよ,とか。
 すべて,ぼくは知らなかったことだ。

● なぜこういう情報を知っているのだ? ともかく,すごいものだ。女はただならぬ情報量の中で生きているのだな。
 インターネットが誕生する以前から,女は情報社会を生きてきたのだと思えてくる。

● あってもなくてもいいものは,ない方がいい。いてもいなくてもいい人は,いない方がいい。知っていても知らなくてもいいものは,知らない方がいい。
 その知らなくてもいいことを女はたくさん知っていそうだ。“知らなくてもいいこと”と言ってしまうのは,男側の決めつけで,女にしてみれば,知らないと不安で仕方がないものなのだろうか。“不要の要”というのがあるんだろうか。

● だとすると,女をやってくのも容易じゃないね。男は一人で過ごす時間がないと男を維持できないのに対して,女はずっと孤独が続くと女の基礎が揺らいでくる,と言われる。そういうことも関係するんだろうか。
 女は男に比べると社交性に富み,自身が属する共同体に着けた足が浮いてしまうことはまずない,と思われる。それが女の圧倒的な強みだと思っているんだけど,反面,社交の場がなくなると,男より辛い状況に陥るんだろうか。
 孤独というと観念的な言い方になるな。要するに喋れない状況になると,男よりも女の方が強い風を受けることになるのかい。

● 喋るためのネタ,基礎情報を,女は男よりもたくさん必要とするのだろうか。役に立つか立たないかわからないようなものでも,女には必要な栄養なのだろうと思うほかはない。
 いや,それよりも役に立つとか立たないとか,そういうモノサシは女にはないのかもしれない。要不要という発想じたい,男のものなのかも。

● でもねぇ,ぼくの少ない見聞からすると,女は孤独にも強いと思えるんだよなぁ。

2018年8月12日日曜日

2018.08.12 海外旅行の主役は女性。たぶん,ひとり旅も

● 八重洲ブックセンター宇都宮店で香港のガイドブックを購入。どれにしようかとしばし迷ったんだけど,JTBの「ソロタビ」にした。1,300円。
 海外旅行は台湾が人気。書店の棚を見ても,台湾ものが幅を利かせている。安近短だからだろうか。治安も対日感情もいいからか。食べものが美味しいからか。そのいずれでもあるんだろう。他にも理由があるのかもしれない。

● ところがわが家では旅先は東京と決まっている。子供が小さかった頃は,そちこちに出かけたものだけれども,夫婦で出かけるのはもっぱら東京。東京のホテルでマッタリする。それ以外は何もしない。
 夏の避暑も冬の避寒も東京のホテルが一番いい。リゾートというけれど,普段は自然に囲まれて過ごしているのだ。普段と違う体験をするのがリゾートなら(それはリゾートの定義ではないだろうけど)都市に宿泊するに限る。

● ので,海外にも行かなくなった。相方は行きたいらしいのだけど,あまり自分から海外とは言わない。ぼくに遠慮してるんだろうか。
 相方がJALカードで貯めたマイルを航空券に替える。海外に行くときはしたがって,航空券はタダになる。それ以外に航空券を買ってどこかに行こうとはならない。
 台湾便はマイルで取るのが難しいらしい。ので,香港になる。1年か2年に一度。相方が一人で行くこともある。なぜ香港かといえば,ディズニーランドがあるからだ。

● ので,香港のガイドブックを買ってみるかとなったわけだけども,書店のガイドブック売場を見ると,女性向けのが棚の多くを占めている。JTBの“ララチッタ”,昭文社の“ことりっぷ”,ダイヤモンド社の“ARUCO”など。ぼくが買った“ソロタビ”も女性向けの色合い。
 当然の話で,旅行に出るのは女性が多いからだ。男を相手にしてても話が進まん。

● 一人旅に限っても,今や女性の方が多いのではないかと思うほどだ。かつては一人旅の女性は宿を断られることがあった。国内での話だ。しかも,それほど昔のことでもない。
 それは自殺を連想させるものだった。女性にとっても覚悟を要するものだったのだ。隔世の感があるとは,こういうことのためにある言葉だろう。

● これは日本だけの現象ではないように思う。同じことを日本に来ている外国人旅行者にも感じるからだ。女性主導のように思える。世界はあげて女性元気時代だ。その流れがニカーブを女性に強いているイスラムの国にも浸透している気配がある。
 大変にけっこうなことだと思う。つまり,それが自然だからだ。女性は楽しむ性なのだ。女性に我慢を強いるのはほどほどにしとかないとね。女性は我慢もできる性ではあるんだけど。

● 平和の配当とはこういうことをいうのだと思う。女性が伸び伸びと快を楽しんでいれば,それが男性にも感染する(その逆はない)。
 何を快と感じるかは女性といえども個人差があるはずだが,旅行は個人差を超えたところにあるものかもしれない。旅行嫌いの男はいても,女で旅行が嫌いという人には,ぼくはまだ出逢ったことがない。

2018年5月7日月曜日

2018.05.07 セクハラ雑感

● セクハラがまた一段とうるさくなったように思える。うるさくなったというか,細かくなった。被害者=女性,加害者=男性,シロクロを決めるのは女性側の印象,という図式だから,男性側としては防御を怠ってはならない。
 ぼくは職場の女性が髪を切ってきても反応しない。気づいても何も言わない。

● かつては,セクハラになるかならないかギリギリのところを突いていくのが紳士の嗜みというものじゃないかと思ったりもしてた。そのギリギリを押し広げていけるのが,つまりモテるということではないのか。
 だけど,加齢とともに,突いていける範囲が狭まっていくのを実感する。そんなことをしても面白くも何ともなくなった。ジジイになると何を言ってもセクハラになってしまうのだ。ので,専守防衛に努めている。

● 問題はここからだ。髪を切ってきたのに職場の男性が何も言ってくれないっていうのは,女性側としてもつまらないだろうとずっと思っていたのだ。
 ところが,そうでもなさそうなのだ。そういう話って必ず女性どおしで交わすことになるから,女性としてはそれで充分なのかも。男性が専守防衛でガチガチになってくれた方が,少なくとも今までよりはマシなのかも。
 今頃気がついたの? バカね! という声が聞こえてきそうだ。

● ともかく。セクハラの汚名を着るのは,痴漢の濡れ衣の次にバカバカしい。次の2つは必須だ。

 容姿に関しては一切言及しないこと。ほめるのであれ茶化すのであれ,例外を作ってはいけない。靴やバッグ,アクセサリーを話題にするのも御法度。

 名前をちゃん付けで呼ばないこと。

 基本中の基本のはずだが,中高年の男はそこを外してしまうことが今でもある。セクハラという言葉もない時代の空気を吸ってしまっているからだ。が,その時代の空気はアンラーニングの対象だ。

● ぶっちゃけ,世の中に美人は圧倒的に少ないのだ。そこは男性も同じなのだが,男性にとって容姿など問題になるまい。男性に対する評価軸はそこではないからだ。
 が,女性にとって容姿の比重は男性の比ではない。誰でも知っていることだ。知っているんだから,知っているとおりに行動すればいいだけだ。

● 自分の容姿が論外だと思っている女性は一人もいない。なぜなのかはわからない。なぜなのかはわからないけれども,そういうものだということは,これまた誰でも知っているだろう。
 ここでも知っていることを踏まえて動けばいいだけだ。真実を知らしめようなどと余計なことをするのは犯罪に近いNGである。

● なぜ犯罪なのか。理由は2つだ。
 まず,容姿に関しては本人の罪科は皆無だからだ。持って生まれたものだ。如何ともしがたい。
 もうひとつ。容姿の良し悪しの基準は曖昧模糊としたものだからだ。時代によってもだいぶ違うのではないか。今日の美人は明日のビー・ユー・エス・ユーかも知れず,今日のビー・ユー・エス・ユーは明日の美人かもしれないのだ。

● ただね,以下は余談なのだが(今までは余談じゃなかったのか),現状は圧倒的多数のビー・ユー・エス・ユーによる残り数%の美人迫害が目立つような気がしている。異端迫害的な。きれいなバラにはトゲがあるのよ,とかね。なぜ美人をトゲのあるバラにたとえる?
 セクハラも美人の方が受けやすい。美人は男なんてそんなものと見切れているだろうと思うのだが,それが男性側に美人なら大丈夫と思わせてしまっているかもしれない。美人なら茶化しても大事にはならない,という安心感を与えてしまうというかね。

● どうも,美人は損をしているような気がするのだ。というわけなので,ぼくは断然,美人を擁護する側に立つ。やむにやまれぬ大和魂というやつだ。

2018年4月21日土曜日

2018.04.21 シェラトン都ホテル

1254号室
● 白金台のシェラトン都ホテルに投宿。何度も泊まっているので,目黒駅からホテルまでの光景はすっかり馴染みになった。気分としては,ここがわが家の別荘になった感がある。
 白金台という場所も,以前は何もないところだと思っていたんだけど,別荘地だと思えばなかなか以上に快適なエリアだ。場所への愛着もできつつある。

これでハイボールを
● この別荘のいいところは,事前に電力会社や町役場に電話して,電気や水道を通しておいてもらう手続きが要らないことだ。
着いた当日と翌日に大掃除をしなければ住める状態にならない,なんてこともない。
 フラッと行っても,準備万端整っている。帰るときもそのまんまでいい。何の手間もかからない。

きれいどころ
● さらに,掃除や食事の準備も自分たちでする必要がない。上げ膳据え膳,掃除付き。何度も行けば,こちらの癖も憶えてもらえる。
 本格的なサウナやプールまであるのだ。その管理も自分たちでやる必要はない。専門家が全部やってくれるのだ。プール付きの別荘を持ってるなんて,かなりの富裕層でも稀なのではないか。太陽王と呼ばれたブルボン王朝のルイ14世ですら,ここまで至れり尽くせりのサービスを受けていたかどうか。

● まだあるぞ。この別荘なら,自分の好きな場所にいくつでも持つことができるのだ。那須にも持てるし,ハワイにも持てる。沖縄や北海道にも。
 不動産取得税がかからないのだ。用済みになったとしても,売却する必要がない。そのまま放っておくだけでいい。

「四川」の朝食
● では,どこに別荘を持つかといえば,ぼくの場合は,まず東京ということになる。東京は栃木の奥座敷なのだ。この座敷にはないものがない。ひじょうに便利に使える座敷なのだ。
 大事なことは,座敷にあるものをリビングに移そうなどと考えないことだ(つまり,東京にあるものは栃木にもあるべきだなどど考えてはいけないということね)。リビングはシンプルに保っておくべきだ。
 せっかく座敷があるんだから,座敷に置けるものは置きっぱなしにしておくのがいい。必要に応じてその座敷を使えばいいだけだ。

夜の日本庭園
● その東京の別荘も手放さなければならないかもしれない。というのは,今回もスイートの3食付きで1泊5万円という宿泊プランで泊まっているんだけれども,催行主の相方によれば,もうこんな料金のプランは出ないだろうということなのだ。
 これより以降は10数万円になっているらしい。さすがにぼくらには手が出ない料金だ(が,以前の常識に照らしてみれば,その10数万円が妥当な料金のように思える。サウナやプールまで使えて5万円というのは,安すぎるのだ)。少なくとも,東京五輪が終わるまでは,破格のプランは登場しないだろうと思われる。

焼きそばを侮る者は地獄に堕ちよ
● つらつら考えるに,関係者が騒いでいるほどには五輪の経済刺激効果は大きくないと思うんだけれども,それでも五輪の小判鮫たちが入れ代わり立ち代わり,大挙して東京にやってくるだろう。人のお金で泊まる連中だから,しみったれた使い方はしないだろう。
 ホテルとしてはここでしっかり稼がねば。いや,稼いでほしい。

● 黄金週間中にもこのホテルに2泊の予定。なんだけど,さすがにスイートというわけにはいかない。
 その後はもっと安いホテルを探すことになるだろう。

きれいどころ 2
● そうまでしてホテルに泊まらなければいけないのかといえば,全然いけなくないんだけど,相方にはそれが最高の癒やしになるらしいのだ。人生に癒やしは必要だからね。
 特に女性の場合は,大人になると人にほめられることが極端に減るはずだから。まして中年と呼ばれる域に達した女性は,よほどの容姿か才能をまとっているのでない限り,そもそも人の目に留まらない存在になりがちだ。
 女はほめられ続けていないと女を全うできないところがあるように思われる。それが失われれば,それに代わる癒やしの場が必要になる。それをも取りあげるのは酷に失する。

2018年1月29日月曜日

2018.01.29 最強のモテ女

● 最強のモテ女は明るいブス。明るいっていうのは,ほんとに万能だ。明るいのがなぜいいかというと,いじりやすいからだ。
 明るくていじられキャラの女性に,頭の悪い人はいないような気がする。

● 明るい美人ならなおいいじゃないか,って? ところが,事はそう単純じゃない。美人に明るさって意外に似合わない。
 こちら側(男性側)先入感があるんでしょうね。美人というのは,儚げで寂しげで,どこかに陰がある方が絵になる,っていう。いや,美人とはそういうものなのだ,っていう。
 明るい美人は芸能界に充満していると思うけれども,それよりもいじりやすい明るいブスが勝る。銀座でNo.1を取るのもおそらくこのタイプでしょ(行ったことはないけどね)。

● 美人に生まれるって言われるほどお得じゃないと思う。さだまさしは,「娘は器量が良いというだけで,幸せの半分を手にしている」と歌っていたけれど,どういたしまして。これまた,事はそう単純じゃない。
 10~20代の若い男性は,笑っちゃうほどルックスに弱いのは確かだけれど,美人がチヤホヤされるのはその年代まで。

● ただし,性悪なブス,自意識過剰なブス,バカブスは論外なので,そこはお忘れなきよう。つまり,性悪や自意識過剰やバカなら,ブスより美人が勝る。
 おそらく,男も同じだろうけど。ぼくは自意識過剰な醜男に該当する。

● 明るいブスはいじられキャラになる。そういう女性にバカはいない。となると,頭の回転の速い女性がモテる。そういうこと。これが結論。

2018年1月14日日曜日

2018.01.14 貧乏人のサガ 2

● 午前中,相方と地元のスーパー「とりせん」に行った。米がなくなったし,夜は鍋にしたいから白菜も買わなきゃ,というわけで。
 でも,昨夜も福田屋に行っているんですよ。福田屋で買っておけばよかったのに。

● 「とりせん」では日曜日の午前中(10:30まで)に日曜市を開催している。全品1割引き。
 時間をおしまないで,少しでも安く買おうとすると,福田屋で半額になっていないものは,明日,地元のスーパーで買った方が安い,って発想になる。

● 時間よりも“少しでも安い”が価値が上っていうこと。時間を惜しむことを憶えなさい,って言われそうなんだけど,そうせざるを得ない環境に置かれれば,教えられなくてもそうするはずだ。時間を惜しむ必要のない境遇だから,“少しでも安い”に惹かれるのだ。
 逆にいうと,そういう人に時間を惜しめと言ってみたところで,効果はない。

● 不思議なことに,そういう人(ぼくらのことだけど)も自分は暇だとは思っていない。忙しいと思っている。実際,わりとアタフタしていたりする。
 このあたりが,人の器量ということかもしれないね。器量というかキャパシティーが現れるところかなぁ。

● しかし,それだけで説明することはできない。
 日用品を買うことっていうのは,男の場合は必要悪でしかないことが多い(と思う)。ぼくもそうで,ないと困るから,買いに行くわけだ。それ以上の意味はない。
 だから,一番近くにあるスーパーに行く。チラシを見ることもない。10円や20円の違いは気にしない。賞味期限などチェックの対象外だ。上にあるものから取っていく。

● が,相方はそうではないらしいのだ。必要だから買う,欲しいから買う,というのももちろんあるんだけれども,それよりも,買うという行為をしたいから買っているように見えるのだ。買うという行為それ自体に快感があるようなのだ。
 そうであれば,一度で済むものであっても一度では済ませないのは納得できる。買うという行為は何度でも体験したいわけだから,その機会を摘んでしまうようなことはしないのだ。

● さらに。安く買えると勝利感を覚えるようなのだ。自分は人よりも安く買ったぞ,ということに勝利感が伴うっぽい。
 その差はしかし,微々たるものだ。そのために費やした時間,車のガソリン代まで考えると,とうてい容認されない類のものだ。
 けれども,それは彼女の中では問題にならない。なぜなら,それは娯楽だからだ。

2017年12月31日日曜日

2017.12.31 女性にとってホテルとは

● たったの2泊なのに,しかもずっとホテルにいてどこにも出かけないのに,相方の荷物はかなり多くなる。ぼく一人ならトートバッグひとつですんでしまうんだが。
 スーツケースの中に何が入っているかというと,洋服だ。文字どおりのスーツケースなのだ。ま,スーツではないんだけどさ。

● 女性にとってのホテルって,オシャレができるところ,らしいんだね。オシャレをする楽しみを叶えられるのがホテル。
 荷物が増えるわけだよね。それはぜんぜんOKなんだけど,ぼくへの要求水準も高くなる。お洒落している自分の隣に汚い男がいたんじゃ,せっかくのお洒落が台なしにだ。わかるんだけどね。

● きちんと服装を整えるヨーロッパ式より,ラフな格好でどこにでも行くアメリカ式に,こちらは染まってしまっている。それでいいじゃないか,と思うわけでね。
 ここ,男女で対立しがちかもしれないね。何がカンファタブルかが,男女で違う。

● でも,こういうときは女性の意向が優先される。こちらは黙って重いスーツケースの運搬人になるしかないねぇ。
 そこはもう諦めるしかないでしょうね。こう,自分に言い聞かせて。
 オシャレは女の命,最大限の尊重を要す。おまえ,いくつになったと思ってんだよ,とは口が裂けても言うまじ。女は死ぬまで乙女なり。

● オシャレって,つまるところ演技でしょ。女の人って好きだよね,演技するのが。
 それが演技であることを指摘されると,猛然と反発したりもする。“デリカシーがない”と女性が男に言う局面で,最も多いのがこれじゃないかな。

● 特に楽しそうにやってるのは,幸せゴッコかな。既婚者は幸せな家庭を持ってこんなに幸せよ,とやりたがるし,独身者は自由でイケてる女になりたがる。
 演技でもしなけりゃやってらんねー,ってことなのかと穿った見方もしたくなるなぁ。

● でもさ,この演技は見栄と紙一重だからさ。バカ女の演技って見ちゃいらんねーんだよ。ごめんね,率直すぎて。
 Instagramに行くと,この種のバカ女が溢れているね。ごめんね,デリカシーがなくて。

2017年11月18日土曜日

2017.11.18 女子の行動力は男子を圧倒する

● 東京から帰りの宇都宮線の車中。小金井行きの普通列車に乗って,大宮で宇都宮行きの快速に乗り換えた。古河で座れた。
 ま,そんなことはどうでもいいんだが,小山を発車した時点で,自分の視野に限って,乗客を男女別に数えてみた。男はぼくを含めて3人。女性は8人だった。その多くは10代と20代の若い女の子。

● 外に出ているのは圧倒的に女が多い。男は何をしている? 男は車で出かけるのか。いや,そこに男女差はないと思えるんだが。男は土曜日も仕事に出ている? だとしたら,男はバカじゃないのか。
 行動力,行動半径においても,女が男を圧倒しているのかもしれないなぁ。まぁ,出かけるのがいいというわけでもないんだろうけど。

● 電車の車内に限らない。たいていのところは女の方が多い。たとえば,休日のショッピングセンター。文具店もそうだ。商品を物色しているのは圧倒的に女性が多い印象。男女が逆転するのはパソコンショップやオーディオショップくらいではあるまいか。
 コンサートホールもそうだ。聴衆の多くは女性。ぼくはまず行かないんだけど,美術館なんかもそうだろうね。
 あ,シネコンは男女が拮抗しているかもしれない。カップルが多いから。

● これ,昔からそうですよね。今に始まったことじゃない。女は外向きで男は内向き。
 男は外に出て働き,女は内で家庭を守る,というのは,男女が動く場のごく一部を指したものにすぎない。しかも,戦後しばらく経ってからのごく短い期間にしか現れなかったものだ。

● 女が外に向くのは社交が女の本質だからでしょうね。女を奥に閉じこめたままにしたら,苦痛で身もだえするんじゃなかろうか。買い物に行けなくなるんだからね。
 ともあれ,女の方が男より行動力に富む。商品も文化も女が伝播するものなのでしょうね。つまり,男女の文化差は開く一方になる。
 “文化=知”ではないから,書斎で本を読んでいるだけでは,文化の進展に遅れをとることになるぞ。

● しかし,とも思う。社会を前に進めるのは“いびつ”ではあるまいか。世間の趨勢に背を向ける人ではないか。
 ただね,“いびつ”な男子に申しあげたいのは,君のは社会を前に進めるような“いびつ”じゃないよ,ってことだな。

2017年9月9日土曜日

2017.09.09 凜々しい光景

● 宇都宮のイトーヨーカドーで。レジで精算して,買い物カゴから詰め替えるための作業台に。
 したらば。小学生の女の子が一心にその作業中だった。あたりを払うというか,誰も私に声をかけるな,近づくな,といったオーラが出ていた。
 ので,彼女の横顔しか見てないんだけど,凛々しいとはこういうことを言うのかと思わせるものがあった。

● 父親と二人で来ているようで,台の向こう側に父親が立っていた。品物を入れたマイバッグを肩にかけて,父親と一緒に出口の方に歩いていく。マイバッグは彼女が持ったまま。父親が持とうとしなかったんじゃなくて,彼女が私が持つと譲らなかったのだと思う。
 自分が生活を支えるよといった風情があった。覚悟を見せているというか。小学生の女の子ができる範囲で精一杯の。

● その姿が,年の離れた夫婦のようにも見え,恋人同士のようにも見えたよ。十数年後に彼女と結婚するはずの男性が羨ましいと思った。
 女の子って時々,そうした風情を醸すことがあるよねぇ。その風情は神聖にして侵すべからず的な強さを発している。他人のことは知らない,でも家族と自分のことは,自分が守るよ,という強さ。

● 恋愛でも結婚でも離婚でも,女性に覚悟を決められたら男はまず太刀打ちできない。女性は小学生ですでに女性になっているんだな。

2017年3月4日土曜日

2017.03.04 また,ベルモールのスタバ

● 1週間前に相方は「さくら ブロッサム クリーム フラペチーノ」を注文した。また,同じものをと思いきや,一度でいいという。
 で,今日はコーヒーフラペチーノを頼んだ。はい,これは鉄板でしょうね。スタバ以前にはこの世に存在することのなかった飲物ですしね(いや,あったのかもしれないけどね。ぼくが知らなかっただけで)。

● ぼくはソイ・ラテを注文。これを頼むのは初めてのこと。最近,ちょっと試みていることがあるんですよ。自分が女だったら何を注文するだろうかと考えてみる,ってことなんですけどね。
 女じゃないんだから,どこまでも想像なんだけど,自分が女だとしたら何を注文するだろうか。女になったつもりでちょっと考えてみる,っていう。

● ソイ・ラテ,要は豆乳を使っているわけですよね。普段,豆乳は飲まない(牛乳も飲まない)。納豆は大好きだからよく食べる。大豆はそれで足りているんじゃないかと思っている。
 ちなみに,わが家では味噌汁はまず出てこない。相方が作らないからで,ぼくも味噌汁にこだわるところはない。朝食=味噌汁の香り,という刷り込みはないんですよ。

● というわけで,普段は飲まない豆乳なんだけど,スタバのソイ・ラテは充分に飲める。旨いと思った。スタバなんだからね,不味いものはないと思うんですけど。
 では二度目はあるかとなると,相方の「さくら ブロッサム クリーム フラペチーノ」とおんなじで,次はまた別なのを注文しようと思う。
 女になったつもりで注文するんだから,次は普段は絶えて飲むことのない紅茶なんかを頼んでみますか。

● 日本では女性が一人で外食したりお茶したりっていう光景を見かけることはなかったと思う。もうだいぶ前になるんだけど,香港やシンガポールに行くと,若い女の子がひとりでホーカーズで麺を食べてたりするのを普通に見かけるので,驚いたものだった。格好いいなぁとも思った。
 かの地では家で食事を作るよりも,外で食べるのが普通だって話も聞くんだけど。とにかく,若い女の子がひとりでいるのを,本人も周りも気にしていない。

● 今や,日本でも同じようなことになりつつある。女性のお一人様はまずいなかったところというと,立ち食い蕎麦のスタンドと吉野家だ(女性のグループならいた。だから,立ち食い蕎麦のスタンドや吉野家には女性客がいなかったというのではない)。
 今はもう,女性のお一人様が必ずいる。年齢は様々だから,すっかりそれが浸透したと見ていいのだろう。

● その契機になったひとつにスタバをあげていいでしょうね。喫茶店はお喋りを楽しむところだった。スタバはそうではない。スタバはそのまま広場だ。広場の孤独を味わうのに何の問題もない場所だ。そういうところには一人で出かけるのに抵抗が少ない。
 スタバ側もそれを誘導しているように見える。グループで座る大きなテーブルではなく,二人がけの小さなテーブルがメインだ。ひとりで占拠してても申しわけなさを感じなくてすむようになっている。

● ぼくの近くにもお一人様の女性が二人いた。
 大小のリングノートを2冊,膝の上に乗せて,右手にジェットストリームのボールペン,左手にiPhone。iPhoneを操り,ノートに何かを書いていた。
 年齢は30歳くらいか。コーヒーとスコーンか何かを注文したらしい。あらかた食べた後だったけど,ひょっとするとそれが夕食なのかもしれない。カロリー的にはそれで充分なのだろうけど。

● もう一人は,眼鏡をかけたロングヘア。東芝のノートパソコンで何やら作業をしていた。「A LIFE」で木村拓哉君扮する沖田医師が使ってるのも東芝だね。スポンサーのひとつが東芝だから。
 ま,それはどうでもいいんだけど,お一人様の女性というのは,たいてい様になる。お一人様の男性はもっとたくさんいるんだけど,風景に埋没している。点景として存在するだけで,まったく目立たない。
 ぼくが男だからそう見えてしまうのかもしれないけれど。

2016年10月31日月曜日

2016.10.30 スターバックスにて妄想

● 宇都宮はインターパークのスタバ。注文のとき,お買いものですかと声をかけられた。こういうひと言は嬉しいものだね。
 ぼくが買いものに来たのかそうではないのか,彼女にとってはどうでもいいことだと思われるし,インターパークに買いもの以外の用事があって来る人はあまりいないだろうとも思うんだけど,それでも“いいお天気ですね”という感じで,お買いものですかと声をかけてもらえるのは,じつに悪い気分ではない。

● その店員さんが少し年増の美人だったりすると,ぐっと来る。あ,この人,銀座でも務まる,とか思ったり。すでに若いだけで珍重される時代じゃないものね。

● 年増の美人。これからのキーワードはこれだな。
 ただし,だ。若ければ美人だけですむけれども,年増ともなれば美人だけでは不足だ。美人でかついい女でなければ。
 では,いい女とはどういう女性かといえば,苦労を消化しているということだろう。

● 苦労の中身は問わない。結婚に失敗したことかもしれないし,仕事で挫折して今はスタバでバイトしているということかもしれないし,それ以前の経済的な問題に絡め取られてアップアップの人生を送ってきたということかもしれない。
 何でもいいんだけど,その苦労を消化して,現在あるような形になっていること。

● その場合,問題はひとつ。そういう女性がぼくを相手にしてくれるだろうかっていうことだ。

2016年9月20日火曜日

2016.09.20 美はその持ち主の幸せを保証しない

● 左の記事は今日(9月20日)の下野新聞。すごい競争と確率をくぐり抜けたものだ。
 この子は女性の中のある種のエリートに違いない。彼女のルックスは,東大に受かる程度の勉強頭よりは,はるかに大きな価値を持っているだろう。

● だが,しかし。美はその持ち主の幸せを保証しない。むしろ,逆の場合がしばしばある。
 「娘は器量が良いというだけで,幸せの半分を手にしている」(さだまさし)というのは,嘘だ。良すぎるのは危うい。しばしば,持ち主の足を掬う。

● 最近,小学生が列を作って当校しているのを見ると,涙が出そうになることがある。この子たちはこれから大人になるまでに,どれだけの苦労を味わうことになるのだろう。
 大人になってからも苦労の連続ではあるけれども,大人になるまでの苦労は格別だ。

● この子たちの人生は,その苦労を耐えるに値するものなのだろうか。いや,自分の人生はどうだったろう。自分の子どもの人生はどうだったのだろう。

● 平凡な人生を歩む多くの子どもたちでもそうなのだ。この記事の女の子のこれからは,そんなものではすまないだろう。まだ12歳で世間の荒波に翻弄されるのか。
 幸あれ。神の光が彼女のうえに注がれんことを。

2016年9月16日金曜日

2016.09.15 「いい女」は年齢じゃない,職業でもない

● さくら市にある某店で“まぜそば”を食べた。もう何度も食べているので,お馴染みの味だ。

● でね,この店のとある女性スタッフ。40代の後半かと思われるお年頃だ。
 彼女の接客が気持ちいい。いつもかすかな笑みを浮かべているように見える。お客への言葉を惜しむことがない。他のスタッフの動きもよく見ているようだ。
 マニュアルしたがってそうしているわけではないだろう。彼女個人の資質によるものだ。

● きれいめの田舎の女将さんという感じ。けれど,この人が持っている素材(外見的にも,性格というか適性的にも)は相当なもので,少し磨けば今からでも銀座のクラブで働けるのではないかと思える。

● ここまでの人がこういう店で働いているのは,何か事情があってのことだろう。
 女性の場合の事情は自ずと限られてくると思うのだが,そうした女性の中に“いい女”がいる確率が高い。
 彼女をめあてにこの店に通う男性客がいても不思議はない。

2016年9月8日木曜日

2016.09.07 最近見かけた3人の女性騎士

● 騎士とは男性のことだろうなどという野暮は言いっこなし。かつて“リボンの騎士”もいたではないか。サファイア姫,永遠なれ。

● 4日に東京駅から宇都宮行きの電車に乗った。座れる確率が高い先頭車両か最後尾の車両に乗ることにしている。この日は最後尾だった。
 ぼくの前に乗り込んだ女の子がいた。たぶん中学生ではないだろうか。あるいは高校生かもしれない。
 その彼女,座れるのにあえて座らず,座席の前をよけて立った。あたかも背中に目があって,年寄りのさえない男が乗ってきたら,席は譲ってやろうとしたかのようだった。

● で,ぼくは座ったんだけど,その彼女,すぐに降りるのかと思ったら,さにあらず。彼女が降りたのは久喜駅だった。それまでずっと立っていた。
 これ,ぼくにできるだろうか。若い頃はやっていたかもしれないんだけど,今,できるだろうか。

● 6日に氏家の「登竜」に飲みに行った。そこに30歳前後とおぼしき女性が一人で,食べに来ていた。一生懸命に麺を食べていた。今は食べることに全力をあげるといった風情で。かといって,いぎたなく食べているわけではもちろんない。
 この時間にここで食べているということは,ひょっとするとこれから夜勤に向かうのだろうか。

● 食べ終えたら,バッグからノート(手帳か)とペンを取りだした。何事かを確認しているようだった。ときどき,スマホを叩いている。おそらく,電卓アプリを立ちあげて計算しているのではないかと思われた。仕事の段取りでもしているのだろうか。
 こういう女子がいる限り,日本は安泰だな。男女雇用機会均等法ができたのは30年前か。それ以前は働き手の主要部分は男だけが担っていた。もったいないことをしていたものだな。

● 今日(7日)の朝。雨だった。ぼくの前を歩いていた女子高校生。傘をさした彼女,群れないで一人。水が溜まっているところをよけることもなく,サッサと歩いて行く。そうするのだという意思を感じさせる。しかし,無理をしているふうではない。
 若き騎士だなと感じ入ってしまった。

● というわけで,ここ数日の間に,3人の女性騎士に出会う光栄をえた。彼女たちにはいくつかの共通点がある。
 まず,一人であること。友だちと群れていなかった。一人で立っている感があった。次は,若かったこと。今どきだから,30歳前後は充分に若い部類に入る(本人がどう思っているかは別として)。

● 今どきの若いのは,と年寄りは言いがちだけれども,彼ら年寄りたち(ぼくもここに属する)よりも若い人たちの方が,おしなべて言えば凜としたものを感じさせるように思う。
 バブル期に生きた人たちに比べれば,時代に鍛えられている度合が違うから,それが当然なのだ。