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2024年1月4日木曜日

2024.01.04 能登大地震

● 元日の昼。地震があった。震度は大したことはなかったが,嫌な揺れ方だった。
 東日本大震災を体験しているから,震源に近いところでは大変な被害が発生したことは,直感できた。

● 2011年3月11日の夜,靴を履いたままでないと自宅に入れず,足の踏み場もない状態で,どうにか布団を置いて寝たが,屋根の向こうに夜空がチラチラ見えた。
 今回,それどころではない被害に遭った人たちが多数おられるだろう。

● ぼくにできることはない。できることはないが,やってはいけないことはある。
 この件について SNS で何かを発信してしまうことだ。部外者が何を言ってもノイズにしかならない。
 自分の家族,友人,知人の安否を必死にネットで手繰っている人が何人もいるはずだ。ノイズはその妨げになる。


● お悔やみ申し上げます,お見舞い申し上げます,ご無事をお祈りいたします,と 𝕏 で発信するのも余計なことだ。もし本当にそう思っているのだとしても,自分の胸に収めておけばよい。
 𝕏 に上げて誰に伝えようというのか(しかも,匿名アカウントで)。被災者以外に伝えても無意味なのだし,仮に被災者に伝わったとしても,通り一遍の,ありていにいえば薄っぺらな,決まりきった文言に鼻白むだけだろう。


● ましてや「助けてください 住所は○○」のポストを不用意に拡散してしまうなどもってのほかで,こういう状況下ではバカの善意が最も害を為す。
 この種のバカは,こういう状況でこそ元気を出すから始末が悪い。

● というわけで,やってはいけないことをやらずにいられるように,今回の地震発生後3日間は 𝕏 を絶つことにした。
 で,4日の午後になって,再開したのだけれども,地震についてはポストしないのは当然。

● 𝕏 を絶っている間,まったく痛痒は感じなかった。𝕏 なんてなくてもいいと思ったよ。
 メモ代わりに使ってる人が多いと思うのだが,Google Keep やツイメモなど,その用途に使えるアプリはいくらもある。
 が,再開してしまっている。半ばは惰性かもしれんね。

2019年10月15日火曜日

2019.10.15 台風19号

● かなりの傷跡を残した。死者は90名に迫る。東日本大震災とは比較にならないが,これだけの死者を出す台風はめったにない。

● 被害の大半は雨によるものだ。風ではない。堤防の決壊,住宅への浸水,土砂災害。
 こうなってくると,これだけ大型で強い台風だったのだからしょうがないね,ではすまなくなる。実際,すませるべきではない。

● 群馬の八ッ場ダムが脚光を浴びている。民主党政権の凍結を跳ね返して,完成したばかりの八ッ場ダムが台風の豪雨を受けとめて,一晩で満水になった。それによって救われた命がどれほどあったろうか,と。
 まったく民主党政権があと1年長く続いていたら,どうなっていたろうか。脱ダムを進めた(進めようとした)民主党や田中康夫(元長野県知事)は責められることになる。

● 二子玉川も被害を受けた。堤防がない箇所があったらしいのだ。住民が景観が悪くなるからとか,堤防から家が覗かれるからという理由で,治水事業に反対していたらしい。
 こちらはしょうがないねという話にしかならない。身から出たサビというやつだ。
 というわけで,大衆のバカさ加減が表に引きずり出された部分もある。

● ところが,ここでも民主党の蓮舫さんが,ここに堤防を造ろうなんて本気でお考えですか,と見得を切っている映像がネットに流れている。先見の明がない政治家の代表というイメージを極限まで高めてしまっている。
 さっさと復興予算を決めて,衆議院を解散したらどうか。旧民主党のバカをまとめて葬れるのじゃないかね。いや,それでも蓮舫さんは当選しちゃうでしょうね。選挙民がバカなんだな。

● かつて脱ダムを進めた人,それを支持した人の心性には何があるんだろう。民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンをもっともだと思ってしまった人たちの心性。
 情緒で判断する,事実を見ない,勉強しない,そういうところは当然として,“母なる大地”観というか,自然を信頼するというか,自然にしたがっておけば自然は悪いようにはしないという,根拠のない善自然観(?)の持ち主が多かったのかも。

● 地球史をひもとけば,地球上のすべての生物が絶滅するという天変地異が複数回起こっているという。自然はけっして優しい存在ではない。
 人間はコンクリートに守られないと生きていけない。これからもそうだ。人間が造るコンクリート製の建造物は,自然が造ったものに比べると圧倒的に寿命が短いのだから,次々に造り替えていかなければならない。

● 自衛隊の存在感はますます大きくなった。対して,東京消防庁の失態。
 自衛隊の隊員がプライドを保ちやすくなるのはいいことだ。危険な場所で不眠不休でやっても,手当はそんなに出ないのじゃないかと思う。たとえば,超過勤務手当が全額出ているかと言えば,おそらくそうじゃないだろう。そもそも自衛隊に超過勤務という概念があるのかどうかも,ぼくは知らない。
 彼らには金銭よりも名誉をもって報いるべきかもしれない。そういう職業なのだと思ったりもする。

● 山を背負わないとか,川の近くに住まないとか,考えてできることもあるが,どんなことをしたって100%大丈夫ということはない。台風だけじゃない。地震もあるんだし。
 ないけれども,伝統的な住まい方がベストではないことは知っておくべきだと思う。日本の原風景などと言われる里山の光景は現実世界にも存在するものだが,まずはいつまでも田舎に住んでいてはいけない。限界集落がどんどんできて,人の住まないエリアがもっとたくさんできるべきだと,ぼくは本気で思っている。
 風水なんてのもそうで,それにしたがうと危険なこともあるのではないか。戯れもほどほどにすべきだ。

2018年10月11日木曜日

2018.10.11 自然災害は自然災害なのか

● 右は今日の下野新聞。
 災害で失われたのは“経済”だけではない。どれほどの人命が犠牲になったか。今年の西日本の大雨だけではない。毎年,自然災害で死者が出る。

● それほどの自然災害がなぜ起こるようになったか。河川改修は着々と進んでいるはずだ。それでも捌けないほどの大雨が降る。
 地震を除けば,災害の原因は温暖化だろう。温暖化が進むと,気象は荒れると言われる。シベリアのツンドラがなくなるのではないかと思われるほどの今夏の猛暑は,荒れた気象の象徴ではないのか。

● そうだとすれば,人類の択るべき喫緊の対策はただひとつ。化石燃料を燃やすのをやめることだ。火力発電を全廃して,原発に置き換えることだ。自動車もサッサと電気自動車にして,その電気は原発で作る。
 自然には甘く,人工物には厳しすぎる風潮を改める。自然に奪われた人命が,人工物で犠牲になった人命より軽いわけではないのだ。自然が相手じゃ仕方がないね,ではない。今の自然災害は人間がわざわざ拵えているようなものではないのか。

● という意見は,しかし,素人の戯れ言の域を出ないものだ。ひとつは,火力発電でのエネルギーの取りだし方が格段に効率化していること。熱を余さず吸収してエネルギーに変換できるようになっているようだ。
 もうひとつは,二酸化炭素の増加と温暖化は関係ないという意見があること。どうなんだろう。地球自体が温暖化に向かっているんだろうか。化石燃料云々とは関係なく。

● 技術の進歩,技術革新のみが,解決法になるのだろう。今この瞬間にも,そのために昼夜を分かたず献身している人が大勢いるのだろう。
 何もわからない素人がノイズを垂れ流しても仕方がない。

2018年7月28日土曜日

2018.07.28 台風12号で演奏会に行けなかった件

● 台風12号。警報が出れば招集がかかることになっている。現在は注意報だが,間違いなく警報も出るだろう。
 ので,今日のこの演奏会は聴けないことになる。チケット代は大した額じゃない。が,この楽団の演奏が聴けなくなるとは,ぼく的にダメージが大きい。よりによって何で今日来るんだよ,台風様よ。

● ずっと気象庁のサイトを開いていた。夜になったのだが,まだ警報は出ていない。今日はこのままかもしれない。
 だったら,この演奏会に行ってればよかったかといえば,いつ警報に変わるか気が気じゃなくて,とても落ち着いて聴いていられなかったろうから,1日家で待機していて正解だったのだ。というか,それしかないわけですよね。

● ぼくのはコンサートに行けなかったくらいの話だけれども,もっと大きなあるいは重要な予定をキャンセルせざるを得なかった人もいたことだろう。それも,けっこうな数。
 大人とはそういうもの。それが社会に対する責任だなどと大仰なことは考えないけれども,大人ってそういうものだよね。

● 早い話が,航空機を含む公共交通機関に勤務する人はそれどころじゃないだろう。消防や警察,医療関係者も同様だ。
 何があっても勤務地に向かわなければならない。大変だろうと推測するが,それが彼らの矜恃であるかもしれない。

● しかし,週末の台風はけっこう迷惑だな。だいたい,何が悲しくてこんなコースを辿るんだよ。とっとと東に逸れて行けよ。

2018年7月11日水曜日

2018.07.11 西日本の未曾有の大雨

● 西日本の未曾有の大雨。死者だけを見れば,東日本大震災とは比較にならない。が,屋内で亡くなった人が多いようだ。水の増え方がよほど急だったのだろうか。
 被災した面積を考えると,復旧というか国土回復に要するコストは膨大になるだろう。

● 東日本大震災のとき,西日本は無傷だった。その無傷ですんだ人たちが鋭意,経済活動を継続してくれたことが,東北復興の第一要因であったろう。
 今度はぼくらの番だ。

● 西日本では多くの人が苦しんでいるのに,自分だけがこんなことをしていていいのかと,自分の中から聞こえてくる声に負けないこと。普段と同じように(できれば普段以上に)お金を使うこと。
 ウソつけ,おまえは自分がそうしたいからしてるだけなんじゃないのか,と自分の中の声は,さらに追い打ちをかけてくるだろう。負けてはならぬ。

● ボランティアに出向くのは尊いことだ。募金に応じるのも当然のことだ。が,それ以上に体幹をめぐる血流を細らせないことが重要だと思う。
 そういうものは可視化できない。目に見えない。被災者にも見えない。感謝もされない。あたりまえだ。自分のためにお金を使って感謝されることのあるはずもない。
 しかし,見えないものが具体的に知覚できるものより重要だというのは,しばしばあることだ。細菌もウィルスも神も仏も愛情も希望も,目には見えないものだ。

● 消費に関して萎縮するな。ひるむな。自分の欲望に忠実であれ。明日,ディズニーランドに行くことを予定している人は,必ずそれを実行せよ。
 今,そうであることは難しい。人目を憚ってしまうだろう。が,西日本の復興に必要なものは,まずそれなのだろう。それあればこその自衛隊の活動であり,ボランティアであり,義援金なのだろう。

2018年7月8日日曜日

2018.07.08 西日本の大雨

● ぼくはホテルで快適快適と浮かれているけれど,西日本ではとんでもないことになっている。

● 昭和61年8月の茂木町の大雨で被害を受けた人の話を聞く機会があった。相当な降りなので,逆川を見に行ったらしい。堤防の上端まであと50cmほどあったので,大丈夫かなと思った,と。
 それが,玄関にひたひたと水が入ってきた。アラっと思ったそうだ。靴をあげなきゃ,と。まだ余裕があった。
 それから床上まで水が来るのは速かったらしい。畳を上げようとしたところ,水が噴きあげて畳を浮かすほどだった。2階までは来なかったので助かった,と。
 あるところから急に速くなるので,逃げようと思っても逃げられない状況になる。どこに逃げればいいのかわからなくなるものだそうだ。

● 今回の四国や九州の大雨は,茂木のそれをはるかに凌ぐだろうから,いわゆる冷静な対応をとることは難しかった(というかできなかった)のではないかと推測する。過去になかった雨量なのだ。なす術がなかったのではないか。
 市役所や役場にしても,避難勧告を出すべき水位に至ったの確認して避難勧告を出しているはずだが,今回に限ってはそれでは遅かったかもしれない。気象庁の警報発令ももっと早く出しておくべきだったということになるだろう。その警報を待って動いたのでは,後手後手に回ることになる。
 しかし,すべては結果論,後出しジャンケンの類だ。

● こういうとき,災害本部の足を一番引っぱるのは報道陣だろう。各社が同じ質問の電話をかけるのではなく,報道陣の窓口を一本化できるといい。こんなときにスクープ合戦をやるバカはいないと思うが。
 朝日なりNHKなりのオレ様がオレ様がというビヘイビアは引っ込めてくれるとありがたい。

● 100年に一度とか,50年に一度とか,そういうことを毎年言っているような気がする。要するに,100年に一度や50年に一度という災害が,毎年この国のどこかで起きている。
 “異常気象←温暖化←化石燃料の燃やしすぎ”という理解でいいのか。いいのだとしたら,化石燃料の使用をやめねば。

● あの福島原発事故でも死亡者はゼロだったのだ。自然災害では国内に限っても,毎年2桁の死亡者が出る。原発より石油の方が危険だということではないか。
 だったら,電力は全部原発でまかなえばいいではないか。風力発電とか太陽光発電は残ってもいいが,火力発電は全廃することを目指す。今は原発を全廃する方向のようだが,これ,逆じゃないのか。

● 活断層の上に乗っている原発がある,と。地震が発生したらどうする,と。
 しかし,東日本大震災の揺れだけだったら,あの騒ぎは起きなかった。津波があったからだ。それでも,結局,死者は出さなかった。無能を極めた菅直人政権下だったにもかかわらず,だ。
 だから,活断層の上にある原発も,たとえ地震があっても,それによって死者が出ることはないと予想することは許されるだろう。

● けれども,活断層の上にあるのは原発だけなのか。新幹線や高速道路は活断層の上を走ってないのか。新幹線が活断層の上を走っているときに大きな地震が発生したら,死者を出さずにすむだろうか。ヘタをすると3桁の死者が出るのではないか。
 とすれば,活断層の上にあるもので,まず撤去すべきは原発ではない。新幹線や高速道路ではないか。脱原発を言う人が,そこに触れないのは不思議だ。

● 活断層の上に人家はないのか。もしあるのだったら,立ち退かせなければイカンじゃないか。耐震性のなさは原子力発電所の比ではないはずだ。
 ところが,聞こえてくるのは活断層が直下を走っているとか,活断層が近いとわかると地価が下がってしまうから,公表するなと住民が言っている,といった話だ。
 なのに,原発は撤去? どうも辻褄が合わないような気がするんだが。

● フランスが原発で作った電気を輸入しつつ,自国では原発拒否に動いているドイツのようなことになってはダメなんじゃないか。日本は島国だから,なりたくてもドイツのようにはなれないわけだが。
 電力は全部原発でまかない,自動車はその電気で走らせる。ガソリン車なぞ使用禁止。JRにも全線電化を義務づける。何だったら,製鉄所にも高炉は認めない。全部,電炉にする。
 そうして温暖化の要因(の少なくともひとつ)を撤去する。エルニーニョだのラニーニャだのが起きにくくなるように努める。

● もっとも,異常気象の原因が化石燃料を燃やすことだとは,学術的には解明されていないらしい。化石燃料など燃やそうが燃やすまいが,地球は温暖化に向かっているのかもしれない。
 さらにいえば,毎年2~3万人の自殺者を出しているんだからね,この国は。だから・・・・・・。

2018年3月10日土曜日

2018.03.10 東日本大震災

● 明日は3.11。ぼくの地元でもけっこうな被害があった。わが家も震災後数日間は,靴を履いたままじゃないと家の中に入れなかった。
 タンスと食器棚は一つ残らず倒れた。結局,すべて処分(多くは相方の嫁入り道具)。キャスターの付いた軽いプラスチック製のものに置き換えた。

● 書庫の本はすべて投げ出された。元に戻す気にもならず,放ってあるので,依然として足の踏み場もない状態になっている(ただし,だいぶ処分はできた。ある老人介護施設の職員数人が車で取りに来てくれて,かなりの量を持っていってくれた)。
 屋根はすべて葺き替えることになったが,その過程で悪徳業者とは言わないけれども,対業者関係で相当以上に不愉快な思いも味わった。

● が,津波の被害に遭われた人たちに比べれば,モノの数にも入らない。失われた命は億の金を積んでも戻ってこない。自宅が損壊したのは,数百万円で片がつく。金で片がつくものは,すなわちすべて安いのだ。
 その後,わが家でも「まさか」という出来事が起きてしまった。それに比べれば,大震災の被害など,日常の些事にすぎなかった。
 が,東北の人たちにしてみれば,大震災が「まさか」の中の「まさか」であったろう。そこが違う。

● というわけで,3.11だ。Twitterでも3.11絡みのツイートがドッと増えている。被災地に良かれと思って,いろんな人がいろんなことをやっている。頭が下がる。
 そのうえで申しあげるんだけれども,それらの多くに(つまり,すべてではない),どこかPR臭を感じてしまう。あるいは自己優越の顕示を感じてしまう。俺,忘れてないよ,ちゃんと考えてるんだよ,行動もしているよ,っていう。

● もし可能なら,静かにしてくれないか。黙ってやってくれないか。あなたはあなたの日常を生きればいいのだとまでは言わないけれど。
 いや,頭は下がるんですよ。自分がやれないことをやっているんだから。
 しかも,SNSの話なんだから,こちらが読まないようにすればいいだけなんですよ。そこはわかっているんだけれどもね。

2015年9月10日木曜日

2015.09.10 大雨特別警報

● 台風は日本海に抜けて温帯低気圧になった。そうなってからが大変だった。栃木県全域に大雨特別警報。報道されているもののほかに,刈りいれ前の田んぼが流されて,稲がごっそり持って行かれたといった被害も出ている。
 こんなのまったくの想定外。といっても,ぼくが知っているだけでも,過去に手痛い目には遭っているんですよ。那須地方の豪雨で余笹川が決壊して大変な被害が出たことがあったし,その前には茂木町を中心として大雨に見舞われ,交通網が寸断されてやはり大変な思いをした。

● しかし。ぼく一個に関していえば,東日本大震災では洒落にならない被害があったものの,それ以外ではあまり困った記憶がない。
 大雨って和歌山とか鹿児島とか高知とかでは毎年のように被害を出すけれども,栃木は恵まれてるなぁと思っていた。

● 実際,恵まれていると思うんだけど,それでもこういうことはあるわけでね。
 でも,今朝の雨の勢いは,昨日ほどではなかったね。着替え一式を持って出るほどではなかったから。
 ただし,列車のダイヤは乱れていた。遅れや運休が発生してた。昨日から降り続いているんだから,これは仕方がない。

● むしろ,遅れは出ているものの宇都宮線はとにかくいつも通りに走っている。そっちのほうがすごいと思うね。
 銀行やスーパーやコンビニや個人でやってる弁当屋も休んでいない。彼らの努力で淡々とした日常が維持されている。

2015.09.09 長靴を履いてる人を見かけない

● 台風18号の影響で,この日も朝から雨。しかも,けっこうな降り。自宅から最寄駅まで10分程度歩き,電車に乗る。着いたら職場まで17,8分歩く。
 傘をさしていても,着いたときにはしぼれば水滴が落ちる程度には濡れてしまうだろう。

● というわけで,着替え一式をスーパーのレジ袋に入れて,カバンの底に突っこんで出勤の途についた。途中,湖のようになっているところがあって,どうしたって足首まで水に浸かる。
 ので,サンダルに素足で出た。職場に着いてから靴下をはく。

● 自分がそうしていながら,こういうのも何なんだけど,長靴を履いている人がいない。こういうときこそ長靴が力を発揮する。一人だけ見かけたんだけど,一人だけだった。
 昔ながらのゴム長。ぼくも持っていないんだけど,ほんとに履く人がいなくなってますね。まったくお洒落じゃないんだけど,こういうときはお洒落になんか気を遣ってる場合じゃない。

● 少なくとも,素足でサンダルで出かけるよりはゴム長のほうがいいな。
 それでも買わないで来たのは,こういう日ってあまりないこと。喉元過ぎれば,ってやつ。あと,1日中長靴でいるわけにはいかないこと。普通の靴を一足,職場のロッカーに置いておかないといけない。それがけっこう面倒ってことかな。