2017年6月21日水曜日

2017.06.21 学びより遊び

● ぼくらに足りないのは,学びではなくて遊びだと思う。定年後に大学に入り直して,もうひと花咲かせることもあるいは可能かもしれないけれど,学びから実るものってそんなに大きなものじゃない。
 われを忘れて遊べる方が,高級なのじゃないか。学びを遊びにできるなら,話は別だが。

● だから,定年になったら,放送大学や夜間部の大学に通って勉強しようとするのは,多くの場合,最善の策ではないと思う。勉強が好きなら,それで何の問題もないわけだけど。
 そうではなくて,自分の好きな遊びを深める方向に行くのがいいのじゃないだろうか。言葉を換えると,これをやっていると自分が喜ぶ,本当に楽しい,と思う方向に動くことだ。
 そのとき大事なことは,こういうことをしている自分を人はどう思うかということを,髪の毛一本ほども考えないこと。徹底的に自分本位であること。

● ただし,勉強は今からでもできるけれど,遊びはそういうわけにいかない。定年になった時点で勝負はついてしまっている。
 しかも。お金を使ってする遊びは,必ず飽きる。旅行だろうとグルメだろうと,飽きる。人間がもし200年も300年も生きるのであれば,ギャンブルだって途中で飽きるはずのものだと思う。

● 飽きないのは無料もしくは低廉な額でできる遊びだ。お金に依存する遊びは底が浅い。対象と自分の間にお金が介在しないものは,底が深い(もしくは,底なんてない)。だから,飽きることがない。
 囲碁や将棋といった深みのあるゲーム。畑いじりや魚釣り,山菜や茸を取るといった自然と戯れるもの。楽器の演奏や陶芸,絵を描くといった芸術につながる表現。

● その多くは一人でもできるものだから,遊ぶのに友だちは要らない。大勢あるいは数人で遊ぶというのは,それだけで幼稚だと,ぼくなんぞは思ってしまうのだが。
 行楽シーズンになると,リュックを背負って山にでも行くのだろうと思われる年寄り男女のグループに,電車の中などで遭遇することがある。いや,やかましいこと。ああはなりたくないと思うんだよねぇ。

● が,60歳になってから,その遊びをゼロから作りあげるのは,少々以上に困難であろうな,と。始めることはできても,その深さを実感できるところまで行けるか。そこはやはり若い頃に手を染めていないと難しいのではないかな,と。

2017年6月20日火曜日

2017.06.20 一緒に飲んでくれる若い女友だちを持て

● 「社会や世間との接点を減らしていきたい」のだけれども。ゼロにはできないし,すべきでもない。ぜひとも確保しておきたい接点がある。それについて書く。
 その接点は何かと申さば,「一緒に飲んでくれる若い女友だち」を持っておくべきだということ。

● 若いとはどのあたりかといえば,20~30代。ぎりぎり40代もその範疇に入れる。
 しかし,若ければ誰でもいいというわけではない。こちらを刺激してくれるだけの頭の良さを備えていることは必須条件だ。

● さて。問題はここからだ。
 そうしてこちらが選んだ若い女子に,この爺となら飲んでもいいと思ってもらえなければいけない。普通ならあり得ないことだ。こっちは彼女の職場の上司でもなければ,女優の卵に対するプロデューサーのような関係でもないのだ。あくまで,個対個だ。
 なのに,還暦を過ぎた爺と一緒に飲みたいと誰が思うか。

● そこにどうやって道をつけるか。そのために自分はどうあればいいのか。そこを考えて,ジタバタしてみる。ここが肝だ。
 周りにお手本はいない。これじゃダメだというヤツばっかりだろう。だから,これは挑戦しがいのあるテーマになる。

● もちろん,飲み代はこちら持ちになるわけだから,ある程度の現金が必要。といって,飲む場所はチェーンの居酒屋だってかまわない。お金は問題にならない。
 自分の意見を言わないで聞き専門に回れること。相手を否定しないで受け入れる寛容性。しかし,彼女の質問には鋭く本質を衝いた回答を返せること。

● マスコミ的正義を一歩も出ていないような見方しかできないのでは,まずもって論外。自分を勘定に入れ忘れている時点でダメだ。そんなヤツの話は誰も聞きたくない。きつくいえば,そういう人は自分で立って生きているとは言えないからだ。
 そのうえで,活きのよさが必要だろう。何かスポーツをやっているのでもよい。かといって,その話しかできないのではアウトだ。
 大変なエンジンを積んだスポーツカーが一般道路を法定速度を守って走っているような,為体の知れなさがあるといいんでしょうね。
 同世代の他の男性が持っていない何ものかを保有していなければならない。

● でもって,これからそういう人物になれるか。なれっこない。じゃあ,どうすればいい? ジタバタするというのはそういうことだ。
 そのためにはだよ,冠婚葬祭なんかに出ている場合じゃないだろうよ。年賀状なんかどうだっていいだろうよ。

● 同級生の女性ではダメなのかと問われれば,ぜんぜんダメだと即答する。一緒に飲めば,昔話で盛りあがって,楽しかったね,たまにはこうして飲むのもいいわね,という最悪の結果に終わることが目に見えている。典型的な後ろ向き。
 小学校や中学校の同級生の女子と飲むのは,それこそ忘れた頃に開かれる同窓会のみで充分すぎる。

● 幼児体験に共通性のまったくない若い女性がいいのだ。しかも,彼女たちはぼくらよりも今の時代の空気をたくさん呼吸している。学ぶべきことはたぶん,無限にある。
 学ぶというよりも,刺激とか驚きとか,そうしたものを浴びることができるだろう。これが大事だ。自分の世界を閉じないために。

● この部分を開いておけば,近所づきあいをはじめ,他の人間関係は一切閉じていても,何の問題もない。
 ちなみにだ,この挑戦(?)に性は絡まない。そんな元気はもうありゃしない。奥さんに気兼ねすることもあるまい。
 というわけだから,諸君,この困難な課題に立ち向かっていこうではないか。

2017年6月19日月曜日

2017.06.19 引退後をどう過ごすか

● 社会や世間との接点を減らしていきたい。ゼロにはできないけれども,世間との接点はネットを介したものだけでよろしいのではないか。
 まず,年賀状は出さないことにする。昨年は喪中欠礼となった。それを機にというわけではないけれど,今年は何も出さない。
 来ても返さない。2年もすれば誰からも来ないようになるだろう。それでよい。

● 冠婚葬祭には出ない。葬祭の方はそうもいかないけれども,冠婚はすべて欠席する。もっとも,そうそう招待状も来ないだろうけど。
 以上のふたつについては,只今現在から実行できる。

● いずれは地元の老人会から入会案内が来るだろう。会費も取られるのだろうと思う。こういうものは交際費と割り切って,入会もするし,会費も払う。
 ただし,会合には出ないし,老人会の活動(歩道に花の苗を植えたりっていうやつ)にも参加はしない。
 職場のつきあいがなくなったんだから,今度は地域のつきあいだ,という発想は採らない。職場でのつきあいも最小限だったんだから,地域でもそれでいい。

● さて,ではどうするか。家に引きこもっているのか。それは耐えられない。家にこもってテレビを見ているだけ,あるいはパソコンの画面でネットを見ているだけというのでは,活力レベルが大きく低下しそうだ。
 外に出なければならない。外に出て街場の空気に自分を晒さないといけない。これはわりと大事なことだと思う。

● そこで。完全引退した暁には東京までの通勤定期を買うのはどうか。原則,毎日,東京に出る。
 メリットはいくつもある。第一に,車中で本を読める。本なんてものは家にいたんじゃ読めるものじゃない。図書館もダメだ。図書館は本を借りるところではあっても,読書にはまったく不向きなところだ。
 もっとも集中して読めるのは移動している電車の中。東京まで普通列車で往復すれば,1日に2冊は読めるんじゃないか。

● 第二に,東京のそちこちを散歩できる。自分が知っている東京はいたって少ない。上野,お茶の水,銀座,秋葉原,お台場。その程度のものだ。
 神楽坂や根津のようなガイドブックの常連のほかに,小岩,蒲田,千住,両国など歩いてみたいところはいくらでもある。
 都市の空気を浴びながら歩くのは,ボケ防止には一番だろう。

● だが,しかし。その定期代が月66,000円になる。1年で約80万円。10年で800万円。現実的ではないですな。年金暮らしになるわけだからね。はい,諦めましょ。
 ただし,「青春18きっぷ」が出るシーズンには頻繁に出かけられそうだ。3シーズンあるから,各々15日,合わせて45日。費用は約10万円。これならできそうだ。
 よし,老後の課題のひとつはこれで解決だ。

2017年6月18日日曜日

2017.06.18 お金は欲しい。が,お金がないとお手あげというわけでもない

● 午後から,相方と宇都宮はベルモールに行った。今日はイトーヨーカドーのハッピーデー。全品5%引き。のせいなのか,かなりの混みようだった。
 全国のヨーカドーがこうなら,ヨーカドーが赤字になんかなるわけないんだがなぁ。

● ただし,目下のところ,ベルモールに来ても,ぼく一個は買いたいものがない。これって自分だけかといえば,そんなことはないだろう。特に,年配の男性はぼくと同じように思っている人が多いのではないだろうか。
 ま,食料品が売れるのはわかる。これなくして生活は成り立たない。が,それ以外は,消耗品であってもすぐに消耗してしまうものではないからね。

● 衣服だって一度買えばかなりもつ。流行だの何だのは気にならない。下着や靴下だって,ぼくはすり切れるまで使う方で,そんなに補充の必要はない。
 筆記具はリフィルを替えながら10年は使う感じ。また,日本の製品はそれくらいはもつ仕様になっているっぽい。
 要するに,欲しいモノがない。欲しいモノはひととおり持っている。

● 強いていえば,スマホのSIMくらいか。昨年11月に液晶が割れて,それ以降,スマホなしですませているのでね。スマホ本体は息子のお下がりがあるんで,あとはSIM契約だけなんだが。
 ほんとにそれくらいだなぁ。欲しいものって。

● 誰もがそうなったら,売る方は困るのかもしれないけれども,ムダを省いて要らないモノは買わないようになったら,消費量(=資源の消耗)は今の半分以下ですむのではないか。

● CCCのライフスタイル提案にも自分が乗ることはないと思う。自分はそこまでの水準に達していないからだと思うのだが。
 ノートはモレスキンではなくてダイスキン。万年筆はモンブランではなくプラチナのプレジール。車はトヨタのコンパクトカー。衣服はイタリアブランドではなくユニクロ。靴はABCマートで調達。パソコンやスマホは中古品。机代わりに折りたたみ式のテーブル。食事はご飯+一品。オーディオはソニーのウォークマンのみ。

● 要するに,生きていくのにお金はそんなにかからない。「健康で文化的な最低限度の生活」に抑えればという話ではない。
 クラシック音楽を聴くのにだってコストはほとんどかからない(ただし,ゼロにはならない)。CDは図書館で借りられる。栃木県に限っていえば,最も大手のCDショップやCDレンタルショップより,公共図書館の方が品揃えにおいて勝っている。
 パソコンでリッピングして,携帯プレーヤーやスマホに転送して聴けば,お金を使う余地などない。

● 本も同じだ。公立の施設でも完全無料なのは図書館だけ。新刊もひと月やふた月待てば,かなりの確率で読みたい本が図書館に入っている。好みが独特だとそうも行かないだろうけれども,興味のありようが世間並みを出ていないのであれば,図書館で足りる。
 しかも,借りるんだから必ず返すことになる。読んだあとにブツが手元に残ることがない。これはかなり精神衛生にいい。

● 映画も同じだ。新しく量産される映画より,往年の名画といわれるものを観たいと考える年配者はそれなりの数いると思うのだが,それだったら観たい映画の9割は,近くの図書館にDVDがあるはずだ。
 往年の名画を観ようとすれば,それが最も手っ取り早い方法のはずだ。オペラやバレエも同様の方法で鑑賞できる。
 あるいは,図書館すら要らないかもしれない。ネットで無料で観られるものが,けっこうあるから。

● スポーツをするにもお金はかからない。もちろん,ゴルフをしたい,スキーに行きたい,というのであれば話は違ってくるけれども,体を動かして健康志向を維持したいというのであれば,自転車1台あればいい。それで休日に100㎞も走れば,すっきりさわやかだ(たぶん)。
 ン十万もする高価な自転車など必要ない。中学生が通学に使っているママチャリより安いスポーツバイクがある。

● しかも,そうした体験を外部に発信することもタダでできるのだ。ブログやSNSで発信するのにお金は要らない。
 それに必要なパソコンだって,わりきれば1万円以下の中古で充分だ。通信料も安くなった。

● 以上で何の不満があるだろうか。少なくとも,ぼくには何の不満もない。
 音楽やバレエに関しては,CDやDVDでは物足りなくなって,ライブを味わいたくなるだろう。それだって,ベルリン・フィルだウィーン・フィルだと言わなければ,さほどのお金がかかるわけではない。

● というわけで,お金を潤沢に持っていなくても,「健康で文化的な最低限度の生活」を超えた,それなりにハイソな生活を確保することができる。しかも,かなりの水準で。
 テレビを見るのをやめ,ショッピングセンターや書店に行くのをやめれば,それがやりやすくなるのではないか。行けばどうしても買いたくなる。何を買うかではなくて,買うという行為それ自体に快感があるから。
 そのあたりの始末の付け方がけっこう厄介かもしれない。問題は,しかし,そこだけだ。

2017.06.18 久しぶりに「宇都宮スパ屋」で昼食

● 相方と久しぶりに「宇都宮スパ屋」に行った。デザートの無料券があるとかで。行ったのは午後1時頃。

● この店の一番人気は「宇都宮で一番濃厚なミートソース」。最も安価なパスタであることも人気の理由のひとつかもしれないんだけど,このパスタが店のウリでもある。
 その「濃厚なミートソース」を(たぶん)初めて注文した。なぜ今まで食べそびれていたかといえば,セットメニューを注文していたからだね。

● セットだとパスタを選べる。そのときに何を優先するかといえば,選べる範囲で最も高いものにする。
 言っちゃ何だけど,女性の大半はそうじゃないですかね。うちの相方もそうで,ぼくとしてもそれに抗しがたいものを感じてましてね。

● 実際はさ,パスタもピザも一番安いのが一番旨いんだよね。ピザならマルゲリータに勝るものはないと思っているんですけどね。
 ともかく,やっと念願かなって,「濃厚なミートソース」を食べることができた。パスタは生麺。この生麺というのが,「みやこ家」の極太麺にひじょうに似ているような気がする。だからなんだってことではないんだけど。

● この店は付近の庶民にちょっとしたハレの場を提供している。普段のランチに少し上乗せすれば,本格的なイタリアンが食べられる。その功績や,きわめて大。
 実質を考えると,この店はサイゼリヤよりも安いと思っている。

2017年6月17日土曜日

2017.06.17 東京散歩-成城学園前 2

● 駅から徒歩0分のところにある,立食い蕎麦屋で昼食。これで530円は良心的。駅前の成城コルティには客単価2,500円程度のトンカツ屋や,1,500円程度のハンバーグ店もあるんだけど,この立食い蕎麦屋の方がずっと儲かっているだろうね。
 第一に,お客一人当たりの店舗面積が少なくてすむ。お客を押しこむことができる。第二に,配膳はセルフだし,食券制だから会計も機械がやってくれる。その分,人手は少なくてすむ。第三に,回転率がまるで違う。
 飲食商売は貧乏人を相手にするに限る。

● 成城大学にももちろん行ってみた。正門前の風景は受験雑誌の表紙に使われることもあるのじゃないか。有名な風景だ。
 キャンパスには樹木(広葉樹)が多い。もともとこのあたりはこういう平地林だったのか。だとすれば,大学なればこそこの風景を残すことができたわけだ。個人の宅地にするための開発では,根こそぎにされてしまう。
 でも,だいぶ人の手が入っているんでしょうね。計算の跡があるもんね。もともとの自然を残すだけじゃ,こうはならないような気がする。

● 新宿から電車で15分の距離で,これだけ静かで落ち着いたキャンパスで過ごせるんだから,学生は恵まれているといっていいんだろう。
 大学によっては高層ビルのところもあって,それが悪いとはまったく思わないのだが,この大学はいわゆるキャンパス然としている。こじんまりとした大学だ(ほかに付属高校と中学校がある)。

● 正門前にある成城堂書店。昭和のたたずまい。昔は学生,生徒の御用達を務めていたのだろう。今もそうかもしれないんだけど,学内に三省堂が請け負っている書籍と文具の売店があり,成城コルティにはもっと大きな三省堂書店があるわけだから,なかなか状況は厳しいだろう。地の利は抜群なんだが。
 素通りしてしまったので,実際のところはわからないんだけどさ。

● この一帯は成城学園があればこそなのだろう。緑の多いキャンパスが住民にとっては使い勝手のいい公園のようになっているのかもしれないと思った。

2017.06.17 東京散歩-成城学園前

● ひとりで東京に出た。自治医大駅で途中下車して「休日おでかけパス」を買った。いくぶん安くなるのと,首都圏のJR線が乗り放題になるので,都内の駅で自動券売機に並ばずにすむ。今日はそちこち回る予定はないんだけども,この切符を持っていた方が安心だ。
 ちなみに,ぼくの最寄駅から自治医大までの運賃は,通して買うより,宇都宮で切った方が30円ほど安くなる。セコイんだけど,そのようにしましたよ。

● 自治医大から湘南新宿ラインで新宿に。新宿っていうのは,街もそうだけど,駅じたいが魔窟。駅の中で迷子になる。
 今回はここから小田急に乗り換える。小田急線はこちらという案内標識にしたがって歩いていたら,JRの改札に出てしまった。仕方がないから改札を出ましたよ。そこから小田急の駅まで歩けってことなんですか。
 いやいや,JRの改札を出たところに小田急の自動券売機があったんですよ。ので,成城学園前駅までの切符(片道220円)を買いましたよ,と。

● それはいいんだけど,小田急の改札なんてないんですよ。JRのしかない。どうすりゃいいんですかい。
 結局,小田急の切符でJRの改札から入れるんでした。でもって,小田急のホームに出るのに,もう一度自動改札機を通ることになるんでした。
 小田急には何度か乗ってるはずなんだけど,これだけ乗換えに手間取ったのは初めてだ。田舎者丸出しだ。東京の人たちはこういう複雑な乗換えを日常的にやっているんですなぁ。それだけでも尊敬しちゃう。
 便利といえば便利なんでしょうけどねぇ。田舎者にはわかりづらいぞい。外人サンもけっこう利用してると思うんだけど,よく対応できるものだな。

● さて,成城学園前。駅付近を歩きまわってみた。平板で深みがない感じがした。住んでる人には申しわけないんだけど。しかも,こんな田舎者の印象で。
 なぜかというと,悪場所がないんですね。男の遊び場が。空気が健全なんですよ。建前しかないみたいないや,そういう場所が駅の近くにあるとは限らないから,もっと歩けばあるのかもしれないんだけどねもっとも,こうしたところに悪場所はないものですよね,普通
 もちろん,飲み屋はいくつもある。が,ディープに飲みたいと思ったら,新宿に出ちゃうんでしょうね。

 駅前には成城コルティなる4階建てのショッピングセンターがある。屋上の一部に植栽があって,庭園になっている。ここもキレイに整えられていて,家族連れや若いカップル,若くないカップルが,フリーのベンチやテーブル席に座って,弁当を食べていたり,お喋りに興じている。ピクニック気分で楽しめるところなんだろうか。
 2階には三省堂書店が入っている。宇都宮にこれがあれば大規模書店になる。が,東京だとどってことない。この辺の読書家は新宿の紀伊國屋に行くのだろうなと思った。

 すき家と松屋はあったけど,吉野家はなかった。ユニクロもシマムラも見当たらなかった(郊外に出ればあるのかもしれない)。

● 成城学園前って漠然と高級住宅街だと思っていた。成城石井っていう高級スーパーのイメージに引きずられているだけなのかもしれないんだけどね。
 実際のところは,ここにたむろしている人たちと新宿や渋谷を歩いている人たちの間に,何か違いがあるわけでもないようだ。土曜日ゆえ,ぼくのようなよそ者が街を席巻していたのかもしれないんだけど。

● お受験で子供の尻を叩いている母親に,アンタの子だよ,ここまでできれば上等じゃん,と悪態をつきたくなるのと同じ感じをこの街に抱いてしまった。
 つまり,うわべを飾ったってしょうがないんじゃない? と言いたくなったっていうか。
 それも,ここは高級住宅街だという前提があっての話で,それが間違いなのであれば,都内のどこにでもある私鉄が開発した集落地ということで納得できる。

● というわけで,あまりテンションが上がらない。ここに住んでみたいとは思わなかった(家賃が高くて住めないと思うけど)。
 ただし,活気はある。すぐそこに成城大学があるわけだから,平日には若者が増えるのだろう。

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 古紙回収の日

● 月1回の古紙回収の日。ゴミステーションに行って気づくのは,段ボールが増えて新聞紙が減っていること。出される古紙の全体量が減っていること。
 その理由はわが家を振り返ればすぐにわかる。ネット通販での買いものが増えているのと,新聞を取るのをやめたことだ。わが家のみならず,そういうご家庭が増えているのだろう。

● 3日に2日くらい,宅配便が届く。相方が洋服やらコスメやらをネットで買うんだな。アマゾンより楽天が多いかな。あと,メーカー直販。
 したがって,段ボールはやたらに増える。

● 新聞を取るのをやめると,家の中がスッキリする。折りこみチラシも含めて,ひと月分をとっておくとかなりの量になるもんね。
 いったん新聞をやめてしまうと,新聞が届くメリットよりも家内ゴミが少なくなる快適さの方が勝ることがわかる。

● スーパーでもゴミ回収をサービスの一環としてやるとことが増えた。わが家の近くだと,“とりせん”の高根沢店。古紙(主には段ボール),ペットボトル,缶はスーパーで買いものをするときにまとめて処分できる。
 こちらの都合だけをいえば,ありがたいことこの上ない。資源ゴミとして売れるんだと思うんだけど,コスト面で引き合っているんだろうか。来店者を増やすための方策なんでしょうねぇ。

● ともあれ,そういう事情があると思われるんだけど,古紙に関してはゴミ回収のお世話になる度合いは以前よりだいぶ減っている。

2017年6月6日火曜日

2017.06.06 ブログをどういう方法で読んでもらえているか

● 自分のブログはどんな道具で読まれているのか。直近1週間に限ると,次のようなものだ。
  iPhone 42%
  Windows 28%
  Android 22%
  Macintosh 3%
  その他 5%

● iPhoneとAndroidで64%になる。パソコンで読んでいる人は4割を切る。
 書く側は当然(?)パソコンで書いている。したがって,どう見えているかはパソコンでしか確認していない(スマホからはしばらく遠ざかっているので)。

● ま,だから何だということはない。スマホではどう見えるのかといっても,そこはサービス提供者側のやり方(ぼくの場合はGoogle blogger)に従うしかない。
 文字がメインなので,どうレイアウトしても,たいした差はないように思うし。

● でも,6割以上の人はスマホで見てくれているんだということは,憶えておきたい。
 パソコンに比べれば視界が限定される。一度に読める量は限られてくる。長い文章を読むのはホネだろう。
 だからといって,今のスタイルを変えられるというわけでもないんだけどさ。

2017年6月5日月曜日

2017.06.05 小さな幸せを是とするか

● 帰宅後。スーパーで買ってきたイカとマグロの刺身で焼酎を飲んで,ほんわか酔った。WALKMANのイヤホンを耳に突っ込んで散歩に出た。小1時間。
 諏訪内晶子さんのバッハ協奏曲集を聴きながら,サンダル履きでトロトロと田舎の夜道を歩きのは気持ちがいい。暑からず寒からず。何より静か。

● こういうのを積み重ねることができれば,それがすなわち幸せな人生というものだ。ゆえに。幸せになるのにお金は必須ではない。
 本当に貴重なものはお金では手に入らない。お金がなくても手に入る。そういうものかもしれないや。チャップリンの言うとおり,持つべきお金はサムマネーでいいのかも。

● と,ぼくは考えがちだ。ひ弱というか,豪快さに欠けるというか。
 中には,“戦い”に幸せを感じる人もいるだろうし,ひょっとすると逆境に置かれると恍惚とするなんて人もいるかもしれない。
 何が幸せと思うか,何を幸せと感じるか。当然,人によって違う。いや,同じ人であっても幸せの種類はいくつもあるだろう。

● 若い頃,幸せとは小さなものという言葉を何かで読んで,なるほどと思った。以来,幸せとはそういうものなのだと思って,今日に至っている。
 大きな幸せというのはない気がする。これはどんな人にも妥当しそうだ。数十億の資産を持てば必ず幸せになれるのであれば,その幸せは大きな幸せなのかもしれないが,現実は「数十億の資産家=幸せ」という図式は成立しない世界だろうから。それで幸せな人もいるし,そうではない人もいるだろう。

● ただし,貧乏は不幸につながりやすい。貧困にあえぐと,どういうわけだが口コミの輪から外れてしまいがちになる。あえて人付き合いから距離を置く人はいると思うけど,自分から外れるのと外れてしまうのとは同じではない。
 大事な情報が口コミで伝わることがある。そこからはじかれるのは不幸の始まりかもしれない。

● しかし。幸せとは持っているお金の多寡で決まるものではなさそうだ。幸せとはつまり気分であって,気分は主観的なものだ。
 同じ状況に置かれても,幸せ気分が勝る人と,不幸気分が勝る人に分かれるだろう。

● 結局,その人の気質,体質の問題に帰着するのかもしれない。生まれつき,幸せ体質成分を多く持っている人がいるんだろうな。羨ましい。
 生まれつきではなく,努力で変えられるんだろうか。

2017年6月4日日曜日

2017.06.04 鹿沼でガックリきたこと

鹿沼市民文化センター
● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラの演奏会があったので,鹿沼市民文化センターに行った。その演奏会の休憩のとき。
 ロビーでボーッとしてたら,70歳くらいの爺様がぼくに近寄って話しかけてきた。

● お孫さんが出てるんですか,と。ムムムムム,やっぱそう見えるんかなぁ。見えても不思議はないんだが。
 若作りの恰好をしてきたんだがなぁ。そう見えるんかなぁ。

● 何だかガックシだ。年齢相応に見られてガックシ来るのは,来る方が理不尽な夢を見ているんだけどさ。
 アンチエイジングの具体的な方法論を考えてみようかい。って,今さら遅いわなぁ。

● っていうか,20年近く前にも,小さかった息子を電車を見せに,近くの駅に連れて行ったら,通りがかりの爺様に,お孫さんといいですねぇ,と言われたことがある。孫じゃねぇよ,息子だよ,と思ったんだけどね。
 要は,その頃から老けて見られてたんですよ。なぜかといえば,早くに総白髪だったからね。