2019年1月19日土曜日

2019.01.19 「むらかみ」でビールについて考察する

● 相方と氏家の「むらかみ」。遅めのランチというわけだった。2人で3,500円程度。お金ってこんなに使いでがあったのだな,と思わせます。
 ひとつは,普通のより高い和牛ランチにしてみた。高級肉は色がいい。見た目に彩りが生まれる。

● が,味に関しては特に感じるところはなかった。安い外国牛のカルビ肉で,ぼくの舌には充分だ。
 が,今まで食べた中で,今日のが最も旨いと思ったのも事実。おそらく,空腹が最高の調味料ということなのだろう。

● 右の汁かけ飯(クッパとも言う)を注文したのは相方。ぼくは頑ななほどに白飯派だ。焼き肉に最も合うのは白飯だと思っている。
 ビールよりも白いご飯が合う。ので,焼肉でビールというのは,“焼肉でご飯”よりも劣る。

● どうもビールというやつは実態よりも珍重されていると思うことがあって,風呂あがりのビールというのも訳がわからないもののひとつだ。
 夏場,風呂から出てビールを飲むくらいだったら,よく冷えた水かコーラの方がよっぽどいいと思っている。

● ぼくは,たぶん,飲兵衛の方で,人が一生の間に飲む酒の平均量はすでに飲んでいると思うのだけども,ビールを旨いと思ったことはあまりないんだよね。
 ワインはまるでわからないんだけど,一応,日本酒の旨さは知っているつもり。キリッと冷えた大吟醸のサラッとした深みはわかるつもりでいる(つもりだけかもしれないが)。
 ビールは夏場でもあまり飲みたい酒ではない。ハイボールに走っちゃってるせいか。ハイボールを取りあげられたら,水割りに戻るだろう。ビールには行かないと思う。

● 昔の友人と飲むときなど,最初の1杯は生ビールでいいかと音頭を取るヤツがどうしたって出るわけで,そういうときは非常に困る。
 結局,よくないと言ってしまって,面倒くさいヤツだと嫌われることになる。嫌われても,ぼくは最初からハイボールだ。もしくは,甲類焼酎のいわゆる酎ハイだ。

● そんなことをつらつら思いながら,焼肉でご飯を食べた。最後は,杏仁豆腐で締め。
 いや,じつに使いでのある3千円でござったよ。

2019.01.19 セブンプレミアニスト

● イトーヨーカドーでセブンプレミアムのレトルトミートソースをまとめ買い。色々試してみたけど,結局,これが一番旨いという結論。
 以前のトマト主体のものが良かったと思ったりもした。が,慣れてみると,これも良きかな。つーか,かなりいい。

● ぼくはセブンプレミアム信者。セブンプレミアムならまず問題あるまいと思っている。複雑思考を省略して単純化したい人間なのだ。品目ごとに細かく見ていくなんてできない。
 セブンプレミアムのマークが付いた商品があれば,たいていそれを買い物カゴに入れる。コンビニはセブンイレブンのことだと思っている。といって,ローソンにもファミマにも行くんだけどね。

● ので,こんなウィスキーも買ってみた。トリスよりわずかに安い。が,トリスより不味いことはないと思う。そこはセブンプレミアムをリスペクトするわけだ。
 ほかに,シャンプーやリンスもセブンプレミアムだし,毎朝,出勤途中にセブンイレブンに寄って,その日の昼食を買うんだけど,これもセブンプレミアムのカップ麺とセブンプレミアムのあんパンと決まっている。自ずとそうなった。

● 無印良品は多くのリピーターを抱えている。ぼくの場合は,無印ではなくてセブンプレミアムということだ。無印は家具や電気製品,洋服まで広い分野を網羅しているのに対して,セブンプレミアムは食料品と雑貨に限られるところが,ちょっと様相を異にするのだが。

● 消費者としては,つまるところ損得が発想の原点だ。諸々の要素を(細かいところまではわかるわけがないから)ザックリと判断して,何を買うかを決める。
 そのときに,セブンプレミアム製品だということ自体が,けっこう大きな拠り所になっているわけなのだ。

2019年1月18日金曜日

2019.01.18 「充実」っていいことなのか

● ぼくが子供の頃,大昔だが,世の中を風靡していた2文字言葉は「努力」だった。ぼくが子供で学校が世界のすべてだったからかもしれないのだけど,努力万能的な風潮が,たぶん世の中にあったと思う。社会全体が上昇基調にあるときには,「努力」が幅を利かせがちなのだろう。
 努力すればできる。できないのは努力が足りないからだ。“為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり”である。上杉鷹山である。“精神一到何事か成らざらん”である。

● しかし,努力の相場はだいぶ下がったようだ。というか,等身大に見られるようになった。
 努力ではどうにもならないことがある。というより,努力でどうにかできることは,そもそもどうにかする必要のないことに限られる。
 と言えるほどにおまえは努力をしたことがあるのか,と問われると頭を下げるしかないのだけども。見城徹さんがいう「圧倒的努力」という言葉の前にはひれ伏すしかないと思うんだけども,しかし,努力の相場は下がったような気がする。

● 代わって世の中を支配しているのは「充実」だろう。この二文字言葉が,わがもの顔で社会を闊歩している。
 収入だの学歴だの職業だの,そんなのはどうでもいい。そんなことより生活を充実させることが大切だ。仕事に燃えられる人は仕事に燃えろ。そうじゃない人は,趣味なり何なりプライベートを充実させればいい。そういう考え方。

● 典型的には,人として生まれたからにはその人固有の使命があるとか,社会に生きる以上は社会に貢献する人でなければならない,とされるその言い方。その固有の使命に従うことを充実というっぽい。
 本当だろうか。ぼくにはぼく固有の使命が何かあるんだろうか。自分なりに社会に貢献する方途を探らなければいけないのだろうか。いいじゃないか,充実なんかしてなくたって。

● ま,しかし。何をもって充実とするかは人それぞれだから,努力よりは充実の方がアクセスしやすい。客観的に測定できるものではなく,むしろ客観的測定を排除する向きがある。個人の主観がすべてを決める。
 SNSもリア充自慢で満ちている。自分もそうしている。スカスカでも自分が充実していると思えばそれは充実だ。

● そうであれば,自分を騙す余地ができる。騙す自分と騙される自分。騙しているつもりはない自分と騙されていることに気づかない自分。
 ならば,充実など求めないで,退屈している方がまだマシかもしれない。退屈に強くなることの方が大切なのではないだろうか。
 自分を騙して充実感に浸ることよりも,退屈に強くなる方が難しいだろう。ここは難しい方を選ぶべきではないだろうか。

● 充実を求めるのをやめて,ただ流されるに任せてみるのが賢いのではないか。充実を是とするから,流されるだけの自分に罪悪感を持ってしまうのだ。
 充実というフィクションを捨てることができれば,流されるのもまた幸せであるかもしれない。とまではならなくても,ニュートラルな気持ちでいられるだろう。

 そもそもが,他人を気にしてしまうからいけない。他人がどう生きようと,自分には無関係だ。無関係の人がどう自分を評価しようとどうでもいいし,自他を比較することに意味はない。
 よろしく自分に沈潜するのがよい。ぼくらはできては消える泡のひとつにすぎないのかもしれないけれど,泡としてもせめてもの矜持はそこだろう。そこにしかないと思われる。
 そうして,死ぬときには,つべこべ言わずに死ねばいいのだ。

2019年1月17日木曜日

2019.01.17 お金のあるなしと生活水準の相関は弱くなる

● 読む,聴く,見るのうち,「読む」については昔から図書館があって,たいていの本は(読もうと思えば)タダで読めた。
 「聴く」についてもCDをリッピングできるようになったことで,音源はタダの時代になった。カセットテープにダビングする必要もない。ものの数分間でCDがそっくりPCのハードディスクに入ってしまう。インターネットによって音源タダはさらに徹底された。
 動画までタダで見られるようになった。少なくとも,なりつつある。新着ものはすぐにはネットには出ないが,そのタイムラグは短くなる一方だろう。

● お金のあるなしと生活水準の相関は,当然ながら弱くなる。微細な高級感にこだわることをしなければ,もはや生きていくのにお金は必ずしも必要ではないと言っていいところに来ている。
 とはいえ,多くの人にとって幸福とは自他との対比のうえに成り立つものかもしれない。問題はだから,他者と比べることをやめることができるかどうかだろう。
 やめるところまで自分の内面を突き詰めることができれば,徒手空拳のままで天下無敵の構えを取れる時代になったのだ。

● ロボットやAIが人間から仕事を奪うと喧伝されているけれども,仕事を奪われないように自分に付加価値を付けることを考えるよりも,仕事なしで人生を埋めていける算段をする方が重要かもしれない。
 いずれはベーシックインカムが国の制度として採用されるだろう。「文化的な生活」をするのにお金はかからないのだ。

● 稼ぐのは家賃相当額でいいのだ。人口が減っているんだから,家賃が上がる道理もない。あとは医療費の心配があるかもしれないけれど,その程度なら毎日出勤する必要はないだろう。社会保険に入れるパートやアルバイトはいくらでもある。
 ぼくらは国の行く末を案じるのではなく,自分の足下を固めることを考えるべきだ。幸いなことに,国が半ばは(つまり,生活費の面では)埋めてくれることになる(たぶん)。あとの半分をどうするかだけだ。

● 他人を見るのではなく,自分の中に沈潜して自分なりの答えを出す(見つけるのではなく,答えを作る)作業が求められることになるのではないか。
 じつに面白い時代になるというべきで,これからを生きる若い人たちが羨ましい。おそらく,若い人たちはそれぞれにユニークな答えを得て実践していくだろう。ロートル世代が最初は「今の若者は・・・・・・」と言いながら,次第に追随していくことになるのだろう。
 若い人たちがどういう答えを出してくれるのか。その百花繚乱の様を見ることができるまでは生きていたいものだ。

● 逆に,教育機会の均等化を図るとか,大学授業料の無償化などには,まったく意味がない。「知」はすでにインターネット上にある。大学をはるかに凌駕するだろう。大学の講義もネットに上がっている。
 「知」にアクセスするためのコストは,限りなくタダに近い水準になっているのだ。にもかかわらず,アクセスしようとしない人は,水を飲む気のない馬だ。そういう馬を水飲み場に連れて行っても仕方がない。

● それ以前に,なぜわざわざ大学に行く必要があるのか。時間のムダではないか。学士号や大卒の資格など,金魚の餌にもならない。
 にもかかわらず,そういうものを得ようとするのは,あまりに既存秩序に寄りかかりすぎている。そもそもスタートラインに立てていないと思う。

2019年1月14日月曜日

2019.01.14 新橋駅構内の「かのや」

● 新橋駅構内の「かのや」で今日2度目の食事。730円。

● 前からいる(たぶん)中国人のお姉さん,日本語で他のスタッフと軽口をたたいている。中国人男性フタッフとも日本語でヨタを飛ばしている。すっかり慣れて適応している感じ。
 大したもんだな。自分ならできるだろうかと考えると,かなりの程度に否定的。

● ところで,注文したのはエビ天丼とうどんのセット。天丼でも粋を極めるところまで行くにはそれ相応の修行が必要だろう。食べる側も相応の出費を覚悟しなければなるまい。
 が,7割の出来でいいとするなら,事情は全く違ってくる。7割までは簡単に行けるのだ。ほぼ苦労なしに。作るのに修行など要らないだろうし,食べる方の負担も大きく減る。

● この立喰いうどんの店で出す天丼も,7割ラインはクリアしていると思う。
 ぼくはその7割で良しとする。神は残りの3割に宿りたもうことは否定しないけれども。

● ただ,7割のままで喰っていこうとすると,当然ながら安月給になる。高くは売れない。
 神が宿っていないのだから。っていうか,それが最大のマス層なのだから,代わりはいくらでもいるからだ。

● しかし,商売のやり方としては,7割で満足するマス(大衆)に狙いを定めてそこに集中するのは,非常に賢いやり方だと思う。競争相手が次々に現れるだろうけれども,そこで勝ち抜ければ,高級レストランでは及びもつかない利潤を得ることができるだろう。
 食べることに高邁な文化を見る人が,高級レストランに行けばいいので,実利を取るなら7割で満足するマスを相手にするに限る。

● ぼくは,自分にも他人にもモノにも7割しか求めて来なかった。そういう人生を送ってきた。後悔はしていないが,人様にはとても勧められない。

2019.01.14 また,ロイヤルパークに宿泊 3

● 7時前にロビーに降りてみた。1階にあるレストランのスタッフが,開店準備中。もうすぐ,宿泊客が朝食を食べに来る。それを迎える準備。
 この仕事,やはり自分にはできないな。

● このホテルで“成人式の集い”というのがあるようで,振袖のお嬢さん方がロビーに何人もいる。これが父兄同伴なのだな。わからん,どうなっているのだ?
 大学の卒業式にも親が出てくるという話を聞いたことがあるのだが,この光景は,ぼくの目には異様に映る。もちろん,親がいけない。親がコバンザメに見える。が,20歳にもなって親を拒否できないのもどうかと思う。
 もっとも,親同伴なのはお嬢さんの場合のようで,振袖の娘と一緒に写真を撮りたいのかもしれない。母娘は娘が大人になると,親子から友だちになるそうだけれど。

● 親とすれば,子供は自分の作品ということだろうか。たしかに子育ては大変で,夫婦2人がかりでもなかなか思うに任せまい。自分の親たちの助力が必要だったりする。
 それでも,子供は育てるものではなくて,勝手に育つものだと思う。親がやっていることは,子供が勝手に育つことの手伝いのそのまた手伝でしかない。
 それゆえ,成人した子供が犯罪者になっても,それは親の責任ではない。子供が東大に合格しても,ノーベル賞を受賞しても,それは親とは関係ない。そういうものはすべからく,子供に一身専属。

● ホテルラウンジでの朝食。わずかの品数で構成される小宇宙。しかし,かすかに飽きのきざしも感じるようになった。
 いったん案内された席を相方が変更していた。ぼく,そういうのが本当に嫌い。だったら最初からその席に着いていればいい。この領域でお試しはあり得ない。一度決めたのなら変えてはいけない。
 という,心の狭いことを思うのだった。

● 2泊3日の3日目だから,朝食を食べてしまえば,あとは帰るだけだ。正午までチェックアウトすればいいのでそれまではいるという相方を残して,ぼくは11時に地下鉄の駅に向かった。

2019年1月13日日曜日

2019.01.13 また,ロイヤルパークに宿泊 2

● 絶品朝食。といっても,蒲鉾や沢庵をホテルで作っているわけではないだろう。ホテルでは切るだけのはず。
 ではどこで買っているのかといえば,地元の業者からに違いない。少ない品数でこれだけの豊穣さを作りだせるのは,日本橋の力か。
 ホテルで作っているであろう味噌汁も旨い。塩分をどんどん取ろうという気になる。知ったこっちゃないやね,そんなもの。
 食後の漬物が口を洗ってくれる。漬物はデザートであることを実感する。
 ここでは,コーヒーも含めて洋モノは取らないことにした。食後に飲むのも緑茶。

● ラウンジの隣にステーキ(鉄板焼き)の店がある。入口に出ているメニューを見ると,1人3万円のコースが載っている。ステーキだけということはないだろう(酒も飲むだろう)から,トータルで4万円は下らないだろう。2人なら8万円。
 わが家ではあり得ない食事になるのだけども,お客さんが入っていないわけではないのだ。

● 仮に4万円だとすると,ぼくらの宿泊費の約4倍になる。ホテルはこういうところで儲けているのだな。彼らから儲けているから,ぼくらを(ひとりあたり)1万円で泊めることができるのだろう。
 ということは,ぼくらは彼らに養ってもらっていることになる。お客だからとデカい面をしてはいけないなと思ったことだった。

● というかなぁ,今でも局地的にバブルは残っているのだなと思った。たまたま,このステーキ店から出てくるお客を見ることができたんだけれども,堅気という感じは受けなかった。
 ヤクザという意味ではない。普通に真っ当な仕事をしている人ではないような感じというか。会社のお金で飲み食いしているのだろうけれども,その会社がどんな仕事をしているのかわからない感じというか。

● 5階に和食の店がある。その5階には足を踏み入れたことがない。ぼくらが行けるのは,ギリギリ1階の「シンフォニー」にとどまる。
 その「シンフォニー」にも,隣のラウンジバー「フォンテーヌ」にも,けっこう以上にお客がいる。「フォンテーヌ」は庶民目線でもけっこうリーズナブルだから,団体さんの利用もあるのかもしれない。
 ラウンジの食事の水準から察するに,食についてはこのロイヤルパークはアピール水準が高いのではないかと思っている。

● こうしたレストランやバー,あるいは宴会のお客が,ホテルにとっては利潤の源泉であって,宿泊はアクセサリーのようなものかもしれない。
 だとすると,宿泊に回った方がお得ということにもなるわけだ。

● ラウンジで飲んでいると,互いに相手を値踏みするというか,自分と比較してしまう性向がある。ぼくにもその気味があるが,だいたいみんなそうじゃないかという気がする。
 仕事は何か。収入は自分より多いか。品は自分の方がいいか。女性ならファッションから全体を推測するだろう。
 でも,そんなことをしていても仕方がないということ。ぼくらはみんな,ホテル内下層民なのだ。同じラウンジ民族同士,仲良くしないと。

● 今日は,日中は深川を歩いてみた。その後,横浜に転進。夕方,ホテルに帰着。そのまま,ラウンジでカクテルタイム。
 じつは,夜にも川崎に行ってみたいところがあった。カクテルタイムを犠牲にして出かけてみようかと考えないではなかったけども,カクテルタイムをキャンセルすると相方の機嫌を損ねてしまう怖れがある。
 ここだけは2人で過ごさないと2人で来る意味がない,というのが彼女の考えで,これは相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。そこを破ってしまうと,その報いは計り知れない。

● だいたい,2泊しかしないのにスーツケースを運んでくるのだ。ぼくひとりならトートバッグで足りる。何でそんなに荷物があるのかといえば,洋服が入っている。
 ホテルに行くんだからお洒落したいという。普段はしたくてもできる場所がないから。これまた,相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。
 問題は,同行者にも同じビヘイビアを求めてくることで,ぼくはそれに応えているとは言い難い。それに加えて,カクテルタイムを1人で過ごさせたら,どういう反応が返ってくるか。ちょっとした恐怖だ。

● ラウンジで感じることはほかにもあって,ホテルの仕事は大変だなということだ。自分には務まらない自信がある。それともやってみると意外にできるものなんだろうか。見られている快感というのもあるのか。
 なかなか難しいことだとは思うけれども,料理や飲物を自分で取るというスタイルなら,空いた皿を下げるのも自分でやるという方式にしてもいいのでは。立食い蕎麦屋じゃないんだからと言われそうだが。

● 相方と夜の人形町を歩く。“芳町”の路地も歩いてみたが,格別のことはない。
 不動産屋があった。この辺の家賃は右の写真のとおり。お一人様用で10万円前後。これでも安めのをあげてるわけだろう。東京に住むって大変なんだなぁ。
 ぼくは住めない。これだけの家賃を出すのは無理。田舎暮らししかできない。

● 0時過ぎのロビーにはスタッフ以外に誰もいない。このあたりがシェラトン都との違い。業者が「シンフォニー」や「フォンテーヌ」の掃除を始めている。いづらくなるだろう。
 シェラトン都ではこの光景を見たことがない。掃除をしていないはずはないから,もっと遅い時間にやっているんだろうか。