2019年5月12日日曜日

2019.05.12 先週に続いて,ロイヤルパークに投宿

● 11日。久喜駅前。ここで東武線に乗り換えて,水天宮前に行く。運賃は820円。自宅の最寄駅から久喜までは1,320円。計,2,140円。JRとほぼ同額なのだが,便利感(?)はこちらが勝る。
 つまり,上野から銀座線,半蔵門線と乗り継ぐよりは,ここで乗り換えてしまえば1本で行くし,乗換え自体,都内の地下鉄駅より,こちらの方が単純でわかりやすい。

● 先週に続いて,ロイヤルパークホテル。また,安い宿泊プランが出たので。
 田舎の小都市のビジネスホテルの宿泊料金に3千円を追加するだけで,この場所のこのホテルに泊まって,しかもラウンジまで使えるのだから,泊まらなければ損だと思うほどに安い。

● 相方とラウンジで落ち合って,そのままハイボールを飲みだした。今日は調子よく3杯。
 この日のラウンジは比較的空いていて静かだった。先週の混み具合が異常なのだろうが(滅多に遭遇しないから),ま,ラウンジは静かな方がいいや。

● その後,夜の人形町に出た。人形町に感じる懐かしさは何なのだろう。自分との距離感のなさ,気安さ。
 兎屋に向かう。これが3回目。メニューはつけ麺とラーメンしかない。どちらもすでに食べている。そのうえで出した結論。つけ麺がいい。麺は平打ち。
 飽きが来ないタイプの旨さだと思う。鋭角的にググッとくるものは,何度か食べるともう気がすんだとなりがちだけれども,ここのつけ麺はそうじゃない。

● しかし。今回はホテルラウンジでけっこう食べちゃってた。ポテトフライとポテトチップス。夕食は食べなくてもいいほどだった。
 そこにつけ麺大盛りを胃に投入したのだ。腹をポンと叩いたら,口からゴボっと出るんじゃないかと思うくらいの状態になった。ホテルまで歩いて戻るのがキツいわキツいわ。苦しいよぉ。
 いい年こいて何やってだ,俺。昼は抜いてるんだが。ホテル帰着後はそのまま横になった。これで1日目は終わり。

● 翌朝。6時前に目が醒めた。ロビー階にあるレストランはすでに活動を始めている。朝食を食べるお客を迎えなければならない。ラウンジも同じだろう。
 まことにホテルは眠らない。眠ることを許されない。

● 将来,AIやロボットにこの作業をやらせるようになるんだろうか。接客は人間がやらなければならないとしても,接客に至るまでの準備や作業はAI・ロボットに代替させられないか。
 将棋や囲碁はコンピュータが人間を超えた。職人芸と総称される分野でも同じことが起こるのではないかと思っているのだが。

● たとえば,料理ではAIがプロのシェフを超えるのではないかと思っている。音楽の演奏もプロの演奏家よりも機械の方が巧くやるようになるだろう。
 情感とか表現力とか芸術性と言われているものも,その内容を解析してプログラムできるようになる,のではなかろうか。そうなれば,機械にできない超絶技巧はないわけだから,機械が人間を上回るのは間違いない。
 音楽の場合は,それでも機械が演奏しているところを見たいかという問題が残るが,料理はできあがったものを食べるだけだから,つまり調理の過程はお客にとってはブラックボックスに入っているわけだから,機械が作ったものでも何も問題はない。お客に出すところだけ人間がやればいい。

● ともあれ。ホテルラウンジで朝食。バイキングメニューから選択するのは,いつもの和食。朝カレーは今日もあったけれど,手を出すことはない。洋食にもカットフルーツにも目をくれず。
 ご飯と味噌汁と卵焼きとカマボコと漬けものと梅干し。意外にこういうものを食べる機会が普段はないのだ。わが家においてはだけど。

● 今日は12時のチェックアウトまで部屋にいられる。早めに出かけなければならない用事はない。かといって,せっかくここにいるのにずっと部屋にいるのもな,と思って,隅田川の遊歩道を歩いてみることにした。
 いつものごとく,ジョギングしている人,多し。視覚障害者がグループを作って散歩していた。この風景を見ることができないのかと同情しそうになったが,たぶん,そうじゃないのだ。視覚以外の感覚で,視覚が正常な人以上のリアルさをもって,風景を捉えることができているかもしれないのだ。

● このスコンと抜けた風景は,理屈抜きに気持ちがいい。東京なら隅田川沿いに住むのが最高の贅沢ではないか。
 白金や赤坂や広尾ではなく,墨田区か江東区,中央区の一部が一等地になるのではないか。

● ただし,困ったことがある。この風景に気分が捕まってしまうのだ。このまま何もしたくないと思ってしまうのだ。
 できればこのまま人生が終わってくれないかと考えたりする。気持ちがそこで止まってしまう。すなわち,活動レベルが低下する。生きる意欲がどこかに飛んでしまう。 総理大臣になろうが,起業して億万長者になろうが,生活保護で生きようが,神様の目から見たらどっちもどっち,チョボチョボなんだろうな,と考えたりする。
 隅田川を眺めながら,何もしないでボーっとしていると,この瞬間,誰かがぼくの後ろに回って,必殺仕事人よろしくぼくの首に長い針を突き立て,ぼくを瞬殺する。かなりラッキーな人生の終わり方。そんなことをしてくれる奇特な人はいないわけたが。

● 対岸には平賀源内と松尾芭蕉の史跡があるらしい。いつかは行ってみるかもしれないが,今日はいいや。
 という具合になってしまう。よし行ってみようということにならないのだ。

● ホテルを出て右に行けば人形町。左に行けば隅田川。このホテルの立地は最高だ。
 もともと,わが家の東京でのホテルライフ(?)はこのホテルが出発点だったのだ。そこからウェスティンに移り,インターコンチネンタル東京ベイに移り,シェラトン都に移り,そしてまたここに戻ってきたのだけれど,以前は人形町とか隅田川はまったく視野に入っていなかった。

● ホテルに慣れてなくて,部屋の調度やレストランに圧倒されていたのかもしれない。地下鉄の乗り換えに慣れていなかったというのも含めて,要は余裕がなかったのだろう。
 しかし,仮に当時から人形町を味わうことができたとしても,以後のホテル遍歴は同じように繰り返したと思うけど。
 さらに,このままロイヤルパークが終の棲家になるかどうかはわからない。

2019年5月9日木曜日

2019.05.09 では,自分はスマホをどう使っているか

● では,自分はスマホ(パソコンを含む)をどう使っているかと思って,ノートに書きだしてみた。ありきたりの使い方しかしていない。大方の人は同じようなものだろうと思って,慰めているんだが。

● まず,Google先生に検索してもらって,ピンポイントで知りたい情報を得ることは当然として,
 1 ブログを書いてアップする
 2 Twitterでツイートする
 この2つは発信といえば発信なのだが,ログを残すという意味合いが大きい。

● あと,ログを残すといえば
 3 (毎日ではないが)睡眠ログを取る
 4 (かつては)自転車の走行ログを取っていた

● もちろん,娯楽に使っている。
 5 Googleニュースを読む
 6 Amazonプライムビデオを見る
 7 YouTubeで動画を見る,音楽を聴く
 8 いわゆるネットサーフィン

● 実用としては
 9 乗換案内で経路を確認する
 10 “ぴあ”でチケットを買う
 11 (滅多にないが)銀行振込
 12 (同じく滅多にないが)ホテルの宿泊を予約する
 13 (知らないところに行ったときに)Googleマップを使う

● コミュニケーションツールとしてはあまり使っていないが
 14 LINEとViberで合計2人の人(うち,1人は配偶者)とやりとりをすることがある。メールでのやりとりは絶無。
 ということは,その2人以外にネットを介したコミュニケーションをしている人はいないということだ。

● 仕事にはまったく使っていない。これは当然で,仕事にプライベートの通信機器を使うのは,基本,御法度だろう。仕事で使っていいのは職場のパソコンのみ。データの持ち帰りも禁止されているだろう。
 ので,仕事以外でスマホですることいえば
 15 (時々)メモをとる。Google Keep を使っている。
 メモはこれに限る。モバイルオフィスやテキストエディタの必要を感じたことはない。メモをとるといえば
 16 カメラを使う
 むしろ,こちらの出番が多い。脳内の妄想はテキストにするしかないが,外部化されていれば写真を撮っておけばすむ。

● ゲームはやらない。以前は将棋とか麻雀ゲームのアプリを入れていたが,削除してだいぶ経つ。
 だいたい以上。ごく平凡なこと。誰もがやっていることだと思う。
 それでも,スマホは夢の器械だ。これでも以前に比べればだいぶ使うようになっているのだ。

● で,考えるわけだ。もっとアッと言う使い方ができないものか。
 たとえばGoogleカレンダーを使えば,スマホのAI機能が強化されるんだろうか。Googleカレンダーにメモ欄はないが,工夫の余地はあるかもしれない。
 そこに,紙のノートに書いているようなことを書けば,こちらの嗜好を細かく把握して,Googleアシスタント(使っていない)がほんとの秘書のようにサポートしてくれたりするんだろうか。

● 止めてしまったFacebook。“友だち”とのどうでもいいやりとりではなくて,もっと役に立つ使い方ができないか。こんなにFacebookへの依存度を高めていいんだろうかと不安になるような使い方はないか。
 が,ログを残すためならTwitterで足りる。コミュニケーションでもなくログでもないFacebookの使い方っていうのはどうもありそうもないかな。

● ほんと,アッと言う使い方を見つけて,時間効果を飛躍的に上げることはできないものか。スマホでもっと省力化、時短を実現できることはないか。
 改善とかではなく,画期的に自分を変えてくれるような使い方。生活を変える必要はないと思っている。今の状態のままで,今やっていることを飛躍的に増やしたいのだ。
 難しいな。スマホは能力不足を補ってくれないから。

● 自分がやっていることはすべて時間消費型の趣味だから,スマホを使ってどうのこうのではなくて,生活を見直して,浪費している時間を削るのが先だってことになる(時間を浪費するのは楽しいんだけどね)。
 秘書を雇ったからといってどうにかなる部分は,そもそもあまりないわけだよね。“画期的に自分を変えてくれるような使い方”をスマホに求めるなんてのは,要は現実逃避だよ。現実とちゃんと向き合わないとねぇ。

● が,これやっといて,とスマホに振れることって,もっとありそうな気はするんだな。

2019.05.09 インターネットとスマホは能力差を拡大する

● ワープロ専用機ができたときから,それを秘書になぞらえる言い方がされた。たとえば,西尾忠久『ワープロ書斎術』(講談社現代新書)に,その言い方が出てくる。
 が,当時はその秘書がやってくれることは,文書の保管と必要に応じて取りだすというくらいのものだった。それだけでもありがたいが。

● 現在は違う。インターネットが普及し,そのネット端末がいつも持ち歩いて使えるスマホになった結果,秘書は何人でも好きなだけ雇えるようになった。
 文書の管理でいえば,ブログにしてクラウドにあげておけば,Googleの検索エンジンを使って全文検索ができるのだ。大量の文書を隈なく探して,必要なものをピックアップしてくれる。そんなことを生身の秘書にやらせたら,嫌気がさして辞めてしまうかもしれないが,ネット上の秘書は文句ひとつ言わずに,しかも高速で処理してくれる。

● ワープロ専用機の時代にも同じことはできた。保存媒体がフロッピーしかなかったから,フロッピーを差し替えなければならないという手間があったのと,検索速度が今とは比較にならないほど遅かったということを別にすれば。
 文章を書くことを仕事にしていた人なら,ワープロ専用機の登場とインターネットがあたりまえになったことを比較すれば,ワープロ専用機の登場により大きい衝撃を感じたと思う。

● しかし,現在の利便性は当時とは比較にならない。端末に縛られなくなった。どこからでも同じ文書にアクセスできる。ゆえに,どこにいても同じ作業ができる。パソコンで作ってスマホでブラッシュアップすることができる。
 インターネットの恩恵だ。昭和に大きくなった老人から見ると,これは途方もないことだ。

● ともあれ。今はスマホでできることが増えた。ぼくはAndroidユーザーなので,Google Play でどんなアプリがあるのか眺めることがある。とんでもない数があって,いったいスマホでできることがどれだけあるのかと唖然とする。自分はスマホ能力のほんの一部しか使っていないなと思う。
 必要なものだけ使えばいい。自分に合わせて使えばいいだけだ。それはそのとおりで,百パーセント間違いない。

● 当然,人によって使い方が違う。その違いが何を語るかというと,スマホは(インターネットはと言い換えてもいいわけだが)個人間の能力格差をさらに増幅する器械だということだ。
 能力のない者がスマホを使うことによって能力ある者に追いつけるなどということはない。スマホを使うと個々の処理能力が大きく増幅するわけだから,元々の能力が格差が何十倍かに拡大されるだろう。

● 人によって使い方が違うというときに,その違いがつまり能力の違いだ。スマホの使い方が能力を作るのではない。能力がスマホの使い方を決めるのだ。
 結果,能力のある人は,秘書を5人も10人も雇っているような使い方をする。中には小さな会社を自分のために作ったのと同じ効果をあげている人もいるかもしれない。

● ここで能力とは,人と関われる力とでも言っておこうか。コミュニケーションがどれだけできるかということだ。
 連絡する,指示するということを含めて,たとえばLINEを使い倒している人は,じつに自分の能力を大幅に拡張しているといえるのではないか。
 つまり,能力とは対人間で発揮されることが多いものだ。そのためにスマホを使っていないとなると,なかなか能力を拡張することにならない。

● SNSをヘビーに使っているかどうかではない。SNSっていうのはTwitterにしてもFacebookにしても,コミュニケーションよりもじつは引きこもるための道具なのではないか。そういう使い方をしている人が多いのではないか,というのがぼくの印象だ。
 っていうか,自分がそうなのだ。Facebookはやめたが,Twitterは今も使っている。しかも,けっこうヘビーに使っている。しかし,ログを残すためだ。コミュニケーション欲求ほほぼない。この態度は引きこもりに近いものだと,自分では分析している。

● 個人のログ,あるいはたんなる意見表明ということならば,特徴ある発信ができる人には,ネット以前から手段は与えられていた。
 それができない人は,ネットによって発信手段は与えられたものの,発信しても誰も読まない(つまり,誰にも届かない)という結果になるだけだ。

● それでも,手段を得たことは大きい。それは実感している。けれども,ぼくのような使い方(多くの人がそうだと思うのだが)だと,能力が拡張したという実感は持ちにくい。
 もともと能力がない場合は,どんなツールができようと関係ないという冷厳な事実があるようだ。

2019年5月8日水曜日

2019.05.08 無印良品の銀座店に行ってみたい

● 『無印良品のデザイン』(日経BP社)正・続2冊を読んでみた。が,無印の世界にぼくがドップリ浸ることはなさそうだ。無印に対するイメージが「わけあって,安い」の頃からあまり変わっていないせいもあるだろう。
 今の無印はそうではないことはこの本を読んでよくわかったのだが,無印もライフスタイルの提案を業とするのだとすると,提案されたスタイルになんか乗ってたまるかという気持ちが動く。

● 無印もいいけれど,セブンプレミアムもいい。ユニクロにも無印的なテイストを感じる。
 デコラティブを排し,余計な機能を削り,残った機能については高品質を確保し,包装を簡素にし,リーズナブルな値付けをする。無印が切り開いた道なのだろうが,それを追随するところが出る。
 セブンプレミアムやユニクロと無印では,カバーする範囲が違うので,比較してみても仕方がないのだが,それらが単なるエピゴーネンとも言えなくて,それぞれに特徴がある。

● というわけで,さほどに無印に入れあげているわけではないのだけれども,銀座の旗艦店は見てみたい。
 無印と銀座って,何となくそぐわない感じもする。こちらが「わけあって,安い」時代の認識から出ていないからだ。
 今の無印は銀座にこそ相応しいのかもしれない。ユニクロもたぶんそうだ。

● 真の富裕層というか,生まれたときから富裕が身についている人たちは,無印を好むんじゃないかという気がする。華やかなブランド品をまとうよりも無印の洋服がいい,と。
 ともあれ,時代を感じることができそうだ。6~10階は日本初のMUJIホテルになっているのだから,そのホテルに1泊して,チェックインしてからチェックアウトするまで,無印の店舗から一歩も外にでないで過ごしてみたい。食事も飲酒もすべて店内ですませる。

● が,まだ開店後の混雑が続いているらしい。ホテルもかなり先まで予約て埋まっているっぽい。少し落ち着いてからということになるだろう。
 店のデザイン,商品の配置,お客さんの様子。見るべきものはこの3つ。というか,この3つは味わうに足るのではないかと思っている。

● ところで,この銀座店は有楽町店を継承するものだ。有楽町店には何度か行ったことがある。2017年7月に増床してリニューアルオープンしているのだが,その前と後に行っていると思う。
 その有楽町店が2018年12月で閉店し,翌年(つまり今年)4月に銀座店がオープンしたわけだ。
 だったら,2017年のニューアルオープンは余計なコストだったのではないかと,ぼくのような素人は思ってしまいがちだ。その時点で銀座移行は見据えていなかったのか,無計画じゃないか,と。

● しかし,そうではないはずだ。わずか1年半であっても利益がコストを上回ると判断したのだろう。あるいは,内部を変えて試してみたいことがあったのだろう。
 ともかく,一度行ってみたいね。G-SIXはもう気がすんでるけど。

2019年5月6日月曜日

2019.05.06 東武電車で南宇都宮に戻る

● ホテルラウンジでの朝食。昨日の経験を活かして,今朝はシンプルに和朝食。ここではこれがベスト(たぶん)。
 食後にコーヒーを飲めば,贅沢を極めた朝食が完成する。

● 水天宮前駅発11:24の南栗橋行きに乗る。水天宮前駅の発車時刻までわかるとは,乗換えアプリはじつに便利だよ。
 時刻表ファンというのは今でもいると思う。彼らにしてみれば,アプリが時刻表を代替することはあり得ないはずなのだが,ぼくらパンピーはアプリがあれば時刻表は要らない。

● こういう便利さに慣れてしまっているけれど,ネット以前は,こういうことって偉い人たちは秘書にやらせていたよね。つまりさ,ぼくらは秘書を雇っているのと同じだよ。
 自分だけじゃなくて,誰もが秘書を雇っているから,別に何も感じないけれども,すごいよねぇ,インターネット。

● インターネット端末は今はスマホ。常時持ち歩いている。生活インフラの筆頭だ。そのスマホ1台でいったいどれだけのことができるんだろう。GoogleやAppleをはじめとする,あの会社やこの会社の恩恵ってどれほどになるんだろう。
 自分もスマホをいじっている時間はけっこう長いんだけども,もっともっと便利にできるかもしれないね。便利さと引換に捨てるものもあるはずだが。

● LINEやメールを使えば,郵便局に行って切手を買って,その切手を貼ってポストに投函する手間を省ける。銀行に振込に行く必要もない。そういうことはスマホという秘書にやらせているからだと考えてみる。ぼくらはいったい何人の秘書をやとっているだろう。
 ぼくが思いつくのはその程度のものだから,まぁ1人しか雇っていないかな。人によっては5人とか10人雇っていることになる使い方をしているのだろうな。
 使い手の器量によって雇える秘書の数が違ってくる。スマホっていうのは,人の器量の差を拡大する器械でもあるかなぁ。

● さて,その前に,ラウンジで一口大の柏餅を4つ食べた。よもぎ餅もあったよ。全然帰りたくないけれども,帰らないとなぁ。
 ぼくに使えるお金が月に百万円もあれば,仕事なんか放りだして,好きなだけ泊まっていくんだが。悲しいかな,その百万円の金がない。

● 一昨日と同じコースを辿って南宇都宮に戻ってきた。車中,何事もなかった。一昨日は,文化会館から南宇都宮駅まで歩くのに,だいぶ遠回りをしてしまったらしい。

2019年5月5日日曜日

2019.05.05 昼間の人形町をウロウロする

● ホテルラウンジで朝食。今回,朝カレーというのがあって,喰っちまった。トマトの利いた酸っぱいカレー。グリルしたトマトもあり。
 が,これは失敗だった。カマボコ,漬物,味噌汁でご飯を食べるのが,ぼく的には正解かと。

● ホテルの売りはたぶん洋食かと思うんだけど,ぼくは和食を勧める。おそらく,人形町のどこかから仕入れているカマボコと漬物。あえて大げさな物言いをするけれども,これを食べないでは損をする。
 カマボコは当然ながら醤油をつけて食べる。しかし,ホテルには醤油しかない。つまり,ワサビや柚子コショウは置いてない。毎回,持ってくればよかったと思う。が,必ず忘れる。
 しっかりしたカマボコなら,ワサビなんか入れずに,醤油だけで食べた方が旨いんだろうか。

● スタッフが紫色の野菜ジュースにミルクを混ぜたものを持ってきてくれた。まろやかになって旨いんだよ,と言う。世話好きなスタッフがいるのだが,彼の名をつけて,わが家ではこれをト○タ・スペシャルと呼んでいる。
 これはぼくはアリだと思った。奥様の評価は???だったのだが,ヨーグルトに近い味になる。甘みはジュースにたっぷり載っているので,さらに味を加える必要はない。

● 11時過ぎに再びラウンジに。今年初の柏餅にありついた。言うまでもないだろうけれども,味はホテル水準。ひと口で食べられる大きさ。甘さ控えめ。
 率直に言うと,このラウンジでホテル水準に達していないものはお客だけだ。もちろん,ぼくらを含む。

● 人形町をフラフラと歩いてみた。水天宮を覗いてみたり,いきあたりばったりに路地に入ってみたり。
 そんなことをしていたら甘酒横丁に入っていた。ここをまっすぐ進むと,“谷崎潤一郎生誕の地”に至る。至ったところで,そこに何があるわけでもないのだが。

● 昨夜入れなかった「兔屋」。13:30頃だったが,5人ほど店外で並んでいた。こういうところにも女性の1人外食派がいる。
 前回はつけ麺を食べたので,今回はラーメン。大盛りで980円。豚骨&煮干し。麺は浅草開化楼のストレート麺。汁がかなり濃厚だから,縮れ麺はあり得ない。旨いラーメンを食べたと思った。

● 17時からラウンジでカクテルタイムが始まる。が,「兔屋」で大盛りラーメンを食べているのだ。とても飲める胃袋じゃないわけで。缶のお茶を飲んだだけだった。
 その後は部屋に戻ってベッドでウツラウツラ。何もしないですごした1日だった。いいもんだ。徹底して“何もしない”ができるのが,ホテルの功徳の第一だと思う。

2019年5月4日土曜日

2019.05.04 東武電車でロイヤルパークホテルへ

● この日,宇都宮市文化会館に行った。で,その用事がすんでから,南宇都宮に東武線で東京に向かう。というのも,黄金週間の終盤にロイヤルパークに安い宿泊プランが出たのを奥様が発見されたからなんだが。
 2日前に奥様がおっしゃるのだ。
 やい,謹んで拝聴しやがれ。ゴールデンウィークの終盤に安いプランが出たぞい。どうする? 行くか行かないか。行かないなら1人で行くがな。
 行きます,行きます,どうぞお連れください,とぼくは答えたのだった。

● が,ぼく,素足にサンダルなんだよね。この陽気じゃ靴下なんかはきたくないし,ましてそれを靴で覆うなんてまっぴらだ。それはいいとして,これでホテルに行くのはね。
 といって,今から家に帰ってってのはありえない。素足にサンダルのままで向かうことにした。

● 東武なので直通はない。栃木と南栗橋で乗り換えることになる。が,乗り換えはスムーズ。南栗橋からは黙っていても半蔵門線に乗り入れて,最寄駅の水天宮前まで連れて行ってくれる。
 ロイヤルパークホテルを定宿にするようになってから,東武線がかなり身近になった。

● ここから押上まで1,200円。押上から半蔵門線に入り,水天宮前まで170円。JRよりだいぶ安くなるのもありがたい。
 しかも,だ。JRより安いのにJRより長く乗っていられるのだ。ぼくは乗っているのが好きなので,こういうのは大歓迎だ。

● だったら,毎回東武を使えばいいじゃないかと言われるか。それはダメだ。宇都宮はJR駅と東武駅が離れているのだ。北極と南極ほども離れている。
 わが家の最寄駅はJRなので,宇都宮で東武に乗り換えるのはあり得ない。今回はたまたま宇都宮市文化会館にいたので,東武駅が近かったというだけのことだ。

● 東武線の魅力はほかにもあって,東京に入ると主には墨田区を走ることだ。元日にはわざわざ玉ノ井や鳩の街をウロウロしてみたのだが,東武ならわざわざ行かなくても,曳舟で停まるのだし,各停に乗り換えれば東向島はすぐそこ。
 となると,なかなか行かないけどね。いつでも行けると思うと,行かないものだな。

● というわけで,快適な東武の旅でロイヤルパークホテルに到着。水天宮前駅から直結なのだから,じつにもってどうしようもなく便利。
 最近,ロイヤルパークに傾きっぱなしなのは,この駅直結も大きな理由だ。以前は,東京駅から歩いたり,上野駅で日比谷線に乗り換えたり(人形町で降りて少し歩く),同じく上野駅で銀座線に乗り換えて,三越前でさらに乗り換えるなんてことをやっていたのだが,久喜か栗橋でJRから東武線に乗り換えてしまった方が,駅直結の利便性がさらに活きることを発見。

● とにかくホテルに着いた。奥様は先に着いて,ラウンジでぼくをお待ちだ。
 素足にサンダルでラウンジに行った。あまり動き回らないようにした。本当はさ,サンダルも脱いじゃって素足で歩き回りたいよね。こういうところに小石はないんだからね。

● ラウンジでやることは,いつもと同じ。ハイボールを飲む。いつもはトリスだけれども,ここではスコッチのバランタインという違いがあるだけだ。が,ハイボールで飲むのであれば,トリスだろうとバランタインだろうと,大した違いはない(と,ぼくは感じる)。
 いつもはない肉団子が今日はあった。それでグイグイ飲んだ。

● ところで,ラウンジは満席だった。これほど混んでいるのには初めて遭遇する。これなら安いプランを出さなくても埋まったのじゃないかと思うんだけど,そこは長年のデータに基づいてプロがやっていることだし,その安いプランが出たために,今,ぼくはここにいられるわけだから,この点については,疑問を挟まないことにする。

● 夜の人形町を歩いてみた。「兔屋」に行った。が,閉店後。22時頃だったか。「兔屋」は21時までの営業なのだった。
 ので,「いなせ」で500円ラーメンを。ここは2度目。お客さんは若い人が多い。

● 女性も1人で来てたりする。女性の1人外食,普通になったよねぇ。昔前とは隔世の感がある。
 四半世紀前,初めてシンガポールに行って,ホーカーズでご飯を食べた。そのときに,若い女の子が1人で食べているのを見かけた。そんな子が何人もいた。
 それがすごくかっこよく見えた。自立しているというか,自分の生活を自分でコントロールしているというか。1人だけど何か問題でも,という風情をぼくは勝手に感じ取って,かっこいいなぁと思ったんだよね。

● 当時の日本では女性の1人外食はほぼなかった。それは落後した女性のシンボルのようなものだった。1人なのに家ではなく外で食べているのは,寂しいことであり,女子力(当時はそんな言葉はなかったと思うが)がないことの表明と受けとめる空気があったのではなかったか。
 今は,吉野屋でも駅の立ち食いそばスタンドでも,女性が1人で食べている光景を普通に見かけるようになった。これひとつ取っても,時代は確実に進歩しているのだと判断していいと,ぼくは思う。