● Twitterでも経済格差云々がけっこう話題になっているようで,「経済格差が開くほどに「美」すらも特権階級のみが愛でられる特別なシロモノになってる」というTweetに接した。
これを読んで,故長谷川慶太郎さんがアメリカについて語っていたことを思いだした。経済格差が隔絶すると,同じ英語を話しているのに,その英語が通じなくなる,と。
そうなのかと思った。経済格差が大きく開いてしまうと,言語も橋を架けることができなくなるのか。
● そのときは,アメリカでは起きても,日本で起きる現象ではないと思った。狭い日本で日本人同士が日本語で意思疎通ができなくなるとは思いもしなかった。
しかし,それを笑い話ですますわけにはいかない状況になってきてるんだろうか。資本主義は格差を内蔵する。格差のない自由社会なんてあるわけもない。
● しかし,階層が固定してしまうのは辛い。努力すれば上に行けるという,いわば成り上がることが保障されていない社会は活力を産まない。
大学の無償化は余計なことだと思っているけれども,成り上がるルートを塞いでしまってはいけない。今の日本はそういう社会になってしまったんだろうか。
● 実際のところ,図書館は無料で利用できるんだし,ネットは貧者の救世主になり得ると思えるのだが,そもそもが成り上がろうというモチベーションを持ちにくい社会になっているんだろうか。
貧者は貧者で,成り上がるなんてダッセーとか思っているんだろうか。あるいは,成り上がるなんて無理だと思わせるくらいに,すでに格差拡大が進行してしまっているんだろうか。
● ぼくらはそれぞれ,自分の狭い世界で呼吸をしているから,そこからそれた世界は視野に入りづらい。ただねぇ,まだそこまで行っていないような気がするんだけどねぇ。
いずれは,ベーシックインカムが導入される。それをぼくは必然だと思っている。だから,飢えて死ぬことはない。
● 経済格差というときに,上が優で下が劣かどうかはわからない。上を目指すばかりが能ではない,という気が今はしている。遣えるお金で月100万円あるのと生活保護を受けているのと,神様の目から見たらチョボチョボかもしれないとよく思う。
努力はしないよりした方がいいのだろうし,志もないよりあった方がいいのだろうが,それは結果を保証するものではない。
● 成り上がることを目指さない自由はある。そこは徹底的な自由がある。
しかし,成り上がりたい人は,実力(と運)があれば成り上がれるルートはなければいけない。自由社会の前提にそれがなければいけない。
● この経済格差がモテ格差につながると論調がある。冒頭に紹介したTweetもその流れだ。
若い人の関心事の8割は異性のことかもしれない。自分が若かったときのことを思いだすと,おそらくそうではないかと思う。
それが自分には関係のない格差によって最初からスタートラインが違ってくる。大昔からそうだった。世の中は理不尽なものだ。
が,経済の格差があまり大手を振って闊歩するのは,どうにも面白くない。
● 自分で自分を喰わせることができるようになれば,いかようにも勝負のしようはあるだろうが(勝負しなければいけないということはない),とりあえずは,モテないからといって自分はダメ人間だと思うことのくれぐれもないように,若い人には申しあげたい。
いつだって逆転の芽はあるものだ。若いときから妙に女あしらいが巧いヤツは,たいていロクなものにならないとしたものだ。
● あと,若くいられるのはしごく短いんだよということ。いつまでも若いわけではないのだ。女性はオバサンと呼ばれて過ごす時期が一番長い。次に長いのはオバアサンだ。男もまた同じ。恋愛の比重はこの先,下がっていく。
外見で勝負できる期間は短いものだということでもある。10代や20代の男性は,笑ってしまうほど(女性の)ルックスに弱いものだが,これも30代からは変わってくる。
● 世の中は不公平なものだし,順風満帆の人生などあり得ない。必ず「まさか」という坂がある。ぼくの場合は,還暦手前に一番大きな「まさか」があった。自分の人生を全否定するしかない状態に陥った。主観的にはそうだった。そして,人生は主観がすべてなのだ。
それでも,へらへらと笑いながら生きられるのがまた人間というものでもある。「まさか」で転んでも,さらにその先がある。
● 人の人生は結局は「運」次第かもしれないが,可能ならば,斜め上くらいを目指してほしい。斜に構えるのは楽だし,ニヒルで格好良く思えるかもしれないが(インテリやくざっぽいし),その罠に嵌まらないでほしい。ぼくは若い頃にたっぷり嵌まっていたんだけど。
そしてスパンを長く捉えて短気を起こさないでほしい。たとえ下層であったとしても,それを親のせいにしてヤケを起こしたら,そこで終わってしまう。
● 自分は一個の小宇宙であって,伸縮するものだと思ってほしい。可塑性があるのだ。“今”は永続しないのだ。一寸先は闇かもしれないが,光かもしれないのだ。それは誰にもわからない。
格差の上にいても下にいても,それは同じなのだ。格差が強固な構造物に見えるのは,おそらくは錯覚なのだ。つけいる隙はけっこうあるのだと思う。
2019年12月15日日曜日
2019.12.15 ロイヤルパークホテルに投宿
● 東京で定宿にしているホテルは他にもあるけれども,ロイヤルパークホテルに泊まるときの方が,前日からワクワクする度合いが大きい。
その理由はといえば,場がいいというか自分に合っていると思えることだ。人形町という場の力だと思う。
● もちろん,それだけではない。ロイヤルパークは食のレベルが高いと思える。街に出ればもっと旨い店があるのだと思う。
逆に,街あればこそのホテルで,街の食の水準が高いから,ホテルもそうなるのかもしれない。
● ラウンジに未就学児がいない。未就学児の利用を有料としているからだ。
未就学児は無料で利用できるとしているホテルもある。ぼくの知る限りでは,インターコンチネンタル東京ベイとシェラトン都がそうだ。未就学児のいる家族連れはそういうところに行く。ここにはこない。
未就学児がいないラウンジは落ち着く。基本,イライラしなくてすむ。ホテルラウンジに必要なものはたったひとつ。静謐さ,だ。
そのラウンジで奥様と落ち合って,早速,ハイボールをば。
● やっぱり,兎屋に行ってしまった。炭水化物をガッツリ摂ってしまう。しょうがないね。昼は完抜きだから許してもらおう。
若いお嬢さんの3人組がいた。仕事帰りではなく,これから仕事に出るのでもなく,日本橋で遊んでこれから帰るところのように思われた。屈託がない。ひょっとすると,人生で一番いい時期にいるのかもしれない。
● すでに三越は閉まっている時刻なのだけども,日本橋本町,室町まで歩いてみる。どこにでもあるイルミネーションがここにもある。どこでもやっている。そのせいかどうか,以前ほど訴求しなくなってると思う。あたりまえになってしまったので。
日本橋でこの麒麟の写真を撮ってる人が他にもいた。いずれも男性。男の人ってああいうの好きよねぇと相方が言う。妙に納得もしたんだけど,ちょっと違うような気もした。
ここが舞台の阿部寛主演の映画(2本あった)は,Amazonプライムビデオで見た。
● ホテル内のクリスマス飾り。ぼくの感じでは,クリスマス商戦も盛りあがらなくなってる。不景気だからではない。
ハロウィンもそうだ。初詣客も減っているのではないか(→ そうでもない?)。1年がのっぺりとしてきた。いよいよ,日本社会は成熟してきたということか。
っていうか,インターネットのせいだね。インターネットが時間の過ごし方を個別化した。何人かで何かを一緒にやるというのは苦手,という人をネットが増やしたように思う。
それをいいとか悪いとか言ってみても始まらない。いいも悪いもない。
● ホテルでの朝食。いつもはラウンジなんだけど,今日は1階の「シンフォニー」で。ラウンジでの朝食券に1,500円を追加すると「シンフォニー」が使えるのだが,今回は追加なしで使えたからというサエない理由による。
食べたのはいつもの和食なんだけど,色々あって選ぶのに困ってしまう。 結局ね,ご飯と味噌汁をお代わりして,意地汚く食べましたよ,と。
● JALのラウンジって,カレーと明太子が有名じゃないですか。でも,それ以外は???ってことなんですよね。
ここの明太子はJALより旨いです。朝から飲みたくなりました。
● パンのところに,6種のフルーツソースというのがあって。ソースというよりジャムと捉えた方がいいかもしれないもので。
ヨーグルトに載せるのが吉。これだけでも1,500円追加の価値はあるかもね。同時に,和朝食だけならラウンジでこと足りる感もある。迷わなくてすむ分,かえって有難いかもね。
● 朝食後は隅田川を散歩。写真は改装なった清洲橋。今日も小春日和の穏やかな天気だ。天気は穏やかだ。
T−CAT。2階のイベントスペースでは沖縄の観光案内。首里城は残念だったが,城跡として保存整備するのもアリかなと思う。国は必ず復元に動くが。
観光案内のビデオが流れていたので,ひと通り見てきた。歴史に焦点を当てているが,沖縄の観光資源は歴史だけじゃない。
最大の資源は何かと言ったら,たぶん“緩さ”だと思う。アジアでも珍しくなってきているもの。
● はい。というわけで,そろそろチェックアウト。帰りたくないけどね。お金で買える最も良質な安楽はホテルでしょうね,やっぱり。
その理由はといえば,場がいいというか自分に合っていると思えることだ。人形町という場の力だと思う。
● もちろん,それだけではない。ロイヤルパークは食のレベルが高いと思える。街に出ればもっと旨い店があるのだと思う。
逆に,街あればこそのホテルで,街の食の水準が高いから,ホテルもそうなるのかもしれない。
● ラウンジに未就学児がいない。未就学児の利用を有料としているからだ。
未就学児は無料で利用できるとしているホテルもある。ぼくの知る限りでは,インターコンチネンタル東京ベイとシェラトン都がそうだ。未就学児のいる家族連れはそういうところに行く。ここにはこない。
未就学児がいないラウンジは落ち着く。基本,イライラしなくてすむ。ホテルラウンジに必要なものはたったひとつ。静謐さ,だ。
そのラウンジで奥様と落ち合って,早速,ハイボールをば。
● やっぱり,兎屋に行ってしまった。炭水化物をガッツリ摂ってしまう。しょうがないね。昼は完抜きだから許してもらおう。
若いお嬢さんの3人組がいた。仕事帰りではなく,これから仕事に出るのでもなく,日本橋で遊んでこれから帰るところのように思われた。屈託がない。ひょっとすると,人生で一番いい時期にいるのかもしれない。
日本橋でこの麒麟の写真を撮ってる人が他にもいた。いずれも男性。男の人ってああいうの好きよねぇと相方が言う。妙に納得もしたんだけど,ちょっと違うような気もした。
ここが舞台の阿部寛主演の映画(2本あった)は,Amazonプライムビデオで見た。
● ホテル内のクリスマス飾り。ぼくの感じでは,クリスマス商戦も盛りあがらなくなってる。不景気だからではない。
ハロウィンもそうだ。初詣客も減っているのではないか(→ そうでもない?)。1年がのっぺりとしてきた。いよいよ,日本社会は成熟してきたということか。
っていうか,インターネットのせいだね。インターネットが時間の過ごし方を個別化した。何人かで何かを一緒にやるというのは苦手,という人をネットが増やしたように思う。
それをいいとか悪いとか言ってみても始まらない。いいも悪いもない。
● ホテルでの朝食。いつもはラウンジなんだけど,今日は1階の「シンフォニー」で。ラウンジでの朝食券に1,500円を追加すると「シンフォニー」が使えるのだが,今回は追加なしで使えたからというサエない理由による。
食べたのはいつもの和食なんだけど,色々あって選ぶのに困ってしまう。 結局ね,ご飯と味噌汁をお代わりして,意地汚く食べましたよ,と。
● JALのラウンジって,カレーと明太子が有名じゃないですか。でも,それ以外は???ってことなんですよね。
ここの明太子はJALより旨いです。朝から飲みたくなりました。
● パンのところに,6種のフルーツソースというのがあって。ソースというよりジャムと捉えた方がいいかもしれないもので。
ヨーグルトに載せるのが吉。これだけでも1,500円追加の価値はあるかもね。同時に,和朝食だけならラウンジでこと足りる感もある。迷わなくてすむ分,かえって有難いかもね。
● 朝食後は隅田川を散歩。写真は改装なった清洲橋。今日も小春日和の穏やかな天気だ。天気は穏やかだ。
T−CAT。2階のイベントスペースでは沖縄の観光案内。首里城は残念だったが,城跡として保存整備するのもアリかなと思う。国は必ず復元に動くが。
観光案内のビデオが流れていたので,ひと通り見てきた。歴史に焦点を当てているが,沖縄の観光資源は歴史だけじゃない。
最大の資源は何かと言ったら,たぶん“緩さ”だと思う。アジアでも珍しくなってきているもの。
● はい。というわけで,そろそろチェックアウト。帰りたくないけどね。お金で買える最も良質な安楽はホテルでしょうね,やっぱり。
2019年12月8日日曜日
2019.12.08 宇都宮のオリオン通り
● 昭和50年代のオリオン通りは,ある意味,宇都宮で最も輝いていたエリアだったと思う。とりあえず,オリオン通りで用が足りたのだ。
書店もレコード(CD)店もあった。古書店もあった。ファッションのメッカでもあった(宇都宮のね)。現在の世相を見たければオリオン通りに行けばよかった。
● けれども,そのオリオン通りから輝きがすっかり消えた。暗くなった。文字どおりのシャッター通りになったのではなかったか。諸行無常,栄枯盛衰をリアルに語るエリアになった。
こんなところを歩いたんじゃツキが逃げると思ったよ,ぼく。
● その間,宇都宮に出ても駅の近辺しか行かなくなった。市内に繰りだす理由がない。繰りだしたって何もないんだから。
オリオン通りの火が消える前に,市内から百貨店は消えていたしね(東武を除いて)。
● そのオリオン通りが変わり始めたのはいつだったか。そんな昔じゃないよ。落ちるところまで落ちて,あとは浮かびあがるしかないというところまで行っての結果なのか,何か人為的な理由があったのか。
そのあたりは,ぼくはまったく知らないのだけど,とにかくオリオン通りに人が戻ってきた。
● ただし,態様は一変した。文化の匂いはなくなった。すっかり飲み屋街と化した。インターネットカフェと松屋がある。そういう通りになったのだ。
日曜日の午後8時。かなりの店が営業中。お客もそこそこ入っていたりする。何だか宇都宮らしくないと思ってしまう。休日のこの時間帯にはすっかり暗くなって,ゴーストタウンになるのがかつての宇都宮ではなかったか。
● 気づくことがある。お店で働いているのも,お客も,若者が主体。ロートルはいない。
宇都宮にこんなに若者がいたのかと驚きもするんだけど,ロートルがいないから若者が集まるのかもなぁ。のであれば,40歳以上のGGI&BBAは,休日の夜,オリオン通りに出没するべからず。
若者をそっとしておいてやること。それが,このかそけき賑わいと活気を維持するための,唯一にして最善の方策かもしれない。
2019.12.08 東京散歩 渋谷
● 田舎から東京に出かけていく場合,できれば行きたくないし,できたらここで乗り換えるのも避けたいと思うところがある。
ぼくの場合は,新宿と池袋と渋谷だ。いずれも,山手線の左半分。宇都宮から電車に乗るときに,湘南新宿ラインは何とはなしに避ける傾向があるのは,それと無関係ではない。
● しかし,池袋についてはどうやら苦手意識を克服できた。勝手が掴めてきたというかね,構内の地図が頭に入ってきたというかさ。
新宿もあとひと息のところに来ている。何度も乗換えを経験するしかないんですわね。そうするうちにリズムに乗れるようになる。
● のだが,渋谷は苦手が100%残ったままになっている。渋谷で下車する機会があまりない(避けているせいもあるのだが)。乗り換える機会もない(避けているせいもあるのだが)。
ので,そのまま残ってしまっている。この過剰な人波を見るとね,逃げて帰りたくなる。
● とはいえ,先月24日に渋谷で京王井の頭線に乗り換える機会があった。そのとき,乗換えの途中に,岡本太郎「明日の神話」が掲げられているのを見つけた。
渋谷駅構内にこういうものがあることを知らなかった。これだから田舎者は・・・・・・。
● 今日は調布に出る機会があった。往きは新宿から乗ったのだが,復りは明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷に出た。
「明日の神話」をちゃんと見ようと思って。けれども・・・・・・。
こういうものは見る人が見ないとダメだね。膨大な情報を発しているに違いないのに,ぼくには何も伝わって来ない。キャッチできないんだね。アンテナの感度が鈍すぎて。
● Wikipediaによると,「第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間がモチーフとなっており,悲惨な体験を乗り越え,再生する人々のたくましさを描いた」ということなのだが,そういうことを本物の壁画から感じることができない。
Wikipediaで知識は得られる。が,それだけのことだ。
● 何度も見れば何が見えてくるものがあるのかとも思うが,まぁ,われながらそういうことはあまり期待できない人間だと思うなぁ。
ぼくの場合は,新宿と池袋と渋谷だ。いずれも,山手線の左半分。宇都宮から電車に乗るときに,湘南新宿ラインは何とはなしに避ける傾向があるのは,それと無関係ではない。
● しかし,池袋についてはどうやら苦手意識を克服できた。勝手が掴めてきたというかね,構内の地図が頭に入ってきたというかさ。
新宿もあとひと息のところに来ている。何度も乗換えを経験するしかないんですわね。そうするうちにリズムに乗れるようになる。
● のだが,渋谷は苦手が100%残ったままになっている。渋谷で下車する機会があまりない(避けているせいもあるのだが)。乗り換える機会もない(避けているせいもあるのだが)。
ので,そのまま残ってしまっている。この過剰な人波を見るとね,逃げて帰りたくなる。
● とはいえ,先月24日に渋谷で京王井の頭線に乗り換える機会があった。そのとき,乗換えの途中に,岡本太郎「明日の神話」が掲げられているのを見つけた。
渋谷駅構内にこういうものがあることを知らなかった。これだから田舎者は・・・・・・。
● 今日は調布に出る機会があった。往きは新宿から乗ったのだが,復りは明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷に出た。
「明日の神話」をちゃんと見ようと思って。けれども・・・・・・。
こういうものは見る人が見ないとダメだね。膨大な情報を発しているに違いないのに,ぼくには何も伝わって来ない。キャッチできないんだね。アンテナの感度が鈍すぎて。
● Wikipediaによると,「第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間がモチーフとなっており,悲惨な体験を乗り越え,再生する人々のたくましさを描いた」ということなのだが,そういうことを本物の壁画から感じることができない。
Wikipediaで知識は得られる。が,それだけのことだ。
● 何度も見れば何が見えてくるものがあるのかとも思うが,まぁ,われながらそういうことはあまり期待できない人間だと思うなぁ。
2019.12.08 シェラトン都でまったりする
● 7日。2週間ぶりで東京の別荘に。しがない勤め人なので,1泊しかできないのだが。経済的にも時間的にも。
寒いにつけ暑いにつけ,ホテルで過ごすのが最も快適。これがすなわちリゾートというものか,と。
● 今の時期だと,スキーリゾートか。スキーが好きな人にとっては,まさにリゾートに違いない。
夏場のマリンリゾートもそうだね。南の島につながるイメージ。
ぼくはそういうアクティブなのがあんまり好きじゃないのと,普段は田舎に住んでいるので,アーバンリゾートが最上だと思っている。
都市の利便性に寄りかかってまったりするということね。何もしない贅沢っていうのは,都心でこそ味わえるものではないか。
● 基本,ホテル内で過ごす時間が長くなる。となると,いいホテルがいい。ホテルの良し悪しなんて結局,宿泊料金に比例するものだという意見もあるだろう。というか,ぼくもそう思っている。
ホテルで最も重要なファクターは,スタッフの練度でもなければ,ハードの立派さでもなく,館内レストランの水準でもない。宿泊客だ。彼らが調度の第1であり,備品の第1であり,館内の空気を作る第1要因だ。
その宿泊客は,宿泊料金に見合った人たちになるのだ。何だかんだ言って,そうなのだ。
● ではあるのだが,ホテルは東京に限る。東京というか都心に限る。他の地域より競争が激甚だからだ。
いわゆるリゾート地(国内だったら,たとえば沖縄)のホテルに行くと,ガッカリさせられることが多かった。特に掃除がてんでなってないことが多い。本土では使いものにならなかったヤツが沖縄に逃げていって,チンタラチンタラやっているのではないかと,何度思ったことか。
そういうことが都心のホテルにはまったくないとは言えないにしても,明らかな有意差はある。そこは安心できる。
● 場の魅力もある。そのホテルが建っている場,背負っている場。日本橋だったり,東京駅だったり,白金台だったり,赤坂だったり,日比谷だったり,ウォーターフロントだったり。
スキー場だったり海だったり。セントラルパークだったり万里の長城だったりセーヌ川だったりモンマルトルだったりハイデルベルク大学だったりするわけだが,その場の吸引力もホテル選びに与って力がある。
この場の力というのは,連泊するとはっきりわかりんですよね。単純にホテルだけだと,どんなホテルでも3泊くらいが限界かなぁと思うんだけども,場が良ければいくらでもいられる。って,長くいたことはもちろんないんだけどさ。
● 今回は1153号室。ラウンジでハイボールを飲むのもいつものごとし。朝に炭水化物を摂っているので,昼食は抜いた。が,ここで2回目の炭水化物を。毒を喰らわば皿まで。ガッツリ喰ってやった。
つまりだ,こういう客が来てしまうんだよね。ここがねぇ。この時間帯のラウンジは正直,長居は無用の雰囲気。下層の巣窟になってしまった。おまえが言うなという話なんだが。
● で,その後はサウナ。今日は4セット。サウナの中にいる時間も水風呂に浸かっている時間も,従来に比べると長くなった。サ道を究めんとする探究心のゆえでありますね。
サウナからドブンと水風呂に飛びこむのが最高なのだが,シャワーを浴びてからにしろと言ってくるウザいジジイがいた。賢いつもりのバカという最低のやつ。
ここでシャワーなんぞという迂遠なものを省略するのは水風呂族の共通了解事項だろう。それにだ,人間の体ってのはどうやったって汚いものだぞ。
ここまでのバカは駆除するしかないのだが,何か上手い方法があるかね。これほどのバカに通じる日本語をぼくは持ち合わせていないんだよね。
● 4セットの間に水分を取る。ホテルのサウナだから,そのあたりはすこぶる快適に水分補給をすることができる。レモン水の用意もあるし,ファミレスに置いてあるようなドリンクバーの機械もある。
けれども,サウナで汗を絞ったんだから,摂取した水分も汗になったと思ってはいけないようだね。かなり体内に残っているようなんですよね。夜中に何度も目が醒めてトイレに行くことになったからね。
● 翌日。ホテル1階の「四川」で朝食。うどんがあった。これ,ラウンジでは何度か見かけたことがある。揚げ玉と小松菜を入れて,ガーッと食べた。
この汁にね,うどん抜きで小松菜をちょっと入れて,そのまま飲むとメッチャ旨い。今日はこれが味噌汁代わり。
● 定番のひよこ豆のカレー。1日分の糖質摂取完了。というか,炭水化物の過剰摂取になってしまった。
が,お代わりはしなかったのでね,そんな自分をほめてやりたいわ。トマトとカットフルーツ,コーヒーで終了。
● 相方は,ここで一番旨いのはジュース(オレンジのフレッシュジュース)で二番目がご飯だ,と言う。ご飯に鮭フレークをかけて食べたりする。彼女は目が食べたがるタイプで,いろんなのを取ってくるから,皿の中が何とも形容しがたい状況になる。
しかし,まぁ,真理はカオスにあり,ということなんでしょ。この場合,カオスとは自由奔放ということだ。
● ホテルの庭園。2週間前も昨日もクローズ。雨が降っていたからね,滑りやすくて危険ってね。
今日はオープン。朝食後の散歩というには,少々短すぎるわけだけども,管理が完璧なので,とても気持ちがいい。
● 庭園散策のあとはサウナ。3セット。この時間帯はほぼ貸切状態ね。
ところで。サウナをあがるときに体重を測ったら,2週間前比でちょうど1kgの減。もっと減っていると思っていたんだが,思うようにいかないのが現実ですなぁ。
しかし,1ヶ月で2kg,半年で12kgってことだよね,単純計算だとね。1年なら24㎏だ。おいおい,そんなに痩せちゃ死んじゃうよ。
● というわけで,ほとんど部屋にはいないので,ぼくにスイートの必要はない。せっかくのスイートなんだからと部屋にいるのは,スイートに負けてるってことだしね。それって,けっこうミットモナイよね。
相方はスイートでもワンルームでもずっと部屋で過ごしている。っていうか,バスルームで過ごしている。今日はジムで1時間ほど歩いたらしい。わが相方ながら,これはこれで,なかなかいい時間の過ごし方だな。
● 部屋には14時までいられる。が,ぼくはそろそろ出ようと思う。
調布に行く。新宿で乗換。ため息が出るほど鬱陶しいね,新宿で乗換えるのはさ。渋谷での乗換もイヤだけど。
で,今回2度目の,そして最後のラウンジ。これが昼食。
寒いにつけ暑いにつけ,ホテルで過ごすのが最も快適。これがすなわちリゾートというものか,と。
● 今の時期だと,スキーリゾートか。スキーが好きな人にとっては,まさにリゾートに違いない。
夏場のマリンリゾートもそうだね。南の島につながるイメージ。
ぼくはそういうアクティブなのがあんまり好きじゃないのと,普段は田舎に住んでいるので,アーバンリゾートが最上だと思っている。
都市の利便性に寄りかかってまったりするということね。何もしない贅沢っていうのは,都心でこそ味わえるものではないか。
● 基本,ホテル内で過ごす時間が長くなる。となると,いいホテルがいい。ホテルの良し悪しなんて結局,宿泊料金に比例するものだという意見もあるだろう。というか,ぼくもそう思っている。
ホテルで最も重要なファクターは,スタッフの練度でもなければ,ハードの立派さでもなく,館内レストランの水準でもない。宿泊客だ。彼らが調度の第1であり,備品の第1であり,館内の空気を作る第1要因だ。
その宿泊客は,宿泊料金に見合った人たちになるのだ。何だかんだ言って,そうなのだ。
● ではあるのだが,ホテルは東京に限る。東京というか都心に限る。他の地域より競争が激甚だからだ。
いわゆるリゾート地(国内だったら,たとえば沖縄)のホテルに行くと,ガッカリさせられることが多かった。特に掃除がてんでなってないことが多い。本土では使いものにならなかったヤツが沖縄に逃げていって,チンタラチンタラやっているのではないかと,何度思ったことか。
そういうことが都心のホテルにはまったくないとは言えないにしても,明らかな有意差はある。そこは安心できる。
スキー場だったり海だったり。セントラルパークだったり万里の長城だったりセーヌ川だったりモンマルトルだったりハイデルベルク大学だったりするわけだが,その場の吸引力もホテル選びに与って力がある。
● 今回は1153号室。ラウンジでハイボールを飲むのもいつものごとし。朝に炭水化物を摂っているので,昼食は抜いた。が,ここで2回目の炭水化物を。毒を喰らわば皿まで。ガッツリ喰ってやった。
● で,その後はサウナ。今日は4セット。サウナの中にいる時間も水風呂に浸かっている時間も,従来に比べると長くなった。サ道を究めんとする探究心のゆえでありますね。
サウナからドブンと水風呂に飛びこむのが最高なのだが,シャワーを浴びてからにしろと言ってくるウザいジジイがいた。賢いつもりのバカという最低のやつ。
ここでシャワーなんぞという迂遠なものを省略するのは水風呂族の共通了解事項だろう。それにだ,人間の体ってのはどうやったって汚いものだぞ。
ここまでのバカは駆除するしかないのだが,何か上手い方法があるかね。これほどのバカに通じる日本語をぼくは持ち合わせていないんだよね。
● 4セットの間に水分を取る。ホテルのサウナだから,そのあたりはすこぶる快適に水分補給をすることができる。レモン水の用意もあるし,ファミレスに置いてあるようなドリンクバーの機械もある。
けれども,サウナで汗を絞ったんだから,摂取した水分も汗になったと思ってはいけないようだね。かなり体内に残っているようなんですよね。夜中に何度も目が醒めてトイレに行くことになったからね。
● 翌日。ホテル1階の「四川」で朝食。うどんがあった。これ,ラウンジでは何度か見かけたことがある。揚げ玉と小松菜を入れて,ガーッと食べた。
この汁にね,うどん抜きで小松菜をちょっと入れて,そのまま飲むとメッチャ旨い。今日はこれが味噌汁代わり。
● 定番のひよこ豆のカレー。1日分の糖質摂取完了。というか,炭水化物の過剰摂取になってしまった。
が,お代わりはしなかったのでね,そんな自分をほめてやりたいわ。トマトとカットフルーツ,コーヒーで終了。
● 相方は,ここで一番旨いのはジュース(オレンジのフレッシュジュース)で二番目がご飯だ,と言う。ご飯に鮭フレークをかけて食べたりする。彼女は目が食べたがるタイプで,いろんなのを取ってくるから,皿の中が何とも形容しがたい状況になる。
しかし,まぁ,真理はカオスにあり,ということなんでしょ。この場合,カオスとは自由奔放ということだ。
● ホテルの庭園。2週間前も昨日もクローズ。雨が降っていたからね,滑りやすくて危険ってね。
今日はオープン。朝食後の散歩というには,少々短すぎるわけだけども,管理が完璧なので,とても気持ちがいい。
● 庭園散策のあとはサウナ。3セット。この時間帯はほぼ貸切状態ね。
ところで。サウナをあがるときに体重を測ったら,2週間前比でちょうど1kgの減。もっと減っていると思っていたんだが,思うようにいかないのが現実ですなぁ。
● というわけで,ほとんど部屋にはいないので,ぼくにスイートの必要はない。せっかくのスイートなんだからと部屋にいるのは,スイートに負けてるってことだしね。それって,けっこうミットモナイよね。
相方はスイートでもワンルームでもずっと部屋で過ごしている。っていうか,バスルームで過ごしている。今日はジムで1時間ほど歩いたらしい。わが相方ながら,これはこれで,なかなかいい時間の過ごし方だな。
● 部屋には14時までいられる。が,ぼくはそろそろ出ようと思う。
調布に行く。新宿で乗換。ため息が出るほど鬱陶しいね,新宿で乗換えるのはさ。渋谷での乗換もイヤだけど。
で,今回2度目の,そして最後のラウンジ。これが昼食。
2019年12月7日土曜日
2019.12.07 東京散歩 神楽坂
● JRで飯田橋。神楽坂を登ってみた。ぼくは地図を読めない男で,神楽坂への入口を通り過ぎて,しばらくウロウロしてしまった。
小雨が降っていたってのもあるかな。傘を持っていなくてね,けっこうイライラというかバタバタというか,前へ前へと急いでいたのもある(ということにしておきたい)。
● 初めての街に行ってそこに何を見るか。それは,その人の興味や関心のありかによって違ってくる。ひとりずつ見えているものは異なっているはずだ。
ぼくにはまず「富士そば」が見えた。神楽坂にも「富士そば」があるんだな,と。「富士そば」はまこと,首都圏における麺供給の不滅の法灯と言うべし。
● 神楽坂というと,古式ゆかしきロマンの聖地というイメージを持ちがちだ。ぼくなんかはそう思ってしまう。神楽坂じたいより,神楽坂に交差している路地に入ってみると,その聖地がわかりやすく残っていたりするのかもしれない。お金をたんまり持って路地に入ってみると面白いのかもしれない(面白くないかもしれない)。
どっちにしても,それは夜でなければいけないのかもしれないのだが。
● 昼間の神楽坂は,チェーンの飲食店や回転寿司店が普通にある,普通の街で,普通の生活が営まれている。それはそうだ。普通でなければ永続性がない。
職住が分離した街がある。丸の内や大手町がそうだろうし,虎ノ門や霞が関もそうだ。吉原(千束)も同じ。つまり,住がない。ヨソから通ってくる人たちで成立している。昼だけ,あるいは夜だけの街だ。神楽坂はそうではない。
● 16時過ぎの神楽坂。何とはなしに風情を感じる。何かあるはずだぞ,ここには,という気分にさせる。ただ者ではない感が漂いだす。
虚飾のない街は面白くない。虚飾とは発散だ。無駄な発散。余った生命力を意味なくまき散らすこと。その発散を支える仕組みが街には必要で,それが何かといえば,エロと酒と歌と踊りだ。
● 年寄りがつまらなくなるのは,発散できなくなるからだ。品行方正の優等生がつまらないのも同じ理由による。
文学も芸術も発散から生まれるのだろう。文学や芸術の父は過剰な生命力だ。傍目には過剰どころか過小にしか見えない過剰もあるが,過剰でなければ文学など作れまい。
文学も芸術も虚飾の仲間だ。したがって,それらは農村よりは都市との相性がいい。
● 喉が渇いたので,飲み物を買おうとコンビニに入ってみた。スタッフもお客さんも外国人。ここだけ日本じゃないみたいなだ。
日本の未来図を見たような気もする。この光景は日本国内のあちこちで見られるものだろう。外国人が日本国内で外国人を相手に商売をする時代が普通にあるようになるのだろうな。しかし,日本の商慣習は基本的に維持されるだろう。
● 彼らが日本で子供を産んで,その子供が日本で育ってくれれば。日本人とは何かといえば,日本語でものを考える人,日本語を母語とする人,ということになる。肌の色や髪の色はどうでもよい。それは先日のラグビーのワールドカップで多くの人が感じたことだろう。
もしそうなってくれれば日本の勝ちだ。外からやってきた人たちを日本人にできれば,日本の勝ちということ。
この戦いには勝たなければいけない。負ければ日本が消滅する。消滅したっていいじゃないか別に,という考え方もあるとは思うけどね。
● 赤城神社。北区の王子神社もいいけどね,ここもなかなか風格のある景観になっていると思った。風格を作るのは余計なものがないということ。本当はお社さえなくてもいいのかもしれない。
が,そこまで行ってしまうと,神社は商売ができなくなる。商売ができなくなれば,その場所を守ることもできなくなる(たぶん)。
こういう場所ってやっぱり必要だよね。現世利益を祈願する図々しさを満たせる場所は,人が生きていくのになくてはならないもののひとつでしょ。その図々しさってのは,可愛らしさ,健気さにも通じるものでね。人間ってそういうものだよね。
● 神楽坂はもっと時間をかけて歩いてみたいところだ。が,神楽坂がぼくを受け容れてくれるかどうかはわからない。
たぶん,ひとりではダメだ。連れが必要だろう。その連れは女性でも男性でも良いと思うが。
小雨が降っていたってのもあるかな。傘を持っていなくてね,けっこうイライラというかバタバタというか,前へ前へと急いでいたのもある(ということにしておきたい)。
● 初めての街に行ってそこに何を見るか。それは,その人の興味や関心のありかによって違ってくる。ひとりずつ見えているものは異なっているはずだ。
ぼくにはまず「富士そば」が見えた。神楽坂にも「富士そば」があるんだな,と。「富士そば」はまこと,首都圏における麺供給の不滅の法灯と言うべし。
● 神楽坂というと,古式ゆかしきロマンの聖地というイメージを持ちがちだ。ぼくなんかはそう思ってしまう。神楽坂じたいより,神楽坂に交差している路地に入ってみると,その聖地がわかりやすく残っていたりするのかもしれない。お金をたんまり持って路地に入ってみると面白いのかもしれない(面白くないかもしれない)。
どっちにしても,それは夜でなければいけないのかもしれないのだが。
● 昼間の神楽坂は,チェーンの飲食店や回転寿司店が普通にある,普通の街で,普通の生活が営まれている。それはそうだ。普通でなければ永続性がない。
職住が分離した街がある。丸の内や大手町がそうだろうし,虎ノ門や霞が関もそうだ。吉原(千束)も同じ。つまり,住がない。ヨソから通ってくる人たちで成立している。昼だけ,あるいは夜だけの街だ。神楽坂はそうではない。
● 16時過ぎの神楽坂。何とはなしに風情を感じる。何かあるはずだぞ,ここには,という気分にさせる。ただ者ではない感が漂いだす。
虚飾のない街は面白くない。虚飾とは発散だ。無駄な発散。余った生命力を意味なくまき散らすこと。その発散を支える仕組みが街には必要で,それが何かといえば,エロと酒と歌と踊りだ。
● 年寄りがつまらなくなるのは,発散できなくなるからだ。品行方正の優等生がつまらないのも同じ理由による。
文学も芸術も発散から生まれるのだろう。文学や芸術の父は過剰な生命力だ。傍目には過剰どころか過小にしか見えない過剰もあるが,過剰でなければ文学など作れまい。
文学も芸術も虚飾の仲間だ。したがって,それらは農村よりは都市との相性がいい。
● 喉が渇いたので,飲み物を買おうとコンビニに入ってみた。スタッフもお客さんも外国人。ここだけ日本じゃないみたいなだ。
日本の未来図を見たような気もする。この光景は日本国内のあちこちで見られるものだろう。外国人が日本国内で外国人を相手に商売をする時代が普通にあるようになるのだろうな。しかし,日本の商慣習は基本的に維持されるだろう。
● 彼らが日本で子供を産んで,その子供が日本で育ってくれれば。日本人とは何かといえば,日本語でものを考える人,日本語を母語とする人,ということになる。肌の色や髪の色はどうでもよい。それは先日のラグビーのワールドカップで多くの人が感じたことだろう。
もしそうなってくれれば日本の勝ちだ。外からやってきた人たちを日本人にできれば,日本の勝ちということ。
この戦いには勝たなければいけない。負ければ日本が消滅する。消滅したっていいじゃないか別に,という考え方もあるとは思うけどね。
● 赤城神社。北区の王子神社もいいけどね,ここもなかなか風格のある景観になっていると思った。風格を作るのは余計なものがないということ。本当はお社さえなくてもいいのかもしれない。
が,そこまで行ってしまうと,神社は商売ができなくなる。商売ができなくなれば,その場所を守ることもできなくなる(たぶん)。
こういう場所ってやっぱり必要だよね。現世利益を祈願する図々しさを満たせる場所は,人が生きていくのになくてはならないもののひとつでしょ。その図々しさってのは,可愛らしさ,健気さにも通じるものでね。人間ってそういうものだよね。
● 神楽坂はもっと時間をかけて歩いてみたいところだ。が,神楽坂がぼくを受け容れてくれるかどうかはわからない。
たぶん,ひとりではダメだ。連れが必要だろう。その連れは女性でも男性でも良いと思うが。
2019年12月1日日曜日
2019.12.01 高根沢焼きチャンポン
● 宝積寺駅東口,ちょっ蔵広場が,大変な人出。ちょっ蔵広場では収まりきれず,広場に向かう道路にも店が出ている。
これ,ロックサイド・マーケットといって,年に一度の大賑わい。高根沢の町民全員を集めてもこれほどの数にはならないと思われるほどだが(もちろん,冗談ね),電車が宝積寺駅に着くたびに,かなりの人がこの人波に合流する。
● 高根沢にこんな集客力があったのかと思うけど,この集客力は高根沢にあるんじゃなくて,この企画にある。こうしたイベントにもノウハウの塊があるのでしょう。
人は人が集まるところが好きなんだね。最初の集まりをどうやって作るか。そこが頭の使い所なのかなぁ。
● “レストラン ボルドー”さんの高根沢焼きチャンポンを買ってみた。これはチャンポンというよりパスタですな。なかなかに良き,と偉そうな感想をば。
というのは,高根沢がチャンポンをシンボル食としているのはそれなりの故事来歴があってのことかと思うのだが,そもそもチャンポンってそんなに旨いものじゃないでしょ。ラーメンとチャンポンが目の前にあれば,10人中9人はラーメンを取るのじゃないか。
焼きチャンポンは高根沢オリジナル(高根沢高校の生徒の考案にかかるらしい)。しかし,これもチャンポンの枠内にあったのでは,何というのか発展可能性がない。チャンポンは長崎にあればいい。あとはリンガーハットだけですでに供給過剰だ。
● その枠を外す試みのひとつが,ボルドー製の焼きチャンポンかと思えたっていう,わりと単純な話。
麺にはセモリナ粉を混ぜていると思う。たぶん,ね。味付けも和風ではあるが,チャンポン風味は薄い(ないと言ってしまいたいくらい)。ここに至っていれば,創意工夫の余地が格段に大きくなる。名は高根沢チャンポンで実は和風パスタ。
事実があとから歴史を作る。これが高根沢チャンポンの高根沢チャンポンたる所以なんだよ,知らなかった? となる可能性だってあるわけだ。
● というわけだから,皆さん,き(来)とごんなんしょ。き(来)とごれね。
というローカル言語も,今は聞くことがなくなったな。来て下さいねという意味の下野語(ひょっとすると,那須地方だけかもしれない)。
たぶん,前者が女言葉で後者が男言葉かと思うのだが,とにかく今は使われない。伊予の「・・・・・・ぞなもし」と同じだ。
これ,ロックサイド・マーケットといって,年に一度の大賑わい。高根沢の町民全員を集めてもこれほどの数にはならないと思われるほどだが(もちろん,冗談ね),電車が宝積寺駅に着くたびに,かなりの人がこの人波に合流する。
● 高根沢にこんな集客力があったのかと思うけど,この集客力は高根沢にあるんじゃなくて,この企画にある。こうしたイベントにもノウハウの塊があるのでしょう。
人は人が集まるところが好きなんだね。最初の集まりをどうやって作るか。そこが頭の使い所なのかなぁ。
● “レストラン ボルドー”さんの高根沢焼きチャンポンを買ってみた。これはチャンポンというよりパスタですな。なかなかに良き,と偉そうな感想をば。
というのは,高根沢がチャンポンをシンボル食としているのはそれなりの故事来歴があってのことかと思うのだが,そもそもチャンポンってそんなに旨いものじゃないでしょ。ラーメンとチャンポンが目の前にあれば,10人中9人はラーメンを取るのじゃないか。
焼きチャンポンは高根沢オリジナル(高根沢高校の生徒の考案にかかるらしい)。しかし,これもチャンポンの枠内にあったのでは,何というのか発展可能性がない。チャンポンは長崎にあればいい。あとはリンガーハットだけですでに供給過剰だ。
● その枠を外す試みのひとつが,ボルドー製の焼きチャンポンかと思えたっていう,わりと単純な話。
麺にはセモリナ粉を混ぜていると思う。たぶん,ね。味付けも和風ではあるが,チャンポン風味は薄い(ないと言ってしまいたいくらい)。ここに至っていれば,創意工夫の余地が格段に大きくなる。名は高根沢チャンポンで実は和風パスタ。
事実があとから歴史を作る。これが高根沢チャンポンの高根沢チャンポンたる所以なんだよ,知らなかった? となる可能性だってあるわけだ。
● というわけだから,皆さん,き(来)とごんなんしょ。き(来)とごれね。
というローカル言語も,今は聞くことがなくなったな。来て下さいねという意味の下野語(ひょっとすると,那須地方だけかもしれない)。
たぶん,前者が女言葉で後者が男言葉かと思うのだが,とにかく今は使われない。伊予の「・・・・・・ぞなもし」と同じだ。
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