● 30日の昼休み,真岡は五行川の堤を歩いてみた。春のうららの五行川。
この時期のこの陽気とこの風景は,人を狂わせるところがたしかにある。生命の息吹がそこかしこに満ちるんだよね。ムワッとするほど。
いろんな事情でそれについていけない人にとっては,少々きつい時期かもしれないね。
● 今日の午前中は氏家をウロウロした。まずは,塩谷広域環境衛生センターに粗大ごみを持っていく。ここも隠れた桜の名所?
その足で「BIG」に。これは桜ではありません。コブシでありましょう。
● 午後は宇都宮大学工学部前の桜並木。桜並木なんだから,この時期が最も華やぐ。
今年は雨にうたれなかった。わりと珍しいことですよねぇ。
● 宇都宮大学工学部のキャンパスにも桜。この時期は市民に開放。大勢の花見客で賑わっている。去年までは屋台が出ていたのに今年はないね,と言っていた人がいた。その分,近くのコンビニはお客さんがギッシリ。
● 桜って何でこんなに人を惹きつけるんだろうねぇ。サクラって語感がいいから? 意外にそれがあるかもしれない。
ピンクの密集感だろうか。フワッとした浮遊感のようなものを感じさせる。空間の占有面積が大きくなるからだろうか。加えて桜の多くは大木だ。花の位置はかなり高いところになる。地面を見て発見するのではなく,空を見あげることになる。
よく言われるように,すぐに散るからだろうか。散る桜,残る桜も散る桜,って。
● 外食づいているかなぁ。今日は「すし華亭」簗瀬店に。相方の実家の近く。ぼくが行くのは,これが3度目だと思う。
● その相方がネットで500円のクーポン券を当てたので,それを使うために行ったんだが。そのクーポンを使うには3,000円以上注文する必要がある。
店側の思う壺というかなぁ。こういうのに乗っかるバカが自分のすぐ近くにいるとはなぁ。
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| 写真はネットから拝借 |
● 鮨は値段に比例する食べものの典型らしい。ここでポンポンと食べると一人2,000円になる。ランチとしてはちょっときつい金額だけれども,たしかに百均店とは別物。
で,自分にはこの程度で充分で,これ以上のものを(自分に)食べさせても,その良さを感知することはできないだろうと思われた。
● たとえば,ベルリン・フィルやウィーン・フィルの生演奏を聴いても,N響との違いを聴き分けられる自信はない。あらかじめベルリン・フィルだ,ウィーン・フィルだと分かっているから,さすがに本場は違うね的なことを言うのであって,それと知らずに聴いたら,まず区別はつくまい。だから,自分にベルリン・フィルやウィーン・フィルの生演奏を聴かせるのは無駄なことだと思っている。
それと同じで,ぼくに「すきやばし次郎」や「久兵衛」の鮨を食べさせるのは,それこそ猫に小判を与えるようなもので,まるで意味がない。
● 鮨に関して,ぼくの上限は「すし華亭」としておくのが妥当である。回転寿司が上限とは情けないとはあまり思わない。情けなどあろうがなかろうが,鑑賞能力がそれしかないのだから,致し方がないのだ。
● 「すし華亭」を経営しているのは,(株)奴寿司。「すし華亭」の他にいくつかの業態の鮨屋を栃木県内で展開している。宇都宮駅ビル「パセオ」にできた屋台寿司「忠治」も奴寿司の経営だったんだねぇ。
食べ物屋って当たるとすごく儲かるんだろうけど(ベンツに乗るなどすぐだろう。もし乗りたければね),長く続けるのはかなり難しいように思う。流行り廃りもあるだろうし,お客は気まぐれに飽きたと言うし。
奴寿司は新陳代謝を繰り返しながら,長く続いているようだ。それだけで大したものだと思う。
● ここで今年初めての鰻を喰った。2貫で320円だったかな。充分に旨かった。今年はもう鰻は食べなくてもいいや。
● 今日の下野新聞。栃女高オーケストラ部の紹介記事。
● 栃木県内でオーケストラ部がある高校は6校(だったと思う)。総文祭での演奏っていうのは各校持ち回りになっているんだろうか。去年は鹿沼高校が出たのではなかったか。
学校側(あるいは父兄側)には経済的な負担が生じるだろう。意欲のある生徒は当然やりたいだろうけどねぇ。
● 弦は初心者が多いという。高校生の可塑性には端倪すべからざるものがあると承知している。ども,以前に別の楽器をやっていたんだろうね。弦は高校に入ってから始めたとしても,演奏経験それ自体は中学校でやっていたんだと思いたい。
そう思わないと,ぼくの中で平仄が合わなくなる。本当に楽器そのものに触るのが高校生になってからだとすると,それでどうすればチャイコフスキーの6番を演奏できるようになるのか,ちょっと想像がつかないんだよ。
● それとも,高校生はできるんだろうか。高校に入って始めて楽器に触れたのだとしても,「悲愴」をともかくも演奏してみせるようになるんだろうか。
だとすると,「端倪すべからざるものがある」などとすましている場合じゃないぞ。彼女たちの前に跪かなければいけない。
● 烏山は「クローバー」で昼食。着いたのは午後2時だったんだけど,駐車場は満杯。しばらく待った。平日でもこうなのか。繁盛してますなぁ。
繁盛しているのには理由がある。長く続けていると,店によってはその“理由”が霞んでくることがあるんだけど,ここに関してはそこがしっかりと根づいている(と思える)。
● 孤高の道を行くのではなく(行こうとすれば行けるはずだが),地域との付き合い方も巧い。利用のされ方も心得ている。
烏山の付加価値を高めているが,烏山という自らが属する地域にたいして謙虚であるのも,人気の理由のひとつだろう。
ただし,そういうものは店の基本(味,価格,接客)が盤石であって初めて意味を持つもので,何と言っても基本が盤石であるのが(つまり,それが“理由”でもある),この店の魅力の8割を形成している。
● 那須烏山市の観光PRビデオが流れていた。こういうのはどこでも作るようになっているんでしょうね。どこでも作るんだから,那須烏山市だけ作らないというわけにもいかないだろう。
しかしなぁ,こういうので観光客が増えてくれれば苦労はないよね。自転車絡みのイベントがけっこうあるんだろうか。これまたどこでもやっていることで,新味に乏しいというか。
● 烏山で最もお客を呼べでいるのは,この「クローバー」ではないかと思う。横並びのつまらないことをやっているんだったら,「クローバー」を旗印にして,烏山を盛りあげようとするのがより効果的だと思う。
市をあげて一民間企業を盛りたてるのはできない相談だ,とは思うんですけどね。っていうか,「クローバー」にとってはかえって迷惑かもしれないねぇ。
● ネットでしばしば目にするのが「魚秀」。魚屋さん。ほかに,旨い蕎麦屋が烏山にはいくつもあるようだ。そういうところでネットワークを組めればとも思う。
が,ぼくが思いつく程度のことは,すでに試みられているのかもしれない。地元ではもっと真剣に考えてるよね。
● 「クローバー」のウェイティングルームには各種の雑誌が置かれている。それで待つのが苦にならなくてすんでいるんだけど,あんまり古いのは処分した方がいいのじゃないかなぁと思ったりもする。
いや,読みたいからとっておいてくれ,っていうお客さんがいるんですかね。
● 氏家の「みやこ家」でカレーつけ麺を食す。半ライスが付いてきて,最後は汁をご飯にかけて食べる。これでガツンと来て,飽満感に苦しむことになるんだけど。
だから,カレーつけ麺だけは並盛りにしておかないといけない。
● 相方は“あっさり味噌そば”。つまり,味噌ラーメン。あっさりといっても,かなり濃厚。“濃厚味噌そば”もあるんだけど,こちらは汁がペースト状になっている(というと,少し大げさ)。
「登竜」の味噌ラーメンとどちらが旨い? と訊いたところ,味はこちらが好き,値段は「登竜」が好き,と返ってきた。
● ぼくは「みやこ家」の“あっさり味噌そば”を食べたことはないんだけど,たぶん,「登竜」の味噌ラーメンはじんわりと旨いのに対して,「みやこ家」のはわかりやすく旨いのだと思う。
じんわりと旨いのは理解されるまでに時間がかかる。わかりやすく旨いのは飽きられやすいかもしれない。
● ところで,氏家にはこの2つのほかにも,いくつかラーメン店がある。その“いくつか”の中の2つには,行ってみたことがある。どちらも旨かった記憶がある。お客も入っていた。
ラーメンとは関係ないけれど,氏家には「Niwa」という全県区のビストロもある。ぼくはこういう店を洋風居酒屋として使ってしまうんだけど。
● ひょっとすると,氏家は食の街かもしれないと思うんですよ。その中心に位置するのは,古くからここで商売をしていてなお廃れないでいる「登竜」かなぁと思っているんだけどね。
● 右は今日の下野新聞コラム。自転車の魅力を紹介している。
● その自転車で街興しをするという鹿沼の試み。地域の魅力を発掘するのは,だいたいヨソモノ,ワカモノ,バカモノと相場が決まっているらしい。長くそこに住んでいる人には,あたりまえになって見えないものが多いのだ,と。
このコラムにおける仕掛人も,ヨソモノでありワカモノだ。
● 自転車の魅力というか可能性はまだ発掘され尽くしていないかもしれない。この2つ(ヨソモノ・ワカモノ+自転車)のコラボは何ごとかを生むかも。
ただし,だ。レンタサイクル的なものが成功した例はあまりない。無料にしてもダメだ。どうしても安物の自転車にしてしまうのが一因かとも思うんだけどね。あと,メンテが行き届かないこと。
自分の自転車で来てくれる人を増やせるといいんだが。その方向での企画らしいが。
● 1日に100kmを普通に走るヘビーユーザーというか,スポーツライダーを捕まえるのは無駄なこと。彼らは走ることそれ自体に興味と快感を感じる種族であって,彼らにとって風景だとかグルメだとか地域の魅力だとかは二の次三の次なのだ。食べものなんて,コンビニで調達できるもので充分なのだから。
そこまでは行かないんだけど自転車が好きという人がターゲットになるんだろうか。
● ところで。役所や企業を定年退職して,次は地元に貢献したいと動きだす人たちが一定数いるようだ。彼らのFBやTwitterを見ると,一生懸命に考えて動いていることがわかる。そこに私心はない。地元を良くしたい,自分の知見や経験を役立ててもらいたい,と思っている。
しかし,そういうものをぼくは一切認めない。リアリズムに徹すれば,そうなるしかない。
● 過去の長い人はダメなのだ。その人の考え方,価値観が形を成したのは,おそらく昭和40年代。そこで形を成してしまったものが,現在の空気に適応できるはずがない。
現在や近未来が求めるものに対応できるはずがないのだ。個人の資質には関係なく,そうなのだ。
なぜなら,彼らに理解できるものは過去だけだからだ。決着がついている過去をモノサシにして測る癖を脱することができないからだ。
● 現状を維持するものを生みだすことはできるかもしれない。が,現状をブレイクスルーするものを生むことを彼らに期待することは間違っている。彼らが自分にそれを期待しているとするなら,自身を相対化できていないからに過ぎない。
ヨソモノ,ワカモノ,バカモノに任せて,手を引くのがよい。邪魔をしないのがよい。それが彼らにできる唯一の地域貢献だ。
● では,過去の長い人は何をすればいいのか。自分の好みや興味に没頭することだと思う。年を取るとこんなに素晴らしい時間を過ごすことができるのだよ,と範を示すことだ。若い人たちに多少なりとも憧れを抱かせる生き方をすること。
本が好きな人は読書に没頭すればいい。やはり本を好きな若者の誰かが,その姿を見て羨ましいと思うかもしれない。2人か3人でいいのだ。大向こうに受ける必要はまったくないのだから。
旅行が好きな人は旅行に行けばいいのだし,釣りが好きな人は釣りに出かければいいのだし,自転車が好きな人は自転車に乗ってればいいのだ。難しいことは何もない。
● そのためには,他者や地域と関わるより,自身に専念するのがよい。いや,他者にかかずらっている暇などないはずだ。
もし,老いてなお,自分固有の好みや興味がないというなら,あってもそれを追求するだけの体力や集中力を欠いているなら,選択肢はただ一つ。消え去るのみ。
そこで消え去らないで,他者や世間にもの申してしまうのは最悪だと心得よ。昔話は何も生まないのだ。聞かされる方は迷惑なだけだ。
● しかし。自分固有の好みや興味がないという老人がいるんだろうか。
体力や集中力も,若い人と競う必要はないのだ。70歳には70歳の,80歳には80歳の,体力と集中力があるのではないか。
1冊読むのにひと月かけたっていいではないか。たくさん読んでいると自慢するのが目的ではないのだよ。
● ディスティネーションキャンペーンということで。県内各地の観光案内パンフが最寄駅に置いてあった。3種。那須町と芳賀郡と下野・壬生。
これを見て思うのは,横並びということ。サイクリングマップの作成だとか,いちご狩りだとか,そば打ち体験とか。
横並びで何かやるんだったら,それは何もしていないのと同じではないか。よそでやっていることをウチでやらなかったら遅れてしまうってことなんだろうけど,それって大昔,隣がテレビを買ったからウチもっていうのと同じだよなぁ。
● 横並びだと,何かをしてもその何かはまったく立ちあがって来ない。その場に埋もれてしまう。
なので,その土地がもともと持っているもので雌雄は決する。この3つの中では圧倒的に那須ということになる。本格的な温泉地と那須岳を抱えているのが強み。高原であることも。
● では,その土地がもともと持っているものを超えるものはないのか。ある。それは,つまり人なのだと思う。人を惹きつけるものは人に若くはない。
魅力的な個が増えることが最も肝要だ。魅力的な個人。魅力的なお店。そうした個の魅力の総体が最も強い観光資源にもなるだろう。
公共や業界が打ちだすいわゆる施策は,どうせろくなものじゃないのだ。そんなものに期待してちゃダメだ。
● ちょっと待て。那須のような,その土地が持ってるものにアドバンテージがあるところの人たちが,魅力的な人ばかりになったら,どうなるのか。結論はハッキリしている。凡百の地に住む人たちは,観光で喰っていくことを諦めるべきだ。
しかし,なかなかそういうことにはならないから,ぼくらがつけ入る隙きは,未来永劫あるに決まっているのだ。別の言葉で言うと,いつだって希望はあるのだ。