2015年10月7日水曜日

2015.10.07 野口英世記念館

● 恵隆寺のあと,野口英世記念館にも立ち寄った。記憶はかなり朧なんだけど,中学生の修学旅行で一度来ているかもしれない。そのときはもちろん,こんな立派な記念館はなくて,生家を見ただけだったのだと思う。
 その後も,16,7年前に来ている。

● 野口英世の伝記をぼくも児童か生徒だった頃に読んだことがある。母親がひとりで貧困に耐えて英世を育てたというイメージを持っていたんだけど,彼の生家は当時とすればかなり立派なものだったと思われる。座敷まであるんだから。
 ただ,旧五十嵐家住宅もそうなんだけど,冬は寒かったろう。農耕用に馬を飼っていたから,馬の体温も熱源になっていたのか。あるいは,昔の人は寒さに強かったんだろうか。

● 今回,注目したのは英世の絵画だ。油彩をいくつも残している。記念館のミュージアムショップで何枚か彼の油彩を絵はがきにしたものを買ってみた。
 風景画は素人にしてはだいぶ巧いじゃないかという域を出ていないのかもしれないけれども,メリー夫人を描いた肖像画はこちらに迫ってくるものがある。インパクトがある。
 夫人はネイティブ・アメリカンの血を引いていたんですかね。豊満で気が強そうに思える(気の弱い女なんているのかどうか知らないけど)。

● 原色を大胆に使っている。この絵に出会えただけでも,ここに来た甲斐があったかもしれない。

2015年10月6日火曜日

2015.10.06 会津料理

● その日,昼食は若松の「渋川問屋」というところで食べた。築120年は経っているという建物だった。宴会はもちろん,宿泊もできるようだ。
 けっこうなお値段になるのかもしれないけれども。

● だいぶ前に「鶴井筒」に行ったことがある。会津の郷土料理は保存食が多いことは知っていた。ニシンが多いこともね。保存食だから不味いということはない。滋養がある。健康食でもあるだろう。
 が,鮮度にインパクトを求めるのが今風か。

● 会津の人たちも地元の郷土料理を食べることは滅多にないだろう。そこはどこでも同じだ。ハンバーガーや牛丼を食べているのだ。

● でも,東北や北陸に行って羨ましいと思うのが,余所から来た人を案内できる郷土料理店があることだ。栃木にはあるのかな,郷土料理。
 いきなり「しもつかれ」に行ってしまいそうだ。「しもつかれ」はよそゆきの料理ではない。基本的に廃物利用だ。廃物利用だから不味いと限った話ではないにしても,やはりよそ様に食べさせるには躊躇するところがある。

● 要するにないんですよね,栃木には。郷土料理って。
 海がないのが効いてますかねぇ。それを言うなら会津にも海はないわけだけど。食に関しては,栃木は昔から貧しかったのかなぁと思うことがある。
 食文化などというと大げさになる。要は,栃木県人は昔からあまり旨いものは食べてこなかったのではないかと思うだけだ。

2015.10.05 会津板下町に行ってきた

● 郡山ジャンクションで東北道から磐越道に入ると,山並みの緑が目に染みる。山は荒れているのかもしれないけれど。
 山の中腹に小さいお堂があった。修験者がいたんだろうね。

● 恵隆寺(立木観音)と旧五十嵐家住宅。どちらも見るに値するものだったというか,来てよかったと思った。
 立木観音では何軒か土産品の販売店があって,オバサンたちが多くはない観光客を相手に,のんびり商売をしていた。

● このあたり,会津板下町。水田が広がる。農業が生産の大部分を占めていた時代,このあたりは日本有数の賑わいを見せていたのかもしれない。
 明治維新当時,日本で最大の人口を誇っていたのは江戸でも大阪でもなく,新潟県だったと聞いたことがある。
 ともあれ。会津板下,歴史の堆積を感じさせる落ち着きのある町だった。

● 冬は雪におおわれるのだろう。ここに自分は住めるだろうかと考えた。若松がぼくにとっての宇都宮,郡山が東京にあたるだろうか。
 だとすると,コンサートを聴く機会も激減しそうだ。

● となると,住めないという結論。
 ただし,都会でしか味わえないようなコンサートなんてものは薄っぺらい,吹けば飛ぶようなものにすぎないのかもしれないけれど。もっとドッシリとした何かが,こういう町にはあるのかもしれないけれど。

● 逆に,コンサートを聴きたいからというだけの理由で,都市に引っ越す人もいるかもしれない。
 多くの人はすでに都市に住んでいる。かといって,こういうところを朽ちさせていいのか。が,時代はそういうセンチメンタルを越えて進む。

2015年10月5日月曜日

2015.10.04 「休日おでかけパス」を使ってみた

● 東京に行く用事があったので,「休日おでかけパス」を使ってみた。自治医大駅まで行かないと買えないので,1本早い電車に乗って,自治医大駅で下車。自動券売機で購入。

● この近くに自治医大がある。附属病院には何度も行っているけれども,いつも車だった。ので,この駅で降りるのは今回が初めて。
 駅前を少し歩いてみようかと思った。けど,かなり殺風景。もともと平地林だったんですかね。そこを切り開いたんだと思うんですよ。中層アパートが一棟あって,タリーズとTSUTAYA。チェーンの居酒屋がいくつか。賑わいのない駅前だ。
 4号を越えると自治医大の周囲にマンションが建ち並んでいるんだけど(それはそれで殺風景?),駅前からはそれも見えない。
 さっさと駅構内に舞い戻った。

● で,「休日おでかけパス」。結果からいうと,ひじょうに便利だと思えた。自動改札機を使えるのはじつにありがたかった。人と関わらないですむというのは安楽なものだなと思った。
 用事があったのは錦糸町だったんだけど,前後に上野と東京で下車した。心おきなく下車できる。

● 「休日おでかけパス」を使うと都内での行動範囲が広がる。せっかく乗降自由なんだから,そちこち行って元を取ろうとケチ根性が蠢くんですな。
 帰りは宇都宮まで乗り越して,自動精算機で精算できる。

● ピンポイントで帰ってきても,わが家から東京までは4,360円かかるところ,「休日おでかけパス」をかませると3,790円。
 そのうえ,都内でいちいち券売機に並ぶ必要がなくなるんだから,効果は大きいんでした。その分,運転本数が多いとはいえない宇都宮線でいったん下車しなければならないわけだ。お忙氏にはヤッテランネーヨとなるかも。

2015年10月3日土曜日

2015.10.03 職業人としては失格だった

● が,就職してからはぼくは明らかに落第生だ。なぜかといえば,仕事を理解する以前に仕事を見切ってしまったからだ。
 今ならこれ以上ないほどに愚かだったとわかるんだけど,当時はその判断を先鋭的というか,人が気づかないことに気づいたと思っていた。
 まったく救いがない。自分が気づくようなことに気づかない人がいるわけがない。そこを越えて行くと,違う風景が見えるのだということに気づかなかった。

● 最初のボタンのかけ違い。気づいたときには修正が効かないほどになっていた。
 したがって,仕事側のぼくに対する評価も低迷を極めた(それだけが理由ではないと思うけど)。

● 最初の7,8年ほどは仕事絡みの勉強もしていたんだけど,これもどうだったのか。仕事は仕事そのものを通じて深めるべきだったかもしれない。本を読んで絡め手から攻めるというのはどうだったか。
 しかし,その勉強もプツンとしなくなった。

● ま,ともかく,仕事に体重をかけることができなくなっていた。酒の付き合いは欠かさなかったけれども,職場の人間関係の構築・維持にもあまり(というか,ほとんど)意を用いなかった。転勤後に前の職場を訪ねることもしたことがない。
 なので,定年退職とともに濡れ落ち葉になる事態は避けられると思う。退職によって失う関係はほぼないから。

● けれど,職業人としてはまったくダメでしょ。したがって,評価もそれなりですよ,と。
 で,ここからが問題なんだけれども,この評価を吹っ切ることがなかなか難しい。吹っ切るためには,仕事ではない別の場所で社会的評価を得られるような成果物を出すことだという思いから逃れがたくなる。
 社会的評価というのは他人からの評価ということだ。他人に評価してもらえなければ,自分の立ち位置に安心することができないという,哀れ惨憺たる有様なわけだ。

● でもね,只今現在を溌剌と生きることが,それに勝る妙薬だってことはわかっている。
 完全燃焼で生きること。不完全燃焼感を残さないで生活すること。置かれている環境にかかわらず,今が楽しいと思えること。それができれば,じつに天下に敵なしといえるだろう。
 人生は目先の連続。ゆえに,目先良ければすべて良し。それは斜にかまえて肩をそびやかしながら思うことではなくて,完全燃焼するという意味合いで捉えてこそ。

2015年10月2日金曜日

2015.10.02 効率第一主義で功利的に生きてきたのではないか

● 自分は効率を人生の第一順位においてやってきたように思う。浪人,留年はしない。卒業したら遊んでいないでサッサと就職する。途中で転職するとたいてい損をするから,定年まで勤めあげる。
 それには成功したけれども(まだ途中なのもあるけど),そのラインを越えることができたら,今とは違った世界が見えたのかもしれない。

● 回り道を回避するように動いてきた。功利第一に生きてきた。回り道をしている人を見下すようなところもあったのじゃないか。いや,のじゃなくて,あったよ。
 つまらない人生を自ら望んで生きてきてしまったのかもしれない。

● ただ,わが家の家庭状況からすれば,浪人などできる余裕はなかった。留年もしかり。
 あと,ここが問題なのだけど,アルバイトをして自分の生活を支えるバイタリティはなかった。正確にいうとあったのかもしれないけれども,自分ではないと思っていた。
 アルバイトをする暇があるのなら勉強したほうがいいとも思っていた。アルバイトをしすぎて留年なんかするより,サッサと4年間で卒業して,ちゃんと就職したほうがトータルのコストは安くなる。社会人になればいやでも働かなくちゃいけないんだし。
 で,そのようにした。このあたりが,功利第一の所以だ。

● 功利第一に動くと,社会的に見栄えのいい職業に就くことを考える。自分のやりたいことよりも。あるいは,見栄えのいい職業に自分のやりたいことを擦り寄らせるような脳内作業をする。
 実際のところ,20歳を過ぎても,ぼくは自分がやりたいことが何なのかわからなかったんだけど。
 だから,就職もあまり迷うことなく決めた。が,自分が考えていた見栄えのいい職業ではなかった。半分,会社をバカにしながら就職した。もちろん,バカだったのは明らかに自分のほうだ。

● しかし,挫折感なんてのはなかった。功利だからね,その功利がガリガリではなかったのだろう。
 というといい感じに響くんだけども,要は何も考えてなかったから,功利を採用したってことなんだと思う。

2015年10月1日木曜日

2015.10.01 傍観者なら傍観者でいいから

● 内田 樹さんは『下流志向』で,“自分探し”にはまる人は自己評価と外部評価が一致しない人だと指摘している。自己評価に比して外部評価が低い人だ,と。
 だから今いるところを離れて,外部評価をリセットしようとするのが“自分探し”の正体だ,と。

● 説得力があるというより,事実を指摘しているだけだけれど,自分にもその性癖があることを認めざるを得ない。
 自分の思うような評価を外部から受けている人は少数だろうから,多くの人には“自分探し”に墜ちる素地があるといっていいだろう。

● こんなブログを書いているのもその現れかもしれない。少なくとも,仕事とは別の土俵を作りたいと思っているのは間違いない。
 ただし,ぼくのブログは何かを創作しているわけではない。傍観者として,音楽読書文具に接して,傍観者としての感想を書いているだけだ。
 自分で演奏するわけではないし,物語を紡ぐわけではないし,文具を開発するわけではない。自分以外の当事者がいることを前提にしている。

● ここが自分の場所なのか。そうだとすると,傍観者なら傍観者でいいから,もっと自身の肺腑を抉るような接し方をしなければいけない。
 それをしないで,ここが自分の居場所だと決めてしまうのは,ぬるま湯に浸って何もしないでいることが自分の人生だと決めることになってしまう。