2019年9月5日木曜日

2019.09.05 氏家の「みやこ家」

● 夜,相方と出かけた。彼女は,喉の調子が悪いとき,「みやこ家」のつけ麺を食べたら麺が喉を焼いてくれて調子が治ったという話を,時々する。
 たぶん,それは麺が喉を焼いたのではなくて,別の理由で治ったのだと思うんだけども,何が真実かは問題ではない。本人がそうだと思っているのなら,それはそうなのだ。

● で,食べに行きましょうと言うのは,決まって相方。よく言えば行動的というかね。ぼくは促されて付いていくだけという役柄だ。

● 今回は,あっさりつけ麺,大盛り。880円。「みやこ家」の定番メニューは濃厚つけ麺。実際に濃厚つけ麺が一番旨いとぼくなんぞも思うんだけど,濃厚以外を食べることが多いのは,どういうわけか。
 濃厚とあっさりは,当然ながらまったくの別物で,濃厚よりもあっさりがいいと言う人も一定数いるはずだ。もっとも,あっさりといっても,昔のモノサシからすれば相当に濃厚なのではある。

● 麺の器が丼から皿に変わった(極端に言えば)。この器,益子じゃないよなぁ。小砂だろうか。スタッフに訊いてみるか。
 ただね,もしスタッフが知らなかったら恥をかかせることになるのでね。そこだけ注意しないとね。恥をかかせる可能性を押してまで知らなければならないことかってことね。

2019年9月4日水曜日

2019.09.04 Wikipediaに寄付をした

● 成毛眞さんの呼びかけのツイートがきっかけ。っていうか,Wikipediaを見ると,時々,この寄付のお願いがトップページに掲載されることがあった。
 広告を入れないで,無料で使える百科事典を運営しているのだから,執筆者も無償のボランティアだとしても,主宰者がなにがしかの負担をしているのだろう。

● 紙の辞書は新明解国語辞典と新明解語源辞典しか持っていない。あまり使っていない(職場に置いている)。ひと頃,広辞苑をはじめいくつかの辞書がプリインストールされたケータイやスマホがあって,ぼくも使ってみたが,実際にそれらの辞書を使うことはまったくといっていいほどなかった。
 ぼくがWikipediaを使う頻度は多くのネットユーザーと比べて,多い方なのか少ない方なのかはわからないが,紙の辞書よりは使っている。

● つまりはまぁまぁお世話になっている。これを絶やしてはいけない。ので,ぼくも寄付をした。
 したんだが,1,000円。われながらシミッタレだなぁ。許してたもう。あとでもう1回するから。

● ぼくの夢のひとつは株で10億円を作りだすことだ。その株の配当金で悠々と(ノウノウと)生活したい。が,ぼくには相続すべき子がいないので,死ぬまでにその10億円は地元の町役場が所管する奨学基金に全額寄付せねばと思っていた。
 が,ひょっとすると,Wikipediaに寄付した方が,生き金になるかもしれないな。どうしようかな,ぼくの(今はまだ影も形もない)10億円。

2019.09.04 長谷川慶太郎さん,死去

● 帰宅後,ネットニュースで知った。91歳。心不全だったとのこと。

● 若い頃,彼が共産党員だったのは有名。しかし,共産党に吞みこまれることはなかった。内部を知ったればこそ,共産党を見切れたのかもしれない。
 以後は,保守の論客として鳴らしに鳴らした。その基本は,おそらく,膨大な数字(統計)の渉猟にあったと思う。数字で実態を描写した。ファクトを積みあげた。

● 海外を含めて圧倒的な情報源を持っていたようだ。国内は言うにや及ぶ。おろらく,公開できなかった情報がたくさんあったろう。
 詳細に現在の実態を把握できれば,半年後,1年後,3年後に事態がどう動いているかを想像するのは容易だったのかもしれない。

● その長谷川さんにしても,自分の価値判断に引っぱられてファクトに色を付けてしまうことがなかったとは言えないようにも思われるが,それでも日本人には珍しい,ファクトでものを語る人だったと思う。
 長谷川さんの著作を読むことができなくなるのは淋しい。快刀乱麻を断つとはこういうことかというあの快感を味わえなくなる。

● 個別具体に予測するから外すこともある。すると,明日の天気は晴れか曇りか雨,所によっては雪か霰,などと予測ともいえない予測をしていたゴミ評論家が,それ見たことかと長谷川さんを罵倒する。
 その光景ももう見れなくなるのか。

● 「投資の王道」会員向けのニューズレターがあるはずだ。それをまとめて著作の形で公開してくれないだろうか。もっとも,それもやめて久しかったのだろうか。
 5月に出た『シニア&初心者に捧げる 我が70年の投資哲学』が最後の著作になるか。ちなみに,ここで紹介されているユーグレナ株をすぐに買った。長谷川さんの株式投資の基本は長期保有。なので,ぼくも途中経過には興味を持たないようにしている。

● 長谷川さん亡き後,後継者になるのは渡邊哲也さんではないかと思っている。長谷川さんと対談本を出している。もちろん読んでいる。
 Twitterもフォローしている。話題の日韓問題も,ストンと理解できる。ニュースサイトにある解説記事は読む必要がない。

● しかし,こうも思う。長谷川さんの死去とともに,長谷川的世界観も過去のものになるのかもしれない。新しい潮流が世界に生まれてくるのかもしれないし,すでに生まれつつあるのかもしれない。合掌。

2019.09.04 経産省のエリート官僚の覚醒剤事件

● 経産省のいわゆるエリート官僚。28歳で課長補佐。鬱病でそれでも仕事に行かなければと覚醒剤に救いを求めた。
 東大を出て経産省に就職を決めたところまでは,完全なる勝ち組人生。おまえ凄いなぁ,の世界だったろう。

● 経産省で国家の進路を決める仕事をしている自分,のイメージを持っていたろう。キャリアは激務だということも知っていたはずだ。が,自分ならできるだろう。意欲に燃えて霞ヶ関の門(そんな門はないが)をくぐったのだろう。
 しかし,待っていたのは想像を超える月300時間の残業。こんなのやらなくたっていいじゃん,何の意味があるの,としか思えないムダな作業。本当に今は21世紀なのかと思えてくる泥臭い作業。

● 霞ヶ関のリーダー集団は日本を代表する頭脳の持ち主たちのはずなのに,民間企業ならとっくにやめているだろう前時代的な風習がなぜ残っているのか。
 労働組合が支持母体のはずの野党議員が平気で深夜に質問通告を出してくる。何なのだ,これは。おまえらは言ってることとやってることが真逆じゃないか。

● それやこれやの現実の前に,意欲を維持するのが難しくなってしまった。これがずっと続くのだと思うと,とてもじゃないが先行きに希望は持てない。
 月に1冊の本を読む時間すらないじゃないか。これでは消耗するばかりだ。こんな生活をするために自分は経産省に入ったのか。

● 本当なら,ここで“経産省で国家のために働く自分”を捨てることができればよかった。が,そういうのは,部外者の後付け講釈。なかなかそうは考えられないことは,比較にはならないが,ぼくにも覚えがある。

● もちろん,経産省が悪い。ここまで職員を追い詰めるのははっきり加害者だ。キャリア官僚の自殺率が高いのは,昔から言われていたことだ。報道されないだけだよ,と。あまりの激務と責任の重さと重箱の隅を突いているとしか思えない膨大な作業が作る徒労感が理由だろう。
 しかし,そういうのを乗り越えてきた人が,国会議員になったりオピニオンリーダーになったりして,この国を引っぱっている。乗り越えられる強さあるいは鈍感さを,基本的にぼくらの社会は良しとしている。若いときに仕事だけの数年間を経なかったものは,結局,使いものにならない,という言い方もされる。そしてそれは真理を含んでいる。

● では,われら凡俗の徒はどうすればいいか。その人に合った場が必ずあるとも言われるけれど,凡俗を自覚してプライドを捨てることができるかどうかだろうか。
 上を見ない。生きてるだけで大したものと居直ってしまう。エリート官僚を全うして功なり名を遂げたとしても,凡俗の徒と何程の違いがあるか。そこに居直る。

● が,東大に合格するという成功体験をしてしまうと,自らを恃む方向に強く引っぱられるか。若さが居直ることを邪魔する。
 何だかね,「日本人を不幸にする日本というシステム」に至って,そこで思考停止してしまうなぁ。

● でもね,本当に優秀な人というか,凄い人は,そういう環境にあっても残業なんかしないでさっさと帰っているかもしれない。国会対策にしても大臣説明にしても,そんなの適当でいいんだよ,と割り切れているかもね。
 実際ね,適当じゃダメという局面はエリート官僚の世界においても,そんなにはないと思うんですよ。たいていのことはどんぶり勘定が合ってればいい。

● ただ,そうだからといって周りにかまわず独自に動けるかとなるとね。適当でいいと気づくのはそんなに難しいことじゃない。周りは周りと割り切ることが難しいのだ。

● この官僚氏はこれで人生を終わってしまうわけではない。巻き返しの機会はたぶんあると思う。しかし,・・・・・・人の人生って,ほんと,わからない。
 人間到る処青山あり,とは「どこにでも自分の力を発揮する働き場所はある」という意味らしい。

  男児立志出郷関 男児,志を立てて郷関を出づれば
  学若無成死不還 学若(も)し成る無くんば死すとも還らず
  埋骨豈惟墳墓地 骨を埋むる,豈(あに)惟(ただ)墳墓の地のみならんや
  人間到処有青山 人間到る処青山有り

 のだが,人生にはいたるところに墓場があって,いつそこに墜ちてしまうかわかったものではない,せいぜい気をつけろ,と解釈したくなる。人生にはマサカという坂があるという意味だ,と。

● 東大を出ても,出世しても,栄華を極めても,大富豪になっても,明日は何が起こるかわからない。備えたつもりでも,その備えの外に青山はある。
 災害で命を落とす人がいる。家を失う人がいる。東日本大震災を持ちだすまでもない。災害は一例にすぎない。何が起こるかわからないのだから,備えようがない。人生とはそういうものなのだ。

● 一寸先は闇。先はわからないものだ。ということは,一寸先は光かもしれない。だから,何があっても絶望はするな。この2つは表裏なのだと思う。
 件の官僚氏も絶望するには及ばない。人並みはずれた努力家であることは,世間の広く知るところとなった。誰かが見ているはずだ。

● 先はわからないことから来るもうひとつの必然。今を楽しめ。確実なのは今しかないのだ。
 ある程度の年齢になったら,現在を将来の犠牲に供することをやめよ。将来などという不確定なもののために確実な現在を捨ててはいけない。
 心を鬼にして,今を楽しめ。真面目すぎる人は,心を鬼にするくらいじゃないと,今を楽しむことはたぶんできないだろう。真面目もすぎれば及ばざるがごとしであることも,心に留めておいた方がよいだろう。

2019年9月1日日曜日

2019.09.01 錦糸町からツリービュー通りを歩く

● 錦糸町からスカイツリーを正面に見ながら押上まで歩いた。通りの名はツリービュー通り。何の紛れもない。
 車は通行しにくいように設計された道路なので,四つ目通りを歩くより快適。

● 錦糸町は歩いてて面白いところだと思う。少ぉし山谷っぽいところもあって,ぼくの肌には馴染んでくる。
 街が化粧していないっていうかね。銀座や広尾,高輪は外出着をまとっている。とり澄ましている。欲望を隠している。
 錦糸町はそのあたりがむき出しになっていて,人間くさい。人が住んでる街なのだなと思える。こういうことをして人は生きているのだなといくつかの発見(?)もできる。

● 歩いてて面白いのは,断然,錦糸町のような街だ。銀座には銀座の良さが当然あると思うんだけど,少々取っつきにくい。第一,お金を持っていないといけない。
 錦糸町だってお金を持っていた方がいいんだけど(都会というのはそういうものだ),まぁね,自ずと銀座とは違う。

● ま,押上まで歩いて地下鉄の運賃170円を節約したってことね。

2019.09.01 セブンイレブンの“炙り焼きさば御飯”

● 錦糸町に来た。食べもの屋はいくつもあるんだけど,セブンイレブンの弁当をば。“炙り焼きさば御飯”は日本弁当史上の最高傑作と存ずる。
 セブンイレブンの隠れた(隠れていないかもしれないが)名品。ってか,名弁当。自分は,これ,大好きでごさる。

● 鯖って大衆魚。が,安いから大衆魚になったのではない。旨いからなったのだ。ここを誤解してる人,わりと多いのでは?
 大衆○○と,大衆が冠せられて,それが長く定着しているものは,その分野において価値の最高位を与えてよい場合がほとんどだ。

● セブンイレブンの“炙り焼きさば御飯”と同じものはファミマにもある。セブンと違うところは,ほぐしさばの下に刻み海苔が散らされていること。
 好みの問題なのだろうけど,あたしはセブンの方が旨いと思うざます。

2019.09.01 3週連続,週末はロイヤルパーク

● 今週末もロイヤルパークホテルに投宿。コスパの高い贅沢。いつものとおり,相方とはラウンジで落ち合う。
 落ち合う場所はラウンジしかない。相方が先に着いてチェックインをしている。カードキーは彼女が預かっている。エレベーターはカードキーをかざして停まる階数を指定する方式だから,迎えに来てもらわないと部屋にはいけない。

● というわけで,まずはラウンジで酒だっ,酒。ハイボールを3杯。

● ロイヤルパークに泊まったときは,お約束の「兎屋」。今日はつけ麺。大盛りで950円。
 つけ麺は平打麺,ラーメンは丸麺。麺は浅草の開化楼のもの。麺の盛りつけが綺麗でホレボレする。
 明らかに食べ過ぎているわけで,このあたり,ちゃんと節制が効くようになるといいんだがなぁと他人事のように思う。

● ロイヤルパークホテルのラウンジは21時まで。これで良いと思う。不夜城よろしく,遅くまでやってるのがいいとは思わない。
 カクテルタイムからずっといたのだろうとおぼしき女子2人組,声が大きい。これが一番目立つ。正直すぎて申しわけないが,下層民というイメージになる。イメージね,あくまで。
 口角泡をとばして,という。喋ってる内容も共通の第三者に対する人物評。居酒屋談義の中でもかなり質が低い方のやつ。

● ホテルラウンジでの朝食。いつもの“朝食 The 人形町”。ご飯と味噌汁。かまぼこに卵焼き,梅干しとお新香と海苔。簡素にして豪華。堅実にして宇宙大のバラエティー。
 日本の朝食は保存食でできている。かまぼこも梅干しもお新香も海苔も,保存食だ。保存食をそのまま使う。火を使っているのはご飯と味噌汁だけ。朝の食事はそれが合理的。問題は保存技術の深度とバリエーションだ。
 これはその国なり地域の風土との関連で決まるだろう。日本ではこうなった。

● もしホテルに住むとしたら。さすがにスイートじゃないと辛いだろうと思っていた。が,見解(?)を改める。ワンルームでも行ける。
 ただ今,ロイヤルパークホテルの1648号室。ここに半年や1年はいられそうだ。余計なモノを持ち込まないのが前提かつ快適を担保するコツになるが,この部屋でOKだ。

● ロビーのソファでTwitterをいじっている。こうしてオープンスペースで時間を過ごせるホテルがいいホテル。
 その点では,シェラトン都は素晴らしい。ロイヤルパークはギリシア神殿風の直線が多く,シェラトン都は和風の曲線が多いからだと仮説を立ててみたが,明らかに違っているな。そういうことじゃない。
 要は,腰をおろせるスペースが潤沢にあるかどうかに尽きるわけだ。収容人員との兼ね合いもある。シェラトン都がこの点で快適なのは,客室数が多すぎないことが与っている(と思う)。

● 今回は昼間の人形町を歩いてみた。甘酒横丁にある谷崎潤一郎生誕の地の表示版。ここにあった印刷所で生まれた。その印刷所はもちろん跡形もない。
 ぼくは『陰翳礼讃』すら読んでいない。谷崎潤一郎の読者ではない。のだが,彼が生まれた頃の人形町の様子を想像してみる。その想像の中に谷崎少年を置いて動かしてみる。どうも上手くいかない。

● 大通りから路地に入ると,そこの角からハッとするほどの“いい女”が現れるんじゃないかと思わせる。そういう風情がある。あるというか,そう思おうとしているのかもしれない。
 このあたりが“元吉原”であることは関係ない。今の人形町の空気や街のありようがそう思わせるのだ。ただし,“元吉原”だったことが,この地の骨格を決めたかどうか,ぼくにはわからない。

● 清洲橋通りを歩いて,清洲橋へ。隅田川テラスを経て,ホテルに帰着。
 先ほど,路地で出会った“いい女”とお手てつないで歩けたら,どんなによかんべ。どうやってホテルに連れ込もうかと頭の中を忙しく回転させながら,何もやましいことは考えていない風情で歩くのは,男子の本懐というものであろー。
 そういうことも,経験すべき時期にきちんと経験しておいた方がよい。そして,その種の駆け引きにおいては,男は女の敵ではないことを実地に知らされた方がよい。

● さて,チェックアウト。手続きはラウンジでできる。最後に飲むのは水。次は再来週の予定。