2021年3月23日火曜日

2021.03.23 立食いそばを食べながら

● 宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」でミニ豚丼セット,650円。立食いそばか吉野家にしか入れない自分の,何というのか内気さというかシャイさというか,そういう性格が鬱陶しいのだけれども,今さら変わらないだろうからねぇ。
 宇都宮駅の1階には「宇都宮フードホール」というのができてるんだけども,ぼくは一度も使ったことがない。そもそも使い方がよぅわからん。

● フロントのオバちゃん,流暢な日本語で客を捌いているのだけど,ネイティブ(日本土人)ではないようだ。一所懸命に身過ぎ世過ぎをしている様は,アッパレ,人の鑑の感がある。生きていくってこういうことだよね,と範を示してるっていうかさ。
 仕事にやり甲斐だの自己実現だのを求めちゃいけないよね,っていう。生きていくためには金がいる。その金を稼ぐためにするのが仕事だよ。やり甲斐? なにバカなこと言ってんの,アンタ。いい歳こいてそんなこと言っててどうすんのさ。

● 母語が通じない世界で,その世界の流儀にここまで馴染めるのは,女性なればこそという気もする。環境への適応能力には明らかに男女差があるように見える。
 たいていの男女差は個人差に吸収されるものだろうが,そうとばかりは言えないものもあって,この適応能力と逆境に置かれたときのしぶとさには,個人差を超える男女差がある。

● お客の中にも女性が一人いてね。もう14時近かったけど,昼休みに食事を摂ることができない職種なのだろうか。やっと昼の休憩になった。
 どんな仕事をしていて,家族はどうで,収入はどうで,休日にはどう過ごしているのか。想像を逞しくさせる。そういう女性を “いい女” というのだ。“いい女” に共通するのは,だから,一生懸命さを秘めているところだ。

● 世の中の多数派でいられるなら,必ずしも一生懸命は必要とされない。流されるだけでもどうにかなってしまう。ぼくは基本,それでやってきた。が,それでは蓄積されるものが何もない。
 多数派に属していればたしかに楽で,だからこそ,人は上場企業や役所勤めができればいいと思って,大学まで行くのだろうが,死の床でこれで良かったのだと思えるかどうかはわからない。

2021年3月21日日曜日

2021.03.21 新橋から川崎へ

● 銀座のホテルをチェックアウトして,雨の中を新橋まで歩いた。休日の11時前の新橋は,まだ目が覚めきっていないようだ。
 やっぱ,東京で飲むなら新橋でしょうなぁ。中目黒とか曳舟とか人形町とか,飲んでみたいところ
は色々あるけど,新橋に来ちゃいそうですよ。今はね,コロナのせいもあってじっとしてるけどさ。











● 駅のすぐ近くに烏森神社。で,神社のお膝元は戦前からの路地に展開する飲み屋街。いかがわしい店もきちんと(?)存在している。
 烏森の神よ,願わくば,この世に生きとし生けるものの,すべての命を守り給え。
 たとえば,こんな「男性募集」も,こんな「平成女学園」(なんで,令和女学園にしないのだ?)も。一切の分別知を捨て去って,他と区別(差別)することなく,大御心をもって,均しく守り給え。










● 東海道線に乗って川崎へ。新橋から川崎までは2駅なんですよね。東京都川崎市にならざるを得ない。
 上野東京ラインができるまでは,東海道線の電車(湘南電車と言われてましたか)に乗る機会はまずなかった。上野から京浜東北線に乗ったから。
 上野までは田舎の延長で,上野で山手線なり京浜東北線に乗り換えたところから都会が始まる。そんな受けとめ方をしてましたよね。今は,今は田舎と都会の境界線が消えたというか。

● 川崎に着いた頃には,風が強くなっていた。傘を開くのに難儀するくらいには。
 そこに家人から電話があった。「こちらは強風。雨も風もすごい。電車が走っていないなら,無理せずもう1泊してくるよろし」という有難い仰せ。そうか,栃木はそんなに風が吹いたのか。川崎でも風は吹いたが,電車が止まるかもと心配する人は1人もいなかったと思う。

● 川崎での用事がすんで,復りはJRで新橋まで行って,銀座線で浅草,浅草から東武で帰るつもりだった。安くあげたいので。
 ところが,来た電車が宇都宮線直通の宇都宮行き。新橋で降りるなんてできなかった。座ってれば宇都宮まで連れてってくれるんだからね。そのまま乗っちゃうでしょ。
 JRだと運賃の倍出せば,銀座にもう1泊できちゃうんだけどね。チラッとそうしようかとも思ったんだけど,さすがにねぇ。

2021年3月20日土曜日

2021.03.20 浅草~渋谷~八雲(目黒区)~中目黒~銀座~渋谷~府中~銀座

● ここのところ,東京に出るときはJRを使っていた。泊まらず日帰りだったのでJRの「休日おでかけパス」を使っていた。
 今日は泊まる。ので,というのも変なのだけど,東武線で行ってみることにした。金券ショップで買った株主優待乗車証が2枚残っている。東武宇都宮から浅草まで770円で行ける。

● 東武で行く場合,一番の見所は新古河~栗橋間。利根川を渡るところだ。利根川って群馬県の人には馴染み深いだろうが,栃木県人にはいまいちピンと来ない。が,鉄橋で間近に見ると,おぉぉと思うわけだ。
 JRでも利根川は渡っているはずなのだが,いつも気づかないまま過ぎてしまう。利根川を鑑賞(?)するなら東武の方がいい。

浅草駅前
● 曳舟で乗り換えて,久しぶりの浅草に到着。といって,ディープな浅草に分け入って行くことはない。今はないにとどまらず,この先もないと思う。隅田川沿いの光景を見ただけで,銀座線の地下ホームに降りていく。
 銀座線で渋谷。渋谷からは東急東横線。東横線に乗換えるのであれば,押上から半蔵門線に乗る方がいいかもしれなかった。銀座線の改札を出てからだいぶ下に潜っていくので。些細すぎる問題だけど。

● 東横線に乗ると,学芸大学,都立大学と大学の名が付いた駅が続くが,学芸大学も都立大学もここにはない。他に移転している。
 事情があっての移転だろうけれども,可能ならば一箇所に留まって動かないのが良い。東大が東大であり続けている理由の何割かは,本郷のあの場所にずっとあるからだろう。
 その場に降り積もる何ものかがある。同じ理由で,都心にあった私大が郊外に移転したのもおそらくは間違いだった。
 学芸大学付属高校はこの駅が最寄り。ウィキペディア教授に教えてもらった。

● 都立大学駅で下車。駅前の吉野家。久しぶりの吉牛ですわ。いやもう,ほんとにこれは,これだけでひとつのご馳走だ。
 が,昼飯時なのに空いている。吉野家はサイゼリヤとは違って,コロナ禍でも黒字を維持している,と聞いたことがあるんだけどね。

● めぐろ区民キャンパス。都立大学跡地にできた,図書館,体育館,ホール,公園で構成される。ホールで開催される演奏会を聴きに来た。ここに来るのは二度目。
 これだけなら文化施設なんだが,敷地の半分は高層アパートになっている。都営アパートらしい。これはここじゃなくてもよかったのではないですか,と思わないでもない。

● 図書館を覗いてみる。蔵書の充実度もそうなんだけど,書架と書架の間がユッタリしてる。土地が稀少
なはずの東京でね。広ければ広いほどいいというわけではないが,これくらいユッタリしていると本も探しやすいだろう。
 宇都宮市の中央図書館もちょっと負けるな。しかし,CDの品揃えはぼくの地元の町立図書館がいい勝負をすると思う。

● 復りは中目黒で下車。ここで飲むための時間を作らなくちゃと思わせる。フラッと入ってみたくなる(チェーンじゃない)居酒屋が多い。チェーンがダメだとは露ほども思わないけれども,チェーンじゃない居酒屋の魅惑と来たらねぇ。
 中目黒というよりも,日本の街場はたいていそうなのだが,ピシッとゾーニングされていないところがいい。空気が単色ではないところ。あるいは,少し歩くだけで色が変わるところ。

● 中目黒から日比谷線で銀座。ホテルグレイスリー銀座にチェックイン。1月23日以来,2回目。
 ビジネスホテルとはいえ,土曜日なのに4,600円で銀座に泊まれるんですよ。ホテルの宿泊費は地方(の少都市)より東京の方が安い時代になった。
 コロナがそうさせたのだから,いつまでそうなのかはわからない。が,いったん下げてしまったものを上げるのは難しかろう。便乗値上げという言葉がリアリティを持っていたインフレ時代は,はるかな昔の話だ。

● さて,今日はもうひとつ,行くところがある。19時半開演の演奏会。それがあるものだから,泊まってしまうことにしたのだ。場所は東府中。
 銀座からなら1時間くらいかと思って,余裕を見込んで18:10にホテルを出た。が,結論から言うと間に合わなかった。

● 再び,銀座線で渋谷に出て,京王井の頭線で明大前。京王本線に乗り換えて東府中。この経路では間に合わず。といって,赤坂見附で銀座線から丸の内線に乗り換えて,新宿から京王線に乗ったとしても,さほどの時間短縮にはならないと思う。
 いやね,橋本行きに乗ったのに,調布で乗換るのを忘れたっていうチョンボもあったんだけどさ。
 銀座から府中に行くには90分を見込むべし。これってもう小旅行だよねぇ。府中市民が都心に出るときは “東京に行く” っていうはずだよね。

● 復りも同じ経路で。おかげで,渋谷駅で岡本太郎の「明日の神話」を見ることができた。久しぶりの拝観。
 ホテルでひとり酒盛り。肴は東府中のコンビニで買ってきた。これをもって,銀座で飲んだと称してよろしいか?

● 毎日が日曜日になって,昼夜逆転とまではいかないにしても,宵っ張りの朝寝坊が定着している。
 昨夜は早めに就寝した。午前1時だ。で,今朝は6時に起きた。小学生じゃないけれど,遠足の日には早く起きられる。
 けれども,まともな1日が終わるとグッタリ疲れてしまった。5時間も寝ていて疲れるとは何ごとか,とお叱りを受けるかもしれないけれど,何というかショートスリーパーの人たちが羨ましい。

2021年3月19日金曜日

2021.03.19 格差の拡大

● パソコンとかスマートフォンとか,まぁ,買わないんだけど(だって,一度買えば数年は使うから),しばしば覗きに行く。
 大昔はパソコンは夢を見させてくれる装置だったが,今は文房具のひとつになった。自分を変えてくれるかもというワクワク感を与えてくれるものではなくなった。生産性を大きく向上させてくれ,自分にも見えなかった自分の可能性をひょっとしたら発掘してくれるかもしれない,という幸せな錯覚に誘導してくれるものでもなくなった。

● パソコンもスマホも,現在から見れば,格差を拡大するツールだった。能力を拡張するツールなのだから,そうなるのが当然だったのだ。
 もともと百の能力を持っていた人は,パソコンやスマホを使うことによって,千にも万にも拡張できたが,十しか持っていなかった人は,せいぜい百か二百にしかならない。ゼロだった人はいくら拡張してもゼロのままだ。

● しかも厄介なことに,インターネットが普及して,能力がない者は無能を隠す術までも奪われた。
 昔は,うまく行かない理由を運のせいにもできたし,上役なり取引先なり発注者の無理解のせいにもできた。今は,だったらネットに載せればいい,直接視聴者に届けられるじゃないか,と言われてしまう。
 自分の無能のせいであることを隠すことができなくなった。いやでも,自分の無能と向き合わざるを得なくなった。
 それがわかった以上,もうパソコンやスマホに幻想を抱くことはできない。

● SNSが普及して,誰もが “自分” を発信できるようになった。が,その発信力は人によって強弱がある。強弱があるという言い方では追いつかないほどの大差がある。
 Twitterならそれはフォロワー数に現れる。2桁の人から7桁のフォロワーを持つ人まで。それがつまり能力格差というものだ。

● フォロワー数がすべてではない,自分はフォロワー数を増やすためにツイートしているのではない,と嘯くのは自由だし,そのようにして自分の何かを守ろうとしている人は多いはずだ。しかし,それはおそらく自分の能力のなさと向き合うことを避けるための言い訳にすぎない。
 フォロワー数などどうでもいいと思ってツイートしていても,千人のフォロワーも作れないようではTwitterなどやめた方がよい,という意見もあって,正直,その意見は正しいと思う。

● 実際に自分のツイートを読んでくれている人はフォロワーの多くて1割だろう。フォロワーの桁が増えるにしたがって,その割合は低下すると思うのだが,そうであっても千人のフォロワーもいないのであれば,Twitterではなく端末のハードディスク(SSD)に吐きだしておけばいい,となる。
 フォロワーを増やすテクニック的なものもあるにはあると思うのだけども,そういうものに無頓着であっても,千人のフォロワーも獲得できないようではね。
 かく申すぼくもまったくダメな部類に入る。

● ともあれ,パソコンやスマホ,インターネットによって,経済的にも,非経済的な部分でも,持てる者と持たざる者との格差が拡大したことは間違いないように見える。
 アップルが1980年代に初代のMacintoshを世に出したとき,自分たちの製品を「The computer for the rest of us」と称した。大企業や大学の研究部門しか持てなかった大型コンピュータに対して,一般人でも持つことのできるコンピュータだよという意気込みを示したスローガンだったのだろう。
 が,当時は人類のほとんどが「rest of us」に該当した。その「rest of us」の中で,見事に格差がクッキリするようになった。

● それに有効な作用を果たした道具立てがITというものだった。おそらく,この傾向は加速することはあっても,かつての1億総中流に戻ることはない。
 能力格差という “神” が闊歩する時代が当分は続くだろう。それはいっそ清々しい光景でもある。ダブルスタンダードがない。単純でわかりやすいからだ。

● それを鬱陶しいと思うだろうか。能力を持たないぼくらがつけ入る隙がまったくないわけではないと思うのだが,下位に甘んじてしまうというのも楽に生きる方法のひとつだと,ぼくは思う。
 現在の日本で喰えなくて死ぬ心配は要らない(よほど特殊な例を除けば)。下位にいて自由時間を確保して,やりたいことをマイペースでやっていくのも悪くはない。
 それが最も賢い生き方かもしれないと,冗談ではなく,この歳になると思ったりもする。

2021年3月5日金曜日

2021.03.05 ビバ! インターネット

● この時期,とにかく群れてはいけないのだから,群れるのが嫌いな人にとっては追い風だ。
 ぼくは昨年4月から完全引退してずっと家にいる生活になったので,勤勉な人と同列に並べるのはアレなんだけど,コロナを逆風だと感じたことはない。大手を振って群れない生活をできるんだから,時代が自分に味方していると思っている。

● 会社や役所でも歓迎会だの忘年会だのという宴会がなくなった。そんなことのために幹事をやらされる人がいたのだからお気の毒にもほどがあるというものだが,それももはや遠い昔のことのように思えるのではないか。
 喜んでいるのは若い人たちだけではない。部課長もホッとしているだろう。部下と飲みたくて飲んでたわけじゃない。半ばは責任感からだ。若い人の話を聞いてやれと言われ,しかしその方法がわからず,昔からある飲み会に流れていただけのことだ。

● 昨年は何も困っていないのに10万円ももらえたり,東京のホテルにあり得ないほどの安い値段で泊まれたりと,コロナのおかげでいいことだらけだった。
 10万円はもうないらしいが(なくていいと思う),GoToトラベルは黄金週間前には再開されるだろう。払った税金を取り戻すつもりで,どんどん活用するのがよい。しかも,それが国策に協力することになるのだから,誰に何と言われようと,後ろめたく思う必要などない。

● ともあれ,群れない生活ができるのはコロナの追い風だ。が,もうひとつ,ある。インターネットだ。
 今や,引退後のQOLを決める第1要因はインターネットだ。インターネットを味方につけるか,敵に回すか,敵でも味方でもなく関わりのない存在にするかで,QOLが大きく変わってくる。

● 隣近所との付き合いを大事にしろ,自治会活動に参加することで地域とのつながりを保つことが重要だ,と,つい最近まで言われていた。
 が,この1年間はその自治会活動も事実上の休眠状態になった。その結果,困ったという人はおそらく1人もいないのではないか。自治会など要らないものだということが,誰の目にも明らかになったと言っていいだろう。
 そういうものの比重は大きく低下した。リアルよりもネットの方が,個人の生活に及ぼす影響が大きい。特に,引退後のロートル世代にとってはそうだ。

● インターネットは全世紀末に登場したもので,その以前にはなかった。しかし,今では個人生活のインフラで最も重要なものがインターネットだと言っていいだろう。
 回線が太く速くなって,動画や音声がリアルと同様に扱えるようになった。エンタメの多くはネットで満たせるようになったし,いわゆるコミュニケーションもネットで行えるようになった。
 リアルに比べると,特に個対個のコミュニケーションには限界があるが,限界を取り払って野放図にコミュニケーションするなんてのはあり得ないわけで,じつは限界があるくらいがちょうどいい。

● そこにコロナだ。群れること,移動すること,喋ることが忌避されるわけだから,その欠落を補うものとしてネットの存在感は格段に大きくなった。リモートワークもインターネットがあればこそ成立する。
 そのリモートワークをやらざるを得なくなっている現役世代の人たちは,ZOOMを使いこなして,その予想以上の効用に感嘆する局面が何度もあったのではないか。

● ぼくらロートルはそういうことはない。ZOOMでオンライン飲み会だとかオンライン雑談会をやろうとすればやれるのだろうけれども,群れることが嫌いだった人間があえてそんなことをするはずもないし,声がかかるわけもない。というか,群れることが嫌いな人の知り合いに,そんなことをしようと言いだすヤツはいない。
 だから,ネットの使い方はコロナ以前と変わるところはない。変わらない使い方でも,これがなかったら引退後の家にいる生活にこれほどスムーズに移行できたかどうか。

● 最近の定年組は,現役時代に仕事でパソコンを使っていた。メールもネットも使っていた。
 10年前に辞めていった人たちに比べれば,圧倒的にITリテラシーは高い。ブログにもSNSにも抵抗はないだろう。そうしたものに対して,自分の方から壁を造ってしまうという愚は犯さないはずだ。
 でれば,コロナ禍の今も,家の中にあって,さほどの不自由感もなく,閉じ込められたという閉塞感も持つことなく,ストレスフリーで日々を回せているのではないか。

● というわけで,自分が引退するときにインターネットがあってくれたことが,しみじみとありがたい。ビバ! インターネット!!

2021年2月27日土曜日

2021.02.27 TSUTAYAにて

● 川崎に行くので,自治医大駅で途中下車して「休日おでかけパス」を買った。ついでに,駅前のTSUTAYA(うさぎや書店)を覗いてみた。下川裕治さんの新刊本がここにはあったので,それを含めて2冊ほど購入した。

● 「TSUTAYA 冬のコレクション100」なるPR紙があった。各地のTSUTAYAまでには何度も行っているが,このPR紙がるのは知らなかった。
 映像,BOOK,アート,文具・雑貨,音楽,ゲーム,家電の7つについて,お勧めの商品をPR。インドア派のほぼ全てを網羅している感じね。アートは銀座蔦屋書店,家電は蔦屋家電がもっぱら担当しているらしい。

● TSUTAYAを運営というか統括するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)は,生活提案型の企業としてあまりに有名。提案する内容をモノによって,つまり自社で扱っている商品によって目に見える形にして,消費者にいかがですかと差しだす。
 具体的な形にしなければ,消費者には届かない。わかってもらえない。無印良品も同じことをやっているし,たとえば文具と雑貨の「ANGERS」のようなセレクトショップも同じことをやっている。

● 提案の中身を知りたければ,実店舗に行くしかないと思っていたんだけど,このPR紙によって一定程度はわかる。Webサイトを見ればもっと詳しくわかるのだが,サイトを覗いたことは一度もなかった。
 迂闊といえば迂闊なのだが,CCCの提案内容にさほどの興味があるわけでもないからでもある。感度の鈍い自分には,たぶんピンと来ないものばかりだろうと思っているので。CCCが提案してくる内容の凄さ,さすがはCCCだというところをまったく感得できないだろうと思っている。

● 普段からそういう生活をしていないかららだ。ので,「TSUTAYA 冬のコレクション100」に載っているBluetooth接続のCDプレーヤーを示されても,まるでわからないのだ。
 CDをCDプレーヤーで聴いて何が面白いのかと思ってしまう。リッピングしてWALKMANやiPodで聴いた方がずっと簡便ではないか,と。
 ちなみに申せば,音楽の視聴方法のアナログ回帰も,ぼくの理解の外にあるものだ。何で今さらレコードなの,カセットテープなの,ってなもんだ。レコードをターンテーブルに載せて,注意深く針を落とす。その儀式性に何の感興もわかない。この分野はデジタル化を究めていくのが最善だと思っている。

● CCCが提案するライフスタイルの核心はこの儀式性にあるのではないかとも思ったりする。儀式性に感興がわかないタイプの人間は,洗練から最も遠い位置にいるのかもしれない。

2021年2月4日木曜日

2021.02.04 占い

● 占い師に運勢を見てもらった。トナリエ宇都宮の地階にある「真実の口」という占い師ね。人じゃなくて機械。
 女子高生とかがタムロしているので,けっこう恥ずかしかったんだけど,「真実の口」に左手を入れて見てもらいましたよ。

● こんな感じでした。
あなたは才能や性格などについての自己分析能力の持ち主です
愛情はあなたにとって感覚的な喜びをいつも分かち合うといったものでなくてはなりません
あなたは思春期あたりからずっと何か物足りなさを感じ続けています
● 当たってますよ。ただ,これは誰にとっても当たってるでしょうねぇ。誰だって自己分析はするだろうし,愛情とは分かち合いなのだし,自分が盤石だと思っている人なんかいないだろうから。
 当たる占いってだいたいそういうものでしょ。具体的な情報には乏しい。逆に,具体的な指針になるような結果を出す占いは,あまり当たらない。そんなものに従って動くと,ロクなことにならない。

● この占い代は100円。寺院の御籤よりは良心的でしょう。あからさまな印刷じゃないところだけでもね。
 占いって,機械に合ってるような気がする。近い将来は,AIという機械がやるものになるのじゃないかと思う。
 ほとんどの占いはプログラミングできる。というより,プログラムに向いている。なら,人間よりAIの方が上手くやる。