● 川崎には何度も行っているが,いつもミューザにしか行かない。あとはLoFt川崎か駅ビル「アトレ」に入っている書店で文具を見るくらいだ。
東口つまり川崎の旧市街(?)に出たことはない。が,今回初めて,そっち方面を歩いてみた。
● 川崎というと,どうしても持ってしまいがちなイメージがある。歓楽,風俗,ダフ屋といった言葉に代表されるイメージだ。
で,歩き始めると,そのイメージはあながち間違いではなかったのかもと思えるシーンが展開する。ホームレスにも出くわすし,安そうな飲食店が続くエリアもある。新宿と池袋を足して2で割って,3倍に薄めた感じ?
● 都市はカオスを抱えていなければいけない。カオスのみでは困るが,カオスを抱えていて欲しい。 若者がタムロしていなければならないし,失業者も都市の景観の重要な構成者だ。不本意極まる人生を自分は生きているという人が多くいるに違いないのだが,それも都市には不可欠のエレメントだ。無責任な第三者的見方にすぎないわけだが。
赤坂や白金台のような高級エリアはそのカオスがまったく足りないから,歩いていてもあまり面白くない。対して,川崎の街のたたずまいは,ぼくには好ましいものとして映った。
● 市役所前の通りをズンズン行くと,稲毛神社がある。さほど大層なお社ではないのだが,ここでも桜が満開で,穏やかな空気が流れている。
市役所の先には裁判所や検察庁があり,その先には大きな体育館や音楽ホールがあり,なんと道路を挟んだ対面には競輪場がある。おぉぉ,川崎だぁ。
待て待て。競輪も芸術ではないか。いや,芸術ではないかもしれないが,エンタメという並びでは同じものではないか。音楽ホールの対面に競輪場があるのは,別に不自然でもないのかも。
● 雨が降って来ちゃったよ。ビルの軒下で雨宿り。
雨の中を行き交う人たちを見るのも,雨に濡れるビル群も,それなりに風情はある。自然の絶景だけが見ものというわけではないのだ。
● と思いながら駅に戻ってきた。構内にあった八王子ラーメンのスタンド「直久」がなくなって,「いろり庵きらく」になっていた。
これでいいのか,ここのラーメン,けっこう旨かったんだけどね。
● ぼくは,横浜よりも川崎に圧倒的に居心地の良さを覚える。上野東京ラインができて川崎が近くなったのは,ぼくには相当な福音。
上野東京ラインって,開通前は自分には関係ないと思っていたけども,とんでもなかった。川崎に乗換なしで行けるようになったのと,新橋に停まるのは,ほとんど神の如し。
● 南武線は川崎を縦断する路線なのだが,ローカル線の趣が濃い。川崎は南北よりも東西の動きが大きいのだろう。多摩川の向こうは東京,西隣が横浜。市としての求心力,完結力が川崎の街にあるとは正直思えない。川崎都民が多いはずだ。
が,それで何か困ることがあるのかといえば,たぶん,なさそうだ。そういう発想をしてしまうのは,現行の自治制度を前提にしてしまうからだ。
● 朝,ロビーに行ってみると,ホテルは眠らないことが実感としてわかる。自分にホテルスタッフが務まるかといえば,自信がない。
● ホテル内の「四川」で朝食。ここでもロイヤルパークと比べてしまう。ロイヤルパークのラウンジの朝食(和食)は,品数は少ないものの,いいものが並んでいる。こちらは品数は圧倒的に多い。
どちらがいいかという話だ。いくら品数が多くても全部を食べるわけじゃない。とはいえ,品数が多いことのアドバンテージもある。
「四川」の場合は,ハラールコーナーに
あるひよこ豆のカレー。これが旨いんである。自分以外に食べてる人がいなかったのは不思議である。次はこのカレーだけをたらふく喰ってやろうかと思った。
● 食後は庭園を散歩した。チリひとつ落ちてない。わが別荘は,すべてにおいて完璧である。
散歩の後はサウナ。優雅なものだ。前後に休憩室で週刊
誌を見るのが楽しい。寝そべって週刊誌を見る。
2時間近くいたのに,サウナに入っている時間は15分に満たない。サウナの不思議。
● そうこうしているうちに正午になった。ラウンジに行ってしまう。帰る前のお茶と洒落こみたいのだが,この時間帯には肉まんや焼きそばがあるので,食事になってしまうのだ。もちろん,ありがたいことなのだが。
シェラトン都,久しぶりだったけど,いいホテルだと思った。まとめておこう。
1 部屋の掃除に抜かりが(あまり)ない。
2 ロビーでくつろげる。
3 館内の空気が柔らかい
4 東洋系外国人の生態を観察できる。
● 地下鉄で白金台に。久しぶりになるのだが,東京の別荘すなわちシェラトン都に泊まることにしている。
最近はもっぱらロイヤルパークに軸足が移っていて,シェラトン都は別荘ではなくなってきてるんだけど,目黒通りの光景もホテル内の景観も,すっかり馴染んでいる。懐かしいという感じがしないほどに,既視感に取りこまれているんでした。
● ホテルの敷地入口にある桜も満開だ。こういう季節になった。桜をあと何回見れるだろうかと本気になって思うほど年をとっているわけではない。とタカを括っているのだが,さてあと何回見れるかね。
桜が咲き誇っている様は理屈抜きにいいものだと思うが,桜の下で酒を飲むという嗜好はぼくにはなくて,花見というのはもう何十年もやったことがない。
● 相方はすでに到着していた。ぼくもLINEは使っているが,そのLINEで友だちになっている唯一の人物が相方だ。電話は嫌いでめったに使うことはないのだが,プライベートでは相方にしかかけない。それもLINEの無料通話ですむ。ぼくのコミュニケーションはLINEに支えられている。
で,ここでもLINEでやりとりをしたわけだけど,2階のラウンジにいるというので,ラウンジで合流した。
● けっこう長くいるらしい。なぜかというと,部屋がまだ用意できていないらしいのだ。そのまま,カクテルタイムに突入した。
部屋の用意ができていなか
ったのは,ホテル側の落度ではなくて,予約時に相方が付けた注文が通っていなかったので,ホテル側が修正を申し出た結果。12階を希望していたのに11階の部屋が用意されていたらしい。
でもって,予めホテルが用意した部屋の方が良かったようだ。つまらぬ注文は付けぬが吉,ということ。11階か12階かなんてのは,どうでもいいんだからね。
● その部屋,1254号室。スイート。この部屋には何度か泊まっているから,やはり既視感がある。帰ってきたという感じがする。
文句なしに快適だ。これなら長期にわたって住むこともできる。それができるだけのお金が自分にあればなぁと思わぬでもない。
● スイートになぜ泊まれるかというと,安かったから。5万円で少しお釣りが来る。かなり前に相方が予約をしていた。1週間前には10数万円になっていたらしい。それを知ってウシシと喜ぶのも,育ちの悪さを表すもの。
今夜はロイヤルパークの普通の部屋でも5万円では泊まれないらしい。ぼくらにとっては安さが正義。で,安いプランを見つけるために労力を惜しまないのが相方の流儀というわけなのだ。
● 桜は満開なのだが,今日は肌寒い。ホテルの庭園を少し歩いてみたが,小雨がパラついてきた。
● 今回はChromebookを抱えてきた。宿泊を伴う外出の際に持ちだすために買ったんだけど,2,3度持ち歩いただけで,使わなくなった。
理由はスマホで足りるから。スマホに折りたたみ式のBTキーボードがあれば,パソコンを持ち歩く必要はないという結論に至った。最近では,BTキーボードも要らないとなって,スマホ単体ですんでしまっている。Twitterにメモ代わりのtweetをするだけなのでね。スマホ単体で実際には足りちゃう。
持ち歩かなくなったもうひとつの理由は,スマホをつないだときに,スマホで撮った写真のサムネイル表示に時間がかかりすぎることだ。スマホはAndroid。AndroidとChromebookは相性がいいはずだと思うんだけども,ここは何とかならないのかと思うところだ。
● なのに,今回,Chromebookを持ってきたのは,夜も部屋から出ずにAmazonプライムビデオを見ようと思ったからだ。
せっかく東京にいるんだから家でやっているのと同じことをしてもつまらないと長らく思っていたんだけど,同じことを場所を変えてやるのも楽しいものだと思うようになった。
けど,結論からいうと,Amazonプライムビデオを見ることはなかった。ホテルからは一歩も出ないで過ごしたけれども,プライムビデオは見なかったよ,と。つまり,無駄になったってことですね。
● シェラトン都とロイヤルパークを比べた場合,ロイヤルパークが明らかに勝っているところが,少なくとも1つはある。ラウンジに幼児が来ることを事実上認めていないところだ。
今回も小さな子供を連れてラウンジに来ている夫婦がいた。外国人にも同様な例はあるのだが,どういうわけか外国の子供は静かだ。日本人の子供は騒ぐ。理由はわからないが,どうもそういう傾向がある。
これはやはりイヤなものだ。静謐を破るからだ。
● もっとも,静謐を破るのは子連れに限らない。隣に東洋系外国人の夫婦(たぶん)がいた。夫の方がスマホでキンコンカンコンと音を立てていた。
うるさい,このボケッ,静かにしろ,と怒鳴りつけてやろうかと思ったのだが,ちょっと強そうなヤツだったので思いとどまった。
● ラウンジの価値は静謐にある。静かにしてるんだったら,パソコンを持ちこもうが居眠りをしようが,何をしたっていいと思う。
が,静謐を破る行為はすべて悪だ。大声での駄弁りもダメだ。これができないヤツもけっこういる。
カクテルタイムにはアルコールが入るわけだが,大声になってしまうほどに飲んではダメだろう。居酒屋じゃないんだから。
● が,ラウンジの使用料は宿泊料に上乗せされているものの,居酒屋より安いかもしれない。ゆえに(と,つないでいいのかわからないが)大衆が集まってしまうのだ(おまえが言うな)。ひょっとすると,日本には大衆しかいないのではないかと思うほどだ。
シェラトンクラスのホテルだからそうなのだろうか。超の付く高級ホテルになると,また違うんだろうか。
● いったん引きあげて,部屋の風呂に小1時間。喉がかわいたので,寝る前にまたラウンジに言ったんだけど,今度は高齢のカップルが目立っていた。男は70代。後期高齢者になっているかもしれない。女の方は50代後半か。どういう関係なのか。会社の役員と秘書? 夫婦でないことは明らかだが,愛人というふうでもない。
ホテルのラウンジにいるのだから,今夜は泊まるのだろう。不倫だろうと何だろうと,そんなのはかまわない。自己責任で好きにすればいい。ひょっとすると,妻に先立たれているのかもしれないし。
● しかし。うるさいんだ,おまえら。完全に2人の世界に入ってしまって,周囲があることを忘れている。
居酒屋ならそれでもいいのだ。居酒屋はそういうものだと思って,お客も店に来るし,店側でもそれを前提に構えを設えている。最近は半個室が流行りだ。
が,ホテルのラウンジでこれはダメだろ。いい年こいて何をしているんだ? バカなのか,おまえら。部屋で騒げ,部屋で。
● でもね,70代になっても50代の女性に付き合ってもらえるとはなぁ。彼女は立場的に付き合わざるを得ないのかもしれないけれども,それにしたって羨ましい話だ。頑張れ,ジジィ。
ま,こういう光景を見れるのも,ホテルに泊まる余録の1つなんだよね。仕事でいつもこれを見なくちゃいけないとなると,余録じゃなくなるだろうけどさ。
● 錦糸町には何度も来ている。駅前のカプセルホテルに泊まって,錦糸町から東武スカイツリー駅まで歩いたこともあるけれど,基本,駅の近辺しか知らない。
その近辺も当然ながら隈なく知っているわけではない。目下,それで困らない。錦糸町で用があるところは限られている。
● とはいっても,できれば点を線にして線を面にできれば,それにこしたことはない。今回,そのように動いたわけでもないんだけど。
ここでも区界を頭に入れるのが難しい。錦糸町は墨田区だけれども,お隣の亀戸は江東区だ。錦糸町駅の南口を出て少し歩くと,やはり江東区だ。区界なんてどうでもいいとも思うんですけどね(たぶん,昔の人が便宜的に決めたんだろうから)。
● 墨田区っていうのは,都内で最も美人比率が高い区だと思っているんですよ。江東区とは一衣帯水の関係だと思うんだけど,墨田区の方が美人が多い。
もちろん,向島芸者云々という故事来歴とは関係ないと思う。東京で代々同じ場所に住んでるってこと自体,あまりないと思うしね。というわけで,どうしてかわからないんだけども,墨田区は美人比率が高いように思える。
● 錦糸町に出るときにもずっとJRを使っていた。が,数ヶ月前に久喜で東武電車(半蔵門線直通)に乗り換えると楽に行けることを発見(?)した。JRよりいくらか安くなるうえに,乗換が1回ですむ。
JRだと上野,秋葉原で乗り換えるか,東京駅で総武線の地下ホームに降りていく鬱陶しさを我慢しなければならない。久喜で乗り換えてしまった方がずっと安直だ(栗橋で乗り換えてもいいんだけど,これだと乗換えが1回増える)。
● 錦糸公園にさくら祭りの看板が出ていた。写真には撮ったけれども,中に入っていくことはしなかった。そのときは中に入るなど思いもしなかったんだけども,今思うとそこが自分のダメなところかなぁ。
野次馬精神の不足。野次馬精神とは好奇心の別名ではないか。好奇心とは読んで字のごとく,奇を好む心だ。自分にとっての奇を排除してしまっては,世界が縮まるばかりだ。
というか,排除するまでも行かない。奇を感じないわけだから。野次馬になるよう自分を駆りたてることは,ひょっとすると自分にとっては最大の課題かもしれない。
● 錦糸町駅前の吉野家。ひとりで東京に行ったときに入れる店は,吉野家が富士そばのいずれかだ。あとは怖くてダメだ。
で,東京で吉野家に入ると,宇都宮と値段が同じなのが,奇妙なことに思えてくる。あたりまえなのに不思議な気分。地代がだいぶ違うはずなのに,価格が同じなんだからね。その分,回転が速いんだろうかね。
で,ぼくのように外食は吉野家か立食いそば,着るものはユニクロだけっていう暮しなら,都会の物価は決して高くないと思うんだよね。唯一,家賃だけだ(それが大きいわけだが)。
都会に住めば公共交通機関だけで動けるし(車を持つ必要がない),なんだかんだで安あがりのような気がするんだよなぁ。
● 都会に住んだことがないので。元日に玉ノ井を歩いてみたんだけど,古い木造アパートがあって,空き室アリ枡の貼り紙があった。ここなら4,5万円で借りられるかねぇ。
ここに住んで,時々,近くのスナックに飲みに行く。そのスナックは婆さんがひとりでやっていて,その婆さんと茶飲み友だちのようになる・・・・・・という昭和レトロな暮らしを妄想してみたんだけど,まぁ,無理だね。その4,5万円が出せないもの。
● ま,錦糸町や墨田区に限らず,東京は時々遊びに行くところだね。その方が東京の魅力が色褪せないだろうしね。
● 相方と氏家の「むらかみ」。1,100円のランチ。タレはレモン汁+塩。ずっとこれ。白いご飯に合いますなぁ。
焼き肉でビールはもちろんありなのだが,ぼくは白いご飯に合わせるのがベストマッチだと思う。
● 1,100円で贅沢気分を味わえる。この内容だと昔なら5,000円はしたような気がする。お金が使いでのあるものになっている。
しかし,トンチンカンなことを言うかもしれないのだが,供給側は大変でしょ。これだけ安く提供する秘訣ってのは何なのかね。素人にはわからない何かがあるんだろうかね。
● 安くするには人件費をいかに抑制するかだとぼくなんぞは思ってしまう。正社員を少なくしてバイトでまかなう。バイトの粒をいかに揃えるか。
かといって,人件費抑制のみに突っ走ってブラックの汚名をきた「すき家」の例もある。それ以上に人手不足でバイトが集まらない。集めようとすれば最低限,時給を上げなければならない。このあたりがどうなっているのかとても気になる。
● 人件費から離れると,たぶんアルコールで儲けるのだろうと思う。アルコールを売りたい。しかし,東京ならいざ知らず,このへんで昼から飲む人はいない。お客も家族連れが多い。昼は飲む感じではない。
ランチってのは餌撒きなんだろうか。夜の来店を促すための。ランチ単独で儲けは出ているんだろうか。
● 個(人)対個(人)のやり取りに使っているスマホアプリは,LINEとViber。が,その個というのは,ぼくの場合,両方併せてわずかに2人。個対個のやり取りは煩わしさを生む元凶でもあるので,会社の同僚とか学校の同窓生とか単なる知人とか,そういう人たちとLINEで“つながる”つもりはサラサラない。
ではあっても,個対個のコミュニケーション・ツールとしても,スマホってほんと便利だね,と今更に言ってみる。
● 即時に届くというのは,電子メール以来,それがあたりまえになってしまったから,別に何とも思わないで使っているけれども,とてつもないことですよ。
惻隠の情を届けたり届けられたりするのに,こんないいものはありませんよ。
● しかし,便利でハードルがないに等しいほどに低いから,つい過剰に使うということがあるのではなかろうか。つまり,つながりすぎ。
気をつけるべきは,ここのところだ。君子の交わりは水のごとし,というのは古今を問わず真理であって,濃すぎる交わりは忌むべきもののひとつだ。
● つながりの数が多すぎるのもよくない。LINEの友だちが多すぎる人は,相当な時間を棄ててしまっていないかどうか,顧みた方がいいのではないか。中小企業の社長が仕事に使っているという場合を除いて,LINEの友だちはいいところ30人ではないか。
FBのMessengerを使っている人も多いと思うが,ぼくには無用のもの。グループ機能など必要を感じたこともない(個対個でやり取りする相手が2人しかいないんだから,それが当然なのだが)。
● 通話も Viber out ですませている。電話って年に数回しかかけないから,通話SIMは要らない。3大キャリアもMVNOも通話料が利益の源泉のようで,通話SIMの利用が端末割引の要件だったりする。が,ぼくのような人間には電話などそもそもが不要だ。
が,水のごとき淡いつながりしか持たなくてすむのなら,多くの人とつながってみたいとは思う。
● でも,ま,淡いつながりというのは,“つながっていない”に限りなく近いもので,そうであるなら,現状ですでにその状態は実現されているとも言える。
● Facebookはやめたけれども,Twitterはやめられないでいる。なぜやめられないかというと,Twitterでtweetするのは,相手のいない雑談をしているような気分だからだ。
ぼくの場合,仕事を完全引退すると(ひょっとすると1年後かもしれない),話相手は配偶者だけでになる可能性が高い。リアルの話相手はそれで充分だと思うが,配偶者では話相手にならない話題をtweetする。そういう効用がある。
● Twitterは独り言をつぶやくのに適したネット上のツールで,今のところ,これは手放せない。
独り言といっても,tweetするのは虚空に向かって言葉を発するのとはだいぶ趣を異にする。どこの誰かは知らないけれど,何人かには届いているという実感が持てる。
● Google+はサービスをやめ,FBもひょっとしたらその後を追うのではないかと思わないでもない。近い将来の話ではないが,いずれそうなりそうな。
先駆者の若い人はあらかたやめているだろう。次は中高年が去って行く番だ。文化は若者から発祥して,それが上の世代に浸潤していくものだとすれば,FBを始めるのもそうだったように,FBをやめるのもまた,これから上の世代に浸潤していく段階だと思えぬでもない。
● Instagramにはぼくは興味がない。芸能人がファンサービス・ファン獲得に使うにはいいかもしれないと思うが,始める人はすでに始めていて,ここから先さらに大幅にユーザーを伸ばすことにはならないと見る。
FBに続いて衰退に向かうのではないかと推測する。インスタ映えという言葉は半ば死語になっている。今,この言葉を使うのは少し恥ずかしくないか。
FBもInstagramもアカウントはそのままにしていて,事実上使うのをやめている人がかなりの数いるのではないか。主催者発表の数字は大本営発表であるというのは,この分野でも同じだろう。
● マストドンもひと頃騒がれた後,どうなっているのだろう。500字まで投稿できるといっても,500字もあったのでは,そもそも読む対象から外されてしまうのでは。長い文章は本で読めばいいので,SNSではなかなか。
500字を書くくらいなら,もうひと踏ん張りして,ブログにした方がいいような気がする。ブログなら長いものだと読む側も思っているだろうからだ。マストドンはSNSとブログの鵺的な存在という印象。まったく使ったことのないままで言っているわけだが。
● 結局,残るのはTwitterだけのような気がする。140字という字数制限(といっても,140字といえば400字詰め原稿用紙で7行分。けっこう長いのだ)と無言フォローで問題ないというのが,Twitterの生命線。つながりとも言えないかすかなつながりが,Twitterの空間に広さと開放性を与えている。
FBには濃密感があって,これが鬱陶しい。LINEもおそらく同様だろう。鬱陶しいのはリアルだけでたくさんだ。
● で,このTwitterが娯楽にもなり得る。こちらの気持ちが落ちこんで活性度がかなり低下しているときでも,Twitterなら使える。
それゆえ,放っておくと始終Twitterに触っていることになりかねない。その取扱いには工夫と克己が必要かもしれない。
が,FBはアカウントを消してだいぶ経つけれども,Twitterは当面持続という方向。