2019年11月7日木曜日

2019.11.07 ネットの光と影

● 日清どん兵衛とサントリーオールドの昔のCMをYouTubeで見て,ほっこりしている。昨夜は,AKB48や昔の懐メロを続けて聴いて,良い気分になった。
 こういうものをまとめて見れるのも,ネットの恩恵。いや,便利な時代を生きている。

● ネットのおかげで,お金を使わないでできること,楽しめることが格段に増えた。YouTubeで無料で見られる映像は無限にあるわけだ。
 その中には,たとえばベルリン・フィルハーモニーのライヴも含まれる。娯楽から文化教養まで,バラエティは豊富すぎるほどだ。
 映画だって,年額4,900円を払ってAmazonのプライム会員になれば,最新の映画を除けばほぼ見放題だ。一生見続けても,見られるのはごく一部にとどまるだろう。飽きる前に寿命が尽きるだろう。

● デフレなんだからモノに対してお金の価値があがるはずなのだが,ネットがそこを帳消しにしている。お金がなくてもできることが増えるというのは,お金の価値を下げることでもある。
 お金がないからというのが言い訳にならない時代になりつつある。ある意味,救いのない時代だ。能力,才能,器量の有無があからさまになって,自分に対する言い訳を拵えることも難しくなってきた。

● パソコンもインターネットも,エリートではなくて弱者のためという触れこみで普及していった。役所や大企業のコンピュータールームに鎮座まします権威の象徴のようなでっかいコンピュータじゃなくて,誰でも使える小っちゃいやつ。
 実際には,パソコンもネットも能力格差を拡大する役割を果たした。能力のある人はネットとパソコンを使って,いっそう影響力を大きくするが,そうじゃない大多数の人は,Twitterやブログを与えられたところで,誰にも読まれないゴミの山を作るのがせいぜいだ。

● しかし,その大多数の人たちに対してでさえ,ネットはマネーセービング効果をもたらしたと思う。お金がないというのが言い訳にならないのと同時に,お金に振り回される度合いを小さくしたことはたしかではないか。
 お金がなくても楽しく生きられる。それはあまりに小さくまとまった楽しさかもしれないけれども,人間にはそれが分相応なのだという言い方もできるだろう。

2019年11月4日月曜日

2019.11.04 ステーキいづつや長岡店で爆食する

● ステーキいづつや長岡店に来たよ。食べ放題メニューから絶対食べたかったのが,これなのね。スタミナうどん。
 ステーキ屋さんのモツ煮ね。でも,牛ではなく豚モツですよ。そのモツ煮でうどんを食べる。モツ煮にダシ汁を加えてね,そこにうどんをつけて・・・・・・

● 当然,お代わり。で,2杯目はうどんに直接,モツ煮を載っけて。どちらが旨いかといえば,2杯目の載せる方式の方が旨い。
 つけ麺方式にするには,もう少しモツ煮が熱くなっている必要があるでしょうね。モツ煮だけを食べるんでも,もう少し熱い方がいいかもしれない。このあたりは,人それぞれの好みがあるんでしょうけどね。
 豚汁もある。これはこれで旨いんだけど,でも,これでうどんって気にはならない。

● そうこうするうちにメインの肉料理が来たよ。一番安いハンバーグ(1,580円)にしたよ。
 食べたいのはサイドのバイキングの方だから。でも,ハンバーグも旨いもんでね,ご飯と一緒に全部喰っちゃってさ。
 はい,これで2人分以上の炭水化物を体内に投入したことになるね。しかも,凄い勢いで投入しているから,血糖値は急激に上がっていると思いますなぁ。

● 次にトマトをドッサリ喰ってさ。これを2皿喰ったんだから。相当なものでしょ。こ
の時期にトマトがあるっていうのもどうなのよっていう気がしないでもないんだけど,どうであろうとトマトがあるんだから食べないわけにはいかないよ,と。
 さらに,前回はパスしたシモツカレ。シモツカレを食べるのは,20年ぶりか30年ぶり。記憶にあるシモツカレ
はもっと粗野なもの。粗野ゆえの強さと主張があったような。そこから臭みと尖りを除くとこうなるか。上品なシモツカレということだね。

● パイナップルのチョコフォンデュもあってね。相方によると,昔,まだ小さかった
息子を連れて東京の某所を歩いていたら,チョコフォンデュの店があって,でもセレブ族というかハイソ族というか,そういう人たちのたまり場のようで,自分が入るのは躊躇われた,と。食べたそうにしていた息子を我慢させた,と。
 そのチョコフォンデュが今はこういう大衆的な店でいくらでも食べられる。パイナップル,バナナ,フランスパン。お好きなものでどうぞ。

● 最後はこんなので締め。でね,ホテルのバイキングよりいづつやの方が,ずっと実があるなぁと思ったんでね,相方にどう思うって訊いてみたんですよ。
 そしたら,私はホテルの方がいいわ,って言うんでね,感じ方は人それぞれだなぁと思ってたことでしたよ。

● ほんと,大衆的な店なんですよ。良くも悪くもね。自分たちのことを棚にあげて申せば,隣のテーブルのご婦人2人は,親戚だか知り合いだかの人をあげつらっているわけですよ。思いだしたように,丁寧接頭語の“お”を付けてみたところで,育ち悪いなぁこいつら,と思うわけですよ。
 でもね,人間はだいたいそんなものでね,お互いそんなに変わらんわなぁと思いますよね。

● こちらもね,モツ煮だのうどんだの,安いもので腹を満たすのを好むっていうのは,そういうふうに育ってしまったっていうことでね,今さら修正のしようがないからね。
 2,3ヶ月に一度は,またここのモツ煮とうどんを食べに来たいものだよ。いやいや,今度はモツ煮だけを食べようか。うどんは普通に汁をかけて天ぷらを載せようか。
 つまり,天ぷらもあるんですよ。これには手を付けていないんで,次はどうにかね。あとカレーもあるんだよねぇ。いつか食べなくちゃなぁ。

● メインの肉料理はいらないかね。メインなしでバイキングだけ注文することもできる。1,280円。そこに300円足すとメインのハンバーグが出てくるという。もっと足すとステーキが出てくる。
 だったらハンバーグも食べたいというのが相方の意見で,それにはぼくも賛成する。

2019年10月31日木曜日

2019.10.31 氏家の「みやこ家」

● 相方にせがまれて,氏家の「みやこ家」。今回は,まぜそば(並盛)とご飯。まぜそばを食べて,残った具をご飯に載せて食べる。このご飯が旨い。
 というわけで,この食べ方はこれまでにも何度かやっているのだ。

● でも,これは今日を限りにやめることにした。歳を考えろってことだ。こういう食べ方を年寄りがしてちゃダメだ。身体が持たない。糖尿一直線だ。
 いや,本当だ。炭水化物の摂取過剰もいいところだ。今日より以後は,「みやこ家」でご飯ものを食べることは考えないことにしよう。麺オンリーにする。

● いやほんとに,今回の収穫は自分の老いを知らされたことだ。かつてはつけ麺の特盛りまで完食したことがあるのだ。さすがに,今は食べてみようとは思わなくなっているので,自分も歳を取ったのだなと思ってはいたのだよ。
 が,今日,このままの食生活を続けていたら,とんでもないことになるかもしれないと腹にズシンと来た。

● しかし,これを善転するきっかけにしないとね。要は,消費カロリーを増やさないといけない。昨年5月から中断している自転車を再開しないとなぁ。要は自転車が事故車になっているわけで,そこから手をつけていかないといけない。
 そんなところまで考えさせてくれる,今日のまぜそばとご飯でありました。

● ところで,まぜそばの麺は平打麺だった。先日の“みやこ家若大将”(つけ麺)の麺は極太でも平打でもなく,もっと細めの麺だったのだが,平打麺は健在だったということ。

2019年10月29日火曜日

2019.10.29 GoogleとiPad

● 書店で買おうかと思った書籍が2つある。ひとつはGoogleサービスの解説書。数年前にサラッと読んだことがあるんだけど,こういうものはアップデートしていかないとね。
 何だかんだいって,パソコンでもスマホでもGoogleへの依存度が最も高い。検索エンジンはGoogleだし,スマホはAndroidなんだから,自動的にGoogle命になる。

● Googleには日々お世話になっている。ありがたいことだ。となれば,Googleが提供しているサービスについて承知しておくことは必要だ。
 現状でともかく使えているものだから,それで良しとなりがちなのだが,もっと楽にもっと便利に使えるものを,知らないがゆえに意識できずに我慢していることが,けっこうあるかもしれない。

● 特に,最近,気になっているのがGoogleカレンダーだ。来春,仕事を完全引退するのを機に,手帳を紙からデジタルに替えようかと思っているからだ。忙しい人は紙の手帳の一択だろうけれども,暇人はデジタルでOKだ。
 時刻目盛りに関係ない覚書を残しておくことができるかどうかを知りたい。ジョルテのような手帳アプリを入れればできるのだろうけども,それをやると広告が表示されてしまう。Googleカレンダーのみでやりたい。
 あと,同一月日を過去3年分とか5年分を並べて表示できるか。そういうことを知りたいわけだ。

● もうひとつはiPadの取説。従来,iPhoneとiPadは同じiOSで動いていた。が,9月にiPad専用のOSが出たらしいのだ。iPad0S13というらしい。
 それによって,iPadの使い勝手が大きく向上し,MacなしでもiPadだけでかなりことができるようになったとの触れこみだ。

● 最近,相方がiPad Pro を買い,間を置かずにiPad mini に乗り換えた。Proはあなたのために買ったのよなんぞと言い始めている。
 俺のために? だったら買う前に俺に言えよ,ってなもんだが,ということなのでiPadがちょっと気になっているのだ。

● でも,正直,iPadにはあまりそそられていない。自分でも2台のChromebookとWin10のタブレットPCを扱いかねているのだ。
 ありていに言うと,使わないのに買ってしまったのだ。なぜそうなるかといえば,自分を過大評価するからだ。それらをバリバリ使って生産性を上げている自分をイメージしちゃうからなんだよなぁ。
 ま,そういうわけだから,iPadを引き受けても,たぶん使いようがないはずだ。

● いまどき,スマホであらかたできちゃうでしょ。スマホを入力マシンとしても使いたいのなら,BTキーボードを用意すればいいだけでしょ。
 モバイル用のノートパソコンやタブレットは要らないということに,ようやっと気がついたよ。

2019.10.29 昭和人間,Suicaの人になる

● 百周遅れ。最寄駅の自動券売機でSuicaカードを買って,Suicaの初利用。
 「青春18」とか「休日おでかけパス」といった,トクトク切符しか使わないから,Suicaなんか要らないと思ってたんだけど,チマチマと短距離を電車で移動してたんでした。

● バスカードは5,000円のを買うと5,700円分乗れたんじゃなかったっけ。Suicaの場合はどうなんだろ。間違いなくあるのは時間節約効果。この節約効果だけでもかなり大きいんでしょうね。しょっちゅう,乗る人はね。
 問題はチャージの残金がいくらなのかわからないこと。ピッとやるときに残額が表示されるんだろうけどね。あんまり見ない人が多いと思うわな。

● 相方は以前からSuicaを使っていて(電車に乗る頻度はぼくよりずっと少ないはずだが),東武鉄道でも東京メトロでも使うことができることを彼女から聞いていた。SuicaはPASMOエリアでも使用することができるってことですね。
 そんなこともSuicaを使ってみることにした大きな理由。本当はスマホのモバイルSuicaにしたかったんだけども,ぼくのスマホはお財布ケータイに対応していないので,それができない。

● キャッシュレスの流れに乗っていきましょうということなんだけど,チャージの手間を省ければもっといい。モバイルSuicaならそれができるわけだが。
 とりあえず,3千円を投入してカードを入手した。2万円までチャージできるらしいので,帰りに限度までチャージしとこうと思った。が,任意の額をチャージすることはできないのね。1万円とか5千円とかチャージできる額が決まっているんだ。何だこれ,と思ったんだけど。

● あと,ぼくの最寄駅から宇都宮駅までは240円なんだけど,Suicaだと242円になるのね。こういう逆転現象も起きるわけだ。
 困るのは,この240円の利用が頻度的には最も多いってことだな。ま,うまく付き合っていこうと思う。

2019年10月28日月曜日

2019.10.28 八千草薫さんが亡くなった

● 八千草薫さんが亡くなったとTwitterで知った。彼女の主演映画やTVドラマをそんなにたくさん見たということはない。 
 記憶する限り,2017年の2月3日に日テレの金曜ロードショーで見た「ツナグ」が直近になる。

● 自分が勝手に抱いている八千草薫のイメージというのは2つあって,ひとつは絶世の美女ということ。この世のものとも思えない整った容姿の美しさ。異論は認めぬと言いたいわけだが,そもそも異論なんて出るわけもない。
 その中でも右の写真は忘れることがない。あまりの美しさに呆然とする。「蝶々夫人」ね。DVD持ってるもんね。

● 入手したのはもうだいぶ前。で,まだ見てない。結局ね,「蝶々夫人」は何度か舞台で見ていてね,ストーリーは知っているし,ここでこういう台詞を言うというのもわかっているわけで。
 じゃあそれを八千草薫はどうやっているのかを確認してみようということになっていない。
 映画だからね。1955年。さすがのぼくもまだ生まれていない。歌はもちろん口パクでしょうね。

● イメージの2つめは,美人なのに敵が少なそうな印象ってこと。実際は知らないけれど,印象はそう。どうしてそういう印象になるかというと,やはり理由は2つあって,ひとつは“整った”容姿の美しさによる。
 美がとんがっていない。全体として整っている。整っているから落ち着いている。無闇に他人を刺激しない。

● あまり自分を主張しない性格のように見受けられたことが,理由の2つめだ。環境に合わせるタイプのように思われた。他人と対立することによって自己を際立たせようとするタイプとは対極にいた人。
 要するに控えめってことなんだけど,とはいうものの,舞台や映画を作る側の人なのだから,しかもその仕事を長くやってきたわけだから,自分の演技論がないはずがない。けれども,自分の演技論に過度に縛られる愚かさからも自由でいた人のように思える。

● 女性の美貌なんて年齢とともに衰え,40歳になると横一線になる。そこからは中身の勝負だなんて書いてある本を読んだ記憶があるんだが,嘘こきやがれ。まったくそんなことはないわいな。美しい人は老いてなお美しいんだわ。
 もっとも,「老いてなお美しい」を維持できたのは,やはり女優を貫いたからでしょ。見られる側に立ち続けたこと。見る側は勝手なこと(しばしば的外れなこと)を言うけれども,それを含めて「見られる」を引き受けたこと。

2019.10.28 学び直し

● 学び直しという言葉がある。その際,放送大学,大学院の学生になるというのは,最も手を出しやすい選択肢だろう。
 が,22歳で就職したとして,30代で学び直す,40代で学び直すのはあるかなと思うのだが,還暦を過ぎての学び直しは基本的にない。

● 第一,学ぶというときに,人の話を聞く,教科書を読む,学校に通うと発想してしまうようでは,いささかいかがなものか。学び=座学,と考えてしまう時点で,やや前時代的かなぁ,と。
 もちろん,座学を楽しいと感じる人が一定割合でいる。そういう人はやったらいい。楽しいんだから。

● が,老いて学ぶのは世間的に評価されることだ,やるべきだという,べき論から入ってしまう人は,度しがたいバカに数えて差し支えない。
 還暦過ぎの爺や婆に金持ちはいるかもしれないが,時間持ちは一人もいないはずだ。まもなく死ぬのだ。我慢して何かをする時間などないはずだ。
 楽しいと思うこと以外はやってはいけないと律することが必要なのでは。座学に向かうのは誰でもできるが,ここを律するのはかなり難しい。難しい方に挑戦するべきではないか。

● むしろ,今まで学んできたことを外に出すことに意を用いた方がいいと思う。自分は何も学んで来なかったと言いたくなるだろうが,そんなことはない。意識していなくても相当なものが貯まっている。
 それを何らかの形で外に出した方がいい。論文とかエッセイとかいう堅苦しい言語表現ではなくとも,表現の方法はあるだろう。

● 世間や社会に受け入れてもらえそうな一般経験,他者と共有できる範囲が大きい経験,は外に出すに及ばないかもしれない。そうではなくて,これは自分の胸に収めておきたいと思うようなものを棚卸しすると面白いのではないか。
 そのまま出しては差し障りがあるだろうから,そこを巧く料理してサラッと差しだす。その方が放送大学や社会人大学で“学ぶ”よりもよほど高級だと思う。

● あるいは,自分(だけ)の好みを徹底して追求してみること。世間や他人からの評価はどうでもいい。つまらない,取るに足りない,と思われるようなことでいいのだ。それでいいというより,その方が望ましいのだ。
 それを追求していって,その結果をアウトプットする。そっち側に行くべきではないか。還暦を過ぎてまで,自分の外に評価基準を求めているようでは情けないと喝破すべきだ。