2019年1月13日日曜日

2019.01.13 また,ロイヤルパークに宿泊 2

● 絶品朝食。といっても,蒲鉾や沢庵をホテルで作っているわけではないだろう。ホテルでは切るだけのはず。
 ではどこで買っているのかといえば,地元の業者からに違いない。少ない品数でこれだけの豊穣さを作りだせるのは,日本橋の力か。
 ホテルで作っているであろう味噌汁も旨い。塩分をどんどん取ろうという気になる。知ったこっちゃないやね,そんなもの。
 食後の漬物が口を洗ってくれる。漬物はデザートであることを実感する。
 ここでは,コーヒーも含めて洋モノは取らないことにした。食後に飲むのも緑茶。

● ラウンジの隣にステーキ(鉄板焼き)の店がある。入口に出ているメニューを見ると,1人3万円のコースが載っている。ステーキだけということはないだろう(酒も飲むだろう)から,トータルで4万円は下らないだろう。2人なら8万円。
 わが家ではあり得ない食事になるのだけども,お客さんが入っていないわけではないのだ。

● 仮に4万円だとすると,ぼくらの宿泊費の約4倍になる。ホテルはこういうところで儲けているのだな。彼らから儲けているから,ぼくらを(ひとりあたり)1万円で泊めることができるのだろう。
 ということは,ぼくらは彼らに養ってもらっていることになる。お客だからとデカい面をしてはいけないなと思ったことだった。

● というかなぁ,今でも局地的にバブルは残っているのだなと思った。たまたま,このステーキ店から出てくるお客を見ることができたんだけれども,堅気という感じは受けなかった。
 ヤクザという意味ではない。普通に真っ当な仕事をしている人ではないような感じというか。会社のお金で飲み食いしているのだろうけれども,その会社がどんな仕事をしているのかわからない感じというか。

● 5階に和食の店がある。その5階には足を踏み入れたことがない。ぼくらが行けるのは,ギリギリ1階の「シンフォニー」にとどまる。
 その「シンフォニー」にも,隣のラウンジバー「フォンテーヌ」にも,けっこう以上にお客がいる。「フォンテーヌ」は庶民目線でもけっこうリーズナブルだから,団体さんの利用もあるのかもしれない。
 ラウンジの食事の水準から察するに,食についてはこのロイヤルパークはアピール水準が高いのではないかと思っている。

● こうしたレストランやバー,あるいは宴会のお客が,ホテルにとっては利潤の源泉であって,宿泊はアクセサリーのようなものかもしれない。
 だとすると,宿泊に回った方がお得ということにもなるわけだ。

● ラウンジで飲んでいると,互いに相手を値踏みするというか,自分と比較してしまう性向がある。ぼくにもその気味があるが,だいたいみんなそうじゃないかという気がする。
 仕事は何か。収入は自分より多いか。品は自分の方がいいか。女性ならファッションから全体を推測するだろう。
 でも,そんなことをしていても仕方がないということ。ぼくらはみんな,ホテル内下層民なのだ。同じラウンジ民族同士,仲良くしないと。

● 今日は,日中は深川を歩いてみた。その後,横浜に転進。夕方,ホテルに帰着。そのまま,ラウンジでカクテルタイム。
 じつは,夜にも川崎に行ってみたいところがあった。カクテルタイムを犠牲にして出かけてみようかと考えないではなかったけども,カクテルタイムをキャンセルすると相方の機嫌を損ねてしまう怖れがある。
 ここだけは2人で過ごさないと2人で来る意味がない,というのが彼女の考えで,これは相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。そこを破ってしまうと,その報いは計り知れない。

● だいたい,2泊しかしないのにスーツケースを運んでくるのだ。ぼくひとりならトートバッグで足りる。何でそんなに荷物があるのかといえば,洋服が入っている。
 ホテルに行くんだからお洒落したいという。普段はしたくてもできる場所がないから。これまた,相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。
 問題は,同行者にも同じビヘイビアを求めてくることで,ぼくはそれに応えているとは言い難い。それに加えて,カクテルタイムを1人で過ごさせたら,どういう反応が返ってくるか。ちょっとした恐怖だ。

● ラウンジで感じることはほかにもあって,ホテルの仕事は大変だなということだ。自分には務まらない自信がある。それともやってみると意外にできるものなんだろうか。見られている快感というのもあるのか。
 なかなか難しいことだとは思うけれども,料理や飲物を自分で取るというスタイルなら,空いた皿を下げるのも自分でやるという方式にしてもいいのでは。立食い蕎麦屋じゃないんだからと言われそうだが。

● 相方と夜の人形町を歩く。“芳町”の路地も歩いてみたが,格別のことはない。
 不動産屋があった。この辺の家賃は右の写真のとおり。お一人様用で10万円前後。これでも安めのをあげてるわけだろう。東京に住むって大変なんだなぁ。
 ぼくは住めない。これだけの家賃を出すのは無理。田舎暮らししかできない。

● 0時過ぎのロビーにはスタッフ以外に誰もいない。このあたりがシェラトン都との違い。業者が「シンフォニー」や「フォンテーヌ」の掃除を始めている。いづらくなるだろう。
 シェラトン都ではこの光景を見たことがない。掃除をしていないはずはないから,もっと遅い時間にやっているんだろうか。

2019.01.13 久方ぶりの横浜

● 深川の次は横浜。フラッと行くわけではなく,とりあえず目的はある。その目的地は桜木町。

● 三越前で銀座線に乗り換えて,新橋。三越前での乗換えはマイクロトランジット。30分以内なら三越を覗くことができるぞ。
 今年初めての新橋。ぼく的には,新橋が東京のヘソにあたる。どこに行くのでも新橋を起点にするのが便利。栃木の自宅に帰るのも新橋が便利。

● 乗換案内アプリでは,新橋から東海道線で横浜,横浜で根岸線に乗換と案内されるが(案内されなくてもさすがにわかるけどさ),最初から京浜東北線に乗ってしまう。
 理由は1つ。横浜で乗り換えるのがイヤなのだ。田舎者には横浜駅は鬼門。

● が,新橋に快速運転の京浜東北は停まらないことを失念していた。1本,遅れてしまった。次に乗ったのは蒲田止まり。
 どうも間が悪い。間の悪さというのは続くものだな。

● 桜木町に来たら,川村屋には寄るでしょ。空腹か否かに関係なく寄るでしょ。じゃないと,何のために桜木町に来たのかということになる。
 お婆ちゃんたちが切り盛りしている。要は立食いそばなんだけど,雰囲気が柔らかい。天ぷらそば,370円。安い。

● 以前(民主党政権だった頃),みなとみらい はゴーストタウンになってしまうのではないかと思ったことがあった。
 現時点でその可能性は皆無。老若男女で賑わっている。ここに住居を構えている人はあまりいないだろうから,ヨソから集まってきた人たちだ。それが商業施設の魅力なのでもある。ともあれ,欣快にたえない。

● 「休日おでかけパス」を使えば,東京も横浜も電車賃は同じ。しかし。横浜は目的がないと来ないところだ。フラッと来るところではない。ぼくにとってはそうだ。
 昔は,みなとみらい にあるホテルに泊まるために来ていたことがあった。小さかった息子が窓からの夜景を見て喜ぶのが嬉しくて,しばしば連れてきた。
 が,そういうこともなくなった今では,どうしても“久方ぶり”になってしまう。

2019.01.13 東京散歩 深川

● 蛎殻町のホテルに泊まっているのだから,近くを歩いてみることにする。以前,門前仲町を経て月島まで歩いたことがあるんだけども,今回は深川に行ってみることにする。
 ホテルを出て,すぐに隅田川を渡る。はい,そこは江東区。川を渡りたくなるのは,人間の習性ですかねぇ,川があって橋がかかっていると,渡ってみたくなるっていう。

● これは隅田川の支流。ほとんど運河と呼びたい人工的な構造物だが,この光景は,夜に見たら,無国籍に映るだろう。いわゆる日本離れした風景。
 深川っていうと,ぼくが第一に連想するのは,駅弁の深川めし。あさりご飯。でも,そんな看板は見かけないや。元々はこの辺まで海が来ていて,深川で潮干狩りができたんだろうか。

● もうひとつ,深川不動尊は聞いたことがあった。ので,その深川不動尊を目指すことにする。
 かなりの人出。籤や御守の物販は商売繁盛。結構なことだ。御守を2つ買った。自分用ではない。こういうのを好きな人が,知合いに2人ほどいるので。














● 深川不動尊の隣が富岡八幡宮。こちらもかなりの人出だ。これじゃ,お客の奪いあいになる。仲は悪くならざるを得ないでしょうなぁ。でも,明治の廃仏毀釈の前は一
体だったんですかね。
 ま,東照宮と輪王寺も仲悪いからね。元は一体だったのに。というか,一体だったからこそか。











● ここからは引き返すことにして,清澄通りを北に。
 深川七福神の幟がやたら多い。たぶん,あまり歩かずに満願成就でしょ,これ。お寺の密集地帯という印象だ。
 こちらは深川ゑんま堂。深川不動や八幡宮に比べると,閑散としている。その隣は心行寺。



● 清澄庭園。入園料は150円。岩崎弥太郎が金にあかせて造ったものらしい。こうした文化財は大富豪の散財が生むものだ。
 フランス王家が作ったベルサイユ宮殿とは違って,社会から収奪した富によるものではなく,新たな価値を創造した結果による富がこういうものに形を変えたのだろう。
 ともかく,途方もない大富豪が自分のために拵えたものだ。それがこうして庶民を楽しませるものになっている。このあたりの仕組みは,じつに巧くできていると思う。

● 今どきの一般競争入札を経て造られる諸々の公共施設が後世に文化財として残る気遣いはない。数十年後には取り壊されるものばかりだろう。
 民主平等ではなく理不尽が文化財を作るという側面は,どうしたってあると思う。富の偏在が文化財の元というか。
 ぼくらは後に残らないものにお金を使うが,大富豪は後に残るものに銭を注いでもらいたいものだ。

● こういうものって,好きな人には宝の山なのだと思う。が,ぼくのような無学な者は,一度で気がすんでしまうんだな。入場してひと目見れば,もういいやとなってしまう。
 好きな人にはこういうのもある。リピーター向けのマルチ入場券。

● これで行ってみようと思っていたところには行ったことになる。こういうことのために地図を何度も見ていると,思わぬ副産物もあって,そのひとつは,ま,大したことではないんだけども,錦糸町は墨田区で亀戸は江東区だとわかったこと。で,この区割りというのは,都民にとってはけっこう不便なものではないかと思った。
 地下鉄で東西に動く分には便利だけれども,江東区を南北に移動しようとすると,けっこう不便だということも。そこは路線バスがカバーしているんだろうか。

● 工事中の清洲橋を渡って,中央区に戻る。隅田川の川縁を歩いてみた。隅田川はセーヌ川を凌駕するのではないかと思った。
 何がといえば,たとえば水
質であり,たとえば風情であり,たとえば水辺公園としての機能である。セーヌ川には一度しか行ったことがないんだけども。

2019年1月12日土曜日

2019.01.12 また,ロイヤルパークに宿泊

● 先週に続いて,蛎殻町のロイヤルパークで過ごすことに。暦通りなので,2泊3日。
 ラウンジでチェックイン&水分補給。コーラを飲んだんだけど,コーラはペットのやつを直接口につけて飲んだ方が旨いな。
 部屋に入ったら,相方がシーツのシミを見つけて文句を言っていた。けど,文句を言っただけで終わった。次からは別なところに,とは言わない。料金とラウンジの水準に満足しているのだ。

● 相方はこの後,日本橋の三越に行くと言って出かけた。銀座の三越にも行ったらしい。かなり混んでいたという。中国人ではなく日本人で。つまりバーゲン。店員もお客に押されて倒れそうになっていた由。
 ぼくは部屋で休んでいた。相方の話を聞いて,はぁぁと思うだけだ。

● 17時からのカクテルタイム。ここのラウンジは,とにかく家族連れがいない。すこぶるありがたいわけだが,その代わり,得体の知れない変なカップルがいる。
 夫婦や結婚前の若いカップルは,すぐにそれとわかるのだが,そうではないカップルもいて,しかも不倫というか浮気というか愛人関係といったふうでもない。

● 女性がかなり年上というパターンが多い。母と息子ではないんだろうけど,そう見ればそうとも見える。職場の若い部下を捕まえたのか。金で買った男なのか。
 それにしては男の側に遠慮が少ない。なかなかにミステリアスなのだ。

● ホテルマンにはピンと来るんだろうな。毎度お馴染みのというやつなのかもしれない。
 でもね,カップルは若い男女が一番見た目がいいよね。今夜頑張れよ,と冷やかしたくなるカップルが,最も美しい外見を纏っている。これはもう,認めるしかないね。
 これから生殖期を迎える男女の組合せが,最も男女という気がする。誰にもそういう時期があったはずだから,こう言ったところで誰からも非難はされないと思う。

● このホテルにサウナはなくなったので,部屋の風呂を使う。サウナならカクテルタイムの前に行っているわ。
 部屋の風呂でも充分なのだった。相方は風呂に関してはずっと部屋派だったのだが,なるほどと思った。入浴剤を入れてゆっくり入っていれば,汗もけっこう絞れる。

● ラウンジ営業は21時まで。30分前に,アルコールではない,正真正銘の水分補給に。風呂で汗をかいたので。冷たいお茶が旨いっすよ。
 ぼく的には,温泉に行くより,東京のホテルを推奨するなぁ。来やすいし,たぶん温泉旅館に泊まるより安いし,温泉旅館よりゆっくりできるし,内外が面白さで満ちているから。たとえば,不審なカップルがたくさんいるとかさ。

● この後,相方はまたどこかに出かけた。ぼくも同行するつもりでいたんだけど,何だか億劫になってしまって。昨夜も相方よりぼくの方が長く寝ているはずなんだけどね。
 右膝が傷んでいる影響かなぁ(走ることができない。階段がちょっと辛い。春になればこの傷みは消えるはず。今までもそうだったから)。結局,今日はチェックイン後,ホテルの外に出ることはなかった。

● 2階に宴会場があって,某公立病院の某診療科の新年会があったようだ。結婚披露宴以外にも宴会を受けているのだな。1人あたり15,000円くらいからかね。
 医師や看護師の宴会はすこぶる賑やかなものというのが,ぼくの経験則なんだけれども(少ない見聞に基づくものだが),意外に静かだったようだ。

● あとはこのロビーがね,すこぉしよそよそしいというかな。フラフラしづらいというか。
 ここでの滞在時間を延ばすことができれば,部屋のデスクは使いやすいし,いたって快適なんだが。快適というか,ぼく的には死角がなくなるんだけどね。

2019.01.12 東武線で東京に出る

● 蛎殻町のロイヤルパークに行く。最寄駅は半蔵門線の水天宮前。
 なので,久喜から東武線に乗り換えることにした。久喜で中央林間行きに乗れば(栗橋で乗り換えるのもあり),半蔵門線に乗り入れるので,ホテルまで1本なのだ。

● が,慣れないからだと思いたいのだが(ボーッとしていたからかもしれない),乗り換えるときにミスしてしまった。
 JRの改札を出て,東武に回って乗車券を買わなければいけなかったのだけど,乗換口を通過してしまったのだ。普通,自動改札機がパタンと通せんぼして,間違いに気づかせてくれるはずなのだが,作動が遅かったためか通れてしまったのだ(相方はちゃんと拒否された)。
 ま,東武の駅員が気を利かせてくれて(というか,やってしまった人には気を利かせるしかないわけだが),無事に外に出ることができた。で,水天宮前までの切符(820円)を買って,乗車することができた。

● JRは久喜あたりから混みだすので,この乗り方が正解だと思う。上野まで行って,日比谷線に乗り換えるよりも。まっすぐ,ホテルに入っていいのであれば。
 ぼくら栃木県北の民は,東武というと東武宇都宮から乗るという発想になりがちなのだけども,こういう使い方もあるなぁと,実際に使ってみて思った。

● 下りならこの乗り方を何度か(といっても二度か)しているのだが,上りだとまた印象が違ってくる。JRから自由になれるというか,経路が複数になって自由度が増えるというか。
 墨田区に行くなら,この乗り方は便利。元日に歩いた玉ノ井や鳩の街の再訪も,一気にハードルが低くなる。

● この電車は押上から半蔵門線に入り,渋谷から東急田園都市線に入って中央林間まで行くのだけども,複数路線を1本の電車が走るのは,JRよりも私鉄の方が早かったのだろう。
 湘南新宿ラインの以前からあったに違いない。乗客にとってもその方が便利であるのは言うまでもない。乗換えが減ることはあっても増えることはないのだから。

2019年1月11日金曜日

2019.01.11 韓国に明日はない,か?

● 右は今日の下野新聞。
 これでは韓国は近代国家になれていないと広言しているようなものだ。大統領もそんなことはわかっているだろう(ひょっとして,わかっていないのか)。
 が,国内世論を気にして決断力を発揮できない。為政者として最も求められる資質を欠いている。

● 支配するされるは世界に共通する歴史で,どの国にもある。やられたらやり返すを続けていたら,未来永劫,安定は来ない。
 だから,戦いすんで日が暮れたら,条約を結んで精算する。精算したのだから,それでリセットされる。それがつまり,国際ルールだ。精算してもまた蒸し返すのでは条約を結ぶ意味がない。というより,そんな国とは条約は結べない。

● 日本人は何でも水に流してしまう民族だと言われる。対して,韓国は恨の国だといわれるが,それが韓国のアイデンティティーであり続けていいのか。
 過去を持ちだして未来志向と言われてもな,ということだ。過去に生きていたければ,心ゆくまでそうしていればいい。
 が,それは近代国家ではない。過去に囚われているのは,囚われている方に不利に働く。

● ここまでの民族主義あるいは夜郎自大はかなり高くつく。日本経済は韓国などなくても盤石だが,韓国は日本から生産財の輸出を止められれば,官民あげて破産するしかない。鵜飼いの鵜匠が日本で,韓国は鵜なのだ。
 辛いだろうが,そこから出発しないと。地道に力を蓄えて日本を凌駕することを考えないと。
 そういう地道さが韓国人には欠けているような気がする。パッと見の派手さを好んだり,体面を繕うことに血道をあげて,繕えればそれで良しとしたり。よくいえばラテン気質というのか。

● 日本には何をやっても許されるという風潮が韓国にはあるとも聞く。それが本当かどうか知らないが,日本で反韓・厭韓感情がどれほど充満しているか,韓国側はわかっているのだろうか。
 かつての通貨危機ようなことが韓国に再び発生する可能性は少なくないと思うのだが,時の為政者の意向がどうであろうと,現状では韓国を助けることを日本国民は承認しないだろう。

2019.01.11 勝ちや負け,成功や失敗なるものは存在するか

● 知人が亡くなった。50歳前だった。先月の忘年会では同じテーブルに座ったのだ。ごく普通にしていた。君は仕事だけで遊ばないからなぁ,とからかわれて苦笑していたのだ。
 それが突然,向こう側に渡ってしまった。

● 死は突然にやってくるのだな。いくつになってもそうなのだろう。予測できるものではない。直前になっても気づかない。事前に想定していたように展開するものではない。
 したがって,予め備えることもできない。そういうものなのだと思い決めた方がいいのだろう。

● 表面上は問題なしだとしても,盤石の問題なしなのか,ギリギリのバランスのうえに立った問題なしなのかは,誰にも区別ができない。本人にもわからない。
 しかも,盤石がギリギリに勝るとは限らない。ギリギリの問題なしを続けて長寿を全うした人は数限りなくいるだろう。盤石でも早死にする人はいる。

● 人間が死ぬのはあたりまえのことであって(これだけは確率100%だ),そもそもが悲しんだり驚いたりすることではないのかもしれない。たとえ若くして死んだとしてもだ。
 できては消える泡の大群。ぼくらは誰もが泡のひとつだ。

● 生きることをあまり大げさに考えるべきではないのかもしれない。たまたま生まれてきたにすぎない。
 生まれた以上は何らかの使命があるはずだとか,社会に貢献すべきだとか,そういうのは戯言でしかないのではないか。

● 勝ち組だとか負け組だとか,世間はいろいろ言うけれども,そんな評価は笑止の沙汰だ。負け組コースに乗っている人は,勝ち組コースの人のようには動けないのだ。逆に,勝ち組コースに乗っている人に,負け組の人のように動けといっても,できない相談だろう。
 勝ち組の人の動きが是,負け組の人の動きは非。そんなのは誰が決めたのか。悠久の目で見れば,一時の流行でしかないのではないか。ほとんどの人がその流行の色眼鏡で見ているだけではないのか。

● いざ死に臨んだとき,勝ちだの負けだの,成功だの失敗だの,そんな思いが最後によぎることがあるんだろうか。
 なにせ未体験なので,想像するしかないのだけれども,どうもそれはないような気がする。人生は棺を覆うまでわからないと言われるが,その段になれば,ひとつの生を終えただけということになるのではあるまいか。そのような評価軸の一切が,本人の中から消滅するのではあるまいか。

● ところで。突然死ではない死もある。その典型がガンだ。自分が死ぬとわかってから実際に死ぬまでに,数ヶ月か数年の猶予が与えられる。
 ガンになって余命の宣告を受けるのと,突然倒れるのと,どちらがいいかという話を知人2人とした。
 2人とも準備ができる分,ガンの方がいいと言った。ぼくは余命宣告を受けたあとに,死に向けた準備ができる自信がない。