2021年8月19日木曜日

2021.08.19 院は最高の自己投資か?

● 人の商売の邪魔をする気はないけれども,嘘はいけない。社会人が趣味で,あるいは好きだからという理由で大学院にいくのはいい。けど,それ,投資にはならないでしょ。
 サラリーマンが大学院を修了したからといって,それだけで昇進させたり昇給させたりするほど,会社はバカじゃない。100万円を1,000万円にするのが投資だと定義するなら,大学院に行くことが投資に該当する可能性は120%ないと言っていいだろう。

● では,経済的な見返りではなくて,自己啓発,自己成長に資するのが投資なのだとして,大学院に行くのは自己投資だと言えるだろうか。
 これも否。社会人が大学院で勉強する程度(低度)のことがどうして投資になるのか。まともな大人なら誰でもわかっていることだろう。

● 若いうちに行く理系の院なら格別,何事にも手遅れということがある。自己投資になるような変革を大学院に期待するには,大方の社会人は歳を取りすぎている。ひょっとすると例外もあるかもしれないが,自分がその例外に該当すると考える人は,端的にバカと呼ばれるべきだ。
 自己投資と言うには,大学院という場の限界,その場に乗っている人が年齢的にタイミングを逸している問題,の2つが邪魔をする。
 
● 売上が立たずに窮地に陥ってる大学側の撒餌にその気にさせられて,ウカウカと乗ってる時点で大衆性が過ぎる。私はバカです,どうそ搾取して下さい,と言ってるようなものではないか。意識高い系(≒バカ)って一番の鴨だと思うのだが。
 たとえどんな仕事をしているにせよ,大学院よりは仕事や職場の方が学べるものは多いのじゃないか。そこで学べないほど学習能力の低い人が大学院に行ってみたとて,そんなものは逃避にすらならないだろう。いい歳をして大学院なんぞに行って,時間とお金を溝に捨てるような真似をするのはいかがなものか。

● 本当に勉強したいんだったら,制度疲労で破綻しかけているような大学や大学院に目を向けるのではなくて,インターネットを広く眺めてみたらどうかと思う。
 独学といい,自学自習といったって,結局は誰かに教えてもらう,導いてもらうことになるのだけれど,その誰かは大学や大学院の教師である必要はないし,生身の人である必要もないし(ネットを介したものでかまわない),現在生きている人である必要もない。
 視野を広く取って組立を考えた方がいいし,そういうことができる時代になっていると思う。20世紀の常識はかなぐり捨てるべきで,それに縛られていては先が見えないのではないか。

● ただし,その場合であっても,それを投資とは考えない方がいいように思う。現在完結型を理想とする。
 そうするのが楽しいからそうしている。そうしていることの見返りなどには関心がない。
 その境地に到るべきだし,半世紀近くも歳を重ねてきたのなら,到れるのが本当だと思う。そして,それこそが10年後,20年後の自分に対する最良の投資になるはずだと,ぼくは考えている。

2021年8月17日火曜日

2021.08.17 東武の記念乗車券,2種

● 8月4日。今日から川崎のホテルに泊まる。1週間の予定。こういう時期だから泊まる。というか,こういう時期だから泊まれる。宿泊費が安くなっているからだ。
 東武で東京に向かう。金券ショップで東武の株主優待乗車証を1枚700円で買った。JR宇都宮駅前にある関東チケットという金券ショップね。隣のアップルチケットで買うと900円だからね。
 浅草に着いたらメトロの24時間券を買う。あとは,新橋駅で新橋~川崎の乗車券を買えばいい。“青春18” より安くつく。

● 浅草に着く直前に隅田川を渡るわけですよ。アサヒビールのウンコも見栄えがしますな。さながら一幅の絵でありますよ。
 ところで,このウンコ,「金の炎」だとか,フランス語で「フラムドール」だとか言われますが,どう見てもできたてホヤホヤのウンコだよねぇ。

● ところで,東武宇都宮駅で改札口を通って中に入ったあとに,東武宇都宮線開通90周年記念乗車券が出ていることを知った。つまり,この日は買いそびれてしまったよ。
 硬券の3枚セットと電車カードの引換券。欲しいでしょうよ,欲しいに決まってますよ。

● 浅草駅にはこんな張り紙が出ていた。完売。アッチャッチャ。宇都宮駅でも売り切れてしまうなんてことがあるんだろうか。

● 8月7日。1週間の予定の後半を取りやめた。今日,帰る。川崎から17:01発の宇都宮線直通宇都宮行きに乗車。このまま宇都宮まで乗るか。新橋で銀座線に乗換えて,東武で帰るか。
 思案中であります。東武を使うと1,450円で帰れる。JRだと2,310円になる。さぁ,どうする?

● ご賢察のとおり新橋で降りました。時間は売るほどある。毎日,暇にしている。お金はない。ので,時間はかかっても安い方が正義に叶う。
 銀座線のハイソな空気も滅多に味わえないものだ。乗っておきたい。何より,電車に長く乗っていられるわけでね。

● しかし,結果において失敗だったかも。浅草→曳舟→南栗橋→東武宇都宮 となるのだが,接続はすこぶる良く,待つことなく進んでいく。
 が,そうは行かない時間帯があって,そこにハマってしまった。曳舟から乗るのが久喜行き。したがって東武動物公園で乗換え。南栗橋で長く待たされた。
 新栃木でも乗換え。川崎→新橋→浅草→曳舟→東武動物公園→南栗橋→新栃木→東武宇都宮となる。そこからJR宇都宮駅に移動することになるわけだ。
 新栃木駅を出たところで,長い長い旅をしてきたような妙な気分になった。これだけ長く乗って1,450円ですむっていうのも,何だか妙な気分。

● 東武で帰って来たもう1つの理由は,東武宇都宮線開通90周年記念乗車券を買うため。浅草駅では完売したとあったので,ひょっとしたら宇都宮でも,と。急がねば,と。
 はい,宇都宮では問題なく買えました。まだまだ在庫はあるようだった。

● 東武ではこんなのも販売しますよ。SL大樹運行開始4周年記念乗車券。発売日は今月10日。これも買うでしょ。ねぇ,皆さん。
 東武も少しでも売上を増やさなくちゃでしょ。ぼくなんか,株主優待乗車券で東武に乗ってるんで,こういうところで協力しようかな,と。

● というわけで,今日17日。そのSL大樹運行開始4周年記念乗車券を買うために東武宇都宮駅にやってまいりましたよ。
 で,買いました。4周年にちなんで,乗車券4枚のセットでありますよ。群馬の方に行くと,また別なのがあるらしいんでありますが,さすがに群馬まで行く気にはならんとです。

● こちらは「宇都宮線開通90周年記念乗車券」の引換券でもらった電車カード。「特急しもつけ」でありますな。
 東武宇都宮線を走る唯一の特急だったが(1日1往復),昨年4月24日がラストラン。コロナは関係なかったろう。どの道,廃止される運命だったと思う。もちろん,ぼくは乗る機会を得ることはなかった。
 「特急しもつけ」がなくなったことによって,JRを含めて,在来線に特急が走らない関東で唯一の県庁所在市に宇都宮はなった。おめでとう。

2021年8月15日日曜日

2021.08.15 昭島へ

● 北九州や中国地方では特別警報の大雨。日本列島のどこに特別警報が出てもおかしくない状態だという。しかし,今日は東京の昭島に行かねばならない。ねばならないというわけでもないのだが(つまり,誰かとの約束事ではないので,自分で行かないことにすれば,行かないですむ),ちょっと見ておきたいものがある。
 雨は降ってはいる。だから,傘を持たないで家を出るわけには行かなかったが,さほどの降りでもない。


地元駅
● ので,予定通りに東京に出向くプロセスに突入。しかし,寸暇を惜しまなければならない人は,こんなことはしないような気がする。こういうときは出るのを断念して,家でできることを着々と,あるいは淡々と,やって行くのではあるまいか。
 予定どおりに家を出てしまえるのは,よっぽど暇な人じゃないと。そういうことなんだと思いますよ。


● 宇都宮発10:55の湘南新宿ライン,逗子行き。言うにや及ぶのガラガラ。浦和まで乗って,南浦和から武蔵野線の人になる。
 浦和駅の京浜東北線ホームに,浦和がサッカー熱に溢れるようになったキッカケを解説した説明板がある。要するに,1人の偏愛者がいてっていう話。けど,偏愛者がいたのは浦和だけじゃなかったろう。
 「なぜ」を追求していくのは,かなり難しいんだよね。つまるところ,よくわからないんですよね。


● 西国分寺から中央線。隣は還暦かと思しきオッサン。スマホでゲーム中。別にいいんだけど,今の若いのはゲームばかりやってて,なんて間違っても言うなよ。っていうか,たぶん,言ってきた口なんだと思うんだよ。
 それが,ロートルたちもやっと若者に追いついてきた。そうなると,若者たちはゲーム離れ,あるいは今とは毛色の違った新種のゲームに移る,という現象が起きるんだろうか。
 若者はいつだって年寄のはるか先を走っているものだよね。故に,年寄は口出し無用。


● 立川駅。長野県大雨のため,「あずさ」は運休しているようだ。「かいじ」は運転されているようだが。東京~高尾の快速電車には乱れなし。
 西国分寺から昭島までは立川での乗換こそあるが(復りは直通),すぐなのだった。南浦和から西国分寺までだって,そんなにかかるわけでもない。
 府中市に国府があった頃は,このあたりは武蔵国の先進地域であったに違いない。埼玉はサキタマで多摩の先という意味なのだろうと勝手に思っている。


● JR青梅線の昭島駅。祝,初下車。大昔,青梅線にも五日市線にも乗った。けど,終点まで乗ることが優先で,途中駅で降りるなんて考えもしなかった。
 傘をさして歩くのは鬱陶しいが,駅の周辺を少し歩いてみた。北口にイトーヨーカドーを核とした大きなショッピングセンターがある。チェーンのレストランもたくさんあるのだが,そういうところに入ってみる踏ん切りがつかない。


● 南口に出ると,大勝軒がある。大勝軒といえばラーメン界のカリスマ,山岸一雄さんとなるのだが,彼がカリスマになり得たのはラーメンの味だけではなく,人格,面倒見の良さ,その他いろんな理由があったのだろう。
 大勝軒の暖簾を出している店は北海道の小樽でも見たことがある。曖昧な記憶なのだが,どこかの大勝軒で食べたことが二度ほどあったような気がする。


● とすると,今度が三度目。中華麺大盛り(950円)を注文した。写真では伝わりづらいかもだけど,少なくとも3人前はある。とんでもない麺の量。
 大食い小僧,大食いオヤジ,大食いオバチャンにはいいかもしれんが,少食の貴女にはまるで向かない。ぼく? 完食しました。少しだけ持て余したけど。


● 味はどうだったか? 率直に申して,富士そばのラーメンの方がはるかに勝る。
 それでも昼どきには行列ができていたし,ぼくが入った夕方時分にもお客は次々にやってきた。大勝軒のブランド力というよりも,味のわかる人は少ないのだと受けとめている。


● 電車のダイヤが乱れることはなく,時刻表どおりの運転で,無事にわが陋屋に帰ってきた。

2021年8月11日水曜日

2021.08.11 大勢の逆をやること

● 先日,上野駅構内の「ANGERS」で見かけたウィンドウディスプレイ。「穀雨」という製品。ミニチュアの街づくりキットといっていいんだろうか。どこか知らない街の様子を脳内で妄想して,ミニチャで作っていく。あるいはすでに知っている街を,記憶にしたがって再現していく。
 今は旅行に行けない。特に外国に行くのは困難を極める。これはコロナ時代の箱庭療法ですかなぁ。

● ノートやスケッチブックに自在に絵を描いていくというやり方で遊んでもいいと思う。むしろ,キットの部品による制約を受けずにすむから,そのやり方の方が上級者には向いているかもしれない。
 想像力が逞しい人は,最小限の道具で遊ぶことができる。羨ましい。

● コロナで首都圏はずっと緊急事態宣言が出されている状態だ。滅多にないから緊急事態というのだろうが,緊急が常態になってしまっているから,ほとんど人々に刺さらなくなっている。
 マスコミとか一部の医師とか,あまりマトモじゃない人あるいはコロナを飯の種にしている人が,アーダコーダと言っているが,煽っていると言われる始末だ。ま,煽っているのだと思うが。

● 宿泊業や飲食業(特に,酒類提供を伴うところ)が緊急事態宣言の負の部分を一手に引き受けている。もう,ふざけるなと声をあげる気力もなくなってきているようだ。
 中には,商売を続けるより協力金をもらう方が実入りがいいというところもあるのだろうが,コロナウィルスの影響はあまねく万人に平等ではなく,濃淡がある。濃淡どころか,コロナが追い風になっている業種業界もある。

● そういうことに義憤を感じる必要もあるまいと思うのだが,国内旅行はあまり自粛しない方がいいのではないか。外出や移動を自粛するかしないかと,感染するかしないかはあまり関係がないというのが,ぼくの経験則だ。
 これまでの知見に照らせば,電車は安全とみなしていいようだ。音楽ホールや映画館も換気能力が高く,聴衆が口を閉じてさえいてくれれば,まずもって感染の心配はしなくていい。
 ホテルのレストランはテーブルを間引いて,アクリル板を固定して立てて,ブッフェの場合は必ず使い捨ての手袋を着用させるようにしている。そこまでやるかというところまでやっている。同様に,ぼくは不安を感じたことはない。

● 三密(密室,密集,密着)を避けて,盛りあがっている人たちのところへ近づかなければ,まずもって感染することはない。そういう感染が危ぶまれるシチュエーションは,言われるほどに日常的にあるものではなくて,わざわざ近づくのでなければなかなか得られないものなのではないか。
 普通に外出しました,電車に乗って県を跨いで移動しました,といったそれだけで感染するとは考えにくい。

● 4月から今日までに,ホテルに60泊している。東京と川崎と横浜だ。すべてが緊急事態宣言か蔓延防止措置が出ていたときだ。
 昨年だって,4月5月は出かけなかったが,6月早々には東京に出かけるようになった。以後,12月までに40泊している。やはり,東京と川崎と横浜だ。昨年はGoToもあったので,少し浮かれていたかもしれないのだが。
 ホテルでジッとしていたわけではない。街を動き回っている。そのために行ったのだから。

● 毎日が日曜日だからこんなこともできるのだが,そのために取り分けておいた予算をこの時期に惜しみなく投入した。コロナのおかげ(?)で宿泊費が空前絶後と思えるほどに安かったからだ。
 ホテル側の生き血を吸ったことになるのかもしれないけれど(つまり,ホテル側が自身の負担でGoToを実施していたとも言えるからだ),使いでのあるお金を使えて,かなり満足している。

● ぼくの信念(?)の中心には,大衆は常に間違う,必ず間違う,というのがある。いつでもどんな状況でも,大勢の逆張りで行くのが真理に叶う方策だ。
 もちろん,自分も大衆の一員だ。それはわかっている。だから,自分で考えて動くと,常に間違う,必ず間違うものだと観念している。
 それゆえ,休むに似たりの考えはやめにして,周りを見回してその反対をやればいい。それを行動準則にしたい。なかなか難しいのだが。

● しかし,コロナ禍における旅行・移動・外出に関しては,上手くやれたと思う。
 ワクチンが行き渡ると,旅行者も増えてくるだろう(ただし,中国からのインバウンドは復活しない)。空前絶後の安さもそろそろ終わりだと見ている。
 そうなれば,ぼくの出番はない。多くの人が出歩くようになれば,ぼくは家にいようと思う。予算もあらかた使いきった。ちょうどいい。

2021年7月20日火曜日

2021.07.20 昔なつかし,ということ

● 渋谷LoFtに来た。ヴィンテージというか,昔のお品コーナー。キャンディーズの歌が次々にかかっている。
 懐かしい。その頃に若かった爺婆が人口構成のマスになってるんですよね。マスを狙うのはマーケットの常道。こういうのが,どんどん増えて来るんでしょう。
 出版界もそうだし。「昭和40年男」とかね,石器時代に生まれた人向けの,昔を思いだしてよね的雑誌がけっこうな数,出ているしね。

● しかぁし。ぼくも爺の1人なんだけど,ナツメロってけっこう鬱陶しくないですか。あんまり昔を振り返りたくないっていうかね。昭和の頃より今の方がいいに決まっているんだから。
 だってね,昭和の日本人のマナーなんてどうしようもないものでしたよ。雨の日に駅のホームで雨傘を振り回してゴルフの練習をしている,バカすぎるサラリーマンはいくらでもいたよ。
 今,生きてれば70代かね。団塊ってほんと,どうしようもない世代でしたよ。って,まだ死に絶えてないんだけどさ。

● それに,昔はパソコンもスマホもインターネットもなかったわけだしね。そりゃ,今の方がいいに決まってますよ。
 しかも,そうした動きについていけないだけのバカが,変化に棹さすようなことを平気で言ったりやったりしてくれてさ。そんな時代が懐かしいなんて,ま,あり得ない。
 ので,個人的には昔を振り返させるようなサービスは迷惑だなと思ってるんだけど,でも,マーケットがそれに向かうのは理解できる。頑張って,爺婆の財布を開かせてください。

● あと,もう一点。昔のレコードプレーヤーって,悪くないなぁと思った。最近だとハイレゾなんて言葉が定着してて,音質が昔とは比較にならないほどに良くなっているんだろうけども,普通に聴く音楽の音質がそれほどいい必要があるのかなぁと思うようになっている。
 レコードとかカセットテープとか,アナログに回帰する動きはだいぶ前からあって,アナログの方が音が柔らかいとかふくよかだとか,アナログ礼賛の評言を聞くたびに,その柔らかさってピントが微妙に合っていない写真の柔らかさと同じじゃないのと思い思いしてた。

● まずピントを合わせること(シャープさ)が必要で,音の柔らかさとかふくよかさっていうのはその後の問題だよね,と思ってましたよ。シャープさを極めることにほって出てくる柔らかさ以外の柔らかさは偽物でしょ,とね。
 だから,音楽だけはデジタルで行きなさいよ,今どき高価なレコードプレーヤーを買うんだったら(ハイレゾ対応のレコードプレーヤーもあるんだってね),安いミニコンポを買った方が絶対いいと思うよ,と思ってましたよ。

● アナログ回帰なんてのは業界が仕組んだ陰謀じゃないか,くらいに思ってたってことね。けれども,ぼくらが普通に聴く音楽の音質にこだわってもしょうがないのかなぁと思うようになった。
 昔のレコードプレーヤー程度で充分じゃん,みたいな。アナログ回帰に対して寛容になってるっていうかさ。

2021年7月6日火曜日

2021.07.06 定年退職しても趣味に費やせる時間は退職前と同じ,という法則がある

● 完全引退して1年と3ヶ月が過ぎた。物心ついて以降,一番安穏と生きている。ストレスというものとはほぼ無縁。わざわざ求めればストレスも得ることはできるけれど,そんなことはしないのでね。
 ストレスも人が運んでくるわけだ。刺激や楽しみも人が運んできてくれるんだろうけどさ。
 で,その人付合いをほぼ一切していないので,ストレスなどあるわけがないということね。

● サラリーマンをしていた40年間も,仕事がらみの付き合い以外に,付き合いというものをしたことはあまりない。したがって,仕事を辞めてしまえば,付き合いは何も残らない。
 そうなることはわかっていて,そのようにしてきた。後悔などあるはずがない。20代や30代にはしばしば会っていた友人もいたが,今,会ってみたいとは思わない。そもそも,噛み合う話はできなくなっているだろう。

● 今年の4月からは相方も仕事を辞めて家にいるので,誰とも話をしないで1日が終わるということはない(4月以前だって,それはなかったわけだが)。
 人と話すのは,その程度で充分じゃないかと思っている。

● ところで,かつては定年退職してずっと家にいるようになった夫族を “濡れ落ち葉” や “ワシ族” と揶揄する言葉があった。
 ウィキペディアによると,「払っても払ってもなかなか離れない様子から転じて,​主に定年退職後の夫が,特に趣味もないために,妻が出かけようとすると必ず「​ワシも(付いて行く)」と言って,どこにでも付いて来る様子を指すようになった」とあるんだけど,このワシ族ってのは実在したのかね。自分はそうだというロートル君や,私の夫がそうだという奥さんはいるかね。
 今どきの小学校の運動会では,徒競走でもみんなで一緒にゴールするのだ,という話と同じで,実在しない都市伝説的なものじゃないのかと思ってるんだけどねぇ。
 面白いというかウケそうな造語だけれど,ワシ族の定義に該当するロートル君が1人でもいたかねぇ。考えにくいんだけどね。ダンナさんにずっと家にいられるのは,奥さんとしては嫌だろうなとは思うんだけどさ。

● ま,そんなことはどうでもよろしいのだが,ひとつ,やっぱりな,と思っていることがある。
 仕事をしなくなり,通勤時間もなくなったのだから,自由に使える時間が大幅に増えた。簡単な算数だ。当然,そうなるわけだ。
 けれども,自分の趣味というかやりたいことをやるという,その時間は,サラリーマンをしていた頃とほぼ同じなのだ。浮いた時間がそっくり消えてしまっているのだ。

● あるいは,したいことをしている時間そのものは長くなっているのかもしれないのだけど,アウトプットの質量が以前と同じなのだ。見事なほどにそうなのだ。
 仕事をしているときには可処分時間が限られていたから自ずと集中できた,ということなのだろうと考える他はない。本当にそうなのかどうかはわからないけれど,とりあえず,無難な説明としてはそういうことになってしまう。

● 相方には申しわけないけれど,彼女が家にいるようになった今年の4月以降は特にそうだ。何もしないうちに1日が終わりかけている,と気づくことがしばしばある。
 要するに平和なのだ,という言い方でもよいと思うのだけどね。

● さらに,定年退職してなお,効率だの生産性だの生きがいだの他者との繋がりだのっていう,いわゆる世間一般の規範から自由になれないようでは話にならないという気もする。
 ぼくなんか,退職した後も図書館に行ったことなんか一度もないよ,何やかやと忙しくしているよ,というジジイには絶対になりたくない。
 社会貢献なんて言葉を口にするようになったら,生き恥を晒しているのと同じだから,どうか俺を殺してくれ。

● 趣味や好きなこと(≒嫌いじゃないこと)とはいえ,それに費やす時間を倍にして,アウトプットも倍にするという,そんな単純な発想でいいんだろうか,とも思うよね。
 では,現状でいいのかと言われると,どうも答えに窮するところがある。いいのだと割り切れているわけでもない。何とかしなきゃという意識がどこかにある。

● たとえば,もっと本を読まなきゃとかね。実際,若い頃は1日中本を読んで過ごせる老後が待ち遠しいと,痛切に思っていたんだけどね。
 その老後がやっと来たのに,本は読めなくなっている。ひとつには単純に視力の問題がある。
 音楽だっていつまで聴けるかわかったものではない。こちらは聴力の問題がある。ぼくの母親はまだ生きているが,聴力をほぼ失っている(眼はよく見える。口も達者だ)。ぼくもそうなるかもしれない。

● まぁ,しかし。読む,聴く,観るは,図書館とインターネットのおかげで,お金をかけずとも好きなだけやれる。ありがたい時代に老後を迎えたことを感謝しつつ,もう少しそれらにあてる時間を増やしたいかなと思う。あと10年ほどは。
 そのあたりが,ま,結論めいたところかなぁ。

● そうだ。家事見習い的なことに時間を割いている。料理をするようになった。調味料についても少しは詳しくなったよ。
 ただ,サラリーマン時代に仕事に費やしていた時間をそっくりそちらに振り向けているわけではないのでね。けっこうな時間が毎日消えていくのは変わらないんだ。

2021年7月5日月曜日

2021.07.05 メルカリは色々と面白い 3

● 5月末から6月上旬にかけて,メルカリでモレスキンノートを買うこと15回(うち2回はボールペンを買った)。大中小とサイズの異なったモレスキンが手元にどっと増えた。
 そのときがメルカリ利用の初体験だったのだが,今度は測量野帳の限定品を少し買ってみた。

● それでわかったのは,メルカリを見るのはいい暇つぶしになりすぎるってことだ。気がついたら1時間くらいは過ぎてしまっている。買おうかどうかと考えてしまう時間も発生するわけだから,本当に時喰い虫になる。
 Facebookをやめてずいぶん経つのだけども,Facebookもやめた理由のひとつはそこにあった。いたずらに時間を捨てさせられるのだ。

● 中には,開示すべき情報をきちんと開示せず,引っかかってくれたら儲けものと思っているのじゃないかとしか思えない出品者もいる。
 たとえば,右の写真に写っている「トラベラーズノート」は,見る人がみれば,ダイソーがかつて250円で売っていたものだとわかるだろう。嘘はついていない。当時,ダイソーも「トラベラーズノート」という商品名で販売していた。

● トラベラーズノートという名称は一般的すぎて商標としては認められないのかもしれない。しかし,デザインフィルが出しているあのトラベラーズノートだと勘違いして飛びつく人がいれば・・・・・・と踏んでいるのだろうと思われても仕方がない。
 ダイソーのものだと言っていないからだ。ここはキチンとデザインフィルのものではない旨,断っておかなければならないところだろう。写真を出してるんだからいいでしょう,ではすまない。
 リアル店舗でこういうことをやったら,一発でレッドカード,退場になるだろう。ダーティーだからだ。

● まぁ,そういう出品者は一部だ。じつは一部というには多すぎる数だと思うのだが(良心的に見れば,相場を知らないせいもあるのかもしれない),リアル店舗に行くより安く買えることが多い。
 いったん人手に渡ったものは,たとえ未使用であっても価格は半値以下になる。日本の商慣習ではそういうことになっている。そこを是正することによって,不用品の流通を促進し,Aさんにとっての不用品を必要としているBさんのところに移動させるというのが,ヤフオクやメルカリの意図するところなのだろう。

● メルカリをうまく使えば,欲しいモノを安く買えることは間違いない。財布の紐が緩くなって,要らないものまで買ってしまうというのが,問題かもしれない。
 送料込みが原則になっているっぽいのも,メルカリの安心材料だ。千円以下の商品だと,出品者は捨て値で出していることがしばしばあるだろう。
 こちらはどうしても,送料込みの価格とリアル店舗で売られている価格を比べて,安い高いを言ってしまいがちなのだが。

● しかし,メルカリの最大問題はそこではなくて,時間つぶしに格好すぎるツールだというところだ。
 意思の力を使って,強制的に見る時間を制限しないとまずいことになりそうだ。