● もちろん,相方が買い集めてきたものだ。普段,あまり食べない和菓子のものがいくつかある。福田屋で片っ端から買ってきたっぽい。
最も多いのがモーニング・ヨーグルトのやつで,1日に3個食べろと指令が出ている。そういう食べ方をされたんじゃ,ヨーグルトも可哀想だ。
● お金を棄ててるとしか思えないぞ。買う理由が,安いから,お得だから,ってのはダメだよねぇ。必要だから,欲しいから,じゃないと。
でもって,必要だったり欲しかったりするものは,定価でも買うっていうんじゃないと。それに徹した方がトータルで安くつく。
● 何を買うかじゃなくて,“買う”をしたいんだと思うんですよね。買うという行為をしたい。そのためにお金を払う。買うこと自体の快感ってあるもん。だからこそ,買い物は依存の対象にもなるわけだろうから。
でも,“買う”でできる表現って,たかが知れてる。おまえが言うな,って言われるんだけどね。っていうか,表現のために“買う”んじゃないからな。“買う”ために買うんだから。
● といっても,“買う”ために買うっていうのを制御できないのは,身も蓋もない言い方をしてしまうなら,下層階層に顕著な特徴だと思う。
これが嵩じると“たまの贅沢だから”というものになる。たまの贅沢をやめることができないから,下層に甘んじているのだよ。
● 福袋などという業者の下手な芝居は,横目で見て通り過ぎることができないと,いつまで経っても貧乏のまんまだよ,あんた。
問題は,その“あんた”にぼくも含まれるということだけれども,そこにはあえて触れないでおく。
2019年1月3日木曜日
2019年1月2日水曜日
2019.01.02 SNS雑感 2
● TwitterやFacebookを始めるときに読んだSNSのガイドブック的な本の中に,“SNSやブログを複数やる場合,ハブとなるのはFBが相応しく,Twitterではダメだ”という記述があった。
FBには自分がやっているサイト名をいくつでも入れられるが,Twitterはひとつしか記入できない。ゆえに,FBをハブにして活用すべし,という理屈だったように記憶している。
● が,この理屈は,すでに有名人になっていて,いくらでもお客を呼べる人向きのものだろう。正確にいうと,その潜在力を持っている人に向いたものだと思う。
ぼくはそうではない。かつ,多くの人は,自分がそうだとは思わない方がいいだろう。
● FBで友だちが500人いるとしても,自分の投稿をいつも見てくれる人は,下手すると1割もいないのではないか。友だちになってはいるけれども,フォローを外されている。
自分もそうしているはずだから,これはわかりやすい話のはずだ。
● 加えて,FBはGoogleの検索を拒否する。FBユーザー以外は閲覧できない。そういうものをハブにするわけにはいかない。
ぼくを含む多くの人にとっては,そもそもハブという考え方を採用する必要もないだろう。
● Twitterと違って,FBには140字制限はない。いくらでも長文を書くことができる。ところが,FBでも140字を超える投稿はあまり多くない。多くの人がスマホでエントリーしているからだと思っていた。
もちろんそれもあるんだろうけれども,多くの人が長文は歓迎されないことを知っているからかもしれない。
● 長い文章はなかなか読んでもらえないようになったらしい。おそらく,供給が劇的に増えたからだと思う。書き手が増えた。読み手は増えない。
読む側とすればザッピング的に読むしかない。Twitter的なものがいい。短文を読み飛ばしていく。FBだって長いのは喜ばれない。
だから,ブログも読まれなくなっているのではなかろうか。トータルのPV数が百万を超える個人のブログはたくさんあると思うけれども,これから同じ内容のブログを書き始めても,百万PVに到達するのは今までの10倍はかかるのでは。
● SNSはコミュニケーションツールと言われる。が,コミュニケーションツールとしてのSNS(の総量)はこれ以上増えないような気がする。たとえばFBが寂れて,他の何かが勃興することはあるだろうけれど,総体はもう増えない。
コミュニケーションにも適正濃度があって,すでにその適正ラインをオーバーしているように見えるからだ。LINE疲れとかFB疲れとかではなく,コミュニケーション疲れがけっこう広範に出ているのではあるまいか。
年がら年中,コミュニケーションにうつつを抜かしているわけにはいかないだろう。
● ぼくらがリアルのコミュニケーションでやりとりしている情報の99%はおよそどうでもいいことだというのが,SNSの普及で明らかになった。それがSNSの効用の最たるものではないかと思うほどだ。
FBやTwitterに溢れているものがそうだから,ふと足をとめてリアルを振り返ってみると,何だ,リアルも同じじゃないか,と合点するという意味だ。
● つまり,FBやTwitterはどうでもいいことで満ちている。やれ昼食に何を食べた,やれ誰それさんとお茶している,やれ箱根駅伝を見ている(感動をありがとう),やれTVで知った評判のお店に来ている。
バカか,おまえは,と言いたくなるもので満ちている。売れっ子のタレントや,今でいえば将棋の藤井七段のような人なら,昼に何を食べたかが付加価値を持つ情報になるかもしれないが,おまえが何を喰おうとどうでもいい,そんなことをいちいち流すなボケ,と言いたくなる。
● というわけで,SNSはゴミ情報の集積地だ。SNSを始めるというのは,そのゴミの山に分け入っていくことなのだ。
ここで大事なことがある。自分もまた,ゴミしか吐きだせないということだ。どう頑張ってもゴミしか出せない。ゴミを増やすことしかできない。
● 特にLINEがそうなのだが,ハードルが低い。というか,ハードルはない。
ゆえにチャチャッと書きこみがちなのだが,文字だけで個対個のコミュニケーションを維持するのはかなり難しい。要らぬ誤解を招く。面と向かっているのであれば起こりようがない誤解が起きる。
その誤解を招いたことで落ちこむのなら,LINEなどやらない方がずっと賢い。
● FBにしろTwitterにしろLINEにしろ,向き不向きがある。とりあえず始めてみるのはいいと思うが,自分には向かないと思ったらすぐにやめることが大事だ。
無理はしないこと。無理をしてまで続ける価値はない。
● リアルのコミュニケーションを振り返ってみれば明らかだけれども,どうでもいいゴミをやり取りしているから,コミュニケーションはコミュニケーションとして成立している。どうでもいいことではないことをやり取りしなければならない状況は,快適とは言い難い。
SNSでも事情は同じであって,もしFBを始めてみて,楽しい,これは自分に合っている,と思ったのなら,それはどうでもいいことしか吐きだしていないからだし,どうでもいいことしか受けていないからだ。
それがいいことなのかどうかはわからない。良くないとしても,コミュニケーションが目的ならば,そうなるしかない。
● コミュニケーションにも適正濃度があるとするなら,そもそも,SNSをコミュニケーションツールとする考え方を捨てたらどうか。コミュニケーションなどリアルで充分ではないか。
SNSはひとり遊びの道具にする。勝手気ままに使うのがいい。自分を垂れ流す場がSNSだ。
垂れ流しているんだから,反応や評価は求めない。自分が望む反応を期待してはいけない。いや,もし反応があっても無視するくらいがちょうどいいと思う。
● SNSにすり寄るのではなくて,SNSを自分に引きつけて使うのだ。大げさにいえば,それが自立するということではないか。
群れの中に身を置いて,群れない使い方をする。
● だったら,EvernoteやGoogle Keepに書けばいいじゃないかと言われるかもしれない。が,群れの中に身を置いた方がいい。ほどよい緊張感が得られるからだ。その緊張感が垂れ流しを長続きさせてくれる。
端末のハードディスクやSDカードに溜めていくよりも,SNSに上げた方がデータが毀損される可能性も低くなる。そういうところを含めて,SNSのいいとこ取りをすればいいと思う。
で,垂れ流すのに最も向いているのはTwitterだろう。その場合,Twilogを併用することは必須。溜まったデータの取り回しが楽になる。自分のツイート全体に対して検索をかけるのも,Twilogの方がやりやすい。
FBには自分がやっているサイト名をいくつでも入れられるが,Twitterはひとつしか記入できない。ゆえに,FBをハブにして活用すべし,という理屈だったように記憶している。
● が,この理屈は,すでに有名人になっていて,いくらでもお客を呼べる人向きのものだろう。正確にいうと,その潜在力を持っている人に向いたものだと思う。
ぼくはそうではない。かつ,多くの人は,自分がそうだとは思わない方がいいだろう。
● FBで友だちが500人いるとしても,自分の投稿をいつも見てくれる人は,下手すると1割もいないのではないか。友だちになってはいるけれども,フォローを外されている。
自分もそうしているはずだから,これはわかりやすい話のはずだ。
● 加えて,FBはGoogleの検索を拒否する。FBユーザー以外は閲覧できない。そういうものをハブにするわけにはいかない。
ぼくを含む多くの人にとっては,そもそもハブという考え方を採用する必要もないだろう。
● Twitterと違って,FBには140字制限はない。いくらでも長文を書くことができる。ところが,FBでも140字を超える投稿はあまり多くない。多くの人がスマホでエントリーしているからだと思っていた。
もちろんそれもあるんだろうけれども,多くの人が長文は歓迎されないことを知っているからかもしれない。
● 長い文章はなかなか読んでもらえないようになったらしい。おそらく,供給が劇的に増えたからだと思う。書き手が増えた。読み手は増えない。
読む側とすればザッピング的に読むしかない。Twitter的なものがいい。短文を読み飛ばしていく。FBだって長いのは喜ばれない。
だから,ブログも読まれなくなっているのではなかろうか。トータルのPV数が百万を超える個人のブログはたくさんあると思うけれども,これから同じ内容のブログを書き始めても,百万PVに到達するのは今までの10倍はかかるのでは。
● SNSはコミュニケーションツールと言われる。が,コミュニケーションツールとしてのSNS(の総量)はこれ以上増えないような気がする。たとえばFBが寂れて,他の何かが勃興することはあるだろうけれど,総体はもう増えない。
コミュニケーションにも適正濃度があって,すでにその適正ラインをオーバーしているように見えるからだ。LINE疲れとかFB疲れとかではなく,コミュニケーション疲れがけっこう広範に出ているのではあるまいか。
年がら年中,コミュニケーションにうつつを抜かしているわけにはいかないだろう。
● ぼくらがリアルのコミュニケーションでやりとりしている情報の99%はおよそどうでもいいことだというのが,SNSの普及で明らかになった。それがSNSの効用の最たるものではないかと思うほどだ。
FBやTwitterに溢れているものがそうだから,ふと足をとめてリアルを振り返ってみると,何だ,リアルも同じじゃないか,と合点するという意味だ。
● つまり,FBやTwitterはどうでもいいことで満ちている。やれ昼食に何を食べた,やれ誰それさんとお茶している,やれ箱根駅伝を見ている(感動をありがとう),やれTVで知った評判のお店に来ている。
バカか,おまえは,と言いたくなるもので満ちている。売れっ子のタレントや,今でいえば将棋の藤井七段のような人なら,昼に何を食べたかが付加価値を持つ情報になるかもしれないが,おまえが何を喰おうとどうでもいい,そんなことをいちいち流すなボケ,と言いたくなる。
● というわけで,SNSはゴミ情報の集積地だ。SNSを始めるというのは,そのゴミの山に分け入っていくことなのだ。
ここで大事なことがある。自分もまた,ゴミしか吐きだせないということだ。どう頑張ってもゴミしか出せない。ゴミを増やすことしかできない。
● 特にLINEがそうなのだが,ハードルが低い。というか,ハードルはない。
ゆえにチャチャッと書きこみがちなのだが,文字だけで個対個のコミュニケーションを維持するのはかなり難しい。要らぬ誤解を招く。面と向かっているのであれば起こりようがない誤解が起きる。
その誤解を招いたことで落ちこむのなら,LINEなどやらない方がずっと賢い。
● FBにしろTwitterにしろLINEにしろ,向き不向きがある。とりあえず始めてみるのはいいと思うが,自分には向かないと思ったらすぐにやめることが大事だ。
無理はしないこと。無理をしてまで続ける価値はない。
● リアルのコミュニケーションを振り返ってみれば明らかだけれども,どうでもいいゴミをやり取りしているから,コミュニケーションはコミュニケーションとして成立している。どうでもいいことではないことをやり取りしなければならない状況は,快適とは言い難い。
SNSでも事情は同じであって,もしFBを始めてみて,楽しい,これは自分に合っている,と思ったのなら,それはどうでもいいことしか吐きだしていないからだし,どうでもいいことしか受けていないからだ。
それがいいことなのかどうかはわからない。良くないとしても,コミュニケーションが目的ならば,そうなるしかない。
● コミュニケーションにも適正濃度があるとするなら,そもそも,SNSをコミュニケーションツールとする考え方を捨てたらどうか。コミュニケーションなどリアルで充分ではないか。
SNSはひとり遊びの道具にする。勝手気ままに使うのがいい。自分を垂れ流す場がSNSだ。
垂れ流しているんだから,反応や評価は求めない。自分が望む反応を期待してはいけない。いや,もし反応があっても無視するくらいがちょうどいいと思う。
● SNSにすり寄るのではなくて,SNSを自分に引きつけて使うのだ。大げさにいえば,それが自立するということではないか。
群れの中に身を置いて,群れない使い方をする。
● だったら,EvernoteやGoogle Keepに書けばいいじゃないかと言われるかもしれない。が,群れの中に身を置いた方がいい。ほどよい緊張感が得られるからだ。その緊張感が垂れ流しを長続きさせてくれる。
端末のハードディスクやSDカードに溜めていくよりも,SNSに上げた方がデータが毀損される可能性も低くなる。そういうところを含めて,SNSのいいとこ取りをすればいいと思う。
で,垂れ流すのに最も向いているのはTwitterだろう。その場合,Twilogを併用することは必須。溜まったデータの取り回しが楽になる。自分のツイート全体に対して検索をかけるのも,Twilogの方がやりやすい。
2019年1月1日火曜日
2019.01.01 東京散歩 吉原~山谷~玉ノ井~鳩の街
● カプセルホテルに泊まって,4時間しか寝ていない。ので,このまま帰ろうかとチラッと思った。寝不足だし,右膝がけっこう傷んでいるようだし。
が,せっかく上野にいるんだから,かねて予定のとおり,東京下町の悪場所をまとめて歩いておくことにする。
● 地下鉄日比谷線で三ノ輪。上野から歩いてもそんなに変わらないのかもしれないけれども,地図を忘れてきた。頭に入っているのは三ノ輪からの道のりなので。
地図なんかスマホで見れるじゃないかというわけなのだけど,どうもスマホの地図は使いづらいと思っていてね。たぶん,通信速度の問題かもしれない。契約プランを見直した方がいいのかも。
● 右は三ノ輪駅を出たところ。手前が国道4号。左に別れのが国際通り。国際通りを浅草方面にしばらく歩くと鷲神社。その先を左折。
すると,吉原弁財天。祀られているひとつひとつの仏様に膝まづいて手を合わせている
老女がいた。狭いところなので,邪魔にならないように気をつけた。
かつての吉原とゆかりがないわけはないと思うのだが,そうしたゆかりは全く感じさせない。普通の弁財天様。
● すぐ近くに吉原神社。いったん反対方向に歩いてしまったが,すぐに気がついた。
昔は知らず,今は小さな神社だ。これまた,現在の街に溶け込んでいる。吉原の遊女がどうのこうのといった,そういう雰囲気はかけらもない。地元のオバちゃん二人がお客さんの相手をしていた。
吉原をかつての吉原として捉える向きは地元には残っていないようだ。ごく普通の下町という印象。こちらは怖いもの
見たさの心持ちもあるんだけども,地元の人たちはそんなものは歯牙にもかけていない。
● 吉原神社の隣は台東病院。前の道は仲之町通り。郭があったところなのだろう。かすかに何かを感じるというか。
しばらく行くと,吉原大門跡。いや,これを跡と言っていいのか。いいのだろうな。跡とはこうしたものだ。
元日ゆえか,歩いている人はあまりいない。特に仲之町通りはそうだ。今の吉原は石鹸の国の密集地帯であるわけだが,石鹸の国に昼間から用がある人もそうはいないだろう。
● とはいっても,元日の朝から営業している店もあった。ここだけやってる
よ,旦那さん,他は休みだよ,と声をかけてくる。ってか,おまえも休めよ。
写真は石鹸の国のメインストリートではない(と思う)。メインストリートはこんなものじゃなかった記憶がある。休日の午前から客引きが並んでいて驚いたものだ。
● 吉原から,東浅草,清川,橋場を経て,明治通りに。隅田川にかかる白鬚橋に出た。
ぼくが歩いたのはだいぶ南側。ので,山谷のエリアからは外れていた。ごく普通の住宅街を歩いた感じ。
白鬚橋は大きな構造物だった。
明治通りなんだから,この程度の構造物であろうことは想像しておくべきだった。
● 渡った先は墨田区東向島。疲れてしまった。休んでいくことにする。渡りきったと
ころに広場というか空き地がある。ベンチもある。公園のようなものだ。休むのにちょうどいい。
近くにセブンイレブン(墨田東向島3丁目店)があったので,お茶と安い弁当(サバほぐし弁当)を買った。
そのセブンイレブンのスタッフの娘さんが美人でね。小股が切れあがった,という形容の仕方があるのを思いだした。彼女はジーンズだったんだけどね。しかも,この言い方,どういう状態をいうのかもわからないんだけど。
● 明治通りを直進。国道6号(水戸街道)との交差点を左折。東武の東向島駅に。旧駅名は玉ノ井。
新木場からここまで明治通りを歩いたことがあった。そのときはその先に行くことはなかったけども,今日は行ってみる。そのために来たのだ。玉ノ井をふらついてみようと思う。
駅を横目に見て,直進。適当なところで右折。とたんに,ここが玉ノ井だと合点が行った。路地また路地。墨田3丁目が中心かと思われる。
● 往時を偲ばせるものは路地だけと言っていいが,永井荷風はここを舞台にして,「墨東綺譚」を創作したのだ。気が住むまで歩いてみた。案外,簡単に気はすむものだな。
入居者募集の古い木造アパートがある。家賃も高くはないだろう。こういうところに住んでみるのも面白いかもしれないけれど,さすがに永井荷風を気取るわけにはいかない。じきに飽きてしまうだろうね。
ただし,隠れ家というか,隠遁後の住まいにするなら,ありかもしれない。
● 次は“鳩の街”。水戸街道を南進。鳩の街商店街の入口に出る。墨堤通りまで続いている。
ただ,もはや商店街の態をなしていないように思えた。普通の住宅がだいぶ増えている。が,かなり狭い。軽自動車でもすれ違いは難しい。住みづらいかもね。
もっとも,車を前提に考えてしまうのは,ぼくが田舎に住んでいるからか。
● 商店街に寺島保育園がある。滝田ゆう「寺島町奇譚」の舞台は,玉ノ井ではなくて,こちらだったのか。玉ノ井だとばかり思っていたんだが。
いや,旧東京市向島区寺島町というのは,かなり以上に広いエリアのようだ。こちらも玉ノ井も寺島町だった。
寺島という地名は今でも地元の人たちに愛されているように思える。玉ノ井もそうだ。東武も駅名を変える必要はなかったのではないか。実際,東向島駅の正面には,旧駅名玉ノ井も併記している。
● 商店街は昔から商店街であって,“鳩の街”の本体ではない。が,商店街からひとつ路地を曲がれば,なるほどと思う光景が現れる。
といっても,あたりまえだが,当時の遺構(?)はほぼない。今は普通の住宅街。個人の家だから写真を摂るのは憚られる。ので,1枚だけ。
ここが吉行淳之介『原色の街』の舞台。『娼婦の部屋』も同様だろう。『娼婦の部屋』の明子が働いていたのはどのあたりだろうと想像を逞しくできればと思ってもみたんだけども,当然ながら,それが可能になるほどのヨスガはない。
● かつての色街は,吉原のようにともかく現役を続けているところは別として,ある種の侘びしさを醸すもののようだ。ありていに言うと,生活保護率が高そうでもある。
さらに言うと,昔の日本はこうだったと思わせるところがある。懐かしさを感じる。懐かしさを感じさせてしまうのは,現役をやめているからだろう。
したがって,ぼくのような部外者がフラッとやってきてノスタルジーに浸る分にはいいとしても,今をどうするか,これからをどうするかという視点で見れば,様々な問題を抱えているに違いない。
色街に向くような地形のところは,大規模な再開発でもしない限り,地場を変えるのは難しそうだ。取り残されてしまう。
● しかし,厄介なことに,そうしたエリアは稀少性を持つ。稀少性を持つものは,それが何であれ,自ずからなる魅力を放つ。たぶん,都市には必要な魅力かと思う。
更地にして東西南北に広い道路を通してしまえば,その稀少性は消える。
● これで歩こうと思っていたところはすべて歩いた。気がすんだ。ここから東武の曳舟駅は指呼の間。右膝も疼いているし,少し休みたい。電車に乗って座ることが,その休みになる。
その前に駅周辺を歩いてみる。イトーヨーカドーがあって,元日から営業。お客さんもビッシリ入っていた。海鮮三崎港も“天丼てんや”も通常営業。
ぼくらは正月にジッとしていることができなくなっている。いい悪いの問題じゃなけれども,ジッとしていないんだから,サービス業の人は休むわけにはいかない。
が,せっかく上野にいるんだから,かねて予定のとおり,東京下町の悪場所をまとめて歩いておくことにする。
● 地下鉄日比谷線で三ノ輪。上野から歩いてもそんなに変わらないのかもしれないけれども,地図を忘れてきた。頭に入っているのは三ノ輪からの道のりなので。
地図なんかスマホで見れるじゃないかというわけなのだけど,どうもスマホの地図は使いづらいと思っていてね。たぶん,通信速度の問題かもしれない。契約プランを見直した方がいいのかも。
● 右は三ノ輪駅を出たところ。手前が国道4号。左に別れのが国際通り。国際通りを浅草方面にしばらく歩くと鷲神社。その先を左折。
すると,吉原弁財天。祀られているひとつひとつの仏様に膝まづいて手を合わせている
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| 吉原弁財天 |
かつての吉原とゆかりがないわけはないと思うのだが,そうしたゆかりは全く感じさせない。普通の弁財天様。
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| 吉原弁財天 |
昔は知らず,今は小さな神社だ。これまた,現在の街に溶け込んでいる。吉原の遊女がどうのこうのといった,そういう雰囲気はかけらもない。地元のオバちゃん二人がお客さんの相手をしていた。
吉原をかつての吉原として捉える向きは地元には残っていないようだ。ごく普通の下町という印象。こちらは怖いもの
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| 吉原神社 |
● 吉原神社の隣は台東病院。前の道は仲之町通り。郭があったところなのだろう。かすかに何かを感じるというか。
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| 仲之町通り |
元日ゆえか,歩いている人はあまりいない。特に仲之町通りはそうだ。今の吉原は石鹸の国の密集地帯であるわけだが,石鹸の国に昼間から用がある人もそうはいないだろう。
● とはいっても,元日の朝から営業している店もあった。ここだけやってる
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| 吉原大門跡 |
写真は石鹸の国のメインストリートではない(と思う)。メインストリートはこんなものじゃなかった記憶がある。休日の午前から客引きが並んでいて驚いたものだ。
![]() |
| 白鬚橋 |
ぼくが歩いたのはだいぶ南側。ので,山谷のエリアからは外れていた。ごく普通の住宅街を歩いた感じ。
白鬚橋は大きな構造物だった。
明治通りなんだから,この程度の構造物であろうことは想像しておくべきだった。
● 渡った先は墨田区東向島。疲れてしまった。休んでいくことにする。渡りきったと
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| 白鬚橋東 左右に走る道路が墨堤通り |
近くにセブンイレブン(墨田東向島3丁目店)があったので,お茶と安い弁当(サバほぐし弁当)を買った。
そのセブンイレブンのスタッフの娘さんが美人でね。小股が切れあがった,という形容の仕方があるのを思いだした。彼女はジーンズだったんだけどね。しかも,この言い方,どういう状態をいうのかもわからないんだけど。
![]() |
| 東向島駅 |
新木場からここまで明治通りを歩いたことがあった。そのときはその先に行くことはなかったけども,今日は行ってみる。そのために来たのだ。玉ノ井をふらついてみようと思う。
駅を横目に見て,直進。適当なところで右折。とたんに,ここが玉ノ井だと合点が行った。路地また路地。墨田3丁目が中心かと思われる。
● 往時を偲ばせるものは路地だけと言っていいが,永井荷風はここを舞台にして,「墨東綺譚」を創作したのだ。気が住むまで歩いてみた。案外,簡単に気はすむものだな。
入居者募集の古い木造アパートがある。家賃も高くはないだろう。こういうところに住んでみるのも面白いかもしれないけれど,さすがに永井荷風を気取るわけにはいかない。じきに飽きてしまうだろうね。
ただし,隠れ家というか,隠遁後の住まいにするなら,ありかもしれない。
ただ,もはや商店街の態をなしていないように思えた。普通の住宅がだいぶ増えている。が,かなり狭い。軽自動車でもすれ違いは難しい。住みづらいかもね。
もっとも,車を前提に考えてしまうのは,ぼくが田舎に住んでいるからか。
● 商店街に寺島保育園がある。滝田ゆう「寺島町奇譚」の舞台は,玉ノ井ではなくて,こちらだったのか。玉ノ井だとばかり思っていたんだが。
いや,旧東京市向島区寺島町というのは,かなり以上に広いエリアのようだ。こちらも玉ノ井も寺島町だった。
寺島という地名は今でも地元の人たちに愛されているように思える。玉ノ井もそうだ。東武も駅名を変える必要はなかったのではないか。実際,東向島駅の正面には,旧駅名玉ノ井も併記している。
● 商店街は昔から商店街であって,“鳩の街”の本体ではない。が,商店街からひとつ路地を曲がれば,なるほどと思う光景が現れる。
といっても,あたりまえだが,当時の遺構(?)はほぼない。今は普通の住宅街。個人の家だから写真を摂るのは憚られる。ので,1枚だけ。
ここが吉行淳之介『原色の街』の舞台。『娼婦の部屋』も同様だろう。『娼婦の部屋』の明子が働いていたのはどのあたりだろうと想像を逞しくできればと思ってもみたんだけども,当然ながら,それが可能になるほどのヨスガはない。
● かつての色街は,吉原のようにともかく現役を続けているところは別として,ある種の侘びしさを醸すもののようだ。ありていに言うと,生活保護率が高そうでもある。
さらに言うと,昔の日本はこうだったと思わせるところがある。懐かしさを感じる。懐かしさを感じさせてしまうのは,現役をやめているからだろう。
したがって,ぼくのような部外者がフラッとやってきてノスタルジーに浸る分にはいいとしても,今をどうするか,これからをどうするかという視点で見れば,様々な問題を抱えているに違いない。
色街に向くような地形のところは,大規模な再開発でもしない限り,地場を変えるのは難しそうだ。取り残されてしまう。
● しかし,厄介なことに,そうしたエリアは稀少性を持つ。稀少性を持つものは,それが何であれ,自ずからなる魅力を放つ。たぶん,都市には必要な魅力かと思う。
更地にして東西南北に広い道路を通してしまえば,その稀少性は消える。
● これで歩こうと思っていたところはすべて歩いた。気がすんだ。ここから東武の曳舟駅は指呼の間。右膝も疼いているし,少し休みたい。電車に乗って座ることが,その休みになる。
その前に駅周辺を歩いてみる。イトーヨーカドーがあって,元日から営業。お客さんもビッシリ入っていた。海鮮三崎港も“天丼てんや”も通常営業。
ぼくらは正月にジッとしていることができなくなっている。いい悪いの問題じゃなけれども,ジッとしていないんだから,サービス業の人は休むわけにはいかない。
2019.01.01 上野のカプセルホテルに泊まる
● 大晦日は自分的には恒例になっているコンサートを聴いた。終演はぎりぎり2018年。会場を出て数分も歩くうちに2019年になるという感じ。
なので,帰宅する術がない。大晦日はJRは終夜運転をしており,以前は宇都宮までは辿り着くことができた。今はたぶん小山までになっているのではないか。
小山だろうと宇都宮だろうと,そこから先は始発を待つしかない。一度は宇都宮まで戻って,朝までやってる飲み屋に入って,暖を取るなんてこともしたことがある。が,体力の消耗がきつくて,さすがにそれを二度やる気にはならなかった。
● ので,泊まったほうがいいという結論。ところが,大晦日の東京の宿はなかなか取れない。取れたとしても,とんでもない額になる。ビジネスホテルでもシティホテル並みの料金になる。
となると,空いているのはカプセルホテルしかない。出せる額的にもカプセルホテルしかない。
● 昨年は山谷の安宿に泊まった。その前は馬喰町にあるドミトリー「北斗星」に。それぞれ得がたい体験ができたと思うんだけど,今回は元に戻して上野にあるカプセルホテルに泊まることにした。3年ぶり3回目の利用。
もちろん,予約は必須。大晦日はカプセルホテルといえども,フリーで泊まれるとは思わない方がいい。
● 大浴場がある。スマホの充電も可能。コンセントはある。寝るだけなんだから,カプセルで充分だ。
Wi-Fiもあるが,ぼくは使えなかった。パスワードがわからないのだ。そういうものはカプセル内に掲示しておいてもらいたいと思った。
● 大晦日の深夜,例年より人通りが多いような気がした。数年前は,大晦日の上野は閑散としていた印象がある。みんな海外に出かけたか田舎に帰省したのだろう。ガランとしていた。
が,今年は人がたくさんいた。外国人が多いのは確かなんだけれども,色々変わっているなぁと思った。
それから。ホテルまで歩く途中,韓国人の女性に二度か三度,声をかけられるのが常だった。一緒に飲みませんかというわけなんだが,要は私を買ってよというね。それが今年はなかった。
● ところで,寝るだけなんだからカプセルで充分だ,という考え方は正しいか。
おそらくだけれども,高級ホテルよりカプセルホテルの方が儲かっているんじゃないかと思う。客1人あたりの占有スペースがぜんぜん違うからだ。
これだけの人数を押しこめるんだから,単価は安くても,儲けは大きい(と思う)。商売はよろず,金持ちより貧乏人を相手にした方が儲かるものだ。と思うと,何だか面白くない。ブロイラー扱いをされているような気分になる。
というようなことを考えても詮ないことではある。ここにしか泊まれないんだから。が,寝るだけなんだからと簡単に割り切らない方がいいのかもしれない。
● カプセルホテルを家代わりにして長期滞在できるかと考えてみた。実際,長期滞在者もいるように思われる。
コインランドリーがあるから,洗濯はOKだ。(このカプセルホテルでは)食事も館内で摂れる。酒も飲める。料金を見るとかなり安い。
が,自分には無理という結論だ。たとえばノートパソコンを広げて作業をするところがない。ダイニングバーでそれをやることはできなくもないけれども,当然,何かを注文しなければいけないし,毎日ダイニングバーに行くわけにもいかないだろう。
カプセルの中でできるだろうか。胡座をかいて座ることはできるから,胡座の上にパソコンを載せることもできそうだ。が,その姿勢では短時間で疲れてしまいそうだ。
● 去年泊まった山谷の安宿はどうか。布団を敷くと身の置き場がなくなるあの部屋でパソコンを開いて作業ができるか。小さな折りたたみ式のテーブルがあった気がする。
布団をたたんでそのテーブルに載せて作業ができる。つまり,山谷の安宿なら長期滞在も可能かもしれない。
でもね。立って半畳寝て一畳というけれども,立ってばかりはいられないわけで,まぁ四畳半くらいのスペースは欲しいやねぇ。
● 山谷の安宿は入浴時間が部屋ごとに決められている。ここがちょっと。馬喰町のドミトリーはそもそも風呂はなかったような気がする。シャワーだけ。ところが,シャワーだけで身体を洗うことが,ぼくはうまくできなくて。
ま,実際には1泊しかしないのだから,つまり家代わりにするなんてことはあり得ないのだから,あまり細かく考えることはない。以上は,かっこよく言えば観念の遊びというやつね。
● 年のせいにはしたくないのだけども,最近,忘れものをすることが増えた。今回も3つほど忘れてきた。
まず,スマホの充電器を忘れた。ダイソーならば300円で揃うんだけども,コンビニで買ったら2,000円を超えることになった。しかも,家に帰れば要らないものなのだ。こういうものは忘れてはいけないということ。
スマホ自体をしばしば忘れて,家を出る。ぼくの場合,スマホが絶対必須ではないからなんだけど,忘れていいときといけないときがある。充電器も同じ。泊まるのに充電器を忘れてどうするよ。
● もうひとつ。いつも飲んでるサプリメントを忘れてきた。
じつはもうひとつあって,明日は(いや,もう今日だが)東京の悪場所を歩いてみようと思っている。地図に色々と印を付けているんだけど,その地図を忘れてきた。何度も見てるんで,だいたいは頭に入ってるんだが。
● 途中,コンビニに寄って,ロングの缶ハイボールとナッツを買って,入浴後にカプセル内で飲んで寝た。一応,飲物の持ち込みはいけないことになっている。
ということで,2時過ぎに寝て,6時半に起きた。睡眠は4時間強。それだけ寝てりゃたくさんだろと言う人がいるに違いない。ぼくはこれが苦手。ロングスリーパーなのだ。最低でも7時間は寝ないと,日中に眠くなることがある。
● カプセルは上段だった。登るのに難儀した。というのは,10年ほど前,仕事始めの日に自転車通勤したときに,20kmほど走ったところで右の膝が痛くて動かなくなった。左足1本で漕いで,職場に到着。その日のうちに痛みは引いたんだけど,以後,寒くなると痛みが出るようになった。
だんだん,そこまで出なくていいぞと言いたいくらいに出るようになった。ので,上段まで上るときに右膝に体重をかけられないようになっている。
第一に老化。第二に体重の増加。いややなぁ。洒落にならんでなぁ。
● サクッと朝風呂に入った。が,このあと問題発生。ロッカーキーを紛失してしまったのだ。露天風呂に入るときに外して脇に置いたのを,そのままにしてしまったような気もするし,脱衣場に忘れてきたような気もする。
どちらも確認しに行ったんだけど,どちらにもなかった。色々探したけど,なし。万策尽きて,フロントに謝りに行った。ら,フロントに届けられていた。ありがとう,親切な人。
● ホッとして朝食に行く。空いている席はあったが,前の人のが片づけられていない。8時過ぎ9時前が最も混む時間帯だったか。
仕方がないので,そのうちのひとつに席を取ったが,注文を取りに来ない。食べ終えてそのままいると思われたのだろう。合図して来てもらった。何だかなぁ。元日の早朝から働いている娘さんに文句を言うつもりはまったくないけれども,こちらの不慣れのゆえの不手際かもしれないんだけれども,でもやっぱり何だかなぁ。
● が,これで650円なんだから,良心的だと思う。朝食としては充分すぎる内容だ。味噌汁のほかに,鮭,生卵,牛蒡のきんぴら,納豆,海苔,ふりかけ,漬物。
しかも,バイキングではなくて,こちらのテーブルまで運んでくれるのだ。
問題はむしろ,おかずが多すぎることだ。途方に暮れてしまう。どうやって食べればいいのだ? どうしても納豆が残ってしまう。納豆にふりかけを混ぜて,納豆だけを食べた。
● テーブルを見回してみると,朝から飲んでる人がけっこういる。中には焼酎のボトルを置いて,本格的に飲む体勢の人もいる。
長期に泊まっている人で,さすがに今日は仕事がないんだろうかなぁ。普段は大変なんだろうからな。元日くらいはゆっくりできないとな。
● で,チェックアウト。追加徴収があった。サウナ深夜料金というのが1,080円。過去にはなかったものだ。だいたい,深夜にサウナを使ったかどうかなんて,どうやって確認するのだ?
あるいは一律に取ることにしたんだろうか。おそらくだけれど,ぼくのロッカーキーが発見された場所が浴場だったので,推定課金されたということではないかと思う。
● ともあれ,トータルの料金が7,128円になった。都内で大晦日だとはいえ,カプセルホテルで7,000円を超えるとは。宇都宮だと3千円だがな。
来年はどうしようかな。山谷の安宿にするかな。大浴場があって快適だとはいえ,この料金ではなと,セコいことを考えている。
なので,帰宅する術がない。大晦日はJRは終夜運転をしており,以前は宇都宮までは辿り着くことができた。今はたぶん小山までになっているのではないか。
小山だろうと宇都宮だろうと,そこから先は始発を待つしかない。一度は宇都宮まで戻って,朝までやってる飲み屋に入って,暖を取るなんてこともしたことがある。が,体力の消耗がきつくて,さすがにそれを二度やる気にはならなかった。
● ので,泊まったほうがいいという結論。ところが,大晦日の東京の宿はなかなか取れない。取れたとしても,とんでもない額になる。ビジネスホテルでもシティホテル並みの料金になる。
となると,空いているのはカプセルホテルしかない。出せる額的にもカプセルホテルしかない。
● 昨年は山谷の安宿に泊まった。その前は馬喰町にあるドミトリー「北斗星」に。それぞれ得がたい体験ができたと思うんだけど,今回は元に戻して上野にあるカプセルホテルに泊まることにした。3年ぶり3回目の利用。
もちろん,予約は必須。大晦日はカプセルホテルといえども,フリーで泊まれるとは思わない方がいい。
● 大浴場がある。スマホの充電も可能。コンセントはある。寝るだけなんだから,カプセルで充分だ。
Wi-Fiもあるが,ぼくは使えなかった。パスワードがわからないのだ。そういうものはカプセル内に掲示しておいてもらいたいと思った。
● 大晦日の深夜,例年より人通りが多いような気がした。数年前は,大晦日の上野は閑散としていた印象がある。みんな海外に出かけたか田舎に帰省したのだろう。ガランとしていた。
が,今年は人がたくさんいた。外国人が多いのは確かなんだけれども,色々変わっているなぁと思った。
それから。ホテルまで歩く途中,韓国人の女性に二度か三度,声をかけられるのが常だった。一緒に飲みませんかというわけなんだが,要は私を買ってよというね。それが今年はなかった。
● ところで,寝るだけなんだからカプセルで充分だ,という考え方は正しいか。
おそらくだけれども,高級ホテルよりカプセルホテルの方が儲かっているんじゃないかと思う。客1人あたりの占有スペースがぜんぜん違うからだ。
これだけの人数を押しこめるんだから,単価は安くても,儲けは大きい(と思う)。商売はよろず,金持ちより貧乏人を相手にした方が儲かるものだ。と思うと,何だか面白くない。ブロイラー扱いをされているような気分になる。
というようなことを考えても詮ないことではある。ここにしか泊まれないんだから。が,寝るだけなんだからと簡単に割り切らない方がいいのかもしれない。
● カプセルホテルを家代わりにして長期滞在できるかと考えてみた。実際,長期滞在者もいるように思われる。
コインランドリーがあるから,洗濯はOKだ。(このカプセルホテルでは)食事も館内で摂れる。酒も飲める。料金を見るとかなり安い。
が,自分には無理という結論だ。たとえばノートパソコンを広げて作業をするところがない。ダイニングバーでそれをやることはできなくもないけれども,当然,何かを注文しなければいけないし,毎日ダイニングバーに行くわけにもいかないだろう。
カプセルの中でできるだろうか。胡座をかいて座ることはできるから,胡座の上にパソコンを載せることもできそうだ。が,その姿勢では短時間で疲れてしまいそうだ。
● 去年泊まった山谷の安宿はどうか。布団を敷くと身の置き場がなくなるあの部屋でパソコンを開いて作業ができるか。小さな折りたたみ式のテーブルがあった気がする。
布団をたたんでそのテーブルに載せて作業ができる。つまり,山谷の安宿なら長期滞在も可能かもしれない。
でもね。立って半畳寝て一畳というけれども,立ってばかりはいられないわけで,まぁ四畳半くらいのスペースは欲しいやねぇ。
● 山谷の安宿は入浴時間が部屋ごとに決められている。ここがちょっと。馬喰町のドミトリーはそもそも風呂はなかったような気がする。シャワーだけ。ところが,シャワーだけで身体を洗うことが,ぼくはうまくできなくて。
ま,実際には1泊しかしないのだから,つまり家代わりにするなんてことはあり得ないのだから,あまり細かく考えることはない。以上は,かっこよく言えば観念の遊びというやつね。
● 年のせいにはしたくないのだけども,最近,忘れものをすることが増えた。今回も3つほど忘れてきた。
まず,スマホの充電器を忘れた。ダイソーならば300円で揃うんだけども,コンビニで買ったら2,000円を超えることになった。しかも,家に帰れば要らないものなのだ。こういうものは忘れてはいけないということ。
スマホ自体をしばしば忘れて,家を出る。ぼくの場合,スマホが絶対必須ではないからなんだけど,忘れていいときといけないときがある。充電器も同じ。泊まるのに充電器を忘れてどうするよ。
● もうひとつ。いつも飲んでるサプリメントを忘れてきた。
じつはもうひとつあって,明日は(いや,もう今日だが)東京の悪場所を歩いてみようと思っている。地図に色々と印を付けているんだけど,その地図を忘れてきた。何度も見てるんで,だいたいは頭に入ってるんだが。
● 途中,コンビニに寄って,ロングの缶ハイボールとナッツを買って,入浴後にカプセル内で飲んで寝た。一応,飲物の持ち込みはいけないことになっている。
ということで,2時過ぎに寝て,6時半に起きた。睡眠は4時間強。それだけ寝てりゃたくさんだろと言う人がいるに違いない。ぼくはこれが苦手。ロングスリーパーなのだ。最低でも7時間は寝ないと,日中に眠くなることがある。
● カプセルは上段だった。登るのに難儀した。というのは,10年ほど前,仕事始めの日に自転車通勤したときに,20kmほど走ったところで右の膝が痛くて動かなくなった。左足1本で漕いで,職場に到着。その日のうちに痛みは引いたんだけど,以後,寒くなると痛みが出るようになった。
だんだん,そこまで出なくていいぞと言いたいくらいに出るようになった。ので,上段まで上るときに右膝に体重をかけられないようになっている。
第一に老化。第二に体重の増加。いややなぁ。洒落にならんでなぁ。
● サクッと朝風呂に入った。が,このあと問題発生。ロッカーキーを紛失してしまったのだ。露天風呂に入るときに外して脇に置いたのを,そのままにしてしまったような気もするし,脱衣場に忘れてきたような気もする。
どちらも確認しに行ったんだけど,どちらにもなかった。色々探したけど,なし。万策尽きて,フロントに謝りに行った。ら,フロントに届けられていた。ありがとう,親切な人。
● ホッとして朝食に行く。空いている席はあったが,前の人のが片づけられていない。8時過ぎ9時前が最も混む時間帯だったか。
仕方がないので,そのうちのひとつに席を取ったが,注文を取りに来ない。食べ終えてそのままいると思われたのだろう。合図して来てもらった。何だかなぁ。元日の早朝から働いている娘さんに文句を言うつもりはまったくないけれども,こちらの不慣れのゆえの不手際かもしれないんだけれども,でもやっぱり何だかなぁ。
● が,これで650円なんだから,良心的だと思う。朝食としては充分すぎる内容だ。味噌汁のほかに,鮭,生卵,牛蒡のきんぴら,納豆,海苔,ふりかけ,漬物。
しかも,バイキングではなくて,こちらのテーブルまで運んでくれるのだ。
問題はむしろ,おかずが多すぎることだ。途方に暮れてしまう。どうやって食べればいいのだ? どうしても納豆が残ってしまう。納豆にふりかけを混ぜて,納豆だけを食べた。
● テーブルを見回してみると,朝から飲んでる人がけっこういる。中には焼酎のボトルを置いて,本格的に飲む体勢の人もいる。
長期に泊まっている人で,さすがに今日は仕事がないんだろうかなぁ。普段は大変なんだろうからな。元日くらいはゆっくりできないとな。
● で,チェックアウト。追加徴収があった。サウナ深夜料金というのが1,080円。過去にはなかったものだ。だいたい,深夜にサウナを使ったかどうかなんて,どうやって確認するのだ?
あるいは一律に取ることにしたんだろうか。おそらくだけれど,ぼくのロッカーキーが発見された場所が浴場だったので,推定課金されたということではないかと思う。
● ともあれ,トータルの料金が7,128円になった。都内で大晦日だとはいえ,カプセルホテルで7,000円を超えるとは。宇都宮だと3千円だがな。
来年はどうしようかな。山谷の安宿にするかな。大浴場があって快適だとはいえ,この料金ではなと,セコいことを考えている。
2018年12月29日土曜日
2018.12.29 東京の別荘,3日目
朝からカレーもあるので,以前は,ご飯と味噌汁のあとにカレーも食べたりしたもんだけど,さすがにそれは卒業。
● ホテルの庭園。今年は紅葉が遅かったんだろうか。まだ紅がかなり残っている。
ところで。庭園の小径を“哲学の道”と名づけることにした。歩きながら深淵なことを考えるからだ。今日の昼飯は何を喰おうかなとか,今日は帰らなくちゃいけないのか,帰省ラッシュとかち合ったらめんどくせーなーとか。頭が痛くなるほど考えるのだ。
● この3日間,毎日サウナを使わせてもらった。相方は部屋の風呂にゆっくり浸かるのを好む。男の人ってサウナ好きが多いよね,性差? と言う。
たしかに女性はじんわりするのを好む印象。砂風呂とか岩盤浴とか。男性はサウナのような短期決戦タイプに走る。何でかね。
● あと,あれだね。脱衣場で洋服を着脱するときに寒くないのがいい。わが家では脱衣場に暖房が入っていないので。
ともあれ。浴槽が大きければ,温泉じやなくてもいいなと思う,今日この頃。ジャグジーの必要もないと思っている。
● サウナの後,休憩室で爽健美茶で水分を補給して,備え付けの週刊誌を読んでボーッとするのが,超贅沢。
ロビーで人を見てるのもいいんだけど,今回はサウナの休憩室で過ごす時間の方が長かった。
● シェラトン都でも,各部屋にスマホを配備して,ご自由にお使いくださいというサービスをしていたのだけど,これは廃止された。需要がないのだろう。自分のじゃないスマホなんか使いづらくて,したがって使う気にならない。
ロビーにはインターネットにつながったパソコンも何台か置かれている(Link@Sheraton)。これも使っている人はあまり見かけない。時々,所在なさげにいじっている人がいるけれど。これもやめてしまっていいのではないか。もし継続するなら,キーボードを何とかしてほしい。けっこうガタが来ている。
● そうして,今回,最後のラウンジ。ア
フタヌーンティーと言えればいいのだが,炭水化物の大量摂取に走ってしまうオレ。上海焼きそばが旨かったんですよねぇ。
● チェックアウト。去年は
30日までは安いプランがあったので,大晦日の昼までいられたんだけど,今年は今日(29日)から高くなってしまう。オリンピックの影響とかではないと思うんだけどねぇ。
2018年12月28日金曜日
2018.12.28 「YEBIS STYLE」
● 恵比寿に行くと,このフリーペーパーをもらってきて読むのも,楽しみのひとつ。57号の表紙は富永愛。懐かしい。
特集も彼女のインタビュー記事。彼女の発言をいくつかピックアップしておこう(いずれもP7)。
「恵比寿おとなレストラン」と題する,恵比寿のレストランの紹介が続く。「恵比寿シネマ案内」も。他に,コラム的なエッセイがいくつか載っている。
● それぞれにプロのカメラマンが撮った見応えのある写真が添えられる。あるいは,写真が主役かもしれない。
紙質も良くて,こんなに格調高いフリーパーパーのタウン誌は,ぼくが知る限り,他に存在しない。フリーペーパーにありがちなセコサがまったくない。
発行はサッポロ不動産開発株式会社。潤沢な資金があるんだろうな。
● で,この「YEBIS STYLE」のたたずまいが,恵比寿が標榜する街のイメージを形にしたものなのだろう。ハイソで知的な大人の街というね。
光があれば影も絶対にあるはずなのだが,その影はとりあえずないことにしておく。少なくとも,恵比寿ガーデンプレイスにはないことになっているはずだろう。
特集も彼女のインタビュー記事。彼女の発言をいくつかピックアップしておこう(いずれもP7)。
あの頃の自分を愛おしいと思うし,あんな子がいたらおもしろがると思う。あの頃の私を,まわりの大人たちがおもしろがってくれたように。
『負けたくない』という感情はまだ私の中にあって,それが原動力になっている。
根本的にモデルの何が好きかというと,自分を好きな自分を楽しめるからだと思う。自分を好きじゃないと,たぶんあんな顔をして歩けないと思うから。
『こういうスタイルがモデルだ』という大前提があった時代とは違う。だからこそ私は私のスタイルで,モデルとはなんなのか追求していきたい。● 次が巻頭の特集記事にちなむ書籍の紹介。「フカボリ! 恵比寿」というタイトルの恵比寿の街を紹介する連載。
「恵比寿おとなレストラン」と題する,恵比寿のレストランの紹介が続く。「恵比寿シネマ案内」も。他に,コラム的なエッセイがいくつか載っている。
● それぞれにプロのカメラマンが撮った見応えのある写真が添えられる。あるいは,写真が主役かもしれない。
紙質も良くて,こんなに格調高いフリーパーパーのタウン誌は,ぼくが知る限り,他に存在しない。フリーペーパーにありがちなセコサがまったくない。
発行はサッポロ不動産開発株式会社。潤沢な資金があるんだろうな。
● で,この「YEBIS STYLE」のたたずまいが,恵比寿が標榜する街のイメージを形にしたものなのだろう。ハイソで知的な大人の街というね。
光があれば影も絶対にあるはずなのだが,その影はとりあえずないことにしておく。少なくとも,恵比寿ガーデンプレイスにはないことになっているはずだろう。
2018.12.28 東京散歩 白金~広尾~代官山~恵比寿
● 寒いし風もある。ホテルでヌクヌクしてた方がいいんけど,付近をまとめて歩いてみようと思う。
とはいえ,どこを歩けばいいのか。地図を見てコースを考えたものの,特に行きたいところはない。ホテルの近くにある行きたいところには,すでに行った。
● でも,せっかくだから,どこかに行ってみよう。徒歩圏内に聖心女子大をはじめ女子大がいくつかあるので,女子大めぐりをするのもいいかもしれない。学生がいないときに建物だけを見ても仕方がないか。
が,他に名案も浮かんでこない。大学と女子校をつないで歩くコースを考えた。ホテル~聖心女学院(高校,中学)~北里大~聖心女子大~日赤看護大~東京女学館~國學院大,と歩くコース。
● 予め用意した地図を持って出かけた。ダイソーで買った薄いA4の透明ファイルケースに入れているのだが,なかなか便利だ。
● ホテルから目黒通り(日吉坂)を少し上り,右に折れる。狭い道を歩いていく。左折するとすぐに聖心女学院に至る。
地図によれば敷地を通って抜ける道がありそうだ。が,校門前に部外者は入るなとノーティスが出ている。無視すれば不審者以上の疑惑が生じる。
● ので,引き返して先に進む。三光坂というらしい坂を下ると,都道305号線に出る。そこを左折。東京はどこに行っても坂だらけ。
● 路上に停めている車がある。運転しているのは普通のおばちゃん。おばちゃん,こんなところに停めてちゃダメだよ,と言いたくなるのだが,その車がベンツだったりする。
たしかにこのあたり,外車とレクサスの比率が高いような気がする。
● しばらく行くと,北里大学と付属研究所,付属病院がある。その手前に懐かしさを誘う文具店があった。中には入らなかったけど,品揃えはけっこうすごいっぽい。懐かしいなどと侮ってはいけない。
北里大学もいわゆるキャンパスという“らしさ”はない。都心の大学は皆同じ。この点,たとえば宇都宮大学とは趣を異にする。
“らしさ”を大事にするなら,地方の大学か,都心でも東大とか,そうした雰囲気を保っている大学に
入学するしかない。そんな“らしさ”は時代にそぐわなくなっているとぼくは思っているが。
● どんどん行くと,明治通りに至り,少し進むと天現寺橋
に。その横断歩道橋を渡って外苑西通りに出る。
右下は歩道橋からの写真。左の茂みの向こう側が慶応幼稚舎。
歩道橋を降りれば,そこは広尾。渋谷区。
● 地下鉄の広尾駅を過ぎると,聖心女子大学。このあたり,女子校や女子大が多い。ってか,おまえがそういうルートを選んでるだけじゃねぇかと言われると,まったくそのとおりであるわけだが。
とっくに冬休みに入っていて,学生さんはいない。無機質なコンクリートの箱が並んでいるだけ。女子大らしさというのは,特に感じることがない(女子大らしさなんてものがあるのかという,そもそもの疑問があるが)。
● そんなことは気にしないで,先に向かう。広尾ガーデンヒルズなる高級マンション群が現れる。高級ではあっても,要は鉄筋高層アパートの群れだ。いずれは多摩ニュータウンや高島平と同じ軌跡をたどることになるのは免れないと見る。
● そのマンション群の隣が日赤医療センター。日赤看護大も同じ敷地に。日赤看護大が女子大かどうかは知らないけれども,とにかく冬休みで学生さんが全然いないのが残念。
日赤医療センターを縦断して,少し進むと,次は東京女学館。知らない人がいるかもしれないので,念のために言っておくけど,畏れ多くもここは夏目雅子様の出身校にあらせられるぞ。
● その東京女学館の角を左折すると,日本ユダヤ教団の建物がある。ずんずん直進すると,國學院大学の敷地に入っている。
敷地を分断して道路が走っているんですな。道路の両側に敷地があるというか。
● そこを抜けると氷川神社。さほどに大きくはない。が,何人かが参拝に来ていた。元日には混むのだろうか。
このあたりは,区立広尾
中,都立広尾高が隣り合っていて,文教地区になっているっぽい。住むにはたぶん不適。
● それはともかく。これから代官山に向かおうと思っているんだけど,どういうルートを辿ろうか。結局,いったんは恵比寿駅に出ることにした。
地図を片手のひとり歩きはそれなりに緊張するもののようで,恵比寿駅に着いたときにはホッとした。ここは勝手知ったるところだからだ。痛くなってきた足を休めた。
● なぜ代官山かというと,代官山 T-SITEに行ったことがないので,一度は見ておきたいと思って。蔦屋書店ね。
恵比寿駅西口から駒沢通りを西に向かって,旧山手通りを上がると,まもなく。迷いたくても迷えない。
蔦屋書店って,ぼくはG-SIXに入っている銀座店しか知らない。で,銀座店はぼくには手も足も出ないという印象。
代官山はどうなんだろうか。代官山の方は銀座に比べればだいぶ庶民的というか,自分の居場所を確保できる余地があると思えた。
● T-SITE以外にも,代官山はたしかにお洒落な街なんですな。お洒落だけじゃそれこそ洒落にならないけれども,内実を表現するとお洒落になるという感じの街,という印象。
帰りは,代官山駅の方から細道をたどって恵比寿駅に帰着。気安そうな飲み屋もたくさんあって,少し立ち去り難い気分になった。
● せっかく恵比寿にいるんだし,さすがにもう歩きたくない気分なので,休憩がてらヱビスビール記念館1杯だけ飲んでいこうと思った。
が,あら残念。27日から年末年始の休みに入っていた。
● 恵比寿からは,くすのき通りを東進。外苑西通りを潜って,東大医科学研究所の西側の道路から目黒通りに。
白金台って意外に飲食店が少ないなと思ってたんだけど,とんでもなかった。いろんな店がある。しかぁし。ステーキ屋にしろ飲茶屋にしろ,どれもこれも高級そうで,おいそれとは入れない。
● 結論。ホテルでヌクヌクするのもいいけれど,とりあえず知らないところを歩いてみる方がもっと楽しい。
とはいえ,どこを歩けばいいのか。地図を見てコースを考えたものの,特に行きたいところはない。ホテルの近くにある行きたいところには,すでに行った。
● でも,せっかくだから,どこかに行ってみよう。徒歩圏内に聖心女子大をはじめ女子大がいくつかあるので,女子大めぐりをするのもいいかもしれない。学生がいないときに建物だけを見ても仕方がないか。
が,他に名案も浮かんでこない。大学と女子校をつないで歩くコースを考えた。ホテル~聖心女学院(高校,中学)~北里大~聖心女子大~日赤看護大~東京女学館~國學院大,と歩くコース。
● 予め用意した地図を持って出かけた。ダイソーで買った薄いA4の透明ファイルケースに入れているのだが,なかなか便利だ。
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| 聖心女学院校門 |
地図によれば敷地を通って抜ける道がありそうだ。が,校門前に部外者は入るなとノーティスが出ている。無視すれば不審者以上の疑惑が生じる。
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| 三光坂下 |
● ので,引き返して先に進む。三光坂というらしい坂を下ると,都道305号線に出る。そこを左折。東京はどこに行っても坂だらけ。
● 路上に停めている車がある。運転しているのは普通のおばちゃん。おばちゃん,こんなところに停めてちゃダメだよ,と言いたくなるのだが,その車がベンツだったりする。
たしかにこのあたり,外車とレクサスの比率が高いような気がする。
● しばらく行くと,北里大学と付属研究所,付属病院がある。その手前に懐かしさを誘う文具店があった。中には入らなかったけど,品揃えはけっこうすごいっぽい。懐かしいなどと侮ってはいけない。
北里大学もいわゆるキャンパスという“らしさ”はない。都心の大学は皆同じ。この点,たとえば宇都宮大学とは趣を異にする。
“らしさ”を大事にするなら,地方の大学か,都心でも東大とか,そうした雰囲気を保っている大学に
● どんどん行くと,明治通りに至り,少し進むと天現寺橋
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| 天現寺橋 |
右下は歩道橋からの写真。左の茂みの向こう側が慶応幼稚舎。
歩道橋を降りれば,そこは広尾。渋谷区。
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| 聖心インターナショナルスクール |
● 地下鉄の広尾駅を過ぎると,聖心女子大学。このあたり,女子校や女子大が多い。ってか,おまえがそういうルートを選んでるだけじゃねぇかと言われると,まったくそのとおりであるわけだが。
とっくに冬休みに入っていて,学生さんはいない。無機質なコンクリートの箱が並んでいるだけ。女子大らしさというのは,特に感じることがない(女子大らしさなんてものがあるのかという,そもそもの疑問があるが)。
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| 広尾ガーデンヒルズ |
● そんなことは気にしないで,先に向かう。広尾ガーデンヒルズなる高級マンション群が現れる。高級ではあっても,要は鉄筋高層アパートの群れだ。いずれは多摩ニュータウンや高島平と同じ軌跡をたどることになるのは免れないと見る。
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| 日赤看護大 |
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| 東京女学館 |
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| 国学院大学 |
敷地を分断して道路が走っているんですな。道路の両側に敷地があるというか。
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| 氷川神社 |
このあたりは,区立広尾
中,都立広尾高が隣り合っていて,文教地区になっているっぽい。住むにはたぶん不適。
● それはともかく。これから代官山に向かおうと思っているんだけど,どういうルートを辿ろうか。結局,いったんは恵比寿駅に出ることにした。
地図を片手のひとり歩きはそれなりに緊張するもののようで,恵比寿駅に着いたときにはホッとした。ここは勝手知ったるところだからだ。痛くなってきた足を休めた。
● なぜ代官山かというと,代官山 T-SITEに行ったことがないので,一度は見ておきたいと思って。蔦屋書店ね。
恵比寿駅西口から駒沢通りを西に向かって,旧山手通りを上がると,まもなく。迷いたくても迷えない。
蔦屋書店って,ぼくはG-SIXに入っている銀座店しか知らない。で,銀座店はぼくには手も足も出ないという印象。
代官山はどうなんだろうか。代官山の方は銀座に比べればだいぶ庶民的というか,自分の居場所を確保できる余地があると思えた。
● T-SITE以外にも,代官山はたしかにお洒落な街なんですな。お洒落だけじゃそれこそ洒落にならないけれども,内実を表現するとお洒落になるという感じの街,という印象。
帰りは,代官山駅の方から細道をたどって恵比寿駅に帰着。気安そうな飲み屋もたくさんあって,少し立ち去り難い気分になった。
● せっかく恵比寿にいるんだし,さすがにもう歩きたくない気分なので,休憩がてらヱビスビール記念館1杯だけ飲んでいこうと思った。
が,あら残念。27日から年末年始の休みに入っていた。
● 恵比寿からは,くすのき通りを東進。外苑西通りを潜って,東大医科学研究所の西側の道路から目黒通りに。
白金台って意外に飲食店が少ないなと思ってたんだけど,とんでもなかった。いろんな店がある。しかぁし。ステーキ屋にしろ飲茶屋にしろ,どれもこれも高級そうで,おいそれとは入れない。
● 結論。ホテルでヌクヌクするのもいいけれど,とりあえず知らないところを歩いてみる方がもっと楽しい。
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